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社長室/2008年

社長室/2008年


1/19土(その248)

★不敗伝説





 運がいいとかー悪いとかー
 そーゆーことってー確かにあーるとー
 あなたを見ててーそお思うー




無縁坂.JPG



 さだまさし歌うところのこの『無縁坂』は、残り少ないカラオケ・レパートリーのひとつである。
 文京区に実在するこの無縁坂は、偉大なる森鴎外自身、そして傑作『雁』の主人公の散歩コースでもあり、びんぼーパセオの本郷時代、お気に入りのこの坂をよく歩いた。
 坂下には「忍ぶ忍ばず」上野・不忍池の絶景が広がり、激務と失意に明け暮れる当時の私は、雁といっしょによくこの池で泳いだものだ(うそ)。



不忍池(1).JPG



 “運”というのは確かにあるなと、私もそう思う。
 人生ほとんど実力通りと云い切ることも可能だが、もう一方で、生い立ちなんぞを筆頭にほとんど運じゃねえかとも云えてしまうところに、この議論を楽しくさせる理由がある。
 若き日の一時期、身の程知らずにも勝負の世界に暮らしていた私は、いまでも“運”については敏感である。
 自分は運が悪いなどと嘆く人は多いが、それは運の性格を正しく把握していないためだと思う。

 運はほぼ平等に与えられるものであること。
 それをつかむか、つかまぬかは好みの問題に委ねられていること。
 運を育てる方法は確かにあること。
 ……などなど、運の性格について、犬やゴキブリや人は充分に理解を深めておく必要がある。

 にも関わらず、私の人生戦歴が3勝997敗であるという事実は私自身を驚愕させる。
 どこでまちがったのか?………たぶん私は運が悪いのだろう。
 もうひとつにはおそらく、「運よりも直感に頼って生きたい」傲慢タイプの人間だからかもしれない。
 つまり私は、自分の瞬時の判断に大きな過信を持っているのだ。
 これまでも人生を左右するような重大な決断は迷わず三秒以内に下してきた。
 これこそがゴキブリや私がコンピューターに優る最大の豊かさなのだ!という大きな納得を胸に。


 その堂々たる確信の目映いばかりの成果はたまたま“千三つ”であったが、これは「運に対する私の研究」それ自体に運がなかったためかもしれない。
 そんなわけで、私が買った馬を外して馬券を買えば必ず当たるという不敗伝説は、三十年以上を経過した今現在もクラス会の酒席を盛り上げつづけている。









1/25金(その249)

人格者の条件





 昭和46年の昔から、フラメンコギターのパコ・デ・ルシアは私にとっての“神”で在り続けている。

 また一方で、平成8年の昔から、御茶ノ水女子大の土屋賢二教授は私にとっての“仏”で在り続けている。
 ある時、その仏さまはこう定義された。


  ハゲ = 毛根に大らかさのある人
  チビ = 垂直方向に謙虚さのある人
  デブ = 水平方向に積極性のある人


 私という人が、大らかで、謙虚で、積極性のある人だとゆーことに、その時はじめて私は気付いた。
 私の神さまが大らかなのも、おそらく同様の理由によるものだろう。




「神と仏②」わが家の神棚と仏壇.JPG

 【※写真はわが家の神棚と仏壇(パコ・デ・ツチヤ風)】










1/28月(その250)

棒に当たった




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 FLAMENCO曽根崎心中でもおなじみの宇崎竜童さんが総合プロデューサーを務める、昨夜のお茶の水JAZZ祭。

 名だたるジャズ系ソリストたちが大集結するスーパー・ビッグバンド。
 一方にはわれらが鍵田真由美・佐藤浩希率いるアルテ・イ・ソレラ。
 水と油の結果がアタボーなこの積極果敢なコラボは、いってえどんなことになったのか?

 はらはらドキドキ見守る興奮のドツボの中、ジャズ寄りの土俵で展開するフェスティバル大トリの最終ナンバー。
 一糸乱れぬ強烈・濃厚なビッグバンドの巨大なサウンドに、まったく位負けすることなく毅然と立ち向かうわれらがフラメンコ。
 余裕をもって溶け合いながらも、堂々と自己主張し合うバトルは圧巻だったと云ってよい。
 満席の大ホールのほとんどは目耳の肥えたJAZZファンだと思うが、鍵田・佐藤らが魅せたフラメンコが大きなインパクトをうならせながら彼らの心にダイレクトに到達する様子を、あちこち見回しながら私は確認した。

 ほっと胸をなでおろすというより、この場に立ち会えたことを光栄に思った。
 この先こんなレベル同士の豪華コラボにお目にかかれる保証はどこにもねーしな。
 この日の午後は家でゆっくり過ごす予定だったが、ひきこもってるよーじゃ、やはり運はつかめない。犬も歩けば棒に当たるのであった。
 フェスティバル特有のご愛嬌とも云うべき内容のない長いトークには閉口させられたが、それによって、同じく内容がないのにやたらと長い私の文に閉口させられる人たちの切ない心情が少しだけわかったことも収穫だ。(TT)

 で、あいかわらず矢野のよっちゃんもカッコよかったなあ。


 それにしても……
 ジャズカルテットをバックに自作「山口百恵のイミテーション・ゴールド」に挑んだ62歳男性(←宇崎竜童さん)のアイレびんびんの熱唱には、その音程はともかくも、フラメンコで云う○○○○○みてーのが降りてたな。




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2/3日(その251)

白い一日





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 カーテンを開く瞬間の雪の朝のよろこびは、タブラオの扉を開けカンテ・ギター・パルマが飛びこんでくる刹那に似ている。



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 「春もそう遠くないな」。
 そうつぶやいた途端の積雪である。
 私の説の逆を行けば必ず当たる、という伝説は今日も不滅だ。



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 昨日からうっすら風邪気味なのだが、仕事や風邪は明日でもできる。
 女心と雪の空、と云うではないか、云わねーよ。
 ま、しかし、今日は今日とて今日しか出来ないことをしようではないか。



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 とにかく江戸っ子は理屈ぬきで雪が好きだ。
 NHK将棋トーナメントで天才羽生がまさかの大逆転で異才長沼に負かされるのを横目に、連れ合いのリクエストに応える特製鬼才カレーの仕込みを終え、積雪用耐寒タイツ、特殊戦闘用ブーツ(ふつーのももひきと長靴 。TT)という完全装備でさっそうと雪野原へと繰りだす。
 水を得た魚と云うか、雪を得た豚とゆーかは微妙だ。



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 ゆらりハナミズにさすがに遠出はあきらめ、雪化粧にときめくわが家の庭(巷では代々木公園、明治神宮などと呼ばれている)をゆっくりじっくり散歩する。
 今月末にトマティートやホセ・マジャとともにやってくるドランテのピアノフラメンコを耳に、冬の醍醐味を味わい尽くそうとする52歳・男の哀愁とささやかな幸福。



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 遠い昔の、雪の日の想い出が走馬灯のようによみがえる。
 そのほとんどは想い出すのも恥ずかしい悲惨な記憶ばかりだが、いまとなってはそのポジティブな失敗の山々に好感さえ持てるぐらいですってほんとかよっ。

 センチメンタルな風情に、何の脈絡もなく脳裏をかすめる陽水の一節。



   ある日、踏み切りのむこうに君がいて
   通りすぎる汽車を待つ




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2/6水(その252)

愛のあるところ




 私の出くわすトラブルやアクシデントというのは、
原因をたどってゆくと、真犯人は………






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2/7木(その253)

脱走





 まいど土日を休めるショーバイではないが、四季折々の花を愛でるひと時もないでは生きてる甲斐もない。

 朝も早よからガーッと仕事をかたづけ、これから待望の梅見じゃあ。



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 梅の香りに酔いつつ、まんまフラメンコの先達戦友が集結する高円寺エスペランサ木曜会に直行予定。









2/14木(その254)

涙のバレンタイン





 私のバッグにはまだ若干の余裕があるぞ。(TT)






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2/16土(その255)

スーパー・フラメンコ





 「タイトルどうですかね? あくまで仮なんすよ、これ」
 「あ、そーなの」
 「何かいいタイトル付けてもらえませんか?」
 「んー、でもこれいーかも」
 「適当につけただけなんですけど」
 「でもほんとに“スーパー”だしなあ。まんま行っちゃお」



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 命知らずのハイリスク&ハイクオリティなコンサート主催で、コアな音楽ファンの絶大な信頼を獲得している“すみだトリフォニー”。
 その担当プロデューサーとこんなやりとりをしたのは昨年夏ころだったか。
 家族や社員や呑み仲間に私のアドバイスを求めようとする謙虚な人間は一人もいないが、私の真の実力を知らない方々はおおむね私のアドバイスに忠実である。最初の一回だけは。(TT)



 トリフォニーホールは、私の青春の故郷とも云うべき錦糸町にある。
 都電車庫に江東デパートに楽天地、場外馬券所にパチンコにディスコ、キャバレーにラブホに赤提灯……。
 あの素敵にただれた想い出は戻らないが、錦糸町は夢のようなフラメンコに出逢える街になった。

 今週土曜はいよいよ、トマティート(ギター)とドランテ(ピアノフラメンコ)の“スーパー・フラメンコ”。
 待ちに待ったというか、以前パセオでクローズアップした若手実力者ホセ・マジャの踊りにも、明日はいよいよご対面である。うっきー!


