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社長室/2008年
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社長室/2008年
社長室/2008年
1/19土(その248)
★不敗伝説
運がいいとかー悪いとかー
そーゆーことってー確かにあーるとー
あなたを見ててーそお思うー
さだまさし歌うところのこの『無縁坂』は、残り少ないカラオケ・レパートリーのひとつである。
文京区に実在するこの無縁坂は、偉大なる森鴎外自身、そして傑作『雁』の主人公の散歩コースでもあり、びんぼーパセオの本郷時代、お気に入りのこの坂をよく歩いた。
坂下には「忍ぶ忍ばず」上野・不忍池の絶景が広がり、激務と失意に明け暮れる当時の私は、雁といっしょによくこの池で泳いだものだ(うそ)。
“運”というのは確かにあるなと、私もそう思う。
人生ほとんど実力通りと云い切ることも可能だが、もう一方で、生い立ちなんぞを筆頭にほとんど運じゃねえかとも云えてしまうところに、この議論を楽しくさせる理由がある。
若き日の一時期、身の程知らずにも勝負の世界に暮らしていた私は、いまでも“運”については敏感である。
自分は運が悪いなどと嘆く人は多いが、それは運の性格を正しく把握していないためだと思う。
運はほぼ平等に与えられるものであること。
それをつかむか、つかまぬかは好みの問題に委ねられていること。
運を育てる方法は確かにあること。
……などなど、運の性格について、犬やゴキブリや人は充分に理解を深めておく必要がある。
にも関わらず、私の人生戦歴が3勝997敗であるという事実は私自身を驚愕させる。
どこでまちがったのか?………たぶん私は運が悪いのだろう。
もうひとつにはおそらく、「運よりも直感に頼って生きたい」傲慢タイプの人間だからかもしれない。
つまり私は、自分の瞬時の判断に大きな過信を持っているのだ。
これまでも人生を左右するような重大な決断は迷わず三秒以内に下してきた。
これこそがゴキブリや私がコンピューターに優る最大の豊かさなのだ!という大きな納得を胸に。
その堂々たる確信の目映いばかりの成果はたまたま“千三つ”であったが、これは「運に対する私の研究」それ自体に運がなかったためかもしれない。
そんなわけで、私が買った馬を外して馬券を買えば必ず当たるという不敗伝説は、三十年以上を経過した今現在もクラス会の酒席を盛り上げつづけている。
1/25金(その249)
人格者の条件
昭和46年の昔から、フラメンコギターの
パコ・デ・ルシア
は私にとっての“神”で在り続けている。
また一方で、平成8年の昔から、御茶ノ水女子大の
土屋賢二教授
は私にとっての“仏”で在り続けている。
ある時、その仏さまはこう定義された。
ハゲ
= 毛根に
大らか
さのある人
チビ
= 垂直方向に
謙虚
さのある人
デブ
= 水平方向に
積極性
のある人
私という人が、大らかで、謙虚で、積極性のある人だとゆーことに、その時はじめて私は気付いた。
私の
神さま
が大らかなのも、おそらく同様の理由によるものだろう。
【※写真はわが家の神棚と仏壇(パコ・デ・ツチヤ風)】
1/28月(その250)
棒に当たった
FLAMENCO曽根崎心中でもおなじみの宇崎竜童さんが総合プロデューサーを務める、昨夜のお茶の水JAZZ祭。
名だたるジャズ系ソリストたちが大集結するスーパー・ビッグバンド。
一方にはわれらが鍵田真由美・佐藤浩希率いるアルテ・イ・ソレラ。
水と油の結果がアタボーなこの積極果敢なコラボは、いってえどんなことになったのか?
