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社長室/2007年12月

社長室/2007年12月


12/13木(その246)

回復力





 やっ、ごぶさたっ!

 約四ヶ月ぶりの“社長室”であります。
 この夏から、最大の道楽とも云えそうな各種ブログを休んで、いくつものプロジェクトに没頭してましたが、やっとのことでその三つばかりにケリをつけたところ、目出たくも、このたび新たな大プロジェクトをおっ始めることとなりました。(TT)

 そう……、キリがない。
 さらに、このままではHP担当者に更新されない“社長室”を閉鎖されてしまう恐れもあるため(←もう、原稿アップのやり方も忘れてるし)、ほとんど発作的にこれを書いてるところだ。
 月にいっぺんぐらい書けば、担当者に許してもらえる可能性もあるので、私としては精進あるのみである。


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 さて、ほぼ終わったプロジェクトの中で、いちばん面白かった現場は久しぶりの映像プロデュースだった。
 私が制作したDVDがこれ(↓)で、あとは来年1月の発売を待つだけとなっている。


自宅⑤小林伴子ジャケット.jpg


 リハ、本番、編集にかけて毎日3時間ほどの睡眠で、ろくにメシも喰わずにハマり続けた結果、なんと私は十日ばかりで7キロも痩せたのである。
 理想体重まであと5キロの所まで迫ったのには我ながら驚いた。

 周囲の反応も上々で、それまで丸々と太ったブタを見るような目で私を見ていた彼らは、痩せたタイプのブタを見るような目で私を見るようになったのである。
 その十日後に体重がすっかり元通りになったことにはさらに驚いたが、むしろ私はその驚異的な回復力に拍手を贈りたいと思う。

 ま、しかし、理想体重(60キロ)達成の夢も捨て難いので、こんどDVDを作る時には2本いっぺんにやりたい(鍵田真由美と佐藤浩希とか)と思ったことでした。


 尚、次回社長室では、社内で大ひんしゅくを買ったDVDのライナーノート(←私が書いた)全文をのっけたろーかと思っています。









12/28金(その247)

スーパー・カスタネット





 前回のお約束。
 来月20日に発売するDVDのライナーノートをフライング掲載しよう。
 前例のないことだが、本業の“フラメンコの月刊誌発行”自体が前例のないものだったので、「前例の有る無し」というのは私にとって空しい話なのだ。

 ま、しかし、これは手間のかからぬ優れた宣伝プロモーション作戦とも云えるわけで、逆効果(映像内容は最高なのに売れなくなる)を確信する一部社員(←約全員)の猛反対こそ喰らったものの、私はこれに踏み切った。
 このDVDのプロデューサーである私が書いたライナーは、確かに文章はまずいが、そのかわりにやたら長い。
 つまり、最後まで読み抜く根性のある方はほとんどいないだろうというのが、沈着冷静な私の読み筋である。



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 自宅でクルシージョ⑤小林伴子
 フラメンコを歌う!スーパーカスタネット
 (『舞踊家・小林伴子とは』~ブックレットより転載)


自宅⑤小林伴子ジャケット.jpg


 「おだやかにして清楚な麗人」の正体


  「スペインから大物バイラオーラが帰国した。
 なんでもたいへんな資格を取ったらしい」

 そんなビッグニュースがパセオに舞い込み、何はともあれと彼女のもとへ駆けつけたのは1986年のことだった。

 スペイン王立舞踊演劇高等芸術学院(コンセルバトリオ・デ・マドリー)
 公認・スペイン舞踊師範資格


 当時でも取得には通常5年を要する大難関。
 それを見事に突破したガッツと才能にあふれる舞踊家とくれば「猛烈にして爆発キャラの大姐御」に違いないというイメージを胸に秘め、怖いもの見たさで訪れた取材先は、新設されたばかりの東京・高田馬場のフラメンコスタジオ。

 だがしかし、そこに居られたのは私の先入観を根本から覆す「おだやかにして清楚な麗人」だった。
 誰あろう、当DVDの主役、小林伴子さんその人だったのである。
 うれしい誤算にどぎまぎしたこの最初の出会いから、すでに20数年の歳月が流れた。



