1984年創刊、日本で唯一のフラメンコ専門誌「月刊パセオフラメンコ」を中心に、フラメンコ情報をお届けするホームページ。公演情報から教室案内までもりだくさん。ソフト、舞踊用品などもご購入いただけます。
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社長室/2006年9月
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社長室/2006年9月
社長室/2006年9月
9/1金(その36)
語源
街並み全体を江戸風にリニューアルしたことが功を奏したのか、以前より活気が出てきたように見える浅草は浅草寺左脇の伝法院通り。
伝法(でんぼう、又はでんぽう)とは乱暴な言動のことだが、さっき辞書を引いたら語源的には、
「江戸浅草の伝法院の下男が、寺の威光をかさに着て乱暴を働いたことから」
なのだそうだ。ちーとも知らなかった。
「東京高田馬場のパセオの社長が、フラメンコの威光をかさに着てヘボなブログを書きまくったことから」⇒「ぱせおしゃちょ=低脳サイトのこと」と云われるようになった……という風にならないよう、今はただ祈るばかりだ。
9/3日(その37)
カマロン/カジェ・レアル
[
カマロン/カジェ・レアル
]POLYGRAM 1983年
どうだい、この素敵なジャケットは!
グッドデザイン賞もんだよね。
でも中身はもっともっと凄い。
日曜日の朝は『カジェ・レアル』でなければ始まらないくらいに凄い。数千はあるフラメンコのCDの中でも、フィジカルな快感度はもっとも高いのではないか。
オープニング
からいきなり、カマロンは気合いの入りまくりで、あおりにあおる豪華バック陣(パコ・デ・ルシアやトマティート)のパッションを全身に受けとめて、胸のすくような疾走感でラストまでを歌いぬく。
ドラマティックな高揚感をともなうしゃがれた美声と、原野を駆けぬける豹のように敏捷で力強いリズム感はメンバーたちに即フィードバックされ、互いに相討ち覚悟で鋭く踏みこむ。
そのうねりながら躍動するアンサンブル、スタイリッシュで野性的な超絶技巧、命のよろこびが弾けるコンパス。それらが渦巻きながら高めあう灼熱のスパークに焦がれぬハートはないだろう。
カマロンは日々の生活の中に“祭り”のインスピレーションが充満していることを熟知していて、それを切りとって私たちの前に響かせることを楽しんでいるかのようだ。
ひとり引きこもる不毛や、周囲に当たり散らすヒステリックな不毛の狭間に、人間のポテンシャルの頂点を探り当てたセンスには今さらながら息を呑む。
その境地からは、人生の仕組みや幸福の本質がサクサクと見えているのではなかろうか。
それにしてもこの音楽の新鮮さはどうだ。
23年も前の録音なのに、まるでさっき出来上がったばかりみたいにピチピチ跳ねてイキがいい。
かくして輝ける日曜日は幕をあけ、聴き手たちもそれぞれの祭りに没入するのだ。
9/5火(その38)
プロ
[パセオ1985年5月号/表紙はフアン・マジャ]
◆
「エンリケ・エル・コホ死去す」
フラメンコ舞踊手として日本でも高名なエンリケ・エル・コホが、85年3月28日、脳梗塞のためセビリアで死去した。73歳。
葬儀は3月31日におこなわれたが、政界財界の関係者が多数参列という盛大なものであったという。
7歳から不自由になった足でステージを踏みつづけ(彼の名の“コホ”は、スペイン語で「身体不自由」を意味する)、奇跡の踊り手として、また、民族の心の踊り手として尊敬されていた。
◆
総特集!「踊り手に聞くギタリストの不満、ギタリストに聞く踊り手の不満」
初代編集長・架光時紀(かけみつ ときのり)は信念の人だ。彼なくしてパセオはなかったというのは本当の話だ。
