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社長室/2006年7月

社長室/2006年7月


7/20木(その1)

極秘事項




 ようこそ、パセオの社長室へ!


 「パセオホームページ唯一の汚点」。

 多くの関係者に、こう高らかに予言された社長ブログの初日である。
 私が本来の実力を発揮すると、間違いなくその予言が的中してしまうので、今日は文字数を極力少なくして、かつ他からの引用文等に大活躍してもらう必要がある。

 で、髪の毛が若干チャパツに変色してしまうほど真剣に考え抜いた末に、記念すべきこの第一回では、これまで社外に公表することのなかった極秘事項について、オーナー社長の権限をもって暴露したろうかい、という恐るべき結論を得たのだった。

 さて、そこで唐突にご紹介するのは、22年前のパセオ創刊号に頂戴した、濱田滋郎師による巻頭特別寄稿である。  「えっ?」と思われつつも、とりあえずご一読いただけると、あなたはパセオフラメンコの閉ざされた未知の領域にたどり着くことができるのである。



パセオ創刊号.jpg
[パセオ創刊号/1984年9月号]





〈パセオ〉発刊に寄せて

               濱田 滋郎



 フラメンコの世界に定期的な情報誌が登場する。
 心から歓迎したいことである。
 さしあたりフラメンコに関する催しのすべてを洩れなく、それもなるべく全国的な規模で紹介してゆくことを主眼にするという。
 フラメンコの世界はこれまで横のつながりが薄く、したがってせっかく踊りやギターの催しが行なわれても一部にしか伝わらないという状況が、たしかにあった。
 当誌の発刊と普及によりそれが是正されてゆき、フラメンコ界全体の活気が増すことに結びつくなら、何よりである。

 当誌のためなんらかのお手伝いをするという話が出たとき、私が真先に念を押したのは不偏不党の立場に立っての編集という前提であった。
 この種の情報誌がもしもある人びと、もしくは一派に片寄ったものとなったら、その価値は薄いし、行く先はもう目に見えている。
 もし万が一、そのような傾向が現われてきたら、その時点で私はいっさい手を引かせて頂く。
 ただし、初めて発足するこの〈パセオ〉であり、避けがたい調査不足、情報洩れから、こと当初のうちは、一部から不公平と見られるような事態が生じないとも限るまい。
 そのような場合には遠慮なくご叱正を頂くと同時に、基本姿勢としてあくまで不偏不党をめざす編集部の意向と努力をお汲みくださるよう、読者のご寛容を私からもお願いしたい。
 ともかく、読者からのご協力があって、初めて成り立つ〈パセオ〉なのである。

 一方、〈パセオ〉がだんだんとフラメンコにたずさわる人びとの、談論風発する散歩道のベンチになってほしいとも私は願う。
 「フラメンコにたずさわる人々」と、ひとくちにいってもいろいろある。アーティストとファン、踊る人とギターを弾く人、モダン派/フュージョン派と伝統派/純粋主義者……みな、ぞれぞれの立場がある。
 もちろん互いに相容れない場合が出てきて当然だが、暗黙のうちに反目をつづけるばかりという状況からは、けっして何も生まれてこない。
 立場はどうあれ、それぞれの分野においてフラメンコというものに打ち込み生命の炎を燃やしている人びとである以上、仲間同士のあたたかさを忘れない意見や論議の交換は必ず役に立つはずである。
 私たちはお互いに、なんらかの縁があってフラメンコという異国の芸術ないしは芸能に魅惑されたのだ。
 この〈パセオ〉、各個の自由を重んじた“ゆるやかで、しかもしっかりとした連合”という理想的な姿を私たちが得るための、力強い足場を夢みてはいけないだろうか。
 政治の世界とは違って芸術の世界ならきっとそれができる……そのような理想を掲げて誠実に努力する〈パセオ〉であるならば、私は喜んで稿料なしの原稿を書く。