 つーことで本日夕方より、売れ行き絶好調DVDスーパーカスタネットの打ち上げ。



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2/20水(その256)

★スーパー・フラメンコ+新日本フィル





 5月19日すみだトリフォニー「トマティート&ドランテ第二夜/+新日本フィル」。

 トマティートは独奏に近いほど“フラメンコ”を発揮し、ドランテは編成が大きくなるほど“音楽”を発揮した。前者は日本初演、後者は世界初演。
 どちらも一流オケに位負けしない“スーパー”の看板に偽りなしの貫禄を示したが、特にドランテと新日本フィルの見事なアンサンブルはたまげるほどの大収穫だったな。

 限りなく透明に近いヴァイオレットの響き。
 染み入る抒情と揺るがぬコンパス。
 ほとんどが何百回もCDで聴いた音楽だが、ライブはやはり別物だ。
 美と癒しを伴いながら、じんわり加速するライブならではの音楽的快感。
 オケと溶け合いながら、大胆かつ緻密に音楽全体を構成する現場的感性が何よりすばらしい。
 生聴き四度目となるドランテだが、彼は明らかに進化(深化か)していた。



 ホセ・マジャが踊った初日の満席状態に比べ、客席は范文雀、つまり50%未満の入りだった。
 フラメンコの顔見知りはちらほら見かけるのみで、かわりに多くの懐かしい音楽関係者たちと顔を合わせた。
 「フラメンコの歴史的瞬間だというのに、フラメンコの人たちは無関心なんだね」
 ビセンテ・アミーゴのフラメンコギター協奏曲初演の時と同じことを口々に云われちまった。
 フラメンコの人たちは音楽を愛さないと、古くからの音楽仲間に刺され続けて25年。
 そんな冷笑には慣れてるつもりだが、今回はちとこたえた。
 要するに、これからだ……と思うことにした。




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3/27木(その257)

淡き華





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 どーよ、これ。
 パセオから歩いて十数分。
 あなたはもう忘れたかしらの神田川は芭蕉庵あたり。


 本日つい先ほどの絶景でんがな。
 仕事してる場合かあああああ!!!!!
 と叫んどるよーでは経営黒字は出ない。


 ま、しかし、黒字にもいろいろあるでな。



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      されど舞う 散るを恐れぬ あれぐりあ









3/28金(その258)

桜の哀しみにソレアを感じる場合





 天気がいいうちに、今日もひとまわり桜三昧。
 昨日のブログにずいぶん飛んでもらったみたいなので、調子こいてその前編




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4/14月(その259)

★我が良きあんたらよ





「まったくの偶然」.JPG




 金や才能がなくともその分がんばりゃ何とかならーなとアタリをつけ、ならば好きなことで暮らしてゆこーと決めたのが十代後半。
 もろもろ見極めたつもりになって、そのとーり走っちゃった二十代。
 見極めそのものの誤りに気づいたものの、もう止まんなくなっちゃった三十代。
 強く反省しながらも、やりたい放題に拍車のかかっちゃった四十代。
 深く反省しながらも、やりたいこと以外はな~んも出来んことが判明しつつある五十代。
 ま、まさか?と気づくも三十年ばかり遅すぎ。あとのフィエスタ。

 バカは死ななきゃ治らないという法則がミョーにこの身に染みるのは、今日というこの日が、残り少ない人生の最初の日であるのと同時に53回目の誕生日だからだろう。


 「人間万事塞翁が馬」は世の実相であり、そのつど変化を経ながらも長いスパンにおいては結局、人はそのヴィジョン通りに暮らし、そういう人となる。
 宗教・思想・倫理などに好意を抱いた若かりし私が、それら先方さんから好意を持たれたことは残念ながら一度もない。
 そういう意味で宗教・思想・倫理は賢い美人によく似てるが、私に道徳を求めることはゴキブリに飛ぶなとお願いするぐらいに空しいことだと思う。

 青春時代の価値基準の優先順位は“真善美”もしくは“根性”だったが、いつの頃からかその一番手は“ユーモア”に変化している。
 これはどこにも就職できなかった奴が出版社などをデッチ上げ俺は社長だと開き直るような変化によく似てるが、この件については他言無用に願いたい。

 さて、ユーモアはアートの一部だと思っていたのに、いまではその逆だと感ずることも多い。
 生命力の果てた既成概念を破壊し豊かさの本質に迫ろうとするユーモアの、その機能性の高さと表現ジャンルの多様性には今さらながら感嘆せざるを得ない。
 古くは聖徳太子から現代の関川夏央や土屋賢二に至るまで、意外にもわれら日本はユーモアの宝庫であることにも気づかされる。
 しかしながら、そうした私の心境の変化がいわゆる単なる老化現象だとハタと気づくのには今しばらくの時間を要するであろうと、私自身は分析推測している。


 それはさておき、連戦連敗・悪戦苦闘の境遇ながらも、そのよーな私にあまりある幸いをもたらす愛しき仲間や友や犬や同居人などよ。
 そして、不肖の子孫に目をそむける、おそらく代々ビンボーだったであろう御先祖さまよ。
 さらに、佳き時代に生まれた幸運、すぎゆく愛しき日々などよ。
 年にいっぺんだけれども、不肖このわたくし、ユーモア豊かなあんたらに心からの感謝を捧げたい。




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4/17木(その260)

つかむコンパス




パコ/魂.jpg




 むぎゅう。


 つかんで嬉しいのは“コンパス”だけではない。

 はじめてつかむ綺麗な姐さんの両のおっぱい。
 勤労の見返りはこんなにも大きいのかっ!
 意外にも世の中は楽しく、ちょろいかもしれない。


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 将棋のプロテストに失格後、昼間はそこそこ高校にも通う当時16、7歳の私が、文京区は小石川にある景気の良さそうな製本会社で堅気のアルバイトに励んだ時期がある。
 電話帳の製本という実に単調な作業だったが、それでもいかにキレイに、いかに素早くこなすかというテーマを発見してからは、それなりに楽しくやってた。

 褒められたくてそうした訳ではないが、そんな仕事のやり方がそこの社長の目にとまったみたいで、毎週土曜の仕事がひけたあと、幹部連中と共にくり出す盛り場遊びのお仲間に加えてもらった。
 37年前の国鉄・大塚駅あたりの、1軒目はそこそこの割烹で、2軒目がちょいヤバのキャバレーというのがお決まりのコースだった。
 何せ高1のガキである。今じゃそうもいかねえだろし、随分とのどかな時代でもあったわけだ。
 勘定はすべて社長持ち。時給230円で働く少年にとっては夢のような豪遊である。


 「ほれ遠慮すんな勤労学生、ハタラキもんの特権じゃあ」

 気さくな先輩たちの温かいアドバイスに、こーゆー状況下ではとっても素直な私が、じゃあひとつすんません、と遠慮なくそのお宝をつかませていただいたのが冒頭のシーンだ。
 「この子ロコツぅー」とバカ笑いする、その奥村ちよ似な姐さんの鼻血の出そーなセクシーバディを全身全霊で受けとめたあの歓喜の瞬間を、昨日のことのように思い出す。
 恥ずかしながら男の場合、こうした出来事はとっても大きな人生上のモチベーションになり得る。

 まるでパブロフの犬のように、その後の私が、どんな仕事でもとりあえずしっかりやっときゃ、きっとその内いー事あるだろーという具合の人生コンパスを、いとも安易に刷り込まれちまったのは無理もない話だろう。
 スケベであることに比例して多少のことではメゲない性格は、どうやら十代中盤のこの時期に思いきり形成されたらしい。
 そしてまさしくこの時期に、私はパコ・デ・ルシアに出逢うのだった。


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 当時推測したほど世の中はちょろくなかったが、楽しさの点において、渡る世間は予想以上だったかもしれない。
 ごく稀に、まじめなんですねと云われれば、原点が原点だけに今でも心で赤面する。
 で、そんな奴あ俺ぐれえのもんだろと思いきや、歳を食って周囲を見渡せば、お仲間さんたちはみな似たり寄ったりの風情でもある。

 まぢでけな気ではあるんだが情けないこと甚だしい、ペーソスだけは100点満点と云えそーな、ある“勤勉”の真実。
 如何にもっともらしく構えたところで、結局は女の手のひらで転がってるだけの男たちの実相は、哀しくもあるのだが、ちょお笑えるところに若干の救いがあるだろう。




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5/1木(その261)

ある春の詩





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 ある春の午後。

 あれこれ懐かしい想いに浸るひととき。

 ふと口ずさむあの詩。









     みっちゃんみちみち うんこたれてえ

     紙がないから 手で拭いてえ

     もったいないから ナメちゃったあ

                   (作者不詳)








   作者不肖 ではないかと私は思う。







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5/2金(その262)

ポル・ソレア





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 アリのように働き
 キリギリスのように遊ぶことで
 アスへの活力は生まれる。

 しかし人生はままならない。
 キリギリスのように働き、アリのように遊ぶ私。



 何かがタラント思う。
 あるいは日常に“詩”が欠如しているのか。




 詩を感じるならギリシャものね、と彼女が歌う。

 シギリシャ、と云いたいのかもしれない。
 だいたいからして単語がわからん。



 私がぱくつくコシ餡とみたらしを欲しがるジェー。

 ワン団子で吠えるバ
 おそらくそんな意図だろう。



 ソレアないなと私はつぶやく。



                    (作者不肖)





 ※mixiやってる人はこちら










5/10土(その263)

マリア・パヘスを語れる人





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 きのうマリア・パヘス「セルフ・ポートレート」を観てきた。
 今日は小島章司「越境者」を観て、明日またマリパヘ「セビージャ」を観る。
 こんな信じがたい幸運が当たり前のショーバイだから、滅多なことでは止められんのだと思う。

 さて、まだお会いしたことはないが、私が敬愛する才能の持主“とんがりやま”さん(←たぶん本名ではない)が、マリア・パヘス兵庫公演のレビュー(↓)をご自身のブログに書いておられる。


 http://www.tongariyama.jp/weblog/2008/05/22008_1203.html#more


 なんという、的確にして、愛と誠に充ちたレビューなんだろう。
 ただうれしく読ませてもらいながらも、いろんな意味で私は赤面した。
 本当の意味で「マリア・パヘスを語れる」人は少ないが、とんがりやまのそれは間違いなくマイベストだ。









