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2010年03月10日
『私はgitanoと結婚した!』
小林弘子(バイラオーラ)
Suegraの名前はAntonia。
結婚式でもエプロンをはずさなかった人だ。
彼女を思い出す度に。。。笑みがこぼれる。
なぜって、ホントに面白くて、愛らしい人だったから。
私の息子のAntonioに
「飛行機に乗ったら、危ないから窓を開けたらダメだよ!」とか、
familiaのみんなに「テレビの音量を小さくすると電気代も少なくて済むよ」等々、笑い話が絶えない人だった。
私とはかなり年齢が離れていて、祖母みたいだった。
そして、gitanaでもスペイン人でもない私を、とても可愛がってくれた。
でも、最後まで私の日本名を覚えてくれなかった。
一度、familiaのみんなが、
「Abuela(おばあちゃん)~!」
「彼女の本当の名前はLolitaじゃなくて、Hirokoだよ」と、一日かけて教え込もうとしたのだが。。。結局、覚えられず。
「LolitaはLolitaだよ!」と言うAntoniaのひと言に一同、大爆笑。
[撮影:大森有起]
また、こんな事もあった。
26年前、はじめて彼女に会った時、確か80歳近くのはずだった。
それから数年経った。
いつ、誰が聞いても83歳で、一向に年齢が変わらないのだ。
なんでも、彼女がbautizo(洗礼)を受けた教会が火事で、書類が焼けてしまい、本当の年齢は誰にも分からないらしい?!
結婚してすぐの頃、彼女が言った。
「私はLolitaが好きだよ。なぜって、私の息子を大事にするから」
もし、日本人のお姑さんにこんな風に言われたら、カチンと来たと思うけど。。。
スペイン人のあっけらかんとした無邪気なもの言いに、また、いくつになっても子を思う母の姿に呆れるやら、ジーンとくるやら。
あれから20数年、息子思いのAntoniaは、どんな思いで離婚の知らせを天国で受け取ったことだろう。
私とAntoniaの息子には、フラメンコしか共通点がなかった。
文化、習慣、人種、年齢etc.あらゆる差異を超え、周囲の大反対のなか、結婚に踏み切った私。
ずいぶん向こう見ずな人間だと思うことだろう。(今の私なら、呆れるほどにそう思う!)
でも、本当は石橋を二度たたいて渡るタイプなのだ。(笑)
「フラメンコをしていなければ、異国の地で、こんな苦労はしなくても済んだのに!」と、どれほど後悔の涙を流したことか。
(流した涙の分だけ、フラメンコの表現が深くなっていることと思う!?)
あれから、22年、子供たちも21歳と19歳。
日本に戻り、10年が経った。
「私の人生って、案外面白いかも?」と思える自分が、今ここにいる。
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Lolita(ロリータ)小林弘子さんとは、
パセオ創刊の頃からのお付合いだ。
当時、天才ギタリスト・ぺぺ島田さんの
追っかけをやってた私は、
彼の定例ライブのある高円寺エスペランサに
毎週のように通ったものだ。
そのライブの花形ダンサーが若き日のロリータであり、
時おり、切ないまでのハスキーボイスで歌う
彼女のカンシオンに、
若い私はもうメロメロにやられていたのである。
ロリータのこんな話をはじめて知った。
いろいろあったとは思うけど、
けんどやっぱりロリータ姐さん、
あんたはどこまでも逞しいっす!