 そう、 「社の内外の仲間たち、そしてフラメンコファン」というチョー特別な有機財産を除けば、この一文こそが“パセオの最高資産”なのであった。

 数え切れない廃刊の危機をどうやらしのぎ続けたことの、その原動力となったヴィジョンである。
 宗教を持たない私にとっての、あたかも聖書や仏典のような効果をもたらす“エネルギーの源泉”、あるいは“本能”と云ってもいいかもしれない。

 実際には無一文で始めたパセオだが、仮に数億という金を持って始めたとしても、才覚もなくあっという間にすり減らしてしまうタイプなのがこの私という人間(江戸っ子)であり、パセオの守護神がこの種のすり減らない資産であったことに、今も私は胸を撫でおろす。

 さて、コトはそこにとどまらない。
 この寄稿に籠められた師の理念は、やがて日本フラメンコ協会の創設へとつながってゆくのである。
 いまやフラメンコ界最大の人気イベントに成長した夏の新人公演も、まさしくこのヴィジョンの延長線上に結実している。

 一大エポックとなったこの春の協会15周年記念公演も、「各個の自由を重んじた“ゆるやかで、しかもしっかりした連合”」という師の夢がもたらす必然的成果のひとつだった。

 そんなわけで、師のヴィジョンを “パセオの社有資産”というのはとんだ我田引水のようでもある。
 この場を借りて、“フラメンコ界全体の永久資産”と正しく云い換えておく方が安全かもしれない。

 やっとのことで実りの時期を迎えたフラメンコ界だが、どんな世界にも“春夏秋冬”のサイクルは必ず訪れるものだから。

                    (つづく、かも)








7/21金(その2)

今日という日は




 今日という日は、残り少ない人生の最初の日


 誰が云ったか知らないが、云われてみれば確かにそう思う名言だ。

 この私もフラメンコ・シーンにおいて大失敗をやらかした時などには、この言葉をしみじみ噛みしめつつ自らを励ます。
 その頻度は、プライベートな大失敗を除き、だいたい週五、六回のペースである。








7/23日(その3)

どっぷり




 昨日は朝イチから営業企画の大詰め作業。
 5時間もありゃやれるだろうとタカをくくってたら、結局8時間ガチンコでがんばって、ようやく半分片付いた。
 目測を誤ることが近ごろ多いのは、老眼が進んだせいか。

 夕方からは通夜に参列。
 パセオフラメンコの人気執筆者Kの、そのお連れ合いが前日の金曜日に他界されたのだった。
 享年56歳。私と幾つも違わない。
 気丈なKもさすがにボロボロだったが、横に並んだふたりの息子の面構えが妙に頼もしく見える。
 弔問客の対応に追われる大忙しの受付には、業界の名物プロデューサーNの沈んだ顔が。

 スタジオオズ寺田社長に、野島(実質副社長、いや社長か)と谷口新編集長と私、うなだれまくる総勢四名組は駅前の呑み屋でよったり献杯。
 しんみりした会話の合い間にちらほら吹き出る業界のアブねー話は割愛するが、帰路の足取りはいやに重かった。


 今日は日曜日。
 朝も早よからご近所の代々木公園を一家(連れ合いと守護犬ジェー)で散歩するのがお決まりだ。
 帰り際に公園前の犬OKのカフェで朝食。私のオムレツを半分平らげるのが最近のジェーのトレンド。
 そのあと彼の中には、私に対する熱い忠誠心が芽生える。
 そしてそれは、およそ30分も永続するのだ。

 NHK将棋トーナメント(中川七段×平藤六段)の観戦もそこそこに、昨日の残りを片付けにパセオへ。ジャスト8時間でようやく完了。
 このあと約束もないので、ちんたらこれを書くことに。


 明日からは次のヤマが大口を開いて待っている。
 故障した足を執念で完治した岡田昌巳さんとの打ち合わせの後は、そのプロジェクトに突入する。


 この数ヶ月、“休日”からはすっかりお見限りされてる状況だが、こうした若干のしんどさを忘れちまうと、休日の醍醐味が薄まったりもする。
 どっぷり仕事に浸かれるうちが花というのは、ひと通りは経験してきたおじさん世代の本音でもあるのだ。








7/24月(その4)

カンパージョ、十月来日!