5/14水(その264)

★マリア・パヘスの自画像





 前回にひき続き、人のふんどしで相撲をとる(←ドヒョー)の第二弾。

       『マリア・パヘスの自画像』 by とんがりやま




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5/19月(その265)

ギャンブル





 こう見えても私は元勝負師である。

 高校・大学を出れたのはその経済的成果に負うところが大きいが、学力が実質的に中卒止まりであるのも同じくそれに拠るところが大きい。
 だから随分昔の事とはいえ、“勝負”というものについてはそれなりの心得があるつもりだ。



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 もしあなたが私の教えに忠実に人生を勝負するつもりなら、1000回する勝負のうち、確実に3回は勝つことができるだろう。
 現にこの私がそうだったのだから、これはかなり堅実な数字と云える。

 「実力に比べりゃ勝ち過ぎだろう」
 「いや、単なるマグレだ」
 というのが私に対する周囲の評判だが、そんな誹謗中傷に挫ける私ではないし、また、当たってるだけに言い訳は難しい気がする。
 ただし、私の教えの逆を行けば1000回のうち997回は勝てるのだから、やはり私は占い師かなんかを志す方が無難なのかもしれんとも思う。


 そんなこんなで、この三十年あまりはいわゆるギャンブルとは無縁の生活を送っている。
 ギャンブル自体を嫌いなわけのない私だが、それでもやらない理由は大きく二つある。
 ひとつには、負けるとわかってる勝負に興味が持てないということ。
 そう、同じ勝負師でも私は弱いタイプの勝負師なのだ。

 もうひとつは、創刊当初ハイリスク・ノーリターンもしくはノータリンと正確に酷評された私の職業の宿命たる、そのギャンブル性の高さである。
 実際には途切れることのない地道な作業の連続なのだが、こうした業種ゆえ毎日がギャンブルみたいなもので、とてもじゃないが競馬・パチンコ・麻雀・カードなどの優雅な賭け事に金や気持ちを注ぎ込む余裕もないのが実情なのである。

 ただ、どちらもギャンブルであることに変わりはなく(では、恋愛や結婚はどう位置する?)、異なるのは達成感の質くらいのものだろう。
 いや、「負けたら負けたで仕方ねえ」とつぶやく心情の色合いもビミョーに異なるかもしれんな。


 さて一方で、若き日の私が、幸運なことに一定の労働に対して安定した報酬を得るような仕事をもしもゲット出来てた場合、そうした安定の反動から不幸なことにギャンブルで身を持ち崩していた可能性は約100%であろうと推測できる。

 さあ、してみると、「出版」「自営業」「フラメンコ」という、各々いかにも危なげなキーワードを組み合わせた仕事に結果的に導かれたことは、20代の私が将来の私を案じたがゆえの、数十年先を読み切ったしたたかな長期戦略の成果だった可能性がある。

 ううむ、だとすれば恐るべし若き日の私よ、君にそのよーなすばらしい先見性があったとは!
 いまの私としては、君にそんな可能性や先見性はまったくなかった方に迷わず全財産を賭けて、スッテンテンになる直前の君から有り金すべて巻きあげてやりたいところだ。











5/20火(その266)

★楽しいバッハ歴





 キリストさまによる「西暦」は世界共通なのでとても便利だ。
 ただ、音楽全般を時間的に俯瞰しながら感じたい時などに、多少の不便を感じることもある。
 そんなことを想ったある土曜日、代々木公園のドッグランにジェーを遊ばせながら、この問題を一挙に解決する“バッハ歴”なるものを私は思いついたのだった。



          「三度のバッハ」.jpg



 それ以前の音楽を集大成し、それ以降のあらゆる芸術ジャンルにいまも確固たる影響を与え続ける大バッハ。
 超天才インプロヴァイザー(即興演奏家)だったバッハは、少年時代から最も親しくなじんだ作曲家だ。
 そして、インターナショナルな音楽の多くがそうであるように、現代フラメンコもまた(多くはジャズ経由など間接的であるにせよ)バッハから大きな恩恵を蒙っている。

 そのバッハの生まれ年、つまり「西暦1685年=バッハ歴ゼロ年」とすることで、他の大好きな作曲家との時間的な距離間隔を眺めやすくしよう、感じやすくしようとするのがここでの私の意図である。
 で、試しに、私の暮らしを日常的に豊かにしてくれる最近の作曲家マイベスト20を、そこに当てはめてみたのが以下のラインナップだ。
 もちろん、そのほとんどは当時の革新的前衛作家たちである。

 ――――――――――――――――――――――――――――――

☆バッハ生誕以前を(BB=ビフォー・バッハ)で表示

(BB122年)ジョン・ダウランド(イギリス)
(BB032年)アルカンジェロ・コレルリ(イタリア)
(BB017年)フランソワ・クープラン(フランス)
(BB007年)アントニオ・ヴィヴァルディ(イタリア)

(AB000年)ヨハン・セバスティアン・バッハ

☆バッハ生誕以降を(AB=アフター・バッハ)で表示

(AB071年)アマデウス・モーツァルト(オーストリア)
(AB085年)ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーベン(ドイツ)
(AB148年)ヨハネス・ブラームス(ドイツ)
(AB155年)ピョートル・チャイコフスキー(ロシア)
(AB167年)フランシスコ・タレガ(スペイン)
(AB191年)マヌエル・デ・ファリャ(スペイン)
(AB194年)滝廉太郎(日本)
(AB201年)山田耕筰(日本)
(AB206年)セルゲイ・プロコフィエフ(ロシア)
(AB217年)ウィリアム・ウォルトン(イギリス)
(AB236年)アストル・ピアソラ(アルゼンチン)
(AB247年)フランシス・レイ(フランス)
(AB260年)キース・ジャレット(アメリカ)
(AB262年)パコ・デ・ルシア(スペイン)
(AB270年)関係ねーけど(日本)
(AB280年)マイテ・マルティン(スペイン)

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 実際にやってみると、これがチョー面白え。
 バッハという絶対値(0)を軸に、他の好きな作曲家たちを生誕年(±何年)で眺める。
 バッハと各作曲家の時間的距離、また各作曲家同士のそれが実につかみやすくなってる。
 モーツァルトにとってバッハは祖父の年代だったとか、ベートーベンにとっては曽祖父みてえだったとかが一目瞭然となるのだ。

 これによって、自分の好みに対する分析がしやすくなったし、まだ本格的には聴いてない気になる作曲家に効率よくアプローチする便利も生じた。
 音楽を米の飯のように愛する私にとって、この俯瞰方法は歴史的快挙と云っていいだろう。
 それがどーしたというブーイングの嵐が聞こえてくるようだが、それがどーした。

 例えば、春のうらら隅田川の「花」、春高楼の「荒城の月」、はっこねっの山は天下の嶮の「箱根八里」、などで有名な滝廉太郎。
 同胞の中で私が最も好きな作曲家で、明治時代に22歳の若さでドイツに国費音楽留学したお方だ。
 バッハ歴194年生まれとなる彼は、留学先の本場ドイツで当然、バッハの薫陶を多く得たことだろう(嗚呼、その二年後に他界とは……)。
 で、タキレンの三年前にフラメンコでもお馴染みのファリャが生まれていたことも今回初めて認識した。
 知的興奮を求めて時おり発作的に聴くプロコフィエフがAB206年生まれで、タキレンよりひとまわりも若かったんだなどと、どーでもいいことに感動を覚えたりもする。



 BB(バッハ前)122年から、AB(バッハ後)280年まで。
 音楽好きを称したところで、たかだかこの400年ばかりの音楽しか聴いてない自分にも気づいた。
 それにしても、(それ以前の先人の功績を忘れてはならねえけども)わずか400年にして、この圧倒的にして絢爛豪華永々無窮な実りを成し得た事実を、いったいどう讃えたらよいものだろう?!
 棲んでる星まで壊しちゃう勢いの、最近何かと問題を起こすことの多い人類全般だが、こうした側面を眺める限り、やはり人類は偉大な宇宙人なのだな、という感慨に捉われざるを得ない。

 人は誰しも厭世的になる性分を持つが、地域や民族や時を超えて、全人間を肯定的に捉えられる瞬間が、私個人のケースで云えば、こうした音楽にひたすら浸り、生きる悦びをひたすら感じる瞬間なのだな、とつくづく想う。
 極端に云って神は、セックスして子孫を残せという本能のみを私らに与えた。
 このセックス好きな地球人がここまでアートやんのかいっ、アーッとドン引きしながらボケる神の姿をときおりイメージする私に宗教を信じる資格はない。



        「月とスッポン」パコ・デ・ルシア/熱風.jpg



 で、ま、そんな調子でなるほどフンフンと悦に入りながらこの表を眺めていると、突然あることを私は発見した。
 まずは、AB260年に即興ピアノで名高いキース・ジャレットが生まれ、その20年後のAB280年にフラメンコのあのマイテ・マルティンが生まれた点。
 さらに、その丁度まん中のAB270年に私ことパセオあほ社長が生まれてる点に注目してほしい。ただし、その8年前にパコ・デ・ルシアが生まれていることには特に触れない。

 さて、これら事実を並べて注意深く検証すると、ある衝撃の真実が浮かび上がってくる。
 音楽に詳しい読者ならば、もうとっくにお気づきかもしれない。

AB260年(キース・ジャレット)
AB270年(私)
AB280年(マイテ・マルティン)

 そう。
 そこには別にこれと云った何の法則も因果関係もなく、ちょうどキリのいい数字だったね、よかったね、という実にサバサバした結論が残っただけである。……(TT)




