社長のとりあえずこれ聴いてみ?
エル・シガーラ/ウンデベル(神)
下町的にぶっちゃけたヤケパッチ気味の叫び、ともに身を沈めたくなるようなやるせない哀愁、それでいて骨太で底抜けに明るいアルテ……。
ディエギート・エル・シガーラ(1968年マドリー出身)は、いまやスペイン・フラメンコ界の超大物スターである。
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同じくカマロンを後継するドゥケンデを聴く時などは思わず襟を正してしまうものだが、このエル・シガーラには「いつでも来いや」の気安さがあって、つい一服しながら話し込んでる内に元気が出たりもする。
そのざっくばらんな親しみ感がとてもうれしい。
先年大ヒットを飛ばしたバラード集『ラグリマス・ネグラス』も素晴らしいが、時おり会社で聴くのはこの『ウンデベル』で、特にオープニングのタイトル曲がお気に入りだ。
銀色の翼がはばたくパケーテのギターに乗って、メランコリーに包まれる夜明け近くの街並みをさまようシガーラの歌声には、ちょっとだけホロ苦い大人のファンタジーがある。

『エル・シガーラ/ウンデベル(神)』(EMI/1998年)
このジャケットを見るたびに、あるいはその歌声を聴くたびに想い起こすのは、幼な心にあまりにもカッコ良くて、そしてその雰囲気がまるでエル・シガーラそっくりだったS先輩のことである。
喧嘩が弱くてピーピー泣いてた私だが、なぜか野球だけは達者で、小学二年時分には五、六年生に交じってプレーしたものだ。
時おり町内野球の面倒を見てくれた地元中学の無敵の番長、七級年長の野球部の花形エースS先輩は、特に玉ひろいなどに優れた才能を発揮する私に、何かと目をかけてくれたものだった。
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番長にして野球部のエース。
地元のスターでエル・シガーラそっくりのS先輩は、いつの頃からか、私たちの前にその勇姿を見せることはなくなっていた。
消息を偶然耳にしたのはその六年後である。
それは中学のクラスメートである野球部員が、日曜日にコーチにやってくるOBから仕入れてきたウワサだった。
関西の高校に野球で引き抜かれたS先輩は、その後レギュラーになることなく中退し、極道の道に入った、と。
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さて、それからさらに三十年後の話である。
めったに集まらない哲学科の同窓連中との飲み会帰りの外苑東通り。
宴会の最中からフラメンコに対する悪口をさんざ毒づきながら私を挑発してくるその現代音楽マニアの塾講師に、意外にも私はぶち切れてしまったのであった。
「よし、そこまで云うなら四の五の云わねえ。ボコボコにしてやろうじゃねえか」
エッ? とても私とは思えない重低音系のつぶやき。
挑発に乗るその刹那、なんと!この私には、あの無敵の番長S先輩のケンカ魂が乗り移っていたのである。
その超常現象の種明かしはこうだ。
普段なら軽く流すはずの私が挑発に乗った理由は実に明快で、そのころ毎日のように聴いてたシガーラ『ウンデベル』にみなぎる覇気と、S先輩をホウフツとさせるそのジャケットのイメージが突如として脳裏に飛来し、このノミの心臓に火をつけたからである。
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「魂が乗り移ることはあっても、
技術までは乗り移ってくれない」
(2084年執筆予定の拙著『よゐ子のためのフラメンコ入門』第三章「フラメンコの法則」より)
あわてて止めに入ろうとする他の連中のどよめきをよそに、すでに格闘技に大忙しの私は、この法則の正統性を心身ともに噛みしめていた。
「せんぱーい、何でこんな時に魂だけ乗り移るんすかあ?」
忙中閑あり。
敵(柔道二段)にボコボコにされながらも、そう問いかけるこの私(将棋六段)に、「ワリぃ、ワリぃ」とあの人懐こい笑顔を私の脳裏に浮かべる、無敵のシガーラことS先輩であった。

『エル・シガーラ/PICASSO EN MIS OJOS』(BMG/2005年)
ぶっちゃけ感★★★★★
哀愁度★★★★★
骨太性★★★★★
(しゃちょ)