 注目のイケメン超強豪バイラオール、ラファエル・カンパージョがこの十月に来日する。
 野村眞里子さんがご自身の舞踊団公演(王女メディアの再演)にゲスト招聘するのだ。


 フラメンコ協会の今年の新年会では、DVD発売のプロモーションで来日中だったラファエルの踊りをわずか2メートル先で拝むことができたが、その芸風がかなりアグレッシブ(もちろんいい意味で)に変貌を遂げていたことに驚かされた。
 「力のタメ方とそれを解放する瞬発力」の鋭さにもさらに磨きがかかっていたのだ。


カンパージョDVD.JPG
[ラファエル・カンパージョのDVD]


 近ごろ注目すべき男性舞踊手は数多いが、彼の“ストイック&パッション”なフラメンコが、いまの私には理屈抜きで一番楽しめるな。


 ラファエル・カンパージョ。
 その近未来ポテンシャルは予測不可能だ。








7/25火(その5)

フラメンコ効果




 今朝の毎日新聞。

 ミス・ユニバースのコンテスト(米ロス)で、日本代表の知花くららさんが堂々の二位入賞。
 沖縄・那覇市出身、上智大学文学部卒の24歳。英仏スペイン語をこなし、将来は国際リポーターをめざす才媛だ。
 そして、な、なんと、趣味はフラメンコ! なのである。
 凛とした姿勢の写真をみると、さもありなんと思う。


 おとといの夜だったか、テレビで阿川佐和子さんがほんの一瞬フラメンコを舞った。
 ご覧になった方も多いと思うが、ありゃビシッと好感度だったよなあ。
 人気者の彼女はますます評判を上げたことだろう。


 そんなこんなを狙って始めたわけでもあるまいに、このふにゃけた時代、フラメンコを選んだ人は、そこそこ有利なような気もしてくる。








7/26水(その6)

ボロは着てても




 この号がお届け出来るころには、創刊号の実売が500部に到達する見込みです。
 今月号より、コピー印刷から軽オフセット印刷に切り替えたことに皆様お気付きになられましたか。

 さて、現状では郵便料金の関係で、心ならずも本誌を折り曲げて郵送するしかないのですが、今後の部数の伸び次第では、第三種郵便の資格取得も可能となり、そうすれば折り曲げずに郵送することも増ページも可能となるわけです。
 そうすれば今度は一般書店で扱ってもらえる……いや、横で鬼が笑ってますのでこれくらいにしましょう。



84/10.jpg
 [パセオ1984年10月号]



 と、これはパセオ創刊第二号における私(当時29歳)の編集後記。

 鬼のようなビンボー時代なのに、けっこう楽しそうじゃん。








7/27木(その7)

一長一短




 「人間も犬のようになんのてらいもなく、素直に死ねるといいと思うが、そうは問屋がおろさないのは、われわれが精神という厄介なものを背負いこんでいるせいだろう。」

 「だが、それを嘆いて犬のほうが幸せだと言ってみてもはじまらない。
 人間には人間の死にかたがあるのであり、その本質はただ一つでありながら、その現れかたは千差万別であることが、われわれの世界を豊かなものにしているのは否定出来ない。」




 ずっと前に、詩人の谷川俊太郎さんが『単純なこと複雑なこと』というエッセイの中で、こんな一長一短について書いておられた。

 「その本質はただ一つでありながら、その現れかたは千差万別」

 その言葉に触発されて、フラメンコにおける“さまざまなタイプの実り”について想い浮かべる。

 パコ・デ・ルシア、フェルナンダ・デ・ウトレーラ、エンリケ・エル・コホ、アントニオ・ガデス、カマロン・デ・ラ・イスラ、マノロ・カラコール、フアン・モハーマ、フアン・タレーガ、マイテ・マルティン、マリア・パヘス………。