 さ、気を取り直したところで、どなたか。
 バイレをカルメン・アマージャ、
 カンテをマヌエル・トーレ、
 フラメンコギターをラモン・モントージャあたりで、
 それぞれ何とか元年にして、こんな風に楽しんでみるのはいかがか?って誰がやんだよまったく。




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6/8日(その268)

紫ソレア





明治神宮/菖蒲①.JPG



 逢うことの 叶わぬ夢の 彼方より

 降りしまぼろし 紫ソレア







        【サルでもわかる作品解説】

 毎年恒例、明治神宮の花菖蒲鑑賞会(第28回/発足当初より会員は私1名)にて詠む。
 「ソレア」とは“フラメンコの母”とも称されるフラメンコの代表的曲種のことだが、決して布羅綿子という娘さんの母親ではないことを憶えておいて損はない。

 で、この句の季語はもつろん「ソレア」で夏。
 雨の多い六月あたりに、音楽としてのソレアに親しむことの多い私が勝手に季語化したものだが何か。
 美しいむらさき菖蒲にソレアを連想するところに、この作者の歌人としての傑出したセンスを感じるのは私だけだと云っても過言ではないだろう。


 薄幸孤独なアイレを帯び、紫色のよく似合う、
 青春を共にした、いまはなき佳人への即興オマージュ。










6/20金(その269)

★祝200回記念インタビュー





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  (Q)とうとう祝200回目ですね。
おめでとうございます。

 や、ありがとう。
 でも、269回目なんだよね、今日で。
 なんか不安だなあ。フアン・デ・フアンだなあ。
 キミあんまり読んでないでしょ、このブログ。

(Q)いえ、ほとんど読んでます。
少なくとも三つぐらいは。

 あ、あのなあ、インタビューしたいのか、ボケかましたいのか、そこらへんをチョー明確にしてほしーのだが。

(Q)もちろん、チョー絶賛インタビューです。
これからだんだんとホメますからご安心ください。
ところで、パセオの社長がこんなまぬけなブログを書いて、会社の評判や業績に悪影響はないのですか?

 うなぎのぼりですね、、、赤字の額が。
 もともと就職試験にどこにも受からないのでヤケクソで作った会社ですから、そこんちの社長が何しでかそーと、ヒョーバンもギョーセキもへったくれもねーわけです。

(Q)えええー、全部落っこちちゃったんですかあ?

 えーそーですとも。
 将棋のプロテストも公務員試験もレコード会社も出版社も、そのほか二流企業も三流会社もみんなみんな仲良く落ちましたとも。

(Q)ついでに毛髪も落ちたというわけですね。
なるほど、さすがに一貫性がありますわ。
それで25歳で独立、今年は社長業28周年ですね。
これまでに、大きな後悔みたいなのは何百ぐらいありますか?

 なんだよ、その何百って決めつけわあ。
 あのなあ、自慢ですけど、これっぽっちも後悔はねーでがす。

(Q)おお、さすがは江戸っ子ですねえ。

 おお、三代目の江戸っ子よお。しかも 親父が 神田の生まれよっ!

(Q)しかし、3勝997敗という人生戦績でよくぞここまでご無事でしたね。

 まっ、なまじウマくいくと、すぐに調子こく性格なんで、
 これぐれーでちょうどよかったんだね。
 逆に別の生き方してたら、今ごろ命はねー可能性が高えしな。

(Q)座右の銘は「人間万事塞翁が馬」だとか。

 そっ。世の中は万事塞翁が馬なんだから、くよくよ後悔する必要なんてまったくねーわけ。
 いまこの瞬間とその積み重ねだけが肝心で、やり直しはどこからでもアントニオ・可デス。

(Q)なんかよくわかりませんけど、ご立派です。
ところで、ご自分の長所をどう分析されますか?

 …………。

(Q)どうなされました?

 た、たくさん有りすぎて思い出せないが、
 おっ、そ、そーだ、私の最大の長所は“直観”だと思う。
 重要な決断はだいたい三秒で決めた。
 結果はともかく、その決断の速さは誰にも負けないつもりだ。

(Q)結果からすると、決断力には優れているけれども、
計画性や人間性やルックスなどに大きな問題があったということですね。

 …………。

(Q)よ、よくわかりました。
質問を変えましょうね。
では、ご自分の短所をどう分析されますか?

 ないです。

(Q)…………。

 短所ありません。
 長所のかたまりです。
 ずばり、カンペキが服着て歩いてる感じでしょー。

(Q)あ、あの、お気はたしかですか?

 お気がたしかなら、パセオ社長なんかやってるわけねーでしょーがあ。




                 (つづく)  とは思えん。





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6/30月(その270)

“バル de ぱせお”の投稿募集





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 ウェブ(当欄やmixiトピ)+紙メディア(月刊パセオフラメンコ)の連携のよる新型読者ページ(バル de ぱせお)の制作プロジェクトが本日いよいよスタート!
 ほんの少しでもフラメンコを愛する方なら、どなたでも参加できます。
 スベってよし、転んでよしの原稿大募集をスタートするので、どーぞ皆さまよろすく。

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  今月のお題
 「フラメンコやっててよかったあ!と思う瞬間」

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【エントリー方法】
 8/31までに、このメール・アドレス(↓)まで原稿と写真を投稿すれば完了。
 koyama@paseo-flamenco.com
【コメント字数】約400字(18字×22行みたいな感じでパセオに掲載)
【タイトル】10文字程度
【名を名乗る】△△県・○○○○(本名でもハンドルネームでも)

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【パセオに掲載する号】
 2009年新年号(12月20日発売)

【コメント採用の決め手!】
★そりゃ文章はウマいに越したことはないけど、何つっても中身やアイレが肝心!
 フラメンコな知恵や癒しや笑いや元気がもらえるやつで、いー感じの読後感が採用の決め手! 9月上旬に採用原稿を決めて、掲載OK確認のため“ますた”から直接メール送ります。そのあとお手数かけるが、印刷用の写真1点(RGBで3メガ程度)をメール送信頼みます。
★採用のご褒美として「手ぬぐい1本」&「パセオ掲載号1冊」を発売時に郵送。
 “今月のお勝ちメンコ”にはさらに「DVD1本」。
★三年間36回連続挑戦してすべて不採用の方はパセオ社長賞ゲット。とにかく根気のあるチャレンジャーが“ますた”は大好きなので、まだ未定だけど、たぶん凄んげえ賞品ゲット!

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 2008年6月チョー吉日

       バル de ぱせお ますた、こと
       株式会社パセオ 代表取締役社長 小山 雄二









7/3木(その271)

ほほえみ返し





 朝イチのひと仕事を片付け、気分転換とばかりにパセオを飛びだす。
 ご近所をちょいと歩けば、昭和30年代的な懐かしい光景が広がる。



都電風景.JPG



 父や母との外出はどこへ行くにも都電だった。
 あのころのダダッ子感情がふいによみがえる。


 このまま飛び乗って、終点(三ノ輪)で昼酒でもやるか?
 でも今日はまだ、あとふた仕事ばかり残ってるぜ。
 ありゃ明日でもいーだろよ。
 でも夜はライブと呑み会じゃねーか。
 途中どっかで昼寝でもすりゃ大丈夫だろ。
 また飛鳥山で浮浪者にまちがえられてーのか?
 ありゃたしかに浮浪者の方々に気の毒だったわ。
 ベンチで寝るときゃネクタイぐれえ締めろやっ!
 ベンツで寝るときゃそーしてやるわい。


 生まじめな私とそうでない私のヨタれ話もそこそこに、
 今日のところはこんなもんで勘弁してやるかと結局仕事に戻ることに。

 ………じゃあ、またね。
 苦笑とともに都電を見送る。
 上野のお墓はまた今度だ。




三ノ輪行き.JPG


 父母が ほほえみ返す 三ノ輪行き









7/6日(その272)

淡い夢だから





 「淡い夢だから 胸を離れない


 村下孝蔵さん『初恋』の曲中、特にぐっとくるフレーズだ。柄にもなくセンチメンタルな気分に逃げこみたい時なんかに、いまでも時おり聴く。

 好きになった女性には堂々とその旨を告げ、
 だからどーしたの?と返され、みごと砕け散るパターン。
 パコ・デ・ルシアのレコードから日常的な勇気を吸収しはじめていた高校時代後半には、こーゆーポジティブな玉砕スタイルをほぼ確立していた私なので、この曲の感傷をしみじみ味わうためには、それ以前の記憶をさかのぼらなければならない。


     パコ・デ・ルシア/霊感.jpg



 「好きだとも云えず初恋は

 その中学同級生をR子という。
 藤原紀香を小さめにして、ほどよい翳りを加えた感じのチョー美少女。
 学年を超え、全校男子のあこがれの的だった。勉強は上の中ぐらいでスポーツは万能。水泳自由形で区の常連チャンピオンだった。
 林間学校のフォークダンスの時に、あと2、3人のところで彼女との順番が回ってこなかった腹いせに、 夜の枕投げ大会で大暴れしたことを昨日のことのように思い出す。

 まぶしすぎる彼女の姿を、いつも遠くから眺めていた。
 胸というのはキュンと鳴るものだと、その頃はじめて知った。
 結局、一度たりとも目を合わせてまともに話すこともなく、別々の高校に進んだ。

 およそ十年後、地元の呑み屋でR子に偶然会った。
 それとわかった刹那、モノクロームな切なさに胸がはり裂けた。美しさと翳りの増した彼女には、長髪長身ハンサムの連れがいた。私の連れは地元札付きのおちゃめなアバズレ姐ちゃんだった。
 R子は伏目がちにニッコリ笑って私を認め、私はバツの悪いような笑みを目礼で返した。
 それっきり、だった。



