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社長室/2006年12月

社長室/2006年12月


12/1金(その103)

次行こう




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 [パセオ1986年12月号/表紙はマヌエラ・カラスコ]



 マヌエラ・カラスコがはみ出しそうなパセオ1986年12月号。

 連載二十年、パセオ最新号でその第216回目を迎えた堀越千秋『フラメンコ狂日記』(その6/ドタメンコのすすめ)の抜粋(↓)を。




 さて、私が専らにやっている絵というものは他の何に一番似ているか。
 ―――絵は、数学に似ているのである。

 ところで私は、中学高校と数学に悩んだ者である。中学の数学担当のM先生(御名前は忘れませんぜ。)は、ある時言った。
 「よーし、皆わかったか? わからん者は正直に手を上げろ。」
 私は正直に手を上げた。
 「よーし、一人か、次いこう。」

 高校を、私は数学0点で出た者だ。
 クラス担任の池田先生は心配された。
 「おまえ、もう一寸何とかならんかァ。」
 しかし私は英語と現国の成績が良く、数学0点でもトップクラスにいた。私は馬鹿ではない。

 ある時、新任の数学教師が来た。
 「このクラスで数学の一番出来る人は誰ですか?」
 この差別的言辞に旧友の岡野がすかさず答えた。
 「ホーリコッスィー!」
 以後、むずかしい問題になると先生は私を名指した。
 私は「わかりません」と答え、先生は、「そーかァ、ほしこし君でもわからんかァ。」

 その私が、数学と一番似ている絵というものを描いているのだ。
 日本の数学教育とは何であったのか?!―――と見得を切る前に、では何故数学と絵が似ているのか、を書かねば議論は成立しないのだが、何だか面倒になってきた。
 書き出せば一冊の本、だ。そもそもこれを読む数学教育関係者が何人いるのか。いたら手を上げてくれ。
 よーし、一人か。次いこう。

 それにしても広い日本の小さな貴重なフラメンコ誌の頁をこういう無関係事項で汚してよいのか?―――よいのだ。何を書いてもいいです、というのが小山氏との約束だ。
 フラメンコは浪費だ。さて、人生は?……




 あっはっは。昔からオモロかったんですねえ、画伯。
 数学とアートがそっくりだって。
 四十代半ば頃から、私もようやくそれがわかり始めますた。


 ところで、ついでにみんなに質問だ。

 私のこのブログがつまらんと思う者。
 いたら手を上げてくれ。

 よーし、全員かい。全員逝ってよーし。(TT)








12/4月(その104)

云い訳




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 [パセオ1987年1月号/表紙はバイラオーラの脚]




 パセオ1987年1月号。
 クラシックギター製作家として国際的に有名な河野賢氏のインタビューが載っている。聞き手は私。

 “世界の河野”と称された超一流の職人だが、一方で『現代ギター』の社長でもあったギター界のビッグボスである。フラメンコが好きで一時タブラオを経営してたこともある。
 本質を射抜く直観力と大胆な行動力、そして底知れぬ深さと優しさを兼ね備えた、いわゆる“超大物”だった。

 フラメンコのぺペ・エル・チョコラーテ(島田好志)さんとクラシックギターの渡辺範彦さん。その両天才によるジョイント公演を私がプロデュースしたことを河野師はとても喜び、それを契機に親しくお付き合いさせていただいた。
 立教通りにある師のご自宅近くの池袋西口で、週に1、2度は飲ませてもらった記憶がある。

 駆け出しの私に河野師は雲の上の人だったが、生意気な私はよく議論を吹っかけたものだ。しかもタメ口で。
 そういう私の馬鹿さ加減が、師には珍奇で面白かったのかもしれない。
 毎度ふたりでブランデーのボトルを空けながら、随分といろんなことを教わった。



 「現代ギターの編集長、やってみんか?