はらはらドキドキ見守る興奮のドツボの中、ジャズ寄りの土俵で展開するフェスティバル大トリの最終ナンバー。
一糸乱れぬ強烈・濃厚なビッグバンドの巨大なサウンドに、まったく位負けすることなく毅然と立ち向かうわれらがフラメンコ。
余裕をもって溶け合いながらも、堂々と自己主張し合うバトルは圧巻だったと云ってよい。
満席の大ホールのほとんどは目耳の肥えたJAZZファンだと思うが、鍵田・佐藤らが魅せたフラメンコが大きなインパクトをうならせながら彼らの心にダイレクトに到達する様子を、あちこち見回しながら私は確認した。
ほっと胸をなでおろすというより、この場に立ち会えたことを光栄に思った。
この先こんなレベル同士の豪華コラボにお目にかかれる保証はどこにもねーしな。
この日の午後は家でゆっくり過ごす予定だったが、ひきこもってるよーじゃ、やはり運はつかめない。犬も歩けば棒に当たるのであった。
フェスティバル特有のご愛嬌とも云うべき内容のない長いトークには閉口させられたが、それによって、同じく内容がないのにやたらと長い私の文に閉口させられる人たちの切ない心情が少しだけわかったことも収穫だ。(TT)
で、あいかわらず矢野のよっちゃんもカッコよかったなあ。
それにしても……
ジャズカルテットをバックに自作「山口百恵のイミテーション・ゴールド」に挑んだ62歳男性(←宇崎竜童さん)のアイレびんびんの熱唱には、その音程はともかくも、フラメンコで云う○○○○○みてーのが降りてたな。
2/3日(その251)
白い一日
カーテンを開く瞬間の雪の朝のよろこびは、タブラオの扉を開けカンテ・ギター・パルマが飛びこんでくる刹那に似ている。
「
春もそう遠くないな
」。
そうつぶやいた途端の積雪である。
私の説の逆を行けば必ず当たる、という伝説は今日も不滅だ。
昨日からうっすら風邪気味なのだが、仕事や風邪は明日でもできる。
女心と雪の空、と云うではないか、云わねーよ。
ま、しかし、今日は今日とて今日しか出来ないことをしようではないか。
とにかく江戸っ子は理屈ぬきで雪が好きだ。
NHK将棋トーナメントで天才羽生がまさかの大逆転で異才長沼に負かされるのを横目に、連れ合いのリクエストに応える特製鬼才カレーの仕込みを終え、積雪用耐寒タイツ、特殊戦闘用ブーツ(ふつーのももひきと長靴 。TT)という完全装備でさっそうと雪野原へと繰りだす。
水を得た魚と云うか、雪を得た豚とゆーかは微妙だ。
ゆらりハナミズにさすがに遠出はあきらめ、雪化粧にときめくわが家の庭(巷では代々木公園、明治神宮などと呼ばれている)をゆっくりじっくり散歩する。
今月末にトマティートやホセ・マジャとともにやってくる
ドランテのピアノフラメンコ
を耳に、冬の醍醐味を味わい尽くそうとする52歳・男の哀愁とささやかな幸福。
遠い昔の、雪の日の想い出が走馬灯のようによみがえる。
そのほとんどは想い出すのも恥ずかしい悲惨な記憶ばかりだが、いまとなってはそのポジティブな失敗の山々に好感さえ持てるぐらいですってほんとかよっ。
センチメンタルな風情に、何の脈絡もなく脳裏をかすめる陽水の一節。
ある日、踏み切りのむこうに君がいて
通りすぎる汽車を待つ
2/6水(その252)
愛のあるところ
私の出くわすトラブルやアクシデントというのは、
原因をたどってゆくと、真犯人は
………
2/7木(その253)
脱走
まいど土日を休めるショーバイではないが、四季折々の花を愛でるひと時もないでは生きてる甲斐もない。
朝も早よからガーッと仕事をかたづけ、これから待望の梅見じゃあ。
梅の香りに酔いつつ
、まんまフラメンコの先達戦友が集結する高円寺エスペランサ木曜会に直行予定。
2/14木(その254)
涙のバレンタイン
私のバッグにはまだ若干の余裕があるぞ。
(TT)
2/16土(その255)
スーパー・フラメンコ
「タイトルどうですかね? あくまで仮なんすよ、これ」
「あ、そーなの」
「何かいいタイトル付けてもらえませんか?」
「んー、でもこれいーかも」
「適当につけただけなんですけど」
「でもほんとに“スーパー”だしなあ。まんま行っちゃお」
命知らずのハイリスク&ハイクオリティなコンサート主催で、コアな音楽ファンの絶大な信頼を獲得している“すみだトリフォニー”。
その担当プロデューサーとこんなやりとりをしたのは昨年夏ころだったか。
家族や社員や呑み仲間に私のアドバイスを求めようとする謙虚な人間は一人もいないが、私の真の実力を知らない方々はおおむね私のアドバイスに忠実である。最初の一回だけは。(TT)
トリフォニーホールは、私の青春の故郷とも云うべき錦糸町にある。
都電車庫に江東デパートに楽天地、場外馬券所にパチンコにディスコ、キャバレーにラブホに赤提灯……。
あの素敵にただれた想い出は戻らないが、錦糸町は夢のようなフラメンコに出逢える街になった。
今週土曜はいよいよ、トマティート(ギター)とドランテ(ピアノフラメンコ)の“スーパー・フラメンコ”。
待ちに待ったというか、以前パセオでクローズアップした若手実力者ホセ・マジャの踊りにも、明日はいよいよご対面である。うっきー!