 「淡い夢だから 胸を離れない

 ほんのひとつだけ、かろうじて残った。
 甘くて酸味のきいた忘れ得ぬ想い出。
 心のひき出しの右手奥にそっと置いてある。
 濃いのもいいけど、淡いのもいい。




     コスモス.JPG









7/25金(その273)

あいにく国境は見えない





「三度のゴハン」と云うが、私にも「三度のバッハ」という生活習慣がある。

 日に三度はバッハを聴くという高校時代に始まるこのルーティンは、途中パセオ創刊から10年ほどのブランクを除き現在も続いている。
  ゴハンを食べて歯を磨いてトイレに行くのと、まったく等しい日常行為だ。
 実を云うとこれは「ゴハン・セバスチャン・バッハ症候群」と呼ばれるチョー難病なのだが、人体にはまったく影響がなくて、むしろ調子がいいくらいだ。

 ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750)は地球最高峰のミュージシャンとも称されるドイツの作曲家&即興演奏家。
 そのバッハ演奏とくれば本場のドイツ人に限る、と当然そう思うでしょ?
 ところがどすこいっ!!
 ずばりオランダ、ベルギー、日本あたりが現代のバッハ演奏の主流なのだ。
 いまだに世界中に愛され続けるバッハ弾き、かのグレン・グールドもカナダ人だし、パブロ・カザルスもスペイン人だ。
 ただし御本家ドイツ人様が下手なのではない。
 分家があまりに凄すぎちゃうのだ。
 だから、時おりドイツ人の優れたバッハ演奏家が出てきたりすると、むしろ物珍しさでCDを買った上に、へえー、やっぱ血筋も関係あるんだあ、などと妙な感心をすることになる。


 ドイツ人なのにバッハが上手い。
 まるで日本人なのに横綱だあ!!みたいなマルティン・シュタットフェルトもそんな演奏家の一人だ。
 彼は2002年、東西ドイツ統一後に本家ドイツ人として初めてバッハ国際コンクールに優勝した注目の若手ピアニストである。


     「三度のバッハ」シュタットフェルト.jpg


 初めて彼のライブを聴いた時、その横綱的快演にドヒョー(土俵)と心で叫びつつも、何やら私はほっとしたものだ。
 それは、愛するバッハを生んだお国に優れたバッハ・プレーヤーが誕生したことに安堵する地球愛的心情だったかもしれないし、あるいは、やっとこさ日本人横綱が誕生してくれたか、みたいな愛国的心情の倒錯だったかもしれない。


 私たちのお国においても、柔道で金メダルを取ることは楽ではない時代だし、貴乃花の引退後、日本人横綱を土俵上に観られなくなってすでに5年が経つ。
 スポーツのみならず音楽の分野でも、日本人のお家芸であるはずの尺八演奏においてそんな傾向は顕著だ。
 例えば、日本人より日本的な音を出すオーストラリアの尺八奏者ライリー・リー。
 彼のような達人クラスの外国人奏者はわんさか居て、実際それらを聴いてみれば、ただ唖然と息を呑むばかりだ。
 体力・合理を評価しつつも、一本勝ちを志さない外国人柔道や、勝つだけの相撲をとる外国人相撲にはいまひとつ共感は薄いが、内容・技術ともにプーロ(純粋)な本質に迫らんとする外国人尺八演奏は、ストレートに御本家日本人の心を打つ。
 ああ、これなら負けても嬉しいかも的な、フシギに痛快な敗北感。
「なぜ日本人がフラメンコを?」という例の時代錯誤な質問攻勢にええ加減うんざりしていた私などは、その返答用にとライリー他の尺八名演CDを大量に買い込み、国境好きな論客連中に配りまくったものだ。
 その意味で彼らの尺八演奏と日本人のフラメンコは実に近しい。
 それらを比較検証すると数多くの共通項が発見できるが、その最たるものはズバリ、心底惚れた相手に対するレスペト(敬意)ということになるだろう。
 それはパスポートよりもはるかに重い、熱き慕情そのものと云ってよい。

                            (つづく)


 ――――――――――――――――――――――――



 以上は、月刊パセオフラメンコ2008年9月号(8/20発売)の「特集:レスペト(敬意)」から一部抜粋。
 滅多なことでは本誌に書かない(書かせてもらえない)私の原稿だ。
 ほんとうは全文掲載したいのだが、こんなのを全文載っけたら9月号が爆発的に売れ残ってしまう!という社内の危惧に謙虚に耳を傾けた結果である。TT









8/17日(その274)

パセオ社員に告ぐ




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 パセオ9月号特集の埋め草に載っけた拙稿「あいにく国境は見えない」が、ギョーカイで意外な好評を呼んでいる。
 すでに十名以上の方々からいろんなタイプの賛辞をいただいた。


「空いたページをとにかく埋めたことに大きな意義がある」
「あれはよかったぞ。読んでねーけど」
「ヨランダさんのイラストがよかった。イラストだけならもっとよかった」
「他の執筆先生方のありがたみがわかった」
「気にするな。どーせ三行以上読めたヤツはひとりもおらん」
「むしろあのページだけ白紙で出すという潔い選択肢はなかったのか?」


 そう、絶賛の嵐なのである。

 それもそのはず、チョー多忙を極める私が、各種外渉・各種会議・各種プロデュース・各種営業・各種ウェブ書き込み・三度のバッハ・散歩・ドンチャン騒ぎ・ゴミ出し・爆睡などの激務の合間を縫って書き上げた渾身のチョー大作なのである。
 前にブログに書いたものを三つばかりコピペで切り貼りして、テキトーな接続詞でつないで締め言葉を盗作でつぁんつぁんと結んだだけの原稿のよーにも見えるが、実際には構想から仕上げまでに、少なくともトータル約30分という膨大な時間を注ぎ込んだ涙の労作なのだ。

 あいにく私はチョー多忙なので、印刷された私の原稿に目を通しているヒマはないが、眠れない夜のために枕元に常備しておけば、三行読むだけで爆睡できる自信はある。
 月刊パセオフラメンコを鍋敷き以外の目的で使用したことのない方々にとっても、これは驚愕の朗報となるはずである。
 たいした副作用もなく(少しだけアホになるが)、これほど効果の高い睡眠薬は他にあろうはずもない。
 書店ではなく薬局・露店などにおける販売を視野に入れつつ、パセオ社員は一刻も早い再商品化を検討すべきであろう。



ヨランダ画ノプロフィール.jpg









8/20水(その275)

疾走するオラシオン連歌





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 シンプルだが厳格なルール。
 それさえ守ればあとは何でもあり。

 そういうタイプのものが昔から好きだった。
 ビー玉やらメンコやら将棋やらハムラビ法典(←な、なんで?)やら。
 最小ルールでのびのび表現できるものが性に合ってるのかもしれない。
 おそらくフラメンコに惹かれたのも同じ理由である、ってほんとかよ。

 現在mixiのコミュニティ「フラメンコはライフワーク」を突っ走る"オラシオン連歌"への書き込みは、各種ブログの方は手を抜く近ごろの私のルーティンワークとなっている。
 読んだり書いたりで1日平均10分くらい。
 仕事の合間を縫って潤す、最高のリフレッシュタイムだ。
 オラシオン連歌は実にシンプルな二行詩の形式(うち1行は直前コメントのコピペなので、書き込みは実質1行のみ)を採るが、前後の詠み人同士の信頼に充ちた大らかな連携と自由奔放なインスピレーションが重視される、実にフラメンコ的なアート形式である、と云ったら明らかに過言である。
 よーするに、ウェブ上に自然増殖するアホたれ仲間によるボケ防止システム(て、手遅れか?)なのだ。

 この6月にスタートしてわずか2ヶ月。
 本日さきほどメデたくも、コメント数はシステムの限界である1000件を超え、現在はそのパート2が疾走中である。
 もつろんフラメンコ関連では初の出来事であるし、mixi全体でも極めて珍しいケースらしい。
 常時参加するメンバー(=レンジャー)は数名なのだが、トピ主オラシオン(おそらくトップ写真中央の人物/年齢性別不肖のチョー美女)の大胆不敵すぎるカリスマ姐御性と、私を含む手下どもの傍若無人なコメント連携がミョーな具合に噛み合ってるようだ。
 ふだんはのどかにチンタラ展開するのだが、時おり何の前触れもなく、うねるようなコンパス&アイレが発生して、スリリングにしておマヌケな大爆笑を巻き起こす。
 個人芸が光ることもあるが、それら異文化同士が連続しながら連携スパークする時の相乗効果的パッションは、そりゃもー強烈にアホらしい。
 人と人とがふれあう“連携それ自体”に宿る美しさ、あるいは懐かしさ。
 それが書き込む者と読む者に、ある種の癒し感を共有させるのではないかとも思う。



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ありゃ、おもしろいよ」。
 mixiウォッチャーのフラメンコ関係者は昨今、まずこんな風な感想をもらす。
実はオラシオン連歌にハマっています」。
 こう直接メッセしてくるマイミクさんも増える一方だ。
このシステムはウェブ上の社会現象に発展する可能性がある」。
 地元呑み仲間の売れっ子コピーライターは、まぢ顔で私にそう予言する。
 テーマの程よい細分化がポイントだと彼は指摘するが、ほ、ほんまかいな。
「ありゃ観るもんじゃなくて、やるもんだから」と、参入したいらしい素振りを見せる彼らを気軽に私は誘うのだが、どうも皆してビビってしまうらしい。

