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社長室/2006年8月

社長室/2006年8月


8/1火(その10)

あしたのジェー




 先週金曜に載せた写真が飲み仲間に好評だったので、彼らのアドバイスに従い、今日も写真中心でいってみたい。
 ただし、「文章がないともっといい」という彼らの親切なアドバイスについては、聞こえなかったものとさせていただく。

 さて、こないだの写真はグリーン系だったので、今日は茶系だ。



あしたのジェー2.jpg


 この写真を見た瞬間に「これが筆者か?」と思われた方は本質を見抜く感性を持っておられるが、コンタクトの度数は合ってない。
 これは私ではなく、私のもうひとつのブログにたびたび登場するわが家の守護犬ジェー(秋田犬)である。



「まったくの偶然」.JPG


 この写真はやたらと評判がいい。
 フラメンコブログの女王ヨランダなどは、

 「すっごいすっごいすっごいすっごい可愛いです。次号のパセオの表紙にしてください」
 などとぬかしよった。

 私の連れ合いもヨランダの意見にまったく同感だそうである。
 だがしかし、私としてはそのような意見を編集部にお伝えできるほどの度胸や実力を持ち合わせていないことだけは、この際はっきり云わせてもらおうじゃないか。



立つんだ、ジェー!.JPG


 ところでジェー的には、仕事は何でもやるが、も少しギャラは何とかならんのか、と云いたげな表情ではある。



   最後の原稿チェックに没頭するジェー.jpg
 んで、いつものように自分が登場する記事を最終チェック。








8/2水(その11)

沖仁、メジャーデビュー!




 フラメンコギターの若大将、沖仁さんのCDメジャーデビューが決まった。
 メジャーとは東芝EMIだ。やったな、凄いぞ。

 彼のブログを読んでると、その制作プロセスが見えてきたりするのだが、その様子は実に大変そうであり、また実に楽しそうでもある。
 彼の2ndソロはパセオでも人気のCDだが、それを上回る出来となることは、まず間違いのないところだろう。


 彼の積極的なアプローチで実現したパセオフラメンコのリズム上達(音源付)超人気講座“JINOKISM”も、予想以上にバイレ練習生の需要をつかんだみたいで、このホームページ上にあるその音源コーナーへのアクセスは、この“社長室”の数百倍と云われている。

 私が盛り返すためには、私のギターや歌の音源をこのページに埋め込むしかないが、それを実行するやいなや、ホームページ・チーフ塩川は迷わずこのサイトを閉鎖するだろう。ま、それもひとつの愛社精神だ。


 さて、先月私は久々に沖さんのソロ・ライブ(7/8、銀座ヤマハ)に出かけた。
 彼のギターは、聴くたびに必ず前に進んでいるので、今回もそれなりに期待を上乗せしてそれに臨んだわけだが、彼の進化は私の見積りをはるかに超えていた。

 大胆にもすべて生音で通したライブ詳細は省略するが、ひとつだけ云うと、音楽全体の俯瞰とその制御力は、すでに国際線ファーストクラスだ。


 終演後、関係者とダベっていると見知らぬ美女が近寄ってきて、
 「社長のブログで知って聴きに来ましたが、とてもステキでした」
 とひとこと云い残し、そよ風のように去っていた。
 いただいた名刺をぐぐってみると、彼女は高名な経済評論家で、行き先ではこんなことになっていた。



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[サイン会を終えたJIN OKIと、冴えたパルマのMichicoさん]



 勢いが止まらないJINOKISM。
 次回のソロライブは、9月7日オペラシティ近江楽堂。
 そして、待ちきれないソロ3rdアルバムは11月22日リリースとなる。








8/3木(その12)

女王さま




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[パセオ1984年12月号/表紙はマヌエラ・カラスコ]


 バイレ・フラメンコの女王マヌエラ・カラスコに、私が初インタビューを試みたのはこの号だ。

 なにせスペイン本国の大スターである。
 あのもの凄いバイレである。
 鬼のようなアルテである。

 「こ、こわいかも」

 気弱な私は不安180%でテンぱる。


 同世代じゃねーか、口説くぐらいのつもりでぶつかって行けやっ、などと自らを鼓舞するようにブツブツつぶやきながら、女王さまの待つ控室に向かったことを昨日のことのように思い出す。

 案ずるより産むが易し。
 通訳をお願いしたやたら明るいボランティア嬢が大した度胸の持ち主で、意外とリラックスした楽しいインタビューとなった。
 最初はちょっとだけ気難しげだった女王さまが、三分後くらいには笑顔を見せながら大いに語ってくださったのである。


 度胸と愛嬌というのは、万国共通のパスポートかもしれない。

 自信にあふれる通訳N嬢のスペイン語はほとんど壊滅状態だったが、何とかそれらしい記事は採れたのである。








8/4金(その13)

チリも積もれば




 毎月必ず立ち寄る渋谷タワーレコードで、バッハの無伴奏チェロ組曲の輸入盤新譜を2種類ゲット。


バッハのチェロ.jpg
[MORTEN ZEUTHEN/バッハ:無伴奏チェロ組曲]


 さて、その一方のバッハ。
 MORTEN ZEUTHEN(←よ、読めない)なる、初めて目にする名のチェリストだ。
 おまけに極端な安価(二枚組で1500円位)なためやや期待薄だったのだが、聴いてびっくり、フレッシュで惚れぼれするようなアルテの快盤だ。
 こういううれしいことに時おり出くわすので月イチ巡回は欠かせない。