つーことで本日夕方より、売れ行き絶好調DVDスーパーカスタネットの打ち上げ。
2/20水(その256)
★スーパー・フラメンコ+新日本フィル
5月19日すみだトリフォニー「トマティート&ドランテ第二夜/+新日本フィル」。
トマティートは独奏に近いほど“フラメンコ”を発揮し、ドランテは編成が大きくなるほど“音楽”を発揮した。前者は日本初演、後者は世界初演。
どちらも一流オケに位負けしない“スーパー”の看板に偽りなしの貫禄を示したが、特にドランテと新日本フィルの見事なアンサンブルはたまげるほどの大収穫だったな。
限りなく透明に近いヴァイオレットの響き。
染み入る抒情と揺るがぬコンパス。
ほとんどが何百回もCDで聴いた音楽だが、ライブはやはり別物だ。
美と癒しを伴いながら、じんわり加速するライブならではの音楽的快感。
オケと溶け合いながら、大胆かつ緻密に音楽全体を構成する現場的感性が何よりすばらしい。
生聴き四度目となるドランテだが、彼は明らかに進化(深化か)していた。
ホセ・マジャが踊った初日の満席状態に比べ、客席は范文雀、つまり50%未満の入りだった。
フラメンコの顔見知りはちらほら見かけるのみで、かわりに多くの懐かしい音楽関係者たちと顔を合わせた。
「フラメンコの歴史的瞬間だというのに、フラメンコの人たちは無関心なんだね」
ビセンテ・アミーゴのフラメンコギター協奏曲初演の時と同じことを口々に云われちまった。
フラメンコの人たちは音楽を愛さないと、古くからの音楽仲間に刺され続けて25年。
そんな冷笑には慣れてるつもりだが、今回はちとこたえた。
要するに、これからだ……と思うことにした。
3/27木(その257)
淡き華
どーよ、これ。
パセオから歩いて十数分。
あなたはもう忘れたかしらの神田川は芭蕉庵あたり。
本日つい先ほどの絶景でんがな。
仕事してる場合かあああああ!!!!!
と叫んどるよーでは経営黒字は出ない。
ま、しかし、
黒字
にもいろいろあるでな。
されど舞う 散るを恐れぬ あれぐりあ
3/28金(その258)
桜の哀しみにソレアを感じる場合
天気がいいうちに、今日もひとまわり桜三昧。
昨日のブログにずいぶん飛んでもらったみたいなので、調子こいてその
前編
。
4/14月(その259)
★我が良きあんたらよ
金や才能がなくともその分がんばりゃ何とかならーなとアタリをつけ、ならば好きなことで暮らしてゆこーと決めたのが十代後半。
もろもろ見極めたつもりになって、そのとーり走っちゃった二十代。
見極めそのものの誤りに気づいたものの、もう止まんなくなっちゃった三十代。
強く反省しながらも、やりたい放題に拍車のかかっちゃった四十代。
深く反省しながらも、やりたいこと以外はな~んも出来んことが判明しつつある五十代。
ま、まさか?と気づくも三十年ばかり遅すぎ。あとのフィエスタ。
バカは死ななきゃ治らないという法則がミョーにこの身に染みるのは、今日というこの日が、残り少ない人生の最初の日であるのと同時に53回目の誕生日だからだろう。
「人間万事塞翁が馬」は世の実相であり、そのつど変化を経ながらも長いスパンにおいては結局、人はそのヴィジョン通りに暮らし、そういう人となる。
宗教・思想・倫理などに好意を抱いた若かりし私が、それら先方さんから好意を持たれたことは残念ながら一度もない。
そういう意味で宗教・思想・倫理は賢い美人によく似てるが、私に道徳を求めることはゴキブリに飛ぶなとお願いするぐらいに空しいことだと思う。
青春時代の価値基準の優先順位は“真善美”もしくは“根性”だったが、いつの頃からかその一番手は“ユーモア”に変化している。
これは
どこにも就職できなかった奴
が出版社などをデッチ上げ俺は社長だと開き直るような変化によく似てるが、この件については他言無用に願いたい。
さて、ユーモアはアートの一部だと思っていたのに、いまではその逆だと感ずることも多い。
生命力の果てた既成概念を破壊し豊かさの本質に迫ろうとするユーモアの、その機能性の高さと表現ジャンルの多様性には今さらながら感嘆せざるを得ない。
古くは聖徳太子から現代の関川夏央や土屋賢二に至るまで、意外にもわれら日本はユーモアの宝庫であることにも気づかされる。
しかしながら、そうした私の心境の変化がいわゆる単なる老化現象だとハタと気づくのには今しばらくの時間を要するであろうと、私自身は分析推測している。
それはさておき、連戦連敗・悪戦苦闘の境遇ながらも、そのよーな私にあまりある幸いをもたらす愛しき仲間や友や犬や同居人などよ。
そして、不肖の子孫に目をそむける、おそらく代々ビンボーだったであろう御先祖さまよ。
さらに、佳き時代に生まれた幸運、すぎゆく愛しき日々などよ。
年にいっぺんだけれども、不肖このわたくし、ユーモア豊かなあんたらに心からの感謝を捧げたい。
4/17木(その260)
つかむコンパス
むぎゅう。
つかんで嬉しいのは“コンパス”だけではない。
はじめてつかむ綺麗な姐さんの両のおっぱい。
勤労の見返りはこんなにも大きいのかっ!