横のつながりはまったくなく、閉鎖的でドン詰まり状態だった当時のフラメンコの世界に、なんとか風穴をこじ開けることで「フラメンコの普及発展」のための布石筋道を作りたい。そのためには、多少乱暴な切り口もやむを得まい。
そんな彼の志のワンシーンが、パセオ初の大特集「踊り手に聞くギタリストの不満、ギタリストに聞く踊り手の不満」(それでも全4ページ)だった。
「大変なことになるね」。
「…………なるだろうね」。
今やっても無事には済まない企画だ。
案の定、凄いことになった。約二ヶ月の間、取材先営業先でこてんぱに叩かれた。
時にこうした企画も推進してゆかねば、フラメンコの世界に未来はない。
同時に、こうした企画によってパセオの死期は確実に早まるというのも現場の実感だった。
匿名OKのアンケートだったが、ご協力くださったアーティストのそのほとんどが、非難覚悟の実名で意見を述べられたことは想定外。
そこには紛れもないプロの矜持(プライド)があった。
へえ、そういうものか。
そういうものなら、どんな道であれ俺も“プロ”になりたい。あの時私はそう思った。
9/6水(その39)
正論
[パセオ1985年6月号/表紙はフアン・ラミレス]
◆前号特集「踊り手に聞くギタリストの不満、ギタリストに聞く踊り手の不満」に対する、“読者の広場”への投稿
「5月号の企画に異議あり!」
パセオ5月号拝見致しました。今まで少々の読みづらさや専門的な所が多くて困った時もありましたが結構楽しく読ませてもらっておりました。
でも今回の企画は一体何なのでしょう。正直言って失望させられました。人には必ず不満や色々な考えや気持ちがあるのは当然でしょうが、それを言語化し、文章化し、公の場所に公表するというのはどう考えて見ても納得がいきません。
若い人達がそれを見て勉強する等の意味の事が書かれておりましたが、それは編集部の思い上がりではないでしょうか。それによって得られる事はほんの少しの事柄だと思うのです。しかしそれによって失なわれてゆくものは本当に大きなものであると思われてしかたがないのです。
面白さや興味をねらったものであれば、それは週刊誌や芸能レポーターの次元です。そうでなければ今回のことは小学生の教室レベルの企画であると思います。
一体フラメンコを仕事としてなさっている人達が「パセオ」によって本当に助かっているのか否かは本当に疑問でなりません。本来ならばうれしさや楽しさで編集者の方々にはげましや感謝の手紙となるのが理想的なのですが、あまりの失望の念に打ち負かされ、それも残念ながら出来ません。フラメンコ界の善処を期待します。
(匿名)
来るべきものは来て、そのまま載せた。
あけだけ叩かれたのだから、もっと沢山くると思ったがこの一通だった。いま読んでも正論だと思う。先のためにもありがたかった。放置プレイじゃ前に行けない。
「フラメンコ界の善処を期待します。」
中小のフラメンコ・スポットは点在したが、ネットワークは存在せず。つまり正確に云うと、当時“フラメンコ界”はなかった。
パセオを正しく糾弾してくれるフラメンコ界。
早くそれを作らなきゃ。そう思った。
それこそが“思い上がり”だとわかっちゃいたけど、ナマイキ盛りの30歳。
9/7木(その40)
カンフル
[パセオ1985年7月号/表紙はアントニオ・ガデス]
5月号特集に対する6月号の匿名投稿に次いで、この号の読者欄には二つの実名投稿(ひとつは電話番号まで記載)が。
「5月号の企画に異議あり!」の匿名殿へ
異議を唱える自由があるならば、それに見合う義務もある筈です。名乗り出ずに批判まがいの事を行うのは「週刊誌や芸能レポーター」どころか「小学校の教室レベル」以下の行為だとは思いませんか?
読者の広場は、何も感謝やはげましの為だけのものでは無く、自由な意見交換の場であって良いと思います。しかし自分に火の粉がかからないような形で中傷を行うなど卑劣極まり無い行為だとは思いませんか?