 CDの制作費や価格が安くなって、新人アーティストがデビューしやすくなったり、私たち買い手も助かるという大メリットが生じたが、当のアーティストに入る印税の少なさを考えると喜んでばかりもいられない。
 売れるアーティストはほんのひと握りで、埋もらせてはならないアーティストは少なくないのである。


 音楽業界冬の時代は続く。
 一般ファンもダビング自滅(オゾン層破壊みたい)の道を歩み続ける。
 レコード会社にアーティストを守ってもらう時代はとっくに終わっているというのに。

 ま、そういう時代だからこそ、まじな音楽ファンはせっせとCD買って愛聴し、次の時代へのささやかな先行投資をじみーに継続してゆくのだ。








8/6木(その14)

とんがりやま




 「いいねあのライター、マリア・パヘ書いた人」

 「お、気づいたか」

 「誰なのあれ?」

 「オレもよく知らねーんだよ」



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[パセオフラメンコ06年8月号]


 この可愛らしい表紙の8月号が出まわったころ、こんなやりとりが三、四度交わされた。
 公演レビューの巻頭に置かれたマリア・パヘスの来日公演評。
 担当したユニークな名前の執筆者が、業界の中でちょっとした話題になっている。


とんがり1.jpg


 ライターの名は“とんがりやま”氏。
 まさか“屯賀(とんが)理矢麻(りやま)”のよーな本名であるとは考えづらいので、たぶんペンネームだろう。
 非凡な感性を背景とするやたら腕の立つ謎のライターである。


とんがり2.jpg


 今年の二月、マリア・パヘスの一般的認知度を探るためにネットをぐぐっている時、偶然網にかかったのが『踊る阿呆を、見る阿呆。』なるブログに掲載された次の一文だった。

 『マリア・パヘスは進化している(1)』

 『マリア・パヘスは進化している(2)』


 前回04年のマリア公演について書かれたレビュー。
 そのあまりに唐突なクオリティの高さに腰を抜かしながらも、その日のブログに私は、いつものようにヘソが茶を沸かすような一文を書いた。

 『踊る阿呆を、観る阿呆。(マリア・パヘス)』


 てなことをきっかけに、その後幾度かメールや互いのブログにコメント交換したのが“とんがりやま”さんと私のささやかな交流のすべてだ。

 そうしたネット上のやりとりをチェックしていた当時のパセオ編集長・野島(現在は統括プロデューサー)が、直接とんがりやまさんにメールでアプローチしたことで(私はノータッチ)、冒頭の執筆依頼へとつながっていったという話である。

 パセオのレビューとは別に書かれたブログ・ヴァージョンもあるので、こちらもどうぞ。
 あの夢のような“セビージャ”の情景が蘇るようだ。

 『マリア・パヘス、走り続けるダンスの化身』



 この正月にブログを始めて以来、ヒョウタンからコマみたいなことが次々に起こるのだが、この一件などはその最たるもののひとつかもしれない。

 一時期の2chなどに現われた人間の業に少なからず失望し、ネット時代に乗り遅れることを覚悟した旧式人間の私だが、この出来事などをきっかけにつまらぬこだわりから開放されたことは、まさしくラッキーだとしか云いようがない。


             (こちらもどーぞ)








8/8火(その15)

フライング情報



   じゃ~ん。


マリア.jpg
[マリア・パヘス インタビュー/撮影:北澤壯太、デザイン:吉田稔]


  かっこえー!


 そう、愛しのマリアさまである。
 言葉では形容しようのない美しさだ。
 いつも思うのだが、ちょっと碇山奈奈さんに似てないか。

 編集部は、これを表紙にするかどうかでさんざ迷ったらしい。
 それにしても北澤壯太のポートレートって、どきっとするようなのがほんとに多い。
 ジェルバブエナのこれなんか(去年の10月号)も凄かったよな。

2006年⑩月号.jpg



 ま、それはさておき、お待ちかねマリア・パヘスのインタビュー(5月15日収録)だ。
 スペイン語ぺらペら、ときどきカンタオーラの濱田吾愛が、これまでにない新鮮な切り口で突っ込んだ全三頁ものだが、もうあと見開き分くらい読みたかったなあ。



――――音楽を聴くと、自然に踊りを思い描くわけですか。

 音楽に心を動かされると、まず湧き起こる気持ちが〈踊る〉ということなのね。
 「どこからその踊りが湧いてくるの?」と聞かれたら、答えはいたってシンプルね。
 好きなもの、心を動かすものに合わせて踊るだけ。
 それは、そんなに難しいことじゃないと思うわ。




 そんなに難しいことじゃない、ってマリアさまはこうおっしゃっているぞお、みんなあ、わかったかあ。ってマリアーっ、そーゆーことをサラッと云ーなよサラッとぉー。








8/9水(その16)

忘るるべからず




明治神宮/初心①.JPG



 朝の九時。

 降りつづく小雨にしっとりと、普段よりさらに穏やかな表情をみせる明治神宮の森々。



 ここでのBGMはパコ・デ・ルシア 『熱風/SIROCO』 か、バッハのキーボードソロがお約束だが、めずらしくも今日は高校時代の愛聴盤が選ばれる。


パコ/魂.jpg
[パコ・デ・ルシア/魂] POLYGRAM/1972年



 パコにも私にもこんなにもフサフサな時代があったことを、当時めばえ始めた“初心”とともに苦笑交じりに想い出す。





            明治神宮/初心②.JPG








8/10木(その17)

自由のワナ




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[パセオ1985年1月号]