意外にも世の中は楽しく、ちょろいかもしれない。
――――――――――――――――――――――――
将棋のプロテストに失格後、昼間はそこそこ高校にも通う当時16、7歳の私が、文京区は小石川にある景気の良さそうな製本会社で堅気のアルバイトに励んだ時期がある。
電話帳の製本という実に単調な作業だったが、それでもいかにキレイに、いかに素早くこなすかというテーマを発見してからは、それなりに楽しくやってた。
褒められたくてそうした訳ではないが、そんな仕事のやり方がそこの社長の目にとまったみたいで、毎週土曜の仕事がひけたあと、幹部連中と共にくり出す盛り場遊びのお仲間に加えてもらった。
37年前の国鉄・大塚駅あたりの、1軒目はそこそこの割烹で、2軒目がちょいヤバのキャバレーというのがお決まりのコースだった。
何せ高1のガキである。今じゃそうもいかねえだろし、随分とのどかな時代でもあったわけだ。
勘定はすべて社長持ち。時給230円で働く少年にとっては夢のような豪遊である。
「ほれ遠慮すんな勤労学生、ハタラキもんの特権じゃあ」
気さくな先輩たちの温かいアドバイスに、こーゆー状況下ではとっても素直な私が、じゃあひとつすんません、と遠慮なくそのお宝をつかませていただいたのが冒頭のシーンだ。
「この子ロコツぅー」とバカ笑いする、その奥村ちよ似な姐さんの鼻血の出そーなセクシーバディを全身全霊で受けとめたあの歓喜の瞬間を、昨日のことのように思い出す。
恥ずかしながら男の場合、こうした出来事はとっても大きな人生上のモチベーションになり得る。
まるでパブロフの犬のように、その後の私が、どんな仕事でもとりあえずしっかりやっときゃ、きっとその内いー事あるだろーという具合の人生コンパスを、いとも安易に刷り込まれちまったのは無理もない話だろう。
スケベであることに比例して多少のことではメゲない性格は、どうやら十代中盤のこの時期に思いきり形成されたらしい。
そしてまさしくこの時期に、私はパコ・デ・ルシアに出逢うのだった。
――――――――――――――――――――――――
当時推測したほど世の中はちょろくなかったが、楽しさの点において、渡る世間は予想以上だったかもしれない。
ごく稀に、まじめなんですねと云われれば、原点が原点だけに今でも心で赤面する。
で、そんな奴あ俺ぐれえのもんだろと思いきや、歳を食って周囲を見渡せば、お仲間さんたちはみな似たり寄ったりの風情でもある。
まぢでけな気ではあるんだが情けないこと甚だしい、ペーソスだけは100点満点と云えそーな、ある“勤勉”の真実。
如何にもっともらしく構えたところで、結局は女の手のひらで転がってるだけの男たちの実相は、哀しくもあるのだが、ちょお笑えるところに若干の救いがあるだろう。
5/1木(その261)
ある春の詩
ある春の午後。
あれこれ懐かしい想いに浸るひととき。
ふと口ずさむあの詩。
みっちゃんみちみち うんこたれてえ
紙がないから 手で拭いてえ
もったいないから ナメちゃったあ
(作者不詳)
作者不肖
ではないかと私は思う。
5/2金(その262)
ポル・ソレア
アリ
のように働き
キリ
ギリスのように遊ぶことで
アス
への活力は生まれる。
しかし人生はままならない。
キリギリスのように働き、アリのように遊ぶ私。
何かが
タラント
思う。
あるいは日常に“詩”が欠如しているのか。
詩を感じるならギリシャものね、と彼女が歌う。
シギリシャ
、と云いたいのかもしれない。
だいたいからして
単語
がわからん。
私がぱくつくコシ餡とみたらしを欲しがるジェー。
ワン団子で吠えるバ
、
おそらくそんな意図だろう。
ソレア
ないなと私はつぶやく。
(作者不肖)
※mixiやってる人は