編集部が敢えて活字にしたあの中傷文を読んで失望し、それ以上にいやな気分になったのは私だけでしょうか?
「匿名」様よりの善処を期待したいところですが、その程度の常識も、まして良識もお持ち合わせではないでしょうね、多分。
「5月号の特集について」
毎刊出版のご苦労お察し申し上げます。5月号の踊り手とギタリストの“奥歯にモノがはさまった”のではない言い分特集は、いろいろと反響が多いようで再々ご苦労に存じます。小生は企画として、又、実際の言い分を読ませてもらった上でも『可』と思いました。
日本人が関係した歴史も浅く、まだ何から何まで“手造り”“手探り”のジャンルなのですから、試行錯誤も凹凸もあって当然。そんな混然とした中にこそ高まりへ導くマグマがあり、飛躍するエネルギーがあるのだと言えます。
妙に治まってしまっては、去勢された様式のみが残るのみ!!
高尚な芸は素晴らしいが、高尚ぶる芸は悲しい!!
フラメンコにおいてはビギナーながら、三味線一梃で20年余り世を渡ってきた者として、あえて一言申し上げた次第です。
匿名の投稿もありがたかったが、特に後者の実名投稿には正直云って力をもらった。
さて、そんな一方で私はこんな具合(編集後記)だ。
この号が発売になる頃には、我が“パセオ”の第三種郵便の資格審査が出ることになっています。合格すれば本誌の増ページの可能性を開くことになりますし、又パセオを折らずに皆様方もお手元に届けることも可能になるわけです。もし、合格しなかったら………、その時は皆さん、共に泣いて下さい。
9/8金(その41)
風の夢
「なにか手伝わせてもらえませんか」
創刊時代のある日、ドン底パセオを訪ねる深い眼をしたあの娘。
なぜか私には“マッチ売りの少女”のように見えた。
二十年も昔の話だ。
当時のパセオでは交通費さえ出せない有り様だったのに、OLの彼女は、仕事がひけたあとほとんど毎日のように、町田から文京区本郷の編集部に通ってきてパセオの手伝いをした。
それからしばらくして単身スペインに渡り、かの地にて踏ん張りつづけ、やがて志風恭子は、スペインと日本のフラメンコを結ぶ架け橋として開花する。
パセオや一般メディアで執筆者として活躍する一方、大物アーティストの来日コーディネーターとして、私たちフラメンコファンに数え切れないほどの幸福をもたらし続けるフラメンコウーマンとなった。
若い彼女はナマイキだったが、見返りを期待する以前に、自分の人生をスパッと丸ごと賭けた。
後出しジャンケンで勝てるほどフラメンコは甘くないことを、すでに彼女は見抜いていた。
だから「運命の女神の前髪をつかめ!(後ろ髪はないから)」という、やたら冒険と忍耐を強いられる必勝法則を選択したのだろう。
口先ばかりで何の実りも残さずに去ってゆく人も多い世界だけに、志風恭子の存在は否応なく際立つ。
若い人を観るとき、志風のようにハラを決めたがゆえの生意気タイプなのか? それとも何のヴィジョンも持たない単なる偉がりタイプなのか? 情けないことにいまだに私はそれらを識別することができない。
ま、ナマイキなくせに臆病なために、逃げ出したくとも腰が抜けちまって逃げ出すことさえ出来ず、ついつい居残ってしまうというケースもあるからな。………あーそーだよ、おれのことだよ、大当たりだよ。
いったん逃げても、また戻って頑張るというケースもあるし、この手の予想は意外と難しい。
今年に入ってから、その志風を囲んでパセオの仲間とご近所で飲んだ。
昔より若干太ったようだが、ふた皮ぐらいはむけたようで、随分いい女になった。
スペインの大学で“フラメンコ博士”の資格をとるために、仕事のすき間をぬって猛勉強中らしい。