 互いにすっかり本音で話せるようになった頃、師はある日突然私にこう切り出した。
 大切な事は三秒以内に決断するタイプ(O型)の私は、即座にこう答えた。

 「ムリだよ」
 「何で?」
 「人に使われるのは好きじゃあない」

 「…………そりゃ、まあ、好きな奴はおらんな」

 力なく笑った師の顔は今でもよく憶えている。

 名誉と給料がもらえる現代ギター編集長。
 名誉の代わりに借金が増えるパセオ編集長&社長。
 パセオから逃げ出すつもりはなかった。だが同時に、伝統と格調の『現代ギター』の編集長がこの私に務まるはずのないこともわかっていた。



 河野師が他界されてもう八年経つ。
 勘違いとは云え、あれだけ私を買いかぶってくれた師に、結局何ひとつ恩返し出来なかった。
 パセオを続けていることだけがせめてもの云い訳だ。

 いまも夜の池袋界隈を歩くと、師と楽しく飲み歩いた日々を想い出す。








12/05火(その105)

フライング情報(特集 Eva)




 エバ。

 そう、あのゴールデン・ハーフのエバ特集だ。
 かって一世を風靡したゴールデン・ハーフはフラメンコ舞踊団として復活したのだ!って、そんなワケねーだろ。



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 [写真:高瀬友孝/文:ハビエル・プリモ/訳:東敬子



 熱きご要望にお応えして、パセオフラメンコ2007年新年号(12/20発売)では、超人気バイラオーラ(女性舞踊手)エバ・ジェルバブエナを特集する。



エバ普段着①.jpg



 いよいよ2007年1月、3年連続で来日を果たす
 エバ・ジェルバブエナ。
 幼いころはけっして幸せな家庭環境になかった、と彼女は言う。
 だが、彼女はひたむきに自分のフラメンコを追い求めた。
 そして今、エバは、夫や娘とあたたかい愛につつまれ、さらに深みを増したフラメンコを創造している。





 渾身のオールカラー16頁で、エバ・ジェルバブエナの魅力の源泉に迫る今回の大特集の出来は星★★★★★。
 文句なしの自画絶賛である。
 とにかく胸が熱くなるような出来栄えで、窓際社長であるこの私が、当欄にて★五つを出すのは初めてのことだ。

 こればっかりは、是非にともご自分で購入して読んでいただきたいっ! 読み終えた新品のパセオは、新品の鍋敷きとしても使用可能なのである。








12/6水(その106)

フライング情報(エバの進化)




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 [写真:高瀬友孝/文:ハビエル・プリモ/訳:東敬子



 パセオ新年号のエバ特集から、昨日につづき今日は『エバ、自らの創造を語る』からのチラ見せ。




 でも、ニーニャ・デ・ロス・ペイネス、アントニオ・マイレーナ、ファン・タレガといった人たちを聴くと、これ以上の新化を誰ができるんだろう、って思ってしまいますね……

 ――― でも芸術に競争はないでしょう?

 私は、現実的に言って、アーティストの間ではいつもあると思います。
 でも、私は、いつも、そしてこれからも、競争する相手は自分自身だと思っています。
 毎日、向上するように、アーティストとしても、一人の人間としても。自分自身であること。
 それが究極のゴールです。

 私はフラメンコを、自分が感じたことを他人に伝える道具として使っています。自分が感じるように、自分の人生観に合うように、その道具を使うんです。
 そうやって最初に、自分自身が進化(変化)しました。良くも悪くも。
 そしてその道具自体も、良くも悪くも、進化しています。
 フラメンコ、そしてフラメンコをやる人は、それぞれ、時代、そして今の自分を反映するものだと思います。








12/7木(その107)

フライング情報(夫婦ゲンカ)




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 [写真:高瀬友孝/構成と文:青柳裕久/インタビューと通訳:天野里絵



 次号パセオのエバ・ジェルバブエナ特集。
 そのちょい見せのラスト。
 エバのプライベート日常編は、題して『愛のある日々~家族とフラメンコと』。


 会話と写真の空気の中から、エバの素顔がくっきり浮かんでくる。
 うーん、なるほど。こういう人だったんだあ。すべてがつながってくるみたいな感じ。

 で、彼女の連れ合いは、仕事の上でも誰より信頼できる名ギタリスト、パコ・ハラーナ。
 ところであの、夫婦ゲンカはどーやるの?



 ――― 夫婦ゲンカをすることはあるの?