こちら
へ
5/10土(その263)
マリア・パヘスを語れる人
きのうマリア・パヘス「セルフ・ポートレート」を観てきた。
今日は小島章司「越境者」を観て、明日またマリパヘ「セビージャ」を観る。
こんな信じがたい幸運が当たり前のショーバイだから、滅多なことでは止められんのだと思う。
さて、まだお会いしたことはないが、私が敬愛する才能の持主“とんがりやま”さん(←たぶん本名ではない)が、マリア・パヘス兵庫公演のレビュー(↓)をご自身のブログに書いておられる。
http://www.tongariyama.jp/weblog/2008/05/22008_1203.html#more
なんという、的確にして、愛と誠に充ちたレビューなんだろう。
ただうれしく読ませてもらいながらも、いろんな意味で私は赤面した。
本当の意味で「マリア・パヘスを語れる」人は少ないが、とんがりやまのそれは間違いなくマイベストだ。
5/14水(その264)
★マリア・パヘスの自画像
前回にひき続き、人のふんどしで相撲をとる(←ドヒョー)の第二弾。
『
マリア・パヘスの自画像
』 by とんがりやま
5/19月(その265)
ギャンブル
こう見えても私は元勝負師である。
高校・大学を出れたのはその経済的成果に負うところが大きいが、学力が実質的に中卒止まりであるのも同じくそれに拠るところが大きい。
だから随分昔の事とはいえ、“勝負”というものについてはそれなりの心得があるつもりだ。
もしあなたが私の教えに忠実に人生を勝負するつもりなら、1000回する勝負のうち、確実に3回は勝つことができるだろう。
現にこの私がそうだったのだから、これはかなり堅実な数字と云える。
「実力に比べりゃ勝ち過ぎだろう」
「いや、単なるマグレだ」
というのが私に対する周囲の評判だが、そんな誹謗中傷に挫ける私ではないし、また、当たってるだけに言い訳は難しい気がする。
ただし、私の教えの逆を行けば1000回のうち997回は勝てるのだから、やはり私は占い師かなんかを志す方が無難なのかもしれんとも思う。
そんなこんなで、この三十年あまりはいわゆるギャンブルとは無縁の生活を送っている。
ギャンブル自体を嫌いなわけのない私だが、それでもやらない理由は大きく二つある。
ひとつには、負けるとわかってる勝負に興味が持てないということ。
そう、同じ勝負師でも私は弱いタイプの勝負師なのだ。
もうひとつは、創刊当初ハイリスク・ノーリターンもしくはノータリンと正確に酷評された私の職業の宿命たる、そのギャンブル性の高さである。
実際には途切れることのない地道な作業の連続なのだが、こうした業種ゆえ毎日がギャンブルみたいなもので、とてもじゃないが競馬・パチンコ・麻雀・カードなどの優雅な賭け事に金や気持ちを注ぎ込む余裕もないのが実情なのである。
ただ、どちらもギャンブルであることに変わりはなく(では、恋愛や結婚はどう位置する?)、異なるのは達成感の質くらいのものだろう。
いや、「負けたら負けたで仕方ねえ」とつぶやく心情の色合いもビミョーに異なるかもしれんな。
さて一方で、若き日の私が、幸運なことに一定の労働に対して安定した報酬を得るような仕事をもしもゲット出来てた場合、そうした安定の反動から不幸なことにギャンブルで身を持ち崩していた可能性は約100%であろうと推測できる。
さあ、してみると、「出版」「自営業」「フラメンコ」という、各々いかにも危なげなキーワードを組み合わせた仕事に結果的に導かれたことは、20代の私が将来の私を案じたがゆえの、数十年先を読み切ったしたたかな長期戦略の成果だった可能性がある。
ううむ、だとすれば恐るべし若き日の私よ、君にそのよーなすばらしい先見性があったとは!