 1984年11月に行なわれた“スペイン映画祭”の開催に先立っての記者会見。

 日本でも大ヒットした映画『カルメン』のカルロス・サウラ監督ほか全六名からなるスペインを代表する映画監督が来日したのだ。
 にもかかわらず、記者の方は私を含めても大監督ご一行と同じくらいの人数しかおらんではないか。

 こ、これはいかん。

 あわてて私も質問を飛ばしまくることになったわけだが、監督たちを盛り上げるツッコミができなかったことが今さらながら悔やまれる。
 当時から私はボケ専だったのだ。


 さてその折、私のとなりの鋭そうな記者さんと、もの静かで奥行きが深そうなインテリ紳士、フアン・アントニオ・バルデム監督による以下のやりとりは二十年以上の歳月を経て、いまも私の脳裏に深く鋭く焼きついている。

 バルデム監督(享年80歳で2002年他界)はフランコ独裁制の下、社会派の映画を数々発表し、ルイス・ブニュエルと共にスペイン映画界の一時代を形成した名監督である。



――――フランコ体制の時代とそれ以降では、映画制作についてはどうような変化がありましたか?


 フランコという独裁者が死んだことによって、スペイン全体に民主的自由がもたらされました。
 特にわれわれ映画人にとっては、「表現の自由」というところまで具体化したわけです。
 現象的には、われわれは以前は保安警察や検閲の網をくぐり抜けつつ、自分たちの主張を表現してきたわけですが、自由化以降はそうしたことをしなくとも自由に映画を作れるようになったわけです。

 しかしながら、私個人としては、「フランコに敵対していた時の方がより良く生きていた」という感想を持っています。
 つまり、フランコ時代には法律や圧力に抵抗しつつ、スペインの現実に対し批判の目を育てつつ、これを展開してゆくことが出来ましたが、自由になってから、われわれ映画人たちが批判の目を失いつつあるという現状があるからです。

 われわれは今ここで、新しい方法を作り出さねばならない時期にきていると思います。








8/11金(その18)

必然




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[パセオ1985年2月号/表紙はマヌエル・アグヘタ



 1984年の暮れ、世紀の大カンタオール、マヌエル・アグヘータが初来日を果たした。
 正真正銘の大物歌手であり、そのルックスはまさしくアラン・ドロン893ヴァージョンだった。


 その1年前1983年のカーネギーホール公演では、シギリージャとソレアだけで満員の聴衆を熱狂させたという。
 たくさんの録音で後世の栄光を約束された本物中のガチンコアート。現世的には億万長者かチョー貧乏のどちらかだ。多くは後者で、この頃のマエストロもそれだった。


 記事タイトルは「突如上陸!ジプシー・ハリケーン」。

 ハリケーン日本滞在中の、その命知らずの世話人は“黒い革ジャンの猛獣つかい”こと荻内勝之さん(東京経済大学教授)だった。
 二人並んで歩くと、まわりが避けるので自然と道ができた。私はそのうしろを歩いた。のちに教授は否定されたが。
 まぎれもない極道コンビだった(教授は否定されたが)。
 当然あっちゃこっちゃで当たり前のように事件が起きた(教授は否定できなかった)。

 この号に来日記事を組むためしばしば同行する罪もない私が、スリリングな局面に出喰わすことは必然だった。
 二十年を経てようやく笑えたエピソードもある。



 日本人のフラメンコは?という私の愚問に巨匠マヌエルは、

「全部やめちゃた方がいいよ」…………だって。

 後にも先にもここまでパセオで公言したのは、マヌエルぐらいのものだ。
 やれやれ。云う方も云う方だが、29歳オレもまんま載せるなよ。
 さらに、読者に何かメッセージを、とヤケクソでお尋ねすると、

「日本にも純粋なカンテ・ホンドの根を張れたら、と思っている。
 アカデミックに勉強したものは駄目なんだ。日常や、自分の内から湧き出してくるものや、自分にフラメンコをさせる動機をいつもしっかりつかんでなきゃいけない」


 と、今度はかなりマジに返すマエストロだった。



 そしてそれから約二十年。
 こんな結果を出した日本人がいる。
 関係者は一様に驚き、やがて我がことのように喜んだ。


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瀧本正信 カンテソロ アルバム/エル・カステーロ
 CUSTICA/2004年



 マヌエル・アグヘータは都はるみを絶賛、北島三郎にうなずき、五木ひろしに首をかしげ、大川栄策に眉をしかめ、名もない舟頭の漕ぎ唄に絶句した(荻内教授談)。


 彼は、フラメンコにおける日本人の資質を早くから認めていた人だ。

 二十年前、あるいはこんな成果(瀧本CD)も漠然と予測していたのかもしれない。



   (マエストロ初来日関連、あと二回続くかも)








8/12土(その19)

リニューアル




 ご覧のとおりである。
 思いきり文字を大きくした。

 近ごろは開店休業が続く ホームグランド 読者からの苦情メールが十通を超え、急遽そのリクエストにお応えすることにしたのだ。


 正月から始めたgooブログの常連読者は二、三百名ぐらい。そのほとんどがお情けでこっちにも寄って下さるようだ。
 云うまでもなく、もちろん全員が極めつきの美女美男の人格者である。
 しかもかれらは全員若い。この私よりも。
 推定平均年令四十歳ちょいという超ヤング層なのだが、さすがに寄る年波には勝てんということだろうか。

 私としては、スタイリッシュに小さい文字で決めたかったところもあるが、書いてる本人さえ読むのがかったるくなってる状況だったので丁度よかった。
 PCの上のバーで、「表示」⇒「文字のサイズ」⇒「小」を選ぶと読み易いかもしれない。