 ハハハッ。もちろんよ。ふだんから長い時間を一緒に過ごして、いつも一緒にいるもの。
 アーティスト同士としても、夫婦としても口論、激しいディスカッションをつねにやり合っているわ。
 真剣にお互いを知りたいと思えば、それは当然のことじゃない?
 そうやって本音の部分で、二人の折り合っていけるところを見つけていくの。
 お互いに自分にないものを相手から学ぶし、お互いを尊重している。助け合いもするし。
 パコが苦手なことを私がやったりね。たとえばパコは……



 ううむ。しんどそーだけど、やっぱこれが王道なんだろな。



 ――――――――――――――――――――――――

 速報!ってほどのものではねーですけど。

 現在フラメンコ界の水面下では、このよーなトホホな超小型プロジェクトが深く静かに進行中であります。


 で、も一つついでに、久々アップの“フラメンコ超緩色系”。その176回は『秋の終わりに』。








12/8金(その108)

YOLANDAのおえかきフラメンコ




 数あるフラメンコのブログの中で、現在のところ私のイチ押しはこれだ。


 「YOLANDAのおえかきフラメンコ 」


 モノは試しだ。
 とりあえずこれをご覧になってほしい。



     パヘス風2.JPG

         宿題できません



 ぷっ。
 なっ。
 まったく何べん観ても笑っちゃうんだよね。
 たぶん百回は観たよ。
 やはり今年からブログをはじめた私の連れ合いもこれには一発でハマったみたいだ。
 ま、これは多くのヨランダファンの間でも伝説の名作と呼ばれる作品だ。


 「フラメンコ母ちゃんヨランダとフラメンコ娘クララのフラメンコな毎日をおえかきでつらつらと綴っています。というのがこのブログの説明書き。

 フラメンコのレッスンものやら実用ストレッチやら、愛娘クララとの美しくもトホホなやりとりやら、切り口は実にさまざまで、観る者を飽きさせない。

 もちろん看板の“おえかき”のクオリティが抜群なわけだが、ブログ全体が醸し出す地に足のついたユーモアやペーソスが実に心に染みるのだ。
 悲劇的に辛そうなことでも、それを思い切り喜劇に逆転させちまう発想と手法は、すでに達人の領域である。

 登場する人物(もちろん全部実在)はお笑いの一部を担当させられることも多いわけだが、いっつも感心させられるのは、彼女のフラメンコの先生をはじめとして、登場する方々が実に魅力的に描かれている点だ。
 ふつうの日常生活の中から“愛のあるところ”をさくっとすくい上げるセンスが何より素晴らしい。


 で、聡明な私はこう考えた。
 ここに私が登場することが出来れば、すでに地に堕ちた私の評判をかなり挽回できるのではないか
 で早速、ヨランダに「私を主役に何か描くよーに」とへーこら頼んだのだが、「今世紀中になんとかします」というのが彼女の寄こした大胆不敵なファイナル・アンサーであった。このやろ。

 で、少しは気にかけてくれた彼女が、私をチョイ役で登場させてくれた作品がこれだ。



オラ3.bmp

 踊るフラメンコ会話帳

 踊るフラメンコ会話帳@完結編



 通行人程度のチョイ役(完結編)だったが、まるで寅さん映画に出演できたかのように私は喜びこけたものだ。



 一所懸命に生きようとすればするほど、辛いことはもれなくセットで付いてくる。

 だから笑って暮らしていたい。

 そんなヨランダのひたむきなしなやかさに、ついうっかり私は惚れこんでしまうのだ。









12/11月(その109)

フライング情報(ビエナルがみせたフラメンコの現在)





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写真:高瀬友孝/文:志風恭子



 パセオフラメンコ2007年新年号の小目玉は、ビエナル(二年に一度のフラメンコ最大の祭典)のレポートをカラー4頁で。


 在西二十年、“フラメンコの架け橋”志風恭子でなくては描けない視点から、この秋のビエナル・デ・アルテ・フラメンコを俯瞰する(ラストにちょい見せ)。
 いつもながら冴えまくるライブ写真は、もちろんこの人、高瀬友孝。
 注目作品のレビューや、各国プレス・評論家の感想も併せて掲載。
 ビエナル自身が語る現代フラメンコのいま。