 一方で、ツラの皮の厚さで鳴らす常連レンジャーのイメージはおそらく一致している。
 そのイメージとは、畏れ多くもフィン・デ・フィエスタのブレリアだ。
 ギターでもカンテでも踊りでもパルマでもハレオでも何でもいい。
 前の人からの流れに留意しながら、自らサクッとひと振り入れる。
 後に続く人へ、ほんの少しだけ配慮できればさらに上等だという了解はある。
 ダレたゆるゆる局面と、スリリングなブレリア的局面とが、まったく不規則に訪れる。
 ウマいヘタよりも生命感・躍動感のあるコンパス・アイレが場を楽しく盛り上げる。
 にしては、その即興的な書き込み作業(数十秒)はあきれるほどにエー加減である。

 では、「入りたいけど入れない」潜在レンジャーがためらう要因は何なのか?
 よく似ているのは、大勢で順番に飛んでゆくナワ飛び(お入んなさい)だ。
 要領をつかめば簡単なのだが、それまでは確かに難しかったな、ありゃ。
 くやしさをバネに何度もしくじる内に、偶然・自然とコツをつかんだことを思い出す。
 もうひとつは“ひと振り”の中身。
 持続力のないイッパツ狙いがミョーに浮いてしまうことは、自ら存分に経験済みだ。
 詰め込みすぎちまったり、あまりに一人よがりだったりするとコンパスはうねってくれない。
 かと云って、あまりにおとなしすぎてもコンパスは固まっちゃうしな。
 これも何度もしくじる内に、自然と頃合いみたいなのがわかってくるようだ。
 うまくやろうと意識しすぎると、逆にしくじっちまうところなんかはまるでフラメンコそっくりだよ。



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 こう分析すると、入りたくともためらっちまう気分もわかってくる。
 しかし他方で、トピ主や私ら手下どもが、フィン・デ・フィエスタのような高度な芸当をこなせる深~い配慮に充ちた人間でないことは明らかなのである、きっぱり。
 チンタラ遊んでるうちに自然とゆーか偶然とゆーか、まるでフラメンコと同じように、そのコンパス&アイレの感触がほんの少しづつわかって来るというのが実情なのだろう。
 ただひとつ注目すべきは、この単純明快なシステム自体が、他者同士の大らかな連携を糧に、多彩にしてインパクトのある表現システムを次々と生み出し続ける現象である。
 そう、笑ってやってくだせえ。
 私はそこに、馴れ合いではなく他文化(=他メンバーの長所)を貪欲に吸収しながら、自発的に拡大発展を続ける“フラメンコ”の擬似形成プロセスを観るのだ。
 ちなみに、“オラシオン”とはスペイン語の“祈り”を意味する。

 さてもつろん、連携するレンジャーが多いほど、もたらされる実りは豊かにして楽しい。
 ま、実際のところは、下ネタやわかめネタ満載のあきれる程にくだらねえお笑いトピックスに過ぎねえわけだがそれがどーした!
 つーことで、皆さま方のオラシオン連歌へのご参入は大歓迎なんであります。
 年イチでも月イチでも週イチでも、平日だけでも土日だけでも、いつでもお出入り自由の明るく開かれた“虎の穴”なんであります。
 虎穴に入らずんば虎子を得ず。
 宝くじも買わなきゃ当たらん。(←最近知った)
 しかも、もし貴方がやりそこなってどんだけスベっても、お仲間レンジャーが即座に駆けつけ息の根を止めてやっからしんぱいゴム用!という空前絶後のサービスが今ならもれなく付いてくるんであります。


 さっ、このよーに、どーでもいーことに真剣かつ見当つがいに踏み込むのが私の本質だ。
 そんなこんなで今回、疾走するオラシオン連歌についての現時点における見解を、とりあえず以下にまとめておきたい。

 それはズバリ!、主にコミュニケ不足で殺伐とするばかりの現代ニッポンにあって、「他者とのふれあい」「自己表現」「新たな相互発見」を、わずか2行の書き込みで実現するフラメンコ的実践ではないかって、乏しすぎる根拠を元にここまで強気で云い放つ私に、どーか深いお慈悲と大らかな愛の手(またはオレオレ現金書留も可)をどーぞよろすく!





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9/4木(その277)

秀さん





 1コンパス12年にわたり通い詰める、私の愛する隠れ家的呑み屋“”。
 この間、週3日としても2000回近く通った勘定になる。
 そのオーナーシェフを秀さんと云う。
 梅宮辰夫さん、中村玉緒さんら食通たちもこぞって通うほどの料理名人である。
 やんちゃで茶目っ気もあるが、なにより優しく頼もしい大人で、俳優のメル・ギブソンに雰囲気が似ている。
 とーぜん女どもにもモテたが、男どもにもモテた。
 グチを嫌いユーモアを愛し、いつも明るく前向きで、誰からも好かれ認められる超一流の仕事人。
 秀を知る者は、みな一様に彼の気取らぬ人柄と腕前を慕い愛した。

 ちょうど一週間前、8月28日の早朝に、秀さんがなくなった。
 深夜に自宅で倒れ、病院に担ぎこまれたが、すでに施しようはなかった。
 手術後、入退院を繰り返していたが、可能な限りカウンターに立ち、死の数時間前まで訪れる客に愛情のこもった極上の料理を創りつづけた。
 覚悟はしてたが、現実はやはり別物だった。
 私より5歳上の58歳だった。
 しばし平衡感覚を失い、泣きながら仲間たちにその旨を電話で伝えた。



 「小山さん、これやっから、大事に使えやっ」

 別れの三週間くらい前のことだった。
 元気さを装う笑顔の下に末期ガンの苦痛を抱える秀の店に、前以上の頻度で通ってた。
 板前の魂とも云える包丁の一本を、その日秀さんはこう云いながら私に与えた。
 料理好きの私にはチョーうれしいサプライズであるにもかかわらず、嬉しそうな顔を維持するために、むしろ私の顔は何度もひきつっていたと思う。
 それが形見分けであることを、いかに鈍感な私と云えども、その瞬間に気づいた。
 どれぐらいもつのか?
 それがわかったところで何もできねーなら考えるのはやめろ、いつもと同じように通うしかねーだろ。
 家に戻った私は、すぐに冷蔵庫にあった肉の塊でその切れ味を試し、翌日その結果をはしゃぎながら報告すると、秀さんはうれしそうに笑った。
 ブタに真珠と云えども、名人の愛した包丁の使い心地は実際最高だった。


 秀さんは福島いわきの出身。
 小学一年の頃から納豆なんかを売り歩いて小遣い稼ぎをしてたという。
 料理の腕前はその当時から一丁前だったらしい。
 やはり天職だったのだ。
 高校を出るや、料理人として貿易船に乗り込み、七つの海を駆け巡る。
 時おり話してくれるその頃のハチャメチャな武勇伝にはハラを抱えて笑ったものだ。
 船を降りてから、向島の料亭で本格的な日本料理の修業をはじめた。
 秀さんのベースは懐石料理だったが、その本領はイタリアン、フレンチなどの技法を採り入れた創作料理にあった。
 フラメンコをベースにジャズやロックを咀嚼吸収し、さらに再構築~創造することで、世界中にフラメンコギターの魅力を知らしめたパコ・デ・ルシアのような料理だよと云っても過言ではないが、時おり暴発する下ネタがその総合評価をイッキに下げていたと云ってもこれまた過言ではないだろう。

 この12年の間に二度ほど、秀にダメ出しを喰らったことがある。
 嫌な雰囲気を醸し出しほかの客に迷惑をかける人に対し、私はひどく冷酷だった。
 そうした相手に、ただのひと言で息の根を止めるような辛辣な言葉を浴びせたことがある。
 そのあと、二人だけで話せる機会を待って秀さんは私にこう云った。
 「いかな相手でも、あそこまで云ってはダメだ」
 店全体のことを考えイヤな役目を買って出たつもりの私だったから、最初にそう云われた時は、何を理不尽!と思い、そう云い返した。
 しかし、二度目に同じことをやんわり云われたとき、秀さんが、もっともっと大きな調和をヴィジョンとしていることに気づいた。
 そのことの意図する豊かさのわからぬ歳でもなかった。
 以来私は、怒りの頂点に達した自分が発する猛毒を棄て、相手の急所をはずすトホホな罵倒方法をおぼえた。


 7月半ばに秀さんを囲む呑み会をセッティングしたのは、私にしては上出来だった。
 何となく察していた十人ほどの仲間は"あ・うん"で集まり、秀さんを真ん中に据えて下北沢の鮨屋で呑んだ。
 少し気まずくなってた友も仕事をキャンセルして駆けつけた。
 肴の注文を引き受け、全開の笑顔で終始うれしそうに冷酒をやってた秀さん。
 今また、気を利かした後輩の撮ったその集合写真を眺める。
 生涯にそーおいそれとは訪れない、皆して笑いこけ続けた、利害のない、心だけでつながる、あの深い想いに充ちた美しい呑み会の光景がよみがえり、心の鳥肌がとまらない。

 そうした現象の源が、秀の放つオーラにあったことを改めて深く認識しなおす。
 残る命を惜しむことなく、往く数時間前まで板場に立っていた彼に想いを馳せる。
 “プライド”のほんとうの意味とか価値について考える。

 月を見上げて泣くスッポンよ。
 おめえもあんな風に生きてーなら、もーちょいしゃんと生きてみんかいっ!