いまの私としては、君にそんな可能性や先見性はまったくなかった方に迷わず全財産を賭けて、スッテンテンになる直前の君から有り金すべて巻きあげてやりたいところだ。
5/20火(その266)
★楽しいバッハ歴
キリストさまによる「西暦」は世界共通なのでとても便利だ。
ただ、音楽全般を時間的に俯瞰しながら感じたい時などに、多少の不便を感じることもある。
そんなことを想ったある土曜日、代々木公園のドッグランにジェーを遊ばせながら、この問題を一挙に解決する“バッハ歴”なるものを私は思いついたのだった。
それ以前の音楽を集大成し、それ以降のあらゆる芸術ジャンルにいまも確固たる影響を与え続ける大バッハ。
超天才インプロヴァイザー(即興演奏家)だったバッハは、少年時代から最も親しくなじんだ作曲家だ。
そして、インターナショナルな音楽の多くがそうであるように、現代フラメンコもまた(多くはジャズ経由など間接的であるにせよ)バッハから大きな恩恵を蒙っている。
そのバッハの生まれ年、つまり
「西暦1685年=バッハ歴ゼロ年」
とすることで、他の大好きな作曲家との時間的な距離間隔を眺めやすくしよう、感じやすくしようとするのがここでの私の意図である。
で、試しに、私の暮らしを日常的に豊かにしてくれる最近の作曲家マイベスト20を、そこに当てはめてみたのが以下のラインナップだ。
もちろん、そのほとんどは当時の革新的前衛作家たちである。
――――――――――――――――――――――――――――――
☆バッハ生誕以前を(BB=ビフォー・バッハ)で表示
(BB122年)ジョン・
ダウランド
(イギリス)
(BB032年)アルカンジェロ・
コレルリ
(イタリア)
(BB017年)フランソワ・
クープラン
(フランス)
(BB007年)アントニオ・
ヴィヴァルディ
(イタリア)
(AB000年)ヨハン・セバスティアン・バッハ
☆バッハ生誕以降を(AB=アフター・バッハ)で表示
(AB071年)アマデウス・
モーツァルト
(オーストリア)
(AB085年)ルードヴィヒ・ヴァン・
ベートーベン
(ドイツ)
(AB148年)ヨハネス・
ブラームス
(ドイツ)
(AB155年)ピョートル・
チャイコフスキー
(ロシア)
(AB167年)フランシスコ・
タレガ
(スペイン)
(AB191年)マヌエル・デ・
ファリャ
(スペイン)
(AB194年)
滝廉太郎
(日本)
(AB201年)
山田耕筰
(日本)
(AB206年)セルゲイ・
プロコフィエフ
(ロシア)
(AB217年)ウィリアム・
ウォルトン
(イギリス)
(AB236年)アストル・
ピアソラ
(アルゼンチン)
(AB247年)フランシス・
レイ
(フランス)
(AB260年)
キース
・ジャレット(アメリカ)
(AB262年)
パコ
・デ・ルシア(スペイン)
(AB270年)関係ねーけど
私
(日本)
(AB280年)
マイテ・
マルティン(スペイン)
―――――――――――――――――――――――――――――――
実際にやってみると、これがチョー面白え。
バッハという絶対値(0)を軸に、他の好きな作曲家たちを生誕年(±何年)で眺める。
バッハと各作曲家の時間的距離、また各作曲家同士のそれが実につかみやすくなってる。
モーツァルトにとってバッハは祖父の年代だったとか、ベートーベンにとっては曽祖父みてえだったとかが一目瞭然となるのだ。
これによって、自分の好みに対する分析がしやすくなったし、まだ本格的には聴いてない気になる作曲家に効率よくアプローチする便利も生じた。
音楽を米の飯のように愛する私にとって、この俯瞰方法は歴史的快挙と云っていいだろう。
それがどーしたというブーイングの嵐が聞こえてくるようだが、それがどーした。
例えば、春のうらら隅田川の「花」、春高楼の「荒城の月」、はっこねっの山は天下の嶮の「箱根八里」、などで有名な滝廉太郎。
同胞の中で私が最も好きな作曲家で、明治時代に22歳の若さでドイツに国費音楽留学したお方だ。
バッハ歴194年生まれとなる彼は、留学先の本場ドイツで当然、バッハの薫陶を多く得たことだろう(嗚呼、その二年後に他界とは……)。
で、タキレンの三年前にフラメンコでもお馴染みのファリャが生まれていたことも今回初めて認識した。
知的興奮を求めて時おり発作的に聴くプロコフィエフがAB206年生まれで、タキレンよりひとまわりも若かったんだなどと、どーでもいいことに感動を覚えたりもする。
BB(バッハ前)122年から、AB(バッハ後)280年まで。
音楽好きを称したところで、たかだかこの400年ばかりの音楽しか聴いてない自分にも気づいた。
それにしても、(それ以前の先人の功績を忘れてはならねえけども)わずか400年にして、この圧倒的にして絢爛豪華永々無窮な実りを成し得た事実を、いったいどう讃えたらよいものだろう?!