……ふ。相変わらずだ。
一所懸命という月並みすぎる陳腐な戦略。
それが自分にふさわしい幸福を発見する鍵であることを思考でなく本能で感知している。
懐かしすぎる昔話のあい間に、彼女はポツリこうつぶやく。
「OLの仕事がもっと面白かったら、フラメンコに飛び込むことはなかったかもしれない……」
けっ、笑わせるなっ、おめえがOLに治まるタマかよっというホメ言葉を、辛口のうまい冷や酒とともに呑みこむ。
「
しかぜきょうこのこの一枚
」
9/10日(その42)
はっとトリック
ふ。……ま、こんな日もある。
9/12火(その43)
フラメンコウーマン
女性を主人公とする映画はたくさんある。
ヒロインたちはそれぞれに魅力的だ。
ただ、性別を超える普遍的で人間的な共感となると、そこいらを魅せてくれるヒロインにはそう滅多にお目にかかれるものでもない。
が、いるんだな、それが、ココ(↓)に。
マイク・フィギス監督によるドキュメント映画 『
FLAMENCO WOMEN
』 における、エバ・ジェルバブエナとサラ・バラスである。
ズシリとした重力空間の中で、どんな瞬間にもフラメンコ的な真実と存在感を失うことのないエバ。
生彩ゆたかでスタイリッシュ、爽やかな大気に香ばしい詩情を解き放つようなサラ。
異なるふたつの個性は、真正面から向き合って一瞬もひるまない潔さで、フラメンコそして自分自身と対峙する。
困難な試みにチャレンジを続けるその輝くような覇気と超絶技巧。
これぞフラメンコ、これぞ人類共通の憧れ!
その大いなる共感に、生命の根源たる母性と太陽のような女性性がオーバーラップするに至っては、男女差を超える普遍性どころの騒ぎではなくなってる。
彼女たちを「私らとはちがう、天才だから」の一言で片づけてしまうのは簡単だが、あのひたむきで挫けない真剣な練習シーンを観て思い起こすのは、むしろ司馬遼太郎のあの言葉だ。
「何事かを成しとげるのは、その人の才能ではなくて性格である」。
幾つになっても、性格には改善できる余地がある。
………そうでなければ破滅必至の私としては、必死でそうお祈りする。
9/13水(その44)
フライング情報(パセオ10月号その①)
だーれだっ?
[ヒント]
パセオフラメンコ10月号を買って読むと、たぶんわかるでしょう。買わずに読むと、たぶんわからないでしょう。
9/14木(その45)
フライング情報(パセオ10月号その②)
石塚隆充の挑戦
[文と写真:青柳裕久][レイアウト:吉田稔]
「次は珍しい参加者が登場します。でも、カンテを唄うには変わりありません。セビージャ在住、日本から来たタカに、拍手をお願いします」
今年4月末のペーニャ・フラメンカ・デ・エスポテナ(マラガ県エスポテナ市)主催のコンクール予選。
石塚が舞台に現れるだけでどよめきが起こる。
ソレアのサリーダに入ると、会場がようやく静かになった。
最後にはカンテを伴奏するようなハレオを引き出したが、賞賛と驚きの混じりあったざわめきが続いた。
そんな中、審査員と観客が信じられないという顔で、お互いを見合わせる。
「カンテを本格的に唄う外国人」への戸惑いがそのまま会場を包んだ。
悪いな、この先はパセオで読んでくれや。
私たちもみな、それと知らずにタカさんのカンテを初めて聴いたときには、てっきりスペイン人が歌ってるのかと思ったもんだよ。
それにしても、私たち日本人は相撲や柔道でもうすっかり慣れちまったけど、そこらへんの感情ってホント微妙だよな。
9/15金(その46)
フライング情報(パセオ10月号その③)
危うし、濱田塾長!