 ビエナルは監督で変わる。

 産みの親であるホセ・ルイス・オルティス・ヌエボ(現マラガ・エン・フラメンコ監督)時代(1980~96年)は、監督の企画によってアルティスタを集める舞台と、アルティスタがつくってきた作品の2種類の公演があった。

 マヌエル・エレラ時代はアルティスタによる新作を探し集め、前回監督は華やかさを求めた。

 今回のドミンゴ・ゴンザレス監督は確実さを求め、無難なプログラムを組んだ。
 すべてのアルティスタをビエナルに一堂に会すのは、所詮無理である。
 今回は舞踊に焦点をしぼり、現代フラメンコを代表する踊り手たちを集めた。









12/12火(その110)

フライング情報(声の静けさ)





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 [文と写真:青柳裕久



 パセオ新年号(12/20発売)から、私の大好きな歌い手マイテ・マルティンの記事をちょい見せ。

 スペインを本拠に活躍を続ける本格派ライター青柳裕久氏による、入魂の不定期連載フラメンコの深遠にふれる旅②は、『声の静けさ ―― マイテ・マルティン』。



 ――― 独自のスタイルのパイオニアとして孤独を感じますか?


 最初は孤独を感じていた。

 私のフラメンコの表現形式は、当時流行っていたものとは違っていたし、フラメンコとみなされていなかったから。
 でも、当時からずっと音楽性と繊細さはフラメンコ性とぶつからず、並び立つものだと信じてきた。
 今やフラメンコ独裁は去った。
 他のジャンルの音楽同様に、フラメンコにおいても、やっとエレガンシアも美点のひとつとみなされるようになった。
 だから、今は孤独を感じていないよ。




 (↑)ううう。よ、よかった。(TT)









12/14木(その111)

明日に架ける橋





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[パセオ1987年2月号/表紙はエル・グィート]



 1987年2月号。

 てっきり人間かと思ってたが、今やすっかりスペインと日本のフラメンコを結ぶ架け橋となってしまった志風恭子(ペンネームは南)がこの号でボランティア・デビュー。
 その編集後記から。



●はじめまして。南です。
 9時から5時まで普通のOLやってます。
 去年の今頃はパセオの存在はおろか、フラメンコのフの字も知らなかった私です。どうしてこんなところにいるのでしょう? う~ん、不思議だ。でも、ま、いいか。
 というわけで(どういうわけだ?)自分の好奇心だけを頼りに走りまわってる私です。いまだ初心者マークもとれない新参者ではございますが、どうぞよろしく。
●バレンタインデーがすぐそこです。憧れのあの人にパセオ1年分。毎月毎月、いやでもあなたのことを思いだしてくれますよ。(南)



 当時の南はけっこう生意気な問題児だった。
 類は友を呼ぶのだ。(TT)
 新宿ナナをはじめとして、彼女の取材先の足跡をたどってはぺこぺこ頭を下げてまわった記憶がある。
 閉口しつつも、心の底で私はうれしかった。
 想えば、これが志風恭子のフラメンコ物語のスタートだったのである。









12/15金(その112)

ヘタな鉄砲





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 [パセオ1987年3月号/表紙はアントニオ・ガデス]




 二十年ほど前のパセオ1987年3月号。
 正月に読んだサムエル・ウルマンに感激し、有名な『青春』という詩の要約を編集後記に書き写している。




 若さとは人生のある時期のことではなく、心のあり方のことだ。

 若くあるためには、強い意志力と、優れた構想力と、激しい情熱が必要であり、小心さを圧倒する勇気と、易きにつこうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。

 人は歳月を重ねたから老いるのではない。
 理想を失うときに老いるのである。

 歳月は皮膚にしわを刻むが、情熱の消滅は魂にしわを刻む。
 人は信念に比例して若くあり、疑いに比例して老いる。
 自信や希望に比例して若くあり、恐れや絶望に比例して老いる。
 すべての夢を失い、心の芯が悲観という雪、皮肉という氷に覆われるとき、その人は真に老いるのだ。
 そのような人は、神の哀れみを乞うしかない。