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9/25木(その278)

恋におちて





 さて毎日毎日どこまで散歩に行くのかというと、最近の好みはO公園である。
 公園に着くと、私は広場に立って一本の榎を眺める。
 公園には弱い風が吹き通り、やがて風は私が眺めている榎の一隅の枝をゆすって通りすぎた。
 と、ひとつかみほどの黄色い木の葉が撒いたように空中に散り、日に光りながらゆっくりと落ちる。

 それを見ただけで私は満足して帰路につき、そしてふとこういう光景に気持をひきつけられるのも老年かと思う。
 私のそばには幼児と母親が群れていたけれども、誰も一瞬の落葉などは見なかった。
 私だって若いころは、紅葉などにさほど心をとめなかったものだ。

 またある日私は、娘もあっとおどろく徳永英明のテープを聞いている。
 そして青春をうたう徳永のセンチメンタルで甘い歌声や歌詞の一節にふと胸をつまらせたりする
 だが胸がつまるのは感傷のせいではない。
 帰らない青春といった感傷の中には、まだ現在と青春をつなぐみずみずしい道が通じているだろう。
 老年の胸をつまらせるのは喪失感である。
 道はもう通じていない。
 あるのは眼前の日日だけのように思われることがある。
              (「週刊小説」平成3年1月4日号)



 日本に生まれた幸運を深くさわやかに実感させる小説家、藤沢周平。
 冒頭文は周平師64歳におけるエッセイ『老年』からの抜粋。
 ふうん、そんなものなのかなあ……。
 これを読んだ当時30代後半のまぬけな若造にこんな心境が実感できるはずもない。
 そしてあれから十数年。
 春の桜木と同じくらい晩秋のイチョウ並木に心惹かれるようになった昨今では、ほんの少しだけこんな気持ちを理解できるようになったかもしれない。
 大人になれてちょっぴりうれしい気分。
 だが同時に、その代償の意外な大きさに愕然とするのも、きっと人生の醍醐味のひとつなのだろう。


 さて、当時びっくりしたのは文中の「藤沢周平→徳永英明」という何ともミスマッチな図式だった。
 いかに大の周平ファンとは云えども、彼の音楽に積極的な好意を持ってなかった私には、じゃあ早速それを本腰いれて聴いてみようかという気持ちは起こらなかったようだ。
 ところが最近になって、小林明子さんの名曲『恋におちて』を歌う徳永英明さんを偶然テレビで観た。
 えっ、これがあの徳永英明なのか…。
 彼は明らかに変化していた。
 しっとり歌い上げるその名唱は、理屈ぬきですんなり胸に沁みた。
 そこで真っ先に思い出したのが冒頭のエッセイだったというわけだ。

 余談ながら、同時によみがえった記憶がもうひとつ。
 このナンバーを十八番とする、その昔付き合っていた女性のことだ。
 音大出身の彼女の歌う『恋におちて』もそこそこ聴かせる域に達しており、それを聴くのを好きだった私がその昔の直後にフラれたことは云うまでもない。
 かくして「藤沢周平→徳永英明←昔の女」というさらに奇妙な図式が私の中に生まれた。


 こんな連想ゲームにハマったその翌日、早速ご近所ムトウ楽器店で『徳永英明/ヴォーカリスト』という実力派女性歌手たちのカヴァーCDを3巻買いそろえた。
 先の『恋におちて』を含む全40曲。
 うれしい事にそこには、異邦人、シルエット・ロマンス、恋人よ、駅、いい日旅立ち、セカンド・ラブ、秋桜、なごり雪……などなど、かつて私も爆唱したお気に入りナンバーが満載されていた。
 そしてこのひと月ばかり、パセオや自宅で毎日のようにこれらCDに聴き入っている。

 選曲センスも見事だが、異なる色彩のそれら全てを歌いこなす芸域の広さにも驚かされる。
 甘い美声と評される彼の声質は私の好みではないが、その表現にうまいばかりでなくハッとするような核心が見え隠れするのにはドキリとする。
 あり余る技巧が突出せぬよう、淡々とひそやかに、敢えて意図的なクライマックスを創らぬ、誠実にして静かなパッション。
 その飽きのこない味わいと安定した充実感からは、ハンパではない底力が伝わってくる。
 職人的な細部の磨きこみも確かだが、全曲を貫き通すアーティストとしての揺るぎないヴィジョンが素晴らしい。
 だが何よりの決め手は、その切実なるリアリティではないかと私は思った。



 「帰らない青春といった感傷の中には、まだ現在と青春をつなぐみずみずしい道が通じているだろう。
 老年の胸をつまらせるのは喪失感である。
 道はもう通じていない。
 あるのは眼前の日日だけのように思われることがある。




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 ラブソングに感情移入するとき、自分の記憶にそれを強く重ね合わせながら聴くことは、若い頃はごく自然であたり前のことだった。
 ところが寄る年波というのは、それを徐々にではあるが、物語を客観的に眺めるような聴き方に変えてしまうようだ。
 大人になることでやたらめったら傷つくことも無くなるかわりに、もれなくセットで付いてくる底なしの寂寥感。
 64歳の周平師はそれを"喪失感"と表現された。


 さて、徳永英明さんは現在47歳。
 周平師がこれを書かれた64歳まであと17年を残す彼には、まだまだ道は瑞々しく通じているにちがいない。
 けれども同時に、「道はもう通じていない」とある日突然気づくのも、そう遠い日ではないことを彼は予感している。
 帰らない青春を懐かしむセンチメンタリズム、そしておそらくそれさえも喪失するであろう未来。
 そのグレーゾーンの真ん中あたりに彼は立脚している。
 そのスタンスは極めて冷静だが、その眼差しは哀しいまでにあたたかい。



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 何かを得ることによって失うもの、失うことによって得るもの。
 無常がゆえの美しさを、しみじみ噛みしめるが如くに歌うアートの、そのストライクゾーンは思いのほか広い。
 だがらこそ彼は『ヴォーカリスト』において、豊かなリアリティをもって、幅広い年齢層の共感を得ながら、はかなくも愛しい人生を謳い上げることに成功しているのだろう。

 「ほう、なかなかやってくれるじゃないか」
 今はなき師匠がこれを聴かれたら、きっとそんな"周平独り言"をもらすにちがいない。










10/1水(その279)

「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」①





 「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」

 このド真ん中ストレートは、この春mixiで各種フラメンコアンケートを始めたころ、愛すべきウェブ友ルジャビーからこの私に投げられた問い掛けだ。
 そのうちじっくり答えるから楽しみにしとけや、と余裕を装いながら返答したものの、彼女のコメントは、実は私の心臓をグサリ刺していた。

 「云うまでもなくパセオの主たる任務は“フラメンコの普及発展”にある。
 その結果が、私の達成感やら収入やら髪の毛の本数などに比例するのだ。
 専門メディアとして、ファンとその潜在層に向けて、さまざまな角度からフラメンコの魅力を伝え、ファンを増やしながらその発展・深化に貢献する。
 やり方に変化はあっても、昔も今もこのヴィジョンに変わりはねーよ」

 こうアバウトに対応するのが穏当なのだが、ラジカルにして真摯な想いに充ちたルジャビーのツッコミに、なぜか私のスイッチは作動し、その脳裏に棲む青春の原風景が突如フラッシュバックを始めたのだった。


 街々を徘徊中に、偶然手にした一枚のレコード。
 人生を賭けた将棋のプロテストに失格し進路を失った高校生の彼に、
 まったく新たな道筋を示すパコ・デ・ルシアのフラメンコギター。
 グチんな! クヨクヨすんな! 誰も助けちゃくれんぞ。
 魂ケチんな! さらして鍛える魂を金庫にしまってどーする。
 遠慮すんな! やりたいことを思う存分やれ。
 心配すんな! どー生きても人は必ず死ぬ。
 エネルギーに充ちあふれたそのフラメンコが、どん底の彼にそうソウルする。
 当時流行の優柔不断~ジリ貧コースとは対極に位置する方法論。
 ノミの心臓ゆえのキマジメだけが取柄の彼に、そんなんでいーのか?
 本当にそれだけで足りるのか? とズバリ迫る、まばゆい光の大胆パッション!
 引きこもり寸前の魂に、コペルニクス的転換の可能性を示す鮮烈な一撃!
 背筋のピンと伸びた本音と熱情のアートは、本物のエロスとタナトスを備えていた。
 その神秘のレコードは、わずか半日で、沈みかけた彼の運命をあっさり変えた。



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 こんなレアな情景が、まるで昨日のことのようによみがえる。
 返事を保留したのは、ルジャビーの直球コメントが引き起こしたこのフラッシュバック現象の意味と、彼女の問い掛けに対する回答を、じっくり考え直す時間を稼ぐためである。
 アバウトなヴィジョンではなく、もっと具体的な方針(戦略)をわかりやすく整理して、ルジャビーにきちんと回答すること。
 そのことは同時に、周囲とパセオ自身に対し、これからのパセオの行動をさくっと明快にするガイドライン強化になるのではないか。
 創刊から四半世紀。これまでにも何度か戦略の転換はあったが、世の中の状況もフラメンコ界の状況も大きく変化した現在。
 この時期に、このビッグテーマに改めてじっくり向き合うことは、むしろ絶好のチャンスのように思えてきた。


 さて、先ほどのフラッシュバックのつづき。
 天才パコ・デ・ルシアが示す道筋を、一般人平均をやや大幅に下回る私がせっせと歩んだ悲惨なプロセスは都合によりカットするが、いつも心にアルモライマ(パコの有名なブレリア)を響かせた歳月は、①暗くハンサムな少年を、②陽気でブサイクな青年に変え、やがて彼にパセオを創刊させるのだが、さて、あなたは①②のどっちがタイプですか?っておゐおゐ、そーゆーアンケート調査ではない筈だろが次号につづく。



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10/2木(その280)

「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」②





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 日本のフラメンコ市場に「バイレの技術的上達もの以外は売れない」という時代は長く続いたが、「技術以外の何か大切なもの」について多くのファンの関心が向かい始めたことは、ここ数年来のフラメンコ界全体の傾向と分析してよいだろう。

 ルジャビーから投げられた問い掛け、加えて今回のアンケート回答の数々はそれらの傾向をいっそう裏付けるものであり、同時にその潮流は「「パコ・デ・ルシアのギターのように生きたい」と願った私の原点に直接響いた。
(筆者注:パコのようには弾けないことをほぼ予測していたところに若き筆者の謙虚さを垣間見る)


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 上達に対する強い希求という健全な傾向を残しつつも、おそらくはそれ以上に、「より豊かに生きるためのフラメンコ」というヴィジョンが大幅に浸透しつつあることが、私には手放しでうれしかった。

 梅雨のころから暑かったこの夏にかけて、ルジャビーの声とアンケート回答から浮かび上がる本音をじっくり咀嚼吸収しながら自問自答をくり返し、その一方で、改めてこれからの具体的な方向性を確認し合うパセオ全スタッフによるディスカッションを重ねた。
 私たちパセオの進むべき新たな方向性とは何か?
 そして、その方向性をシンプルにわかりやすく明示するキーワードは何か?