 さて、字を大きくすると内容まで豊かになる。

 ということは有り得ず、むしろアラが目立ってその逆となるところだけ除けば、このリニューアルは大成功と云えるかもしれない。



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8/14水(その20)

ああアグヘータや




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[パセオ1985年3月号/表紙はマリオ・マジャ]



 「アグヘータ、ああアグヘータやアグヘータ」


 これは、この号と次の4月号に緊急連載した、荻内教授(スペイン文学)によるアグヘータ同行記のタイトルだ。

 1984年暮れの日本フラメンコ界は、衝撃的とも云えるプーロ(純粋)フラメンコの洗礼を受けた。
 その日本カンテ史のエポックな空気をちょこっとだけ感じてほしいので、今日と明日で、同行記全体のほんの3%位をスポット抜粋して載っけてみよう。

 世紀の大カンタオール、鬼神マヌエル・アグヘータの世話人を買って出た東京経済大学教授・荻内勝之が愛憎の限りを書き尽す、滞在2ヶ月間の同棲日記。
 ファンタジーと悪夢に充ちたそのワンシーン集である。



 アグヘータが来る。来た。歌った。去った。東京、三島、静岡、名古屋、京都、大阪、箕面、西宮、神戸が静かになった。


 国分寺のスナックB1での二次会。クーロ・フェルナンデスが床にあぐら座して歌い、コンチャ・バルガスはアグヘータの歌でセクシーに踊った。


 アグヘータ語録 「肉を食わないと歌えない」
 家を出る前に300グラムのステーキを食った。スペインではなすを食って歌っていたが……。


 アグヘータ語録 (池袋駅前caféでエスプレッソを飲みながら街を見て)「これなら俺の性分に合う。女を見つけて定住したい」


 アグヘータは終電車でも歌いまくり、ニ車輌の客を集めて上機嫌。


 新宿ナナでペペ島田の会を横取りしてアグヘータの会にする。
 8時すぎから明け方3時まで続く。フラメンコ狂たちの感動がナナをゆさぶる。アグヘータめ、歌手冥利につきると思え。
 そのアグヘータを友人に預けて、この日初めてひとりになり、ホテルを探すが、どこも満員。そういえば忘年会シーズンにはいっているのだ。俺の忘年会はいつ出来るか。
 新宿改札口横でいわゆる浮浪者に混じって仮眠。タイルの寝床のなんと柔らかかったことか。


 つきささる原色の恋。
 答えのない恐ろしい問い。
 着衣を裂く胸の爆発。
 白壁を破り、牢の格子をへし折って鍛治の吹子とハンマーのうなりが届く。
 大気に、大地に、海に、月に、鳥に、まんねんろうに訴えかける怨がアグヘータのカンテ・ホンドだ。
 言霊が焼けた鉄の喉を打つ。


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[フラメンコの大家たち/マヌエル・アグヘータ]
 LE CHANT DU MONDE



 アグヘータ語録 「俺がお前の家に住んでいるおかげで、お前は有名になれるし、フラメンコ史上に残る本が出せて大儲けできる。お前は幸せ者だ」


 しかし、続く会場の準備のために深夜まで電話と依頼状の執筆で休む暇なし。
 わが本職のスペイン文学、書くことと活字の世界がはるか遠くにかすんで見える。
 これでいいのだろうか。現職復帰は可能か。
 ここひと月まともに寝ていない。


 12月31日。紅白歌合戦をテレビで見る。
 アグヘータは都はるみ、北島三郎をきいて日本にカンテの素地があることを再確認する。
 深夜、そろってネクタイをしめて日本酒で乾杯。この夜、静岡県三島のプラザホテルで1月13日に会を開くことを決める。(次号に続く)



      (ワンシーン集、明日はその後編)








8/15火(その21)

続 ああアグヘータや




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[パセオ1985年4月号/表紙はマノレーテ]



 1985年当時、狭いフラメンコ界に大反響を呼んだ「アグヘータ同行記」、その後編のワンシーン集。




 アグヘータ語録 (高尾山上の自然動物園で放し飼いの猿を見たあと人間の直立歩行のことが話題になる。ジプシーの背筋はなぜあのように真っ直ぐなのか)「曲がったことが嫌いだからさ」
 ベットがなくて床にじかに寝るから曲らないのである。


 アグヘータ語録 「トルティージャには様々あるが、フラメンコはひとつ。どこそこの○○節というのは学者が勝手につけた名。タンゴはタンゴ、ティエントはティエント」


 アグヘータはギターのアドリブが際だって良いことに不服をもらし始める。
 アグヘータ語録 「俺は嫉妬でがんじがらめ」
 ジプシーハリケーンも立派に人の子だ。
 アーティストであり嫉妬の鬼であり、アフリカの飢える難民に涙し、ニューヨークに残した5歳の一子を思い出しては顔をほころばす情を具え、牢獄の息子を棄てたと自分に言いきかせる。
 先行き暗く焦燥。見栄のためには獰猛狡猾。
 時として動物園。犬、狐、狼、虎、猫、獅子が住む。
 一攫千金の夢。一つひとつがおれにもある。
 同じ穴の狢(むじな)。ないのは歌のみ。これが大きい。
 いずれまたお前の時代が来よう。今を耐える獏(ばく)であれ。
 時世は移ろうと天の下、アグヘータ、その歌に人の胸を打つ力があることに変わりはない。
 裸形の風を吹き続けよ(黒い革ジャンの猛獣つかいより)。


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[アグヘータ/ソレアにて]LA SOREA DISCOS/1997年