(画と文:濱田滋郎)
小田急線・柿生にお住まいの、クラシック音楽界屈指の名評論家にして、日本フラメンコ協会会長であられる濱田滋郎塾長は、人気連載「痛快フラメンコ濱田塾」冒頭で、このようにおっしゃられている。
「えーと、皆さん。わたしのふだん使っているオバQ線はですね……」
…………。
こ、これ、みんな何をしている。ず、頭が高いぞっ。ひ、控えおろぉーがあー。
とゆーわけで、絶好調である。破竹の勢いである。
この連載ある限り、フラメンコ界もパセオフラメンコも不滅なのである。
と、ところが、哀しいことに不祥事が発生した。
以下に少しだけバラすが、詳しくは10月号を参照されたい。
(前文略)……
たしか
アリカンテ
の町でした。
バレンシア県下、のんびりした感じの明るく美しい町で、白昼の静けさは、
アリ
の
カンテ
も聞こえるほどでした。まさか。(社長注:ひえぇー)
でも、そんな平和郷で、わたしは空港を出るなり連行されたのです。
うわあっ、濱田塾長の運命やいかに?
待たれる9月20日発売号。
いまその前科が明らかになる!のかっ?
9/16土(その47)
淡きがゆえに
「あまり可愛いもんだから。よかったらこれ」
私たちのテーブルにさらっとジェーの絵を置き、風のように去っていった粋な身なりの老紳士。
洗練されたすばやい振る舞いに、きちんと礼を云う間さえなかった。
「いい絵だね。けっこう凄い絵描きさんかも…」
うれしそうに連れ合いが笑う。
さっぱり絵のわからん私の目にも好ましく映る。
散歩帰りのいつものカフェ。
思いがけない他者とのふれあい。
淡きがゆえに刻まれる記憶。
また少し、この街を好きになった。
9/17日(その48)
決断力
人には二種類ある。
即座に決断できるタイプと、ぐずぐず迷ってようやく決断するタイプだ。
江戸ッ子の私は、断然前者である。
ぐずぐず迷ってようやく決断する人は決まって後悔するタイプだが、私の場合はその逆で、迷わず決断して決まって後悔するタイプだ。
本日更新、
フラメンコ超緩色系
9/18火(その49)
一家離散
わが家は現在、一家離散中である。
これを“危機”と云う。
ありゃ、変換ミスだ。
もといっ。
これを“嬉々”と云う。
ほぼ年に一度のペースで連れ合いはスペインに行く。
毎日帰りの遅い私はジェーの面倒をみることができないので、その間ジェーは、彼の祖父母を自負する杉並の福島さん夫婦んちで暮らすことになる。
かくしてわが家は一年の十日ばかりを、スペイン、渋谷区、杉並区にそれぞれ散らばり、一家離散の憂き目の中を、それぞれ嬉々として自由気ままに暮らすのである。
連れ合いも私も家事は好きな方なので、どちらもひとりで不自由するということはない。
若い頃に知り合いのほうぼうを泊まり歩いた私は、仕事のできる人たちのほとんどが、同時に「炊事・洗濯・掃除」の達人であることを知り、それだけはきちんと出来る人になろうと、一時その習得に身を入れた時期がある。
そのおかげで、家事全般はそこそここなせるようにはなったが、肝心の仕事の方はさっぱりと来たもんで、まったく例外的な人というのはどこにでも居るものだ。
さて、今回の一家離散期間にじっくり聴きたいCDがあった。
この春発売となったゲルギエフ指揮ロンドン響によるセルゲイ・プロコフィエフの交響曲全集である。
[プロコフィエフ/交響曲全集]ワレリー・ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団 ユニバーサル・ミュージック(PHILIPS)2006年(4枚組CD)、と何故かさり気なく置かれたパセオ最新号。