 『私は1978年2月にスペインへ留学し、85年12月、ほぼ8年間にわたるスペイン生活に区切りをつけて帰国しました。
 私の経歴においてコンセルバトリオのスペイン舞踊師範資格取得という項目は、ストレートに言えば、私の舞踊教授活動を社会的に認知してもらう上でとても役立っていると言えるでしょう。
 ただ、そもそも私は「フラメンコを体得したい」、「少しでも本物に近づきたい」という一念で留学したわけで、コンセルバトリオの免状を取ることを目的にスペインに行ったわけではありませんでした。
 スペインでの最初の1年は、そんな学校の存在すら知らずに過ぎていったのです。……』



 かつてパセオのフラメンコ留学特集に小林伴子がこう寄稿してくれたように、コンセルバトリオの免状を取得することなど、留学当初の彼女自身にはまったく予定外のことだった。
 いや、そもそも小林のフラメンコ留学自体が周囲の意表を突くサプライズそのものだったのだ。

 幼い頃から踊ることが大好きだった小林は、美大卒業後、宝石会社のデザイナーとなる。
 そして入社間もなく、なんと彼女はその業界の国際的登竜門と云われる[デビアス国際賞]を受賞する。
 しかしその直後、前途洋洋たる宝石デザイナー小林伴子は、バイラオーラの道へと、突然の進路変更を決意することになるのだ。

 当初3ヵ月の予定だったフラメンコ留学は、「芸事に3ヵ月は短いから、3年は行ってきなさい」という母親の応援を得ることで本格的な様相を呈する。
 のちの師範資格へのチャレンジは、母親の応援に対する返礼のニュアンスもあったにちがいない。

 留学生活も半ば、通常のフラメンコのレッスンに加えて、コンセルバトリオの課題をこなすための練習が6時間、さらに夜はタブラオの仕事という超ハードな毎日。
 タフな彼女もさすがにこの頃は大変だったようで、日本の仲間たちが短期留学でカッコいい振りを習い日本に持ち帰るのを横目で見ながら、資格試験のための様々な勉強をこなさねばならない状況に、ひとり焦りを感じていたのだろう。
 折しもスペイン旅行中に立ち寄った母親に、ついうっかりグチをこぼす。
 すると母親は、キッパリこう云った。

 「私を喜ばせるために免状を取るのだったら、やめてちょうだい」

 やめたければやめればいい。
 それまで何も云わずに応援してくれた母のひと言で小林は逆にハラをくくる。

 「やろうと決めたことには、きちんとケリをつけよう」

 やさしい容姿と物腰の、小林伴子の実際の中身は強靭さそのものだった。
 うっかり外見に騙されつづけた私が、そのことに気づくのは、彼女が文化庁芸術祭賞を受賞(1991年)した頃だと思う。


 小林が帰国した頃の日本のフラメンコ人口は、現在の1割にも満たず、アーティストも関係者もみな一様に大変な時代だった。
 バイレ人口の少ない日本で帰国後すぐにスタジオ開設というのは、スペイン公認の大看板を背負う小林にとっても大きな冒険であり、その困難には想像を絶するものがあったろう。
 当時の日本のフラメンコたちは、明日をも知れぬ不安の中で、それでも迷うことなく「フラメンコとともに生きたい」という希望だけを胸に、淡々と皆それぞれの“プロジェクトX”に取り組んでいたのだ。



 「持久力に優れる小林伴子は、実は瞬発力の人だった」


 2007年の春、カスタネットの名手・小林伴子さんを迎えてDVDを創ろうという話が社内に持ち上がった時、ちゅうちょなく私はその現場監督役を引き受けた。
 久しぶりに制作現場の空気が吸ってみたくなったということもあるが、ほぼ同世代の小林さんは私にとって戦友の如き存在であり、私がプロデュースを担当できることはとてもラッキーなめぐり合わせに思えた。

 DVDの出演依頼のため“ラ・ダンサ”にご挨拶に赴くと、快諾くださった小林さんは「あの頃の小山さんは紅顔の美青年だったね」と爽やかな笑顔で昔をふり返り、「あの頃の私が真実で、今は仮の姿です」と私は答えた。