 アグヘータ、もう止まらない。ギターがケースに納まっても歌はおさまるところがない。これこそ出血サービスだ。
 フランシスコ・サンチェス・ブラベーラがアグヘータに贈るブレリーア。
 「人々が俺に告げた。あの橋を彼女が渡っていくのを見たと。夜ふけて月光を額に浴びて」(堀越千秋訳)


 5時半。あらわれず。
 東京まで乗り越したか。午前中に電話でペペと確認しあったが。
 5時45分。富士おろしで足もとが凍てつく。
 会場には140人が待つ。
 友人、地縁、血縁の協力のほか、朝日新聞、静岡新聞、沼津朝日新聞の3紙が3段組記事。おかげで東経大以来最高の入り。
 5時59分新幹線上りこだま号を祈るように待つ。階段を下りてくる乗客をまともに見れず目を伏せる。
 140人を相手に何と申し開きをするか。セリフが何種類か浮かぶ。
 土下座や裸踊りではすむまい。おそるおそる視線をあげる。
 ギターを持つ男はいない。殺し屋風ジプシーの幻影すら見えぬ。
 腹をすえた。お代は返して文化講演会だ。
 ジプシーとはこうだ、ということから説いてスペイン人気質を語ろう。幸い友人の社会学者が来ているから何かにひっかけてしゃべらせよう。
 問題はふたりに対して憤懣をストレートにぶつけてどんな益があるかだ。
 アグ坊ちゃまがアメリカに帰るなどと言い出したら、名古屋、関西公演がどうなる。ここは笑って後日の成功にそなえよう。
 6時5分こだま号。あらわれず。会場へ電話。
 「6時10分前に着いた。お前は何をしているのか」。
 ふたりは在来線の鈍行で着いたという。構内で待ってたためすれ違ってしまったのだ。


 名古屋のFM愛知が早朝8時に電話インタビュー。生番組。
 受話器に向かってアグ歌う。名古屋公演のキャンペーンだ。女性アナがスイッチONを忘れたというが……。


 夕食会でアグ、外国人に愛嬌をふりまき、私も最後の力で尻振りのひと踊り。3人とも放心状態で抱きあい、駅に誰もいないホームで放歌高吟。関西巡演終了。


 池袋スタジオ・カスコーロでアグヘータ日本最後の会。ペーニャ主催。
 前々日に続いて一波乱。私はエンリケ坂井に救われて避難。因縁の人物は? 縁あればいずれ。


 1月27日。アグヘータ、シカゴに向けて発つ。(終)



以上、 荻内勝之 『アグヘータ、ああアグヘータやアグヘータ』 より




 あまりにも唐突な出来事だったので、カンテの鬼神アグヘータが単身来日したことにも、引き起こされた幾多のスリリングなシーンにもリアリティは希薄だった。
 強烈すぎるリアリティは、アグヘータのカンテの内にのみ在った。

 荻内先生がひとり引き受けられた悪夢の代償に、私たちはそれぞれの胸に刻み込んだ。
 好き嫌いを超越するアートの真実、純度100%“黒いフラメンコの塊り”を。








8/16水(その22)

パセオ界隈(高田の馬場)





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  安藤広重/名所江戸百景より『高田の馬場』(1857年)




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  その150年後のほぼ同じ場所あたり(2006年)




 JR高田馬場駅から早稲田通りを東に、ひたすら15分ほど歩いた西早稲田のバス停あたり。パセオからなら約10分。
 堀部安兵衛の決闘で有名な“本家・高田の馬場”はここだ。


 たかだか150年でここまで変わるのか。

 まるで違うようにも見えるが、元は同じ場所である。
 ふたつの風景を注意深く見比べてみるとあることに気づく。

 やっぱぜんぜん似てねーよ、ということに。








8/17木(その23)

パセオ界隈(面影橋)




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  安藤広重/名所江戸百景より『おもかげの橋』(1857年)





  面影橋.JPG
  その150年後のほぼ同じ場所あたり(2006年)




 150年の歳月は、“おもかげの橋”を何の変哲もないコンクリート小橋に変えたが、辛くもその美しい名は残った。

 橋の向こう右手には、落語『道灌』でもおなじみの“山吹の里”の碑がひっそりとその姿をとどめる。
 橋の手前には、東京で唯一のちんちん電車(都営荒川線)の停車場“面影橋”がある。


都電・面影橋.JPG



 目を閉じれば、広重の描いた光景が視えないこともない。


 パセオから歩けばほんの五分。
 仕事のアイデアに行き詰まるとブラッと出掛ける散歩コースの中ほどに面影橋はある。

 てゆーか、年がら年中アイデアはどん詰まりなので、いっそのこと橋のたもとに座机でも置いて仕事した方が、まだしも効率はいーかもしれない。




面影橋から神田川.JPG
  [面影橋から眺める神田川]









8/18金(その24)

パセオ界隈(芭蕉庵)




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  安藤広重/名所江戸百景より『関口・芭蕉庵』(1857年)




  神田川/芭蕉庵.JPG
  その150年後のほぼ同じ場所あたり(2006年)




 パセオを右に出て、神田川沿いをずずっと東に歩けば、15分で関口“芭蕉庵”だ。
 名人松尾芭蕉は、プロ入り前の四年間(34~37歳)をここで暮らしたと云われる。


関口芭蕉庵.JPG





 ここら辺りは、私的には東京随一の桜の名所である。


花は桜木①芭蕉庵・遠景.JPG

 [今春三月、対岸斜めから芭蕉庵(ピンクのしだれ桜の下)を眺める]




 年に三日ほど、この光景を眺めたいがために、パセオフラメンコは高田馬場を動けずに居る。

 どーせ引越し代がねえんだろ、みてーなマトを射た憶測は余計なお世話である。








8/19土(その25)