棲んでる星まで壊しちゃう勢いの、最近何かと問題を起こすことの多い人類全般だが、こうした側面を眺める限り、やはり人類は偉大な宇宙人なのだな、という感慨に捉われざるを得ない。
人は誰しも厭世的になる性分を持つが、地域や民族や時を超えて、全人間を肯定的に捉えられる瞬間が、私個人のケースで云えば、こうした音楽にひたすら浸り、生きる悦びをひたすら感じる瞬間なのだな、とつくづく想う。
極端に云って神は、セックスして子孫を残せという本能のみを私らに与えた。
このセックス好きな地球人がここまで
アート
やんのかいっ、
アーッと
ドン引きしながらボケる神の姿をときおりイメージする私に宗教を信じる資格はない。
で、ま、そんな調子でなるほどフンフンと悦に入りながらこの表を眺めていると、突然あることを私は発見した。
まずは、AB260年に即興ピアノで名高いキース・ジャレットが生まれ、その20年後のAB280年にフラメンコのあのマイテ・マルティンが生まれた点。
さらに、その丁度まん中のAB270年に私ことパセオあほ社長が生まれてる点に注目してほしい。ただし、その8年前にパコ・デ・ルシアが生まれていることには特に触れない。
さて、これら事実を並べて注意深く検証すると、ある衝撃の真実が浮かび上がってくる。
音楽に詳しい読者ならば、もうとっくにお気づきかもしれない。
AB260年(キース・ジャレット)
AB270年(私)
AB280年(マイテ・マルティン)
そう。
そこには別にこれと云った何の法則も因果関係もなく、ちょうどキリのいい数字だったね、よかったね、という実にサバサバした結論が残っただけである。……(TT)
さ、気を取り直したところで、どなたか。
バイレをカルメン・アマージャ、
カンテをマヌエル・トーレ、
フラメンコギターをラモン・モントージャあたりで、
それぞれ何とか元年にして、こんな風に楽しんでみるのはいかがか?って誰がやんだよまったく。
6/8日(その268)
紫ソレア
逢うことの 叶わぬ夢の 彼方より
降りしまぼろし 紫ソレア
【サルでもわかる作品解説】
毎年恒例、明治神宮の花菖蒲鑑賞会(第28回/発足当初より会員は私1名)にて詠む。
「ソレア」とは“フラメンコの母”とも称されるフラメンコの代表的曲種のことだが、決して布羅綿子という娘さんの母親ではないことを憶えておいて損はない。
で、この句の季語はもつろん「ソレア」で夏。
雨の多い六月あたりに、音楽としてのソレアに親しむことの多い私が勝手に季語化したものだが何か。
美しいむらさき菖蒲にソレアを連想するところに、この作者の歌人としての傑出したセンスを感じるのは私だけだと云っても過言ではないだろう。
薄幸孤独なアイレを帯び、紫色のよく似合う、
青春を共にした、いまはなき佳人への即興オマージュ。
6/20金(その269)
★祝200回記念インタビュー
(Q)とうとう祝200回目ですね。
おめでとうございます。
や、ありがとう。
でも、269回目なんだよね、今日で。
なんか不安だなあ。フアン・デ・フアンだなあ。
キミあんまり読んでないでしょ、このブログ。
(Q)いえ、ほとんど読んでます。
少なくとも三つぐらいは。
あ、あのなあ、インタビューしたいのか、ボケかましたいのか、そこらへんをチョー明確にしてほしーのだが。
(Q)もちろん、チョー絶賛インタビューです。
これからだんだんとホメますからご安心ください。
ところで、パセオの社長がこんなまぬけなブログを書いて、会社の評判や業績に悪影響はないのですか?
うなぎのぼりですね、、、赤字の額が。
もともと就職試験にどこにも受からないのでヤケクソで作った会社ですから、そこんちの社長が何しでかそーと、ヒョーバンもギョーセキもへったくれもねーわけです。
(Q)えええー、全部落っこちちゃったんですかあ?
えーそーですとも。
将棋のプロテストも公務員試験もレコード会社も出版社も、そのほか二流企業も三流会社もみんなみんな仲良く落ちましたとも。
(Q)ついでに毛髪も落ちたというわけですね。
なるほど、さすがに一貫性がありますわ。
それで25歳で独立、今年は社長業28周年ですね。
これまでに、大きな後悔みたいなのは何百ぐらいありますか?
なんだよ、その何百って決めつけわあ。
あのなあ、自慢ですけど、これっぽっちも後悔はねーでがす。
(Q)おお、さすがは江戸っ子ですねえ。
おお、三代目の江戸っ子よお。しかも
親父が
神田の生まれよっ!