 今回のプロジェクトでは、彼女との打ち合わせの合い間に様々な楽屋話を知ることができたが、中でも「カスタネットのみ左利き」のエピソードは強いインパクトを残す。
 カスタネットの試験のために猛烈な練習に明け暮れる小林は、利き手の右指を故障させてしまう。
 普通なら落ち込んでにっちもさっちも行かなくなるところだが、彼女は左手を利き手にすることを思い付き、試験をクリアしてしまう。
 カスタネットを打つ時だけ、今でも小林が左利きなのはそのせいだ。
 この話に唖然とする私に、彼女はこう付け加えた。

 「でもメリットの方が大きい。
 もともと右利きなので、右手で打つベース音を歌わせやすいから。
 カスタネットは利き手を変えるのが正解かも」……だとさ。
 どーです、この前向きさ加減は。


 DVDの撮影方法について、小林さんと私は幾度もぶつかり合った。
 リスクを軽減するために石橋を叩いて渡る慎重論を主張する私に、彼女はそれとは対極のやり方を望んだ。
 愛と知性のマネージャー春名さんや、映像ディレクターの寺田さんの空気を読み切ったアドバイスがなければ、さんざ叩かれた気の毒な石橋は木っ端微塵に吹き飛ばされていたことだろう。

 ほんとうに作品は完成できるのかという私の焦燥感が解消されたのは、実に撮影当日の本番スタート直後である。
 何のことはない。
 すでに30年以上もフラメンコにおける数々の修羅場を乗り越えてきた彼女にとって、レッスン現場の撮影など朝メシ前のことだったのだ。

 最終的に必ず何とかする、という一流プロの自信と責任感を目の当たりにしたその日。
 収録を終え帰宅した私は、明け方近く、久々に味わう制作現場の緊張感・充実感を辛めのスコッチとともにぐびっと飲み干した。


 小林伴子のステージやライブ映像を観ると、カスタネットとサパテアードの色彩豊かな連携が、相乗効果的な迫力を生み出していることに誰もが気づく。

 「カスタネットもサパテアードも、根っ子はまったく同じ。
 どちらもただフラメンコの表現に奉仕するもの。
 靴で床を打つのか、手でカスタネットを打つのかの違いだけ」

 小林伴子のカスタネットに対する愛情が尋常でないことは明らかだと思われるが、そのことを突き詰めると、このように彼女の返答は実にそっけない。
 もしかすると「フラメンコを体得したい」、「少しでも本物に近づきたい」と留学前に願った初心を忘れまいという意識が、カスタネットだけを突出させることを抑制しているのではないか。
 小林の優先順位は常に“フラメンコ”がトップなのだ。

 かつて小林と共演したあのホアキン・グリーロが、彼女のやっていた2拍3連のコントラティエンポにヒントを得て、当時参加していたパコ・デ・ルシア・セクステットのライブでそれを披露(逆輸入)したことは、業界ではちょいと知られる話だ。
 それも、カスタネットではなく、サパテアードの話であるところがおもしろい。


 さて、「おだやかにして清楚な麗人」というフラメンコからはかけ離れた外見の印象は昔も今も変わらないが、このDVDを共に制作するプロセスで、持久力に優れる小林伴子が実は瞬発力を本領とするアーティストであることも明らかになってきた。

 切羽詰まりそうな局面になればなるほど、彼女が発揮する度胸と愛敬と技術は、まさしくフラメンコなオーラを放ち、その場その場を救ってくれたのである。

 完成したこのDVDを眺めながら、また、制作中のやりとりを思い出しながら、時には相反する突出した才能の数々を巧みにバランス・コントロールする、この極めて優れたバイラオーラの輪郭がおぼろげながら視えている。

    (株式会社パセオ代表取締役 小山 雄二)


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 心地よい眠りから醒め、最後の三行だけ読もうとしている貴方よ。
 夢うつつのまんまパセオのネット通販で予約すれば、あなたの2008年(=カスタネット元年)はチョー大吉まちがいなしである。










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