 30歳をすぎ、同期の旧友たちが社会的にめきめき成熟してゆくのに対し、相変わらず私はガキのまんまだった。
 私も成熟に憧れたが、普通の大人になってしまえばパセオの続行は難しいというジレンマが直感だった。
 この『青春』のような、折れそうになる心を前向きに鼓舞してくれるコンセプトに賭ける以外、私には選択の余地がなかったように思われる。

 毎日の資金繰りにあえぐ、当時の私に最も欠けていたものは「お金」「常識」「知性」「慎重さ」だった。
 この編集後記のラストも、結局こう結んでいる。


 「てなワケで、
    とりあえず増ページだいっ!


                   (TT)









12/17日(その113)

YOLANDA作品に主演!




しゃちょjpeg.jpg




 この日のために生き続けてきたのかもしれない。

 「私には俳優は向いてないのかもしれない」。
 幾度となく挫折のピンチは訪れた。
 あのとき、あきらめないで本当によかった。

 そう。……とうとう私はあのヨランダ・ピナータス監督の最新作『しゃちょ物語』に主演するという栄光をこの手につかんだのだった。

 ヨランダ監督の演出・カメラワークは完璧であり、また云うまでもなく、私の演技力は抜群である。
 ここだけの話だが、アカデミー賞主演男優賞はほぼ手中に収めた、と云ったとしてもそれは決して過言ではない。同じく監督賞や作品賞なども総取りだろう。

 では早速ではあるが、今回特別に読者の皆さまに先行上映をご覧いただこうか。



  全世界ロードショー先行公開!
  ヨランダ・ピナータス監督作品
      『しゃちょ物語




監督/脚本/演出/撮影 ● ヨランダ・ピナータス
主演 ● パセオしゃちょ
共演 ● めめ★、かるめん、かよちゃん、勝田、ウエストサイド、KdeA
音楽 ●『星のフラメンコ』『ワンだんご・で・吠えるバ』
提供 ● YOLANDAのおえかきフラメンコ
狂賛 ● 欠陥パセオフラメンコ



    ********** ********** **********



 皆さまの感想(絶賛)を聞くまでもない。
 上映会場(東京ドーム)はスタンディング・オベーションの嵐である。
 フラメンコで云えば、パコ・デ・ルシアもしくはアントニオ・ガデス公演以来の大ブレイクとも云うべきだろう。……云うべきではないかもしれない。









12/18月(その114)

フライング情報(新人公演への提言)





新人公演/表紙.jpg



 パセオ(12/20発売号)の第二特集[新人公演を考える]は全13ページのかなり踏み込んだ内容で、自慢じゃないが、こいつはかなり読み応えがあってシビれるはずだ。
 ハタからは見え辛い、日本フラメンコ協会や新人公演運営のヴィジョン、そしてその厳しい実情というものが、かなり鮮明に浮かび上がっている。



 その企画のひとつ『私はこう考える/新人公演への提言』では、フラメンコを愛するおなじみの八名が、それぞれに踏み込み鋭くメッセージを表明する。


新人公演への提言.jpg


◆エンリケ坂井 『新人公演の選考』
◆岡本倫子 『フラメンコを評価することの難しさ』
◆川島桂子 『カンテへの愛情表現の場として』
◆鈴木眞澄 『フラメンコと真摯に向かい合うために』
◆高橋紀博 『若いみなさんへ』
◆高場将美 『もっとフラメンコらしさを』
◆西脇美絵子 『採点結果の公開を』
◆堀越千秋  『新人公演の華、奨励賞について』


 当然ながら、それぞれの意見に強い説得力がある。
 だから、フラメンコは面白い。
 だから、それを一本化するのは、もうこりゃ大変なのである。









★12/19火(その115)

フライング情報(異端の光)




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 [パセオフラメンコ2007年1月号/表紙はエバ・ジェルバブエナ