普段はあまりフル・オーケストラを聴かない私だが、それでも年に何度かは無性にそれが聴きたくなる。それは仕事がひと段落して、次のプロジェクトに向かう直前のタイミングであることが多い。
シンフォニーだけは、ヘッドフォンではなくステレオのクリアな大音響で聴きたいので(ライブが一番に決まっているが)、同居人たちの不在はもっけの幸いとなる。
ソビエト共産主義と表面上折り合いつつ、その想像を絶するような屈折をバネに、数々の名作を産み出しつづけたロシアの天才プロコフィエフ(1891~1953年)。
アストル・ピアソラやパコ・デ・ルシアらとともに二十世紀屈指の作曲家だと私は独断したい。
ブチ切れた知性と意表を突く純粋美のメビウスの輪。
空虚なきれい事を一切拒絶したヤケクソ音楽にも聴こえるが、耳に残るのは凄艶なまでに美しい抒情だ。
ヒリつくような現代の孤独を時に鋭く冷笑しながらも、その切実なリアリティは最終的に聴く者を癒やす。
ところで……。
カンテ(歌)ならばディエゴ・カラスコにドゥケンデ、ギターならばフアン・マヌエル・カニサーレス、バイレ(踊り)ならばイスラエル・ガルバン。
彼らのアルテの深淵に、つねりの効いたプロコフィエフ的ユーモアがほんの一瞬光るとき、私の背筋を電気ショックが走り抜ける。
………って、さすがに強引に持ってき過ぎた鴨。
9/20水(その50)
本日発売、10月号!
結論から云うと、10月号も買いだっ!
最近のパセオフラメンコは相当いいんじゃねーのって本気でそう思ってしまう私は、裏表のない純粋なパセオのまわし者である。
[パセオフラメンコ2006年10月号/表紙はアントニオ・ガデス舞踊団]
先日テレビデビューを果たした谷口哲哉編集長に、
「最新号のイチ押しは?」とインタビューすると、
「特集ですかね」とこう返したが、
「全部面白いに決まってるでしょうがあああ」と顔に書いてある。こりゃまた失礼しやした。
さて、『魔法の箱、テアトル』と題されたその特集。
さすがに、タニが胸を張るだけのことはある。
「これらを知ってると知らないじゃ、オヤジとワラジぐらい違う」というぐらいの内容だ。
これから発表会の舞台に上がろうとする練習生が事前に知っておけば大いに助かることから、プロのアーティストも知りたかったこと(裏方情報の入手は難しいのだ)に至るまでが、実にしっかり網羅されている。
保存版にして舞台に出演する半年前にはアマプロ問わず毎度必ず読もーねと、裏表のない純粋なパセオのまわし者としてひと言申し添える次第である。
9/21木(その51)
深淵
ジェーとの散歩コース上にあるご近所の中華屋さん。
“人類の孤独”というテーマに真っ向から対峙する、その深遠なるネーミングには好感が持たれる。
9/22金(その52)
美しい革新
うれしいのは
光を必要としない踊り手に出会ったとき
たとえば、悲しみをイメージした同じ踊りを、2人のダンサーが踊るとします。
一人は、自身では悲しみを表現しきれないから照明で暗い光を使って「悲しみ」をある程度演出してあげる必要がある。
ところが、もうひとりは、ただ夏のようにまぶしい光をぶつけると、彼女の表情が見えて、汗が見えて、複雑な哀歓がより伝わってくる。
このように、ダンサーの力量があればあるだけ、支えの力は必要でなくなってくるものです。
照明は「見せる」はできても「魅せる」ことはできません。
だから自分を光り輝かせるのは、あなた自身だということを伝えたいですね。
照明は、みなさんの輝きを助けるためにあるものだと僕は思っています。
[文:平瀬菜穂子/写真:川崎栄/レイアウト:吉田稔]
滅多に表に出て来てくれない私の大好きな照明家が、パセオフラメンコ誌上で語ってくれた。
これはそのほんのワンシーン。
ひっぱり出して大正解だよっ、エラいぞ編集部!