 議論の末、全員一致で選出されたコンセプトは、


「フラメンコはライフワーク」
 だった。


 そうは捉えていないファンも大勢いるわけだから、この決め打ちはさまざまなリスクを伴う。
 しかし私たちは、観る聴くだけの潜在ファン層の拡大を含め、この戦略を選んだのだった。
 負けるかもしれないが、この戦略はフラメンコの本質にゴツンと合致していると思った。



 「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」

 こんな裏プロセスをバラしつつ、次号最終回、ルジャビーのこの直球に対しできるだけ明快に回答したい。




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10/4土(その281)

「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」③





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 「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」

 愛しのルジャビーよ。
 根性の入った真摯なご質問をありがとう!
 以下に、現時点の私たちパセオの考えを述べます。

 ――――――――――――――――――――――――

 誰に?

 年代、国籍、居住地、性別、性格、思想、顔、血液型、アマ・プロ、技術レベル、身長、体脂肪率、髪の毛の本数……などとは無関係に、「フラメンコはライフワーク」と感じている人たち、さらに「まだ私はそうじゃないけど、フラメンコはライフワークって素敵だな」みたいに感じる人たちを読者像の中心に据えながら、私たちはパセオを創りたい。



 何を?

 フラメンコは、人生の実相に直結するアートだ。
 だからこそ、フラメンコはどこまでも有機的なアートなのだろう。
 ひとつではない核心の周りを、無数のエピソードが取り囲んでいる。
 同時にそのエピソードそのものが重要な核であったりすることが多いのがフラメンコであり、また、人生そのものであったりする。
 要するにパセオの誌面創りの切り口は無限なのだと思う。
 フラメンコと私たちの人生をリンクさせながら、そこから発生する豊かさの可能性について、これまでの常識や経験にとらわれず、思い切り踏み込むという基本方針が自ずと定まる。
 生涯の伴走者としてフラメンコを選択する人たちに、そうそう、こんなのが読みたかったあ!と共感いただける記事を私たちは創りたい。
 フラメンコをより広くより深く楽しむための知識・情報、上達のためのヴィジョンと工夫、失敗を恐れぬより豊かな生き方…等々のさまざまなテーマがヨコ軸となるだろう。
 そしてそれらを本腰入れて語るタテ軸は、ライフワークという、生涯を見すえる長いスパンの観点であり、この視点こそが今回のチャレンジの眼目になるのではないかと思う。

 私たちはこんなやり方で、フラメンコの内側に充ちあふれる人生の喜怒哀楽を通し、生きることの切なさとよろこび、あるいは懐かしさや未来ヴィジョンに思いを馳せつつ、いま現在をよりよく生きるための実質的ヒントをつかみたい。
 憧れのアーティストから落ちこぼれ練習生(←おめえさんのことだよ TT)まで、そしてさらに、ハシにも棒にも引っ掛からない私のような観る聴くだけの阿呆シオナードに至るまで。生涯ドップリ浸かるのもよし、淡く永くふれあうもよし、フラメンコとの付き合い方は人の数だけあることを伝えたい。
 いろんな理由で一時的にフラメンコから離れざるを得ない人たちに、フラメンコは逃げないことを伝えたい。“母なるソレア”を内包するフラメンコが、その子らの難儀を見捨て逃げるようなヤワな玉ではねえことをしっかり伝えたい。
 それが、文明のひずみや欝などに限りなく悩みつづける現在・未来を、それでも豊かに生き抜くための極めて有力なエネルギー源のひとつであることを、誇りを胸に実証しつづけてゆきたい。
 思いもよらぬさまざまな発見とともに、読んだ後に少しだけ元気の出る専門誌。その分だけ日常生活が愛おしくなって、やっぱ、フラメンコを選んでよかったあ!と実感できる、しんぱいゴム用な架け橋パセオでありたい。



 どーやって?

 「誰に何を伝えたいのか?」については以上だが、ではそれを「どーやって?」という部分についても少し補足しよう。
 ご覧の通りSNS上で展開し始めた、ウェブと本誌パセオの連携強化がその中核戦術だ。
 踏み込むべき具体的テーマの多くの場合の発見手段がウェブであり、それらを深く掘り下げてゆくのが本誌パセオフラメンコ、という役割分担。
 つまり、ウェブの「即時性・双方向性」と本誌パセオの「踏み込み性・保存性・反芻性」という各々の長所を噛み合わせ、短所をカバーし合うことで、その相乗効果を高めるやり方だ。
 例えば、今回のウェブ上のアンケート結果は、すでにパセオの「特集」「インタビュー内容」などに濃厚に反映されつつあり、また新読者ページ「バル de ぱせお」という切り込み隊長的メディアも誕生させた。
 ちなみに云うと、“バル de ぱせお”へのアマ・プロ混合のアフィシオナード投稿などは、あたかもダイヤモンドの原石のようであり、それらを読み込んでゆくと、特集や連載などのヒントを面白いように発見することができる。
 これは望外の成果だった。


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 本格始動は年明け以降となるが、直接対話から生まれるヒントが、夢を推進させる構造はすでに整いつつある。
 また、フラメンコ専門SNSの立ち上げも視野に入れたところだ。
 各種ネットワークの連携強化とその相乗的活用によるアフィシオナードが創るアフィシオナードのためのフラメンコの未来は、この展開の延長線上に必ずあると私たちは思う。


 ――――――――――――――――――


 ま、とりあえず、ぶっちゃけこんなとこだな。
 意外と大したことねえ結論だが、それがどーした、いつものこっちゃ(TT)。
 例によってまた失敗するかもしれんけど、失敗とその修繕のくり返しこそが人生であり、そのプロセスを汗水流しながら楽しむのがこれまた人生、などと前もって負け惜しみを述べておきたい。

 つーことでルジャビー。
 オレはあんたの直球を打ち返すことができただろーか。





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10/5日(その282)

急遽!アントニオ





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 ついさっき、招聘元から送られてきたDVDで『アントニオ』を観た。
 この11月に来日するアントニオ・マルケス舞踊団のライブ収録ものだ。

 ほんとを云うとあまり期待してなかったのだが(あ、ごめんなせえ)、理屈ぬきで楽しめる構成と、美しいスペイン舞踊の世界に、このクソ忙しい中をいっきにラストまで観せつけられてしまった。

 昔から完成度の高さに定評のあったアントニオ・マルケスは、私の知らない間に、それこそ伝説のグラン・アントニオをも彷彿とさせる、たくましくもエスプリ豊かな大型バイラリンに変貌していた。
 NHKで放映されたあの驚異の超絶サパテアードにもびっくりだが、磨き抜かれた華麗なる群舞はメンコファンなら一度は観といて損はないと保証できる。


 私も7日の方に行くことに急遽決定!って、
 カラオケ大会はどーすんだあああ!!!!




 あっ、こんな(↓)粋な計らいもあるので、行ける人は利用すべし。

アフィシオナード特別チケット受付
期間限定発売中! 各公演限定100枚
受付期間:~10月10日(金)12:00
価格 S席:¥11,000⇒¥9,000  SS席:¥14,000⇒¥11,000
申込方法:
(1)PC、携帯から: 受付URL http://eplus.jp/antonio/
(2)電話から: TEL.03-3403-0155 10:00~19:00

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10/06月(その283)

今井翼/ツバメンコの衝撃





  World's Wing 翼 Premium 2008




 力をためる、そのハードな立ち姿はまさしく“フラメンコ”だった。


 その瞬間今井翼は、日本の芸能界史上もっともフラメンコに接近できるダンサーとなった。
 世界の一流ミュージシャンたちを苦しめた、テンポの速い変則アクセント付きの三拍子。
 フラメンコの超難関“ブレリア”に敢えて挑んだ彼は、振付を踊るのではなく、明らかに彼自身の内側から湧き出る自発的な希求を、フラメンコなやり方で踊りきった。

 フラメンコを始めて1年半足らず、と聞いた。
 その進化のスピードが超人的である一方で、フラメンコは甘くない。
 プロフェッショナルなダンスとして充分すぎるほど成立してはいるものの、当然ながらフラメンコ的な課題は盛り沢山と云わなくてはならないだろう。
 だが、そうした険しい道のりの舞踊ジャンルだからこそ、今井翼は敢えてフラメンコを選んだにちがいない。その不敵な真っ向勝負のアプローチに好感を抱きつ私はそう確信していた。


 ――――――――――――――――――――――――


 おとつい金曜、今井翼さんの10月東京・日生劇場公演のプレス用ゲネプロを観た。
 会場前で今井翼さんのフラメンコの師匠である佐藤浩希さん、鍵田真由美さんの『FLAMENCO曽根崎心中』(阿木燿子:プロデュース/宇崎竜童:音楽)コンビらと合流。スペインにもその評判を轟かせるフラメンコのトッププロとして、NEWSWEEK誌の『世界が尊敬する日本人』に選出されたお二人だ。
 いつもの明るい