マイテ・マルティン/愛のあるところ




 「最初は何を聴けばよいのでしょう?」


 フラメンコをほとんど知らないが、ふとそれに興味を持ち始めた、やさしく美しい女性にこう尋ねられる場合は、迷わずマイテ・マルティンを薦めることにしている。



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マイテ・マルティン/愛のあるところ]VIRGIN 2000年



 私の場合、このCDを三枚持っている。
 家と仕事場と散歩用のCDケースに一枚ずつ、あたかも心臓発作にそなえるニトログリセリン的常備薬のようにそれは在る。

 誰しも、世の中の理不尽に打ちのめされることは多々あるわけだが、心の中のサンドバックを打って打って打ちまくっても心が晴れない時など、泣きぬれて蟹とたわむれながら聴くCDはマイテ以外にない。

 冒頭のむせび泣くブレリアで早くも立ち直りを予感し、ラストの夢の通い路のようなブレリアを聴くころには、悪いのは世の中じゃなくて間違えてるのは俺じゃねえの?と思えてくるから不思議だ。


 すぐにそれとわかる感受性ゆたかな歌声。
 何より響きに潤いがある。
 彼女のカンテは傷つき疲れた感情のヒダの中にそっと分けいり、美しい陰影と余韻にあふれた詩をしっとりと発散させる。

 深く歌う旋律は、魂を心底からゆさぶる。
 マイテは頭脳ではなく心で考えて、それを私たちに伝える。それによって私たちがもともと備えている魂の動機と機能が急速に回復に向かう、という仕組みなのだろうか。
 ぼんやりと耳を傾けてるだけでエネルギーがみなぎってくるのだ。

 天衣無縫な歌いまわしが決して集中力を失わないのも、常にしなやかな求心力に貫かれているからだろう。
 こうして、先ほどまで“絶望”と感じられた痛みは、その心の傷の中から生まれた“希望”へと変貌を遂げてゆくのだ。



 以上が冒頭の問いに対する私のノーガキだ。


 ちなみに私の場合、フラメンコをほとんど知らないが、ふとそれに興味を持ち始めた、やさしく美しい女性にこう尋ねられた事は二度や三度どころではなく、この22年間、不思議なことに一度もない。きっぱり。








8/20日(その26)

本日発売!





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[パセオフラメンコ2006年9月号/表紙はマリア・パヘス]




 本日発売、 月刊パセオフラメンコ最新号!

 この号の私のチョーお気に入り記事は、マリア・パヘスのインタビューを筆頭に六つあった。
 その中に、特に印象強く、後々もじんわり効いてきそうなエッセイがある。



 『フラメンコの光を浴びて』 俵英三

         第30回/ペペ・アビチュエラ(2)




 あのギタリストでさえ、いや、あのギタリストだからこそ、あんなにも苦い経験に遭遇したのだろう。
 そして、それを乗り越えるプロセスの中で彼のギターは本物になって行ったのだろう。
 わずか一音の中に人生の深いドラマを映ずることの出来る、俵英三という優れて真摯なフラメンコギタリスト。
 その彼と同世代であることを、私は誇りに思う。






 たわらぁー、えーぞー!



 って、こんなことでは、俵くん的にはオレと同世代であることが恥かしいにちがいないと思われる。








8/21土(その27)

逆用




 物心ついたころから、すでに臆病な性質だったように思う。

 私の本性ともいえるセッカチな性格も、その臆病さゆえ、周囲にとり残されるのを恐れるあまりに形成されたものだと分析できる。
 周囲にキャンキャン吠えまくることで己を守ろうとする防御戦略よりも、セッカチという玉砕戦略の方が自分向きだったのだろう。

 もちろん今も直っちゃいないが、若い頃は食えなかったこともあるし、それなりの野心もあったから、いつでも本格的に焦っていた。
 結果としては「生き急ぎ」の典型タイプである。

 だから量やスピードを要求される忙しいジャンルでは大いに適性を発揮したし、今の仕事でどうやら食えるようになったのもこのセッカチさに負うところが実に大きい。
 怖くてジッとしてることができないだけの話なのだが、ま、好意的に見てやれば、性格の欠陥が世渡り上の長所になり得た一例と云えないこともない。


 才能というのは、最初から「有る」ものではなくて、むしろ「何かが欠乏してる」状態から発するものではないか?


 そんなわけで、このようなテーマにはとても興味がある。
 数年先、営業現場で使いものにならなくなったあかつきには、ぜひ編集現場で突っ込んでみたいテーマだ。
 見事にボケてくれそうなアーティストを今から物色中である。




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8/22火(その28)

オチ次第




 意外なことに、フラメンコ好きとロシアの大作曲家プロコフィエフとの相性は悪くない。
 てゆーか統計的にはかなり良い。
 感情のスパークと知性のスパークは、意外な接点を持っているのかも知れない。


 そのプロコフィエフが、ある晩唐突に家の中を鳴り響く。
 幸いにも幻聴ではなく、テレビから流れるCMだった。

 見ればボーダフォン~ソフトバンクのドラマ仕立てのコマーシャルである。
 流れる曲は、プロコの名作『ロメオとジュリエット』の中から、グロテスクな付点音符が不吉なエンディングを想起させる『モンターギュ家とキャビレット家』。



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[セルゲイ・プロコフィエフ/ロメオとジュリエット]
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
DEUTSCHE GRAMMOPHON 1997年




 ふつうテレビCMでは考えられないようなハイセンスな選曲なのだが………この場合、ちょっとヤバいのではねえか?