 今日は、パセオフラメンコ新年号の第二特集[新人公演を考える]から『改革 ―― 新人公演/日本フラメンコ発展のために』。



改革~新人公演.jpg



 谷口編集長の失礼とも思える鋭いツッコミに対し、正々堂々まっ正面からご回答くださった日本フラメンコ協会濱田滋郎会長、田代淳事務局長の真摯な姿勢とその志には胸を打たれるものがある。

 協会の大きな功績からは、とてつもなく巨大で強固な組織と感じる方も多いだろうが、実際のところは、単にフラメンコを愛する人間たちが、手弁当で無理やり成立させている世界なのである。
 では、その三者対談のほんの一部をちょい見せする。



田代 日本フラメンコ協会は、公的機関からの援助はいっさいありません。協会員の会費で維持、運営している団体なんです。

濱田 お恥ずかしい話ですが、まだまだ、みんな手弁当でやっている団体なんです。

田代 協会の財政的基盤は、まったく確立されていません。これまで、理事、役員、事務局などの、好意と奉仕的精神によって成り立ってきたんです。現在の収入は、わずか年間500万~600万円程度。そのなかから、フラメンコの普及と発展のために、「新人公演」をはじめとした、さまざまなイベントを開催しているんです。大きな事業をやっていくのは、今のままでは、かなりの無理があるのが現状です。

 ――― 「新人公演」だけが、一人歩きしているというわけですね。

田代 そうなんです。新人公演の成功により、ある意味立派なことですが、あたかも協会が巨大な公的機構のように万全な団体だと思われています。しかし、現実はそうじゃない。それでも、なぜ関係者はがんばっているのか。自分たちが愛したこの世界を次の世代につなげたい、手渡したいからなんです。ところが、その受け手である若い世代が手をさしのべてくれないのなら、協会など続ける意味がないのではないでしょうか。



 太文字あたり(私が施した)に、いつも温厚な田代の淳さんから、思わず青き熱血の真情が漏れている。

 こうした事実は、フラメンコ愛好家の間には正しく伝わっていない。
 また、こうした事実を察知している多くのプロのアーティストや業界の方々が、フラメンコ界の未来のために協会の必要性を感じながらも、運営ボランティアはご勘弁という実情もある。
 こんなところにもフラメンコ協会の苦悩がある。

 協会は親かなんかと勘違いされている向きもある。


 「先輩にはおごってもらうが、後輩にはおごらない

 これが今の世の中の主流とも云うべき風潮だ。
 なにもフラメンコ界に限ったことではない。
 ましてや我らがフラメンコ。各人の強靭な哲学やそれぞれの事情もあるだろう。

 むしろ、そうした一般的風潮に逆らい、持ち出し一方のボランティア運営によって愛するジャンルを支えようとするフラメンコ協会のスタンスこそ異端なのである。

 「先輩におごられたら、後輩におごり返す

 良し悪しの問題ではなく、協会スタッフとはこういう旧式タイプに属す、ということになるだろう。

 云えることは、向こう数年の間にこうした光を放つ異端者の数がプロ・アマ問わず、ある一定数を超えればフラメンコ界の未来はそれなりだろうし、一般的感覚(面倒や出費は人任せ)が主流となれば、また新人公演もない昔へと逆戻りという、あまりにもわかり易い図式だ。



 現代においては、大パトロンに頼ろうとする発想は健全でも現実的でもない。
 また、モラルや啓蒙によって解決できる問題でもないだろう。
 もともとアートは、むしろ反モラル的であることによって、社会に豊かさを提供するものだから、既成モラルなんぞはクソ喰らえの世界なのだ。

   あくまでこれは、プロ・アマ問わずそれを愛する各個人の「アートに対するプライドの在り方」の問題なのだろう。
 一人ひとりの心意気によってアートを守ってゆくよりない、という国際情勢はもはや動かしようのない事実だから。
 よって、各個人のプライドの集積量の大小が、そのままアートの未来を決定してゆくのだろう。


 チリも積もれば山となる。

 私にも愛するアートがいくつかあるが、結局はこの言葉に賭けるしかないと思っている。
 誰かがやってくれるのではない。やるのはお前だろ、の世界だ。
 一度限りの人生を、ずっと内側から温め続けてくれるアートだもの。
 喜んでチリになったろかいと、私としてはほざいていたい。