 うん? 意外と片寄ってないじゃん。

 てゆーか単に分裂症っぽいだけだよ。








7/28金(その8)

散歩




代々木公園ー1.JPG


 “パセオ”とはスペイン語で「散歩」のことだ。


 だからということもあって、散歩は私の最大の道楽となっている。
 雨とか暑さなどはモノともしないのだが、ここしばらくは仕事三昧の日々が続いて、さすがに朝晩そのヒマがなかった。


 幸いにして今日は、11時に新宿の現場直行というユルい午前なので、早めに起きて二時間ほどご近所をぶらつく。


代々木公園ー2.JPG


 くもり空の代々木公園だが、緑が多くて空気もうまい。
 年中なにかしらの花が咲いてくれるのも目にありがたい。
 ぶらつきながら呑みこむ音楽が胸にしみる。


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 モーツァルト(バレンボイムでピアノ協奏曲)とバッハ(ビスマットで無伴奏ヴァイオリン)でゆっくりテンションを温めたあとの、本日のトドメはこれだっ!


   ドゥケンデ/サマルーコ.jpg
[ドゥケンデ/サマルーコ]UNIVERSAL MUSIC/2000年


 そう、今日の現場は要テンションだったので、少しばかりドゥケンデの力を借りる必要があったのだ。
 それにしても、このアルバムはほんとに頼りになるよな。



 そんなこんなで月曜からのヤマもどうやら片付いて、夕方からは広告関連の新しいプロジェクトに着手。
 めずらしくも一発で戦術が決まり、そのまま一気にプランを仕上げてから、ようやくここ無責任社長室へ。

 このあと何も事件が起こらなければ(起こっても知らなければ)、明日はほぼ三ヶ月ぶりの休暇だ。
 すべてを忘れて(って、いつもそーじゃん)、行き先も定めず(定めても忘れるし)、ひさびさに丸々一日、お気に入りの大江戸スポットを歩きまわりたい(徘徊だし)と思うので、さらばじゃ御免(って、どーせ呑みに行くし)。








7/31月(その9)

今も昔も




84/11.jpg
 [パセオ1984年11月号]


 この号のイベント情報を見ると、10月に女王マヌエラ・カラスコ、11月にはギターのビクトル・モンヘ・セラニート(パコ、サンルーカルと共にビッグスリーと呼ばれた)の来日公演がある。

 邦人では、岡田昌巳、倉橋富子、田中美穂、小島章司ら豪華メンバーによるリサイタルが目白押しだ。
 渋谷ジャンジャンの名物だった懐かしのペペ・イ・ペピータ“アンダルシアの閃光”もあるし、飯ヶ谷守康、鈴木英夫、三澤勝弘という当時のフラメンコギター三羽烏によるジョイント公演もある。

 新宿エル・フラメンコの出演者は、何とファミリア・フェンルナンデスである。
 カンテのクーロ親父、同じくカンテのエスペランサ(19歳!)、ギターのぺぺ(18歳)、バイレのホセリート(16歳)、それとコンチャ・バルガス(!)など、今じゃ集めるだけでも大変なモノ凄えメンバーだよ。

 第一回東京スペイン映画祭(東急名画座/1984年11月16日~30日)では、日本でも話題になったビクトル・エリセ監督『エル・スール』など、トータル10作品が上映されている。
 中でも上映回数が一番多かったのは、われらがアントニオ・ガデス+クリスティーナ・オヨス主演による『血の婚礼』(カルロス・サウラ監督)だった(来春、新生ガデス舞踊団で久々の実演が観れるぞお!)。

 日本のフラメンコ人口が、現在の数パーセントに過ぎなかった22年前のお話である。
 世の中にもっともっとフラメンコをアピールしなくちゃと皆でシャカリキになってた当時だが、こうして振り返ると、それなりに豊かな環境がすでに存在していたことに驚かされる。

 ところで、この頃(1984年秋)のあなたはどんな風でしたか?









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