 ロメオとジュリエットの美しい出逢いと、あの哀しい結末……。
 ボーダフォンとソフトバンクの関係をそれに見立ててしまうことにはなりゃしないか?
 おいおい破滅じゃねーかよ、というそのとっさの連想は正しい。

 だが、よく考えてみればそんなドジを踏むわきゃないわけで、そうした布石を打ちながら、逆に私たちにギャフンと云わせる周到な大ドンデン返しを用意していることは、まず間違いのないところだろう。

 妙に気を惹くあの連続ドラマ風CMはしばらく続くのだろうが、そのオチのクオリティ次第では、ご褒美に私もボーダフォンに切り替えたろうか、などと思い始めている。








8/23水(その29)

パコ・デ・ルシア/熱風





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パコ・デ・ルシア/熱風]POLYGRAM 1987年



 彼のゆくところには必ずや新しいシーンが展開し、次の時代を予言する“熱風”が吹く。


 岐路に立ったとき、鋭い直観と強い信念によって人生の選択肢を決断したパコ・デ・ルシア。
 フラメンコと自らの良心に忠実に、世間の外圧に翻弄されることなく自身を貫いたパコの生きざまは胸に迫る。

 チック・コリアやアル・ディメオラをはじめとする国際的ミュージシャンとの長年にわたる異種格闘技試合から凱旋して、フラメンコに還ったパコ・デ・ルシア。

 その回帰第一作『熱風』は、フラメンコギターのエベレストとして、また、ビートルズやピアソラなどと並ぶ20世紀音楽の傑作として、私たちの子孫らに聴き継がれてゆく名盤だ。


 パセオ創刊のきっかけが『アルモライマ』なら、この『熱風』は廃刊を阻止する精神的カンフル剤のようなものだった。

 極東のパセオでさえそんな恩恵に浴したぐらいのものだから、スペイン・フラメンコ界、とりわけプロの一流アーティストたちが与えられたインスピレーションの強大さには想像を絶するものがあったろう。

 『熱風』は、バイレ・カンテを含む現代フラメンコの潮流を決したアルバムなのだ。


 全八曲の中に『二筋の川』や『アルモライマ』のような親しみやすいメロディを持たせなかったところにパコの心が見えてくる。

 ここでのパコは、現世的な喝采には背を向け、ただひたすらフラメンコの神に、全身全霊で感謝と祈りを捧げている。





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              月とスッポン  イラストby八戸さとこ








8/24木(その30)

履歴書




 きのうの晩、例によってギターの若林雅人がぶらりパセオにやってきて、こんなCDを置いていった。
 ディレクション、撮影、デザイン、制作実務を担当したのだと云う。そういえばパセオの新しい号にそんな記事が載ってたっけ。……で、二度聴いた。



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[東田マサミ/シルクロ]2006年 CANTE JONDO
         (アクースティカにて入手可能)




 治療法が見つからない進行中の難病。
 バイレ(踊り)の続行が不可能となり、車椅子の上でカンテ(歌)に光を見い出すが、それもいつまで歌えるかどうか。

 そこで東田マサミは勝負に出た。
 自分の履歴書を創ろうと。


 彼女のカンテの師匠、瀧本正信がプロデュースとギターを担当してくれた。
 巧さの聴けるディスクではないが、忘れ得ぬ生き様を履歴するアルバムは産まれた。

 マイナスの要因は、新たなときめきを展開させる手下と化した。



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8/25金(その31)

フライング情報(エバ!)





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 とゆーわけで、エバ が来日する。


 そう、あのゴールデン・ハーフの“エバ”が……のワケはねーだろ。
 写真を見ろよお、写真をーっ。
 ん、長い髪の少女……?……そりゃゴールデン・カップスだっつーの。

 とゆーよーな43歳以上対象の極寒マクラは本日限りで切り上げ、早速本題に入りたい。
 エバの招聘元プロデューサーK氏からゆうべ届いた緊急業務連絡はこんな感じだ。



エバ・ジェルバブエナ、
日本初演作での来日公演が決定!



 時期は、来年1月17日(水)、18日(木)の二日間。
 東京公演(新宿文化センター大ホール)計2公演のみだが、共に新作(↓)の可能性が高いという。

◇4Voices(ア・クアトロ・ボセス)
◇Cal y Canto(カル・イ・カント)



 決してブレない求心力を軸に、近ごろはかなり思い切った演出にも大胆チャレンジするエバ。
 私の場合は、エバのフラメンコが観れるならもうそれだけで恩の字なので実は演目は何でもいいのだが、そーゆーことを云うとK氏からドヤされそうなので、今回の新作二作には特に大きな期待を募らせているということになるだろう。


 なお、今回のエバ公演についてはパセオでもチケットを取り扱う可能性が出てきた。
 そうなる場合は当サイトのトップページで告知(たぶん来月)するので、用心の良い方は注目しといてね。








 8/28月(その32)

フェルナンダ・デ・ウトレーラ/おんなうた




「逆転のひかり」フェルナンダ・デ・ウトレーラ.jpg



 フェルナンダ死す。


 パセオ誌上でも大活躍するスペイン在住青柳裕久さんから、『フラメンコの素晴らしいカンタオーラの死』と題された新聞の切り抜き訳がメールで送られてきたのは、実は先週木曜(06年8月24日)の夕方のことだった。

 四日がすぎて、ようやくそのことをご報告する気になったが、「かなりショックです。内臓が重いです」という青柳さんの感想以上のものはいまだ出てこない。


 私にとってフェルナンダ・デ・ウトレーラという唄い手は、とても因縁の深いアーティストだった。
 三十歳目前に彼女のその強烈すぎるカンテに当たってしまった私は、それまでの生き方を根こぞぎ否定されたような気分に落ち込むことになる。