飲めばとほほなヨタ話がお決まりだから、こんなマジな話は私もはじめて聞いたよ。
こんど爪のアカください。
夏の新人公演の長丁場をブレることないテンションで創りあげる、あのファンタスティックな明かり。
多くの有力アーティストが心底からの信頼を寄せるセンスと技巧、そして人間性。
うるさい評論家たちを唸らせる洗練と完成度。
フラメンコの照明に “美しい革新” をもたらした名匠井上正美。
男純情を地で往くタフガイだが、ふだんはチョーゆるい。
9/24日(その53)
新記録
ジェーと連れ合いとともに、ご近所の代々木公園を闊歩し、公園前の犬caféで皆して朝食にありつく。
そのあと、連れ合いはすぐそばのマイスタジオへ練習に出掛け、ジェーと私はNHK将棋トーナメントを観戦。
と、これが日曜午前のわが家のお約束だ。
だが現在はあいにく一家離散中(あと二日)なので、たまには変わった日曜を過ごそうかと、とりあえず超アサイチで会社に出る。
まずはパソコン(家にはない)で、久々に世界最強(アマ四段以上)の将棋ソフト“ボナンザ”と対戦。
早指し勝負は1勝1敗だったが、実はきゃつの方が断然強い。私の唯一立派な肩書き(日本将棋連盟認定アマ六段)はとうとうコンピューターに敗れたが、コンピューターにはこれほどヘボい文章は書けまい、どーだっ
!
って…………パソコンが困っちゃってるよ。
たまったメールに返事を書いてから、ガッと二時間で平日残務を片付け、そのあと「もうひとつの社長ブログ」の原稿を書く。
一時間たらずで三回の続きものが書けたので、その一回目を今しがた
アップ
した。
おれ的には大ウケなんだが、それが読者評価と一致することはまずない。
おっと、もう一時半だ。 またしばらく休暇が取れそうにないので、今日はこれからお気に入りコースをたっぷり歩きたい。
飲み会つづきだったので晩メシは家で食おう。
仕込みものはパスしたいし……そうだっ、チャンコ鍋にでもすっか!
“神が宿る”とわが家でも評判の入魂メニューだが、買い出し含め一時間で出来上がる。勝負は“だし汁”の取り方に尽きるが、私の決め手はにんにくとトリ皮。
連れ合いの実家が寄こした越乃寒梅で、ひとりチャンコを決めこもう。
てなわけで、今日は記念すべき新記録を達成した。
一年に二回以上も日記らしい日記を書くのは、これが生涯初めての快挙なのである。ばんざ~いってちっともうれしくないが、ま、記録は記録だ。
記念にディエゴ・アマドールでも聴きながら(な、なんで? いや、なんとなく)、大江戸散歩に出掛けよう。
[
ディエゴ・アマドール/プーロの風
]
9/26火(その54)
元パセオ界隈(御茶ノ水)
安藤広重/名所江戸百景より
『昌平橋 聖堂 神田川』(1857年)
その150年後のほぼ同じ場所あたり(2006年)
江戸の昔から、文人墨客にその風雅を愛されたここ“御茶ノ水”界隈。
凉しげに崖下を流れるは神田川。
つまり、ザブンと飛び込み、上流めがけて一心不乱に泳ぎまくれば高田馬場パセオにはほんの90分足らずで到着するわけだが、あいにくまだやったことはない。
御茶ノ水橋から眺める聖橋(ひじりばし)は、東京屈指の名景だと思う。
御茶ノ水という街が昔から好きだった。
中学時代は書店街をねり歩き、高校・大学時代は駅前の名曲喫茶“ウィーン”を根城に楽譜レコードその他を漁りまくった。
二十五、六の時分に、ここらから歩いて十分もかからない“本郷”に最初の事務所を構えたのも(どこも雇ってくれないので)、その好感度が伏線になっているのだろう。
そう云えば、当時の日本ではまったく無名だったパコ・デ・ルシアのレコードを掘り出したのもこの街だったっけ。