(Q)しかし、3勝997敗という人生戦績でよくぞここまでご無事でしたね。
まっ、なまじウマくいくと、すぐに調子こく性格なんで、
これぐれーでちょうどよかったんだね。
逆に別の生き方してたら、今ごろ命はねー可能性が高えしな。
(Q)座右の銘は「人間万事塞翁が馬」だとか。
そっ。世の中は万事塞翁が馬なんだから、くよくよ後悔する必要なんてまったくねーわけ。
いまこの瞬間とその積み重ねだけが肝心で、やり直しはどこからでも
アントニオ・
可デス。
(Q)なんかよくわかりませんけど、ご立派です。
ところで、ご自分の長所をどう分析されますか?
…………。
(Q)どうなされました?
た、たくさん有りすぎて思い出せないが、
おっ、そ、そーだ、私の最大の長所は“直観”だと思う。
重要な決断はだいたい三秒で決めた。
結果はともかく、その決断の速さは誰にも負けないつもりだ。
(Q)結果からすると、決断力には優れているけれども、
計画性や人間性やルックスなどに大きな問題があったということですね。
…………。
(Q)よ、よくわかりました。
質問を変えましょうね。
では、ご自分の短所をどう分析されますか?
ないです。
(Q)…………。
短所ありません。
長所のかたまりです。
ずばり、カンペキが服着て歩いてる感じでしょー。
(Q)あ、あの、お気はたしかですか?
お気がたしかなら、パセオ社長なんかやってるわけねーでしょーがあ。
(つづく) とは思えん。
6/30月(その270)
“バル de ぱせお”の投稿募集
ウェブ(当欄やmixiトピ)+紙メディア(月刊パセオフラメンコ)の連携のよる新型読者ページ(バル de ぱせお)の制作プロジェクトが本日いよいよスタート!
ほんの少しでもフラメンコを愛する方なら、どなたでも参加できます。
スベってよし、転んでよしの原稿大募集をスタートするので、どーぞ皆さまよろすく。
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今月のお題
「フラメンコやっててよかったあ!と思う瞬間」
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【エントリー方法】
8/31までに、このメール・アドレス(↓)まで原稿と写真を投稿すれば完了。
koyama@paseo-flamenco.com
【コメント字数】約400字(18字×22行みたいな感じでパセオに掲載)
【タイトル】10文字程度
【名を名乗る】△△県・○○○○(本名でもハンドルネームでも)
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【パセオに掲載する号】
2009年新年号(12月20日発売)
【コメント採用の決め手!】
★そりゃ文章はウマいに越したことはないけど、何つっても中身やアイレが肝心!
フラメンコな知恵や癒しや笑いや元気がもらえるやつで、いー感じの読後感が採用の決め手! 9月上旬に採用原稿を決めて、掲載OK確認のため“ますた”から直接メール送ります。そのあとお手数かけるが、印刷用の写真1点(RGBで3メガ程度)をメール送信頼みます。
★採用のご褒美として「手ぬぐい1本」&「パセオ掲載号1冊」を発売時に郵送。
“今月のお勝ちメンコ”にはさらに「DVD1本」。
★三年間36回連続挑戦してすべて不採用の方はパセオ社長賞ゲット。とにかく根気のあるチャレンジャーが“ますた”は大好きなので、まだ未定だけど、たぶん凄んげえ賞品ゲット!
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2008年6月チョー吉日
バル de ぱせお ますた、こと
株式会社パセオ 代表取締役社長 小山 雄二
7/3木(その271)
ほほえみ返し
朝イチのひと仕事を片付け、気分転換とばかりにパセオを飛びだす。
ご近所をちょいと歩けば、昭和30年代的な懐かしい光景が広がる。
父や母との外出はどこへ行くにも都電だった。
あのころのダダッ子感情がふいによみがえる。
このまま飛び乗って、終点(三ノ輪)で昼酒でもやるか?
でも今日はまだ、あとふた仕事ばかり残ってるぜ。
ありゃ明日でもいーだろよ。
でも夜はライブと呑み会じゃねーか。
途中どっかで昼寝でもすりゃ大丈夫だろ。
また飛鳥山で浮浪者にまちがえられてーのか?
ありゃたしかに浮浪者の方々に気の毒だったわ。
ベンチで寝るときゃネクタイぐれえ締めろやっ!
ベンツで寝るときゃそーしてやるわい。
生まじめな私とそうでない私のヨタれ話もそこそこに、
今日のところはこんなもんで勘弁してやるかと結局仕事に戻ることに。
………じゃあ、またね。
苦笑とともに都電を見送る。
上野のお墓はまた今度だ。
父母が ほほえみ返す 三ノ輪行き