12/20水(その116)

フライング情報(成長の通過点)





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 [パセオフラメンコ2007年1月号/表紙はエバ・ジェルバブエナ



 昨日につづき、パセオ新年号の第二特集[新人公演を考える]から『受賞者たちの新人公演“前後”』を見てみよう。



新人公演~前後.jpg



 登場するのは、躍進を続けるおなじみのアーティスト三名。すべて奨励賞受賞者だ。


◆鬼本由美(1992年奨励賞)
 『新人公演は成長の通過点』
◆有田圭輔(2003年努力賞)
 『出演でフラメンコの世界が広がった』
◆前岩里佳(2002年奨励賞)
 『新人公演はゴールではなくスタート』


 ではその中から、鬼本由美さん『新人公演は成長の通過点』(文:西脇美絵子)の一部抜粋を。




 もちろん受賞したいと思って出演したし、受賞できたことは大きな喜びでした。
 でも今振り返ってみて、私にとって新人公演がなんだったのかというと、受賞云々ということよりも、踊り手人生の通過点としての意味が大きいです。
 受賞はひとつの区切り、ひとつの結果ではあるけれど、踊り手としては、実はそれ以降のほうがずっと長い。
 そこからがスタートといってもいいくらいです。
 しかもその先は、何も頼るものがない獣道を探り当てるようにして、成長していかなくてはならないのですから。

 ここ数年は、生徒たちが出演するようになり、教える側・観る側の人間として新人公演に関わるようになりました。
 そこで感じるのは、受賞に重きを置きすぎない方がよいということ。
 賞を意識するあまり、表現者としての輝きや個性が半減しては本末転倒ですから。
 選考結果についてはいつも話題になりますが、「どうしてあの人がとれなかったの?」と観客に言われる踊りを踊ることにも、とても意味があると思います。




 う~ん、さすがは鬼本由美さん。
 特にラストの部分、納得!!!である。









12/22金(その117)

スペイン舞踊の夜明け/河上鈴子に聞く




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 [パセオ1987年4月号/表紙は碇山奈奈]




 日本のバイレ・フラメンコのルーツ、河上鈴子。
 間接的であるにせよ、すべてのフラメンコファンはこの巨星の残した功績のその恩恵を蒙っている。

 1987年4月号。『スペイン舞踊の夜明け/河上鈴子に聞く』の最終回。
 そのほんの一部を抜粋。(聞き手はロコ)




 ――― その翌年には第二次世界大戦が勃発しましたね。

 丁度その年に私は、南米に行って各地で公演をし、又民族舞踊を研究していました。
 2年後に帰国し、軍人会館にてリサイタル。満州国に渡り、慰問も行なったのです。

 おこがましい事ですが、自分に子供がいないので1人でも多くの子供達を健康で良い日本人として育成したい為、戦争中ではありましたが、1942年、蒲田のスタジオに幼稚園を併設したのです。
 2年半で戦争が激しくなり全面閉鎖し、そこはフジ電機の消火器製造工場となりました。

 その矢先、大変おそろしい事が起こりました。
 忘れもしません、1945年4月3日。空襲にて1トン爆弾が研究所に落ちたのです。
 生徒数人が死亡しました。
 各国で知り合った友人からの手紙、写真、衣裳などと共に消え失せてしまいました。
 これらは私の宝物。
 そして青春の思い出でした。
 それから住居を現在の世田谷に移したのです。




 この厳しい時代の延長線上に現在の日本があり、同時に今のフラメンコの活況がある。そのつながりを意識するところに、新たな発見が生まれることもあるだろう。

 先生がおなくなりになる何年か前に、世田谷の九品仏にあったご自宅に何度かお邪魔してお話を伺った。
 そのたびに、先生自ら入れてくださったおいしい紅茶の味が今も忘れられない。









12/23土(その118)