 彼女の唄は“真実”そのものであり、私の人生はその真逆に位置していた。
 フェルナンダの純生フラメンコにのめり込んだその一時期、パセオ運営における私の立ち位置は大きく揺らいでいた。

 結局私はそうでなくとも危機的な現実社会へと戻り、フェルナンダのレコードをその後十数年にわたって封印することになる。
 だが逆に、あのショッキングな出逢いがなければ、それなり以上に厳しいこの世界で、折れないモチベーションを保ち続けられたかどうかは疑問だ。

 フェルナンダは“両刃の剣”そのものだった。



 最近になって、ヘソが茶を沸かすようなこんな愚文を書いた。

 「ガツンと一喝」 「逆転の光」 「廃物利用

 ただ、私がいつもこうしたレベルの駄文を書いていると思われても困る。これでも私にしては最高傑作の部類に属するものなのだ。



 さて、今回また改めて、レコードというのは本当にありたがたいものだと思った。
 私にはそのリアリティをとめることができないので、月並み過ぎる云い方でこう締めたい。

 フェルナンダの表現は永遠であり、私たちにそれを受け止める感性と覚悟がある限り、フェルナンダ・デ・ウトレーラの魂は不滅である、と。



「ガツンと一喝」フェルナンダ・デ・ウトレーラ/おんなうた.jpg
フェルナンダ・デ・ウトレーラ/おんなうた]EMI 2001年








 8/29火(その33)

だからフラメンコ?




 技術の飛躍的進歩によって人類は経済的に豊かとなり、個人は生存のために集団に帰属する必要がなくなったのである。

 個人が勝手に行動しても生きていけるようになり、集団の存在理由が薄れてきた。
 家族も学校も会社も大きく変質し、個人は集団の束縛から解き放たれて、ついに、不本意ではない生活を送ることができるようになった。

 だが、このときになって初めて人類は、「不本意ではない生活」がどんな生活なのかが分からないことに気がついた。
 集団に向いていないだけでなく、個人として生きていくことにも向いていないことが分かったのだ。

 これが幸い中の不幸だった。

 自由には代償がある。
 自由な人間はすなわち孤独であり、人間は孤独が嫌いなのだ。
 現在、集団の秩序は回復不可能なまでに瓦解し、個人は何をしたらいいのか分からないまま自立を求められている。

 こうしてみると、人類も私と似たような運命をたどっているように思う。




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[土屋賢二/汝みずからを笑え]文春文庫より




 これは、私が仏と仰ぐ、お茶の水女子大学の土屋賢二教授(哲学科)のありがたい教えである。特におしまいの二行などは鋭すぎる分析と云えるだろう。

 「この五百万年をふりかえって」というエッセイの抜粋なのだが、数年前初めてこれを読んだとき、青春まっ盛り(1970年代)の自分がなぜフラメンコに惹かれたのか、その理由の一端がポロリわかったような気がした。


 1980年~90年代の日本において、フラメンコのファン人口は急増し、またそのステータスは急速に高まった。文頭のようなプレッシャーを解決する鍵として、私を含めそのほとんどが無意識的だったにせよ、多くの人々がフラメンコに注目し始めたからだ。
 現代日本におけるフラメンコの普及浸透はその意味で必然だった……という説はどうだろう……乱暴か。


 現代を生きる不安と緊張のストレスにあえぎながら、それをいかに克服して心の安らぎに達するか?
 こうしたテーマに対しフラメンコは、強いヴィジョンと忍耐を示しており、同時にそれは生きる勇気を高揚させる機能を持っている。


 と、こう云っちまったら、ま、さすがにヒイキの引き倒しだろーが。








 8/30水(その34)

幸運




 気ばかりが焦り、良い分別が出来ないことでしょう。
 月蝕のように次第と曇り、暗闇立ち込めるような状態となりましょう。
 車がありながら行く先が定まらぬように、良い事が目の前にありながらも、手が届かぬ状態でしょう。
 魚が水にあわないと死んでしまうように、周囲と心が通じなければ何事も成立しません。常に世に順応する落ちついた姿勢が大切。

 願望、叶いにくいでしょう。
 病気、危いでしょう。
 失物、出にくいでしょう。
 待ち人、現れないでしょう。
 新築・引越、見合わせましょう。
 結婚・付合、悪い結果となるでしょう。



浅草寺.JPG


 全戦全敗ボロ負けの“凶”。

 浅草・金龍山浅草寺のおみくじは、当たりすぎるのが難点である。これではまるで、私の半生をまんま描く走馬灯ではないか?


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 つい魔がさして引いちまったおみくじだが、凶をつかんだのは不幸中の幸いだった。
 うっかり“大吉”なんぞを引き当てた日にゃあ、残り僅かな私の持ち運を残らず持っていかれちまうところだったぜ、やれやれ、ラッキー!








 8/31木(その35)

昔も今も




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  安藤広重/名所江戸百景より『浅草金龍山』(1856年)




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 その150年後のほぼ同じ場所(雷門)あたり(2006年)



 好ましいコントラストが、いかにも “昔も今も” といった風情だ。
 それぞれに味わい深い情景。



 ま、私的には、マノロ・カラコールとミゲル・ポベーダぐらいのコントラストかな。




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 [フラメンコの大家たち/マノロ・カラコール
  LE CHANT DU MONDE




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 [ミゲル・ポベーダ/フラメンコがきこえる]
  HARMONIA MUNDI/1998年












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