[パコ・デ・ルシア/霊感]polygram iberia/1971年
9/27水(その55)
元パセオ界隈(創刊の地)
丸の内線「本郷三丁目」から徒歩30秒。
戦前からの実力派老舗で、遠方からの珈琲マニアでごった返した和田珈琲店の、その二階でパセオは誕生した。
[和田珈琲ビル。二階は8坪位で当初は住居兼用]
創刊号はワープロ出力紙を両面コピーし、縦のホチキスで製本して作った。
B5判わずか16ページで強気の300円。
高い高いと文句を云いながら、2冊づつ買ってくれたオールドファンたちが当時を支えた。ふと気づけば、他界された変人ナイスガイも多い。
[旧・喜之床]
明治の末に石川啄木が、その二階に暮らしたというアライ理髪店(旧・喜之床)はすぐそばにあった。
働けど働けど我が暮らし楽にならざり
じっと手を見る
毎朝その前を通るたんびに、この有名なグチをなぜか明るく口ずさんだ。
9/28木(その56)
元パセオ界隈(東大赤門前)
「パセオはどの辺?」
「東大赤門の斜め前です」
「その赤門はどの辺?」
「パセオの斜め前です」
[東京大学の赤門]
関係者のみなさまと、こんなくだらねえ会話を百ぺんはやった。
返本の山に埋もれて和田珈琲の上を引き払い、倍くらい広いマンションに引っ越した。
家賃を払える根拠がまるで無かったことが、営業成績を伸ばした。
[年に百ぺんは通ったやきとりの“白糸”は今も健在]
9/29金(その57)
元パセオ界隈(湯島天神)
安藤広重/名所江戸百景より
『湯島天神 坂上眺望』(1856年)
その150年後のほぼ同じ場所あたり(2006年)
上野・不忍池を眺める大江戸展望の名所(海抜22メートル)も、今じゃこうだよ。……ま、しゃあねえが。
本郷のパセオから、石川啄木もよく歩いたといわれる切り通し坂(春日通り)を上野・御徒町方面に十分も歩けば湯島天神だった。
資金繰りに詰まると、なぜかここにやってきて一服しては、じっと手を見たりした。蟹でもいれば、ともに泣きぬれて戯れたことだろう。ともかく絶好の癒しスペースではあった。
どうにもならない局面は何度もあったはずだが、いまもこうして無事でいられることを不思議に思う。
それにしてもああした難関をいかに突破したものか?
現在よりもはるかに優秀な当時の私(社会平均をやや下回るレベル)の、その心得なりテクニックなりをメモしておかなかったことが悔やまれてならない。
[雪の湯島天神。この二月に仕事をフケて撮影]
10/20(その72)
本日発売!(その歌声は永遠に)
追悼 フェルナンダ・デ・ウトレーラ
「その歌声は永遠に」
文:志風恭子/写真:高瀬友孝
(以下、志風恭子による追悼文をほんの一部抜粋)
そのソレアは言葉の壁さえ越え、聴く者すべての身体に、心に、大きな哀しみそのものとなって飛び込んでくる。
彼女の声を最初に耳にしたときの、身体が震えるほどの衝撃。戦慄。わけのわからないまま、ただ涙が流れてくる。
そんな思いをしたのは私だけではないだろう。
彼女の歌に出会ってなかったら、今のようにフラメンコと深く関わってはいなかったかもしれない。
********** ********** **********
歌う 男たちのためだけに
その歌の痛みは 姿を変える
過去の痛みに 今の痛みに
誰もが 思いだにしなかった痛みに姿を変えるのだ
そうして
思いがけない愛にも
永遠の 光り輝く愛にも
フェルナンダは未来 そして過去
愛に死なんばかりの
今のヒターナ
(カルロス・レンセーロ「フェルナンダ」1991年)