あふれよ我が涙





 朝からの事務仕事のご褒美に、ぷらっと散歩に出る。
 神田川両岸の冬枯れを楽しみながら、パセオのご近所“新江戸川公園”へと向かう。



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 今日のBGMは、21世紀の吟遊詩人、スティング唄うところのジョン・ダウランド(17世紀英国の吟遊詩人)。
 この秋の新譜だ。その現代的な大胆アプローチには賛否両論雨あられのようだが、私はけっこう好きだな。


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 有名な『あふれよ我が涙』の哀唱には胸が熱くなる。
 リスクを恐れず、敢えて古典中の古典、ジョン・ダウランドにチャレンジしたスティングの心意気が何よりうれしいじゃないか。




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 今年も残すところあと一週間だよ。
 妙に早い一年に感じる。

 まさかのブログに手を出し(三つも)、慣れない文章やコメントを書き始めたことがそれなりに楽しくて、ある種の浦島竜宮城状態を生み出したのかもしれない。

 そこへ持ってきて、いろんな事も重なり、私には激動の一年となった。
 2006年は私にとって忘れ難い年になるのだろうな。
 哀しいことは山ほどあったが、めっちゃうれしいことも幾つかあった。

 差し引きではマイナスかプラスか?

 いや、そういう考え方は違うな。
 永い目でみれば、みんなプラスだ。




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12/25月(その119)

当たって砕けろ!






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 [パセオ1987年6月号/表紙はラウール]



 1987年6月号。私の編集後記。




●先月号でお知らせしました通り、この秋“フラメンコハンドブック‘88”なる実用ガイドブックを出版する予定です。フラメンコに関するありとあらゆる実践情報を一冊に集約してしまおうという初の試みで、アルティスタ並びに関係者の皆さまには資料提供等の労をおかけいたすことになりますが、どうかご協力よろしくお願いいたします。

●さてこのガイドブック、全国書店発売と同時に、マスコミ各方面、主要図書館等に計1500部ほど無料配布します。連日編集部宛に各方面から寄せられるフラメンコに関する問合せに対し、全部まとめて教えちゃうよ、だからフラメンコの活性化に一役買ってちょうだいね、そういう究極の“フラメンコPRブック”を目指します。




 ちゃんとした出版社(新宿書房)に販売委託して、はじめて全国書店経由で発売したフラメンコハンドブック。
 内容は稚拙だったが、わが国初のフラメンコガイド本だったので、新聞・雑誌等にも大きく紹介され、これは売れに売れた。抱えていた累積赤字の半分位はこれで解消できたはずだ。

 制作費や販売費はめっちゃかかったが、そのぶん広告取りを頑張った。
 リスク100%、失敗すれば即倒産だったが、幸い当時の私の人生コンセプトは「当たって砕けろ!」だった。ちなみに現在は「カホンは寝て待て」だが何か。

 “恐怖の広告取り”として、この私が業界中の人間から恐れられ始めたのはこの時期だったと思う。今でもベテラン・アーティストたちは公演等で私に出喰わすと反射的に逃げ出す傾向が強い、のはいかがなものか。

 若い私は人に頭を下げる習慣を持たない人間だったが、これを機会に、広告を取るためには「三べん回ってワン」とやるタイプの人間にモデルチェンジした。
 とは云え、基本的には強気だった。このガイドブックやパセオを日本全国津々浦々に普及浸透させることで、観客や生徒を急増させ、市場規模を何倍にも拡大できる確信があったからだ。


 「パセオに広告掲載するのは、フラメンコ界の未来を築くアーティストのステータス&プライド」。

 アーティストをはじめとする業界関係者に、てらうことなくそうした協力を要請にするにあたり、このように考えてよろしいか?
 私は、私の中のフラメンコの神にそう問いかけ、そして了解をとった。

 実際には、フラメンコ商店街の売上を必ず倍増させるので町会費は払ってね、みたいなノリで毎日5~10ヶ所は営業に駆けずり回った。
 だいたい3勝4敗ぐらいのペースだったが、まれに10勝0敗みたいな神風が吹く日もあって、そんな晩の祝杯はまた格別だった。


 ガデス来日公演で市民権を獲得したフラメンコは、そのあとフォローの使命を受けたフラメンコハンドブックによって、日本における初の安定市場を形成し始めた。……ま、ちょっと云い過ぎだがな。










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