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切り抜き帳


2008/11/11火(その292)

マリア・パヘスも夢ぢゃない





        ヨランダ/宿題できません.jpg
            ⓒヨランダ★




 スペイン国王陛下夫妻の来日、そしてセルバンテス文化センター東京の公式オープンを記念して急遽 来日した"美と知性のスーパーバイレ"マリア・パヘス。
 そのサントリー小ホールにおける昨夜のライブをかぶりつき(マリアまで7メートル)で観てきた。

 私のイチ押しバイラオーラ、
 フラメンコの女神マリパヘ!
 毎度ながら、あまりの感動に言葉が出ねーよ。




マリア・パヘスプライベート.jpg




 長い腕から繰り出される奇跡のブラソに圧倒されてしまう方々が大半なのだが、ここにエジソン的発 明によって、マリア・パヘスの華麗にして深遠なるアルテに迫らんとする天才アホシオナーダがいた。
 そう、パセオ新年号より"バル de ぱせお"で私の相方(←ツッコミ担当のボケ)を務める、あのヨランダ★画伯である。

 つーことで、あの懐かしの名作『マリア・パヘスも夢ぢゃない(原題:宿題できません)』をトクとご鑑賞あれっ!





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 パセオ新年号よりスタート!“バル de ぱせお”
 (※新年号にはツバメンコ関連記事も掲載)









2008/10/30木(その291)

生きてるなあ





 早朝から各種プロジェクトに奔走し、
 風呂とビールと肴が恋しい、ある週末の夜更け遅く。
 足早に家路を急ぐ、高田馬場駅に近い裏通り、
 パチンコ屋近く。
 と、ツカと歩み寄るうら若き女性。
 もの問いたげに近寄る顔は同国人ではなさそうだ。
 また迷子の道案内か? ああ、いーともさ。

 「オニーサン、ホンバン イチジカン ハッセンエンヨ」

 いきなりの一撃に面喰らう。
 や、安いっ!て、そーゆー話ではない。
 この地域に適した勧誘業務ではないし、
 だいいち私はおっさんだ。

 「オンナノコ ミンナ カワイイ。イッショニ イコウ」

 「悪いな、疲れちゃってそれどころじゃねーんだ、
  また今度な」

 また今度、がいけなかった。
 駅に向かって歩き出す私の右腕に、
 後ろから彼女は絡みついた。

 「コンドワ イマヨ、イマ イコーヨ。
  ワタシデモ オーケーネ」

 顔は笑ってるが、眼は笑ってない。
 それなりに美しい顔立ちが台無しになりそうな形相。
 必死なのだ。
 私だって、しょっちゅうやってる顔だろう。
 手をふりほどくかわりに、少し眼の光を強くして、
 彼女の瞳を真っ向からじっと見つめる。
 ややあって、彼女は眼をそらし、
 首をふりながら私の腕を放す。
 黙ってうつむきながら、駅とは反対方向に歩き始める。

 「ねーさん、このへんヤバいよ、すぐに捕まるアルぞ」

 国籍不明気味にナマる私のアドバイスを背に受け、
 ふり向いた彼女は、
 そんなことは百も承知よ
 みたいな顔をして今度はほんとに笑った。

 「マタ コンドヨ」

 そう云い返す、明るさを取り戻したしたたかな笑顔に、
 生きてるなあ、みたいな逞しいアイレがあった。
 なんだか懐かしい表情だよな、と私は思った。





          軒を出て犬.jpg











10/27月(その290)

今井翼/ツバメンコ同好会





 日生劇場とNHKテレビで踊った今井翼さんのフラメンコに、とりあえずの安堵といっそうの明るい希望を抱いた私が「電波に翔んだツバメンコ」という小学生並みの作文を三つのブログに同時アップしたのは先週のことだ。
 そのトータルの延べアクセス数は10,000を軽々超えたのだが、こんなにウケるんなら小学生作文コンクール・中年部門(←あ、あんのか?)に応募しとくんだったよ、まったく。
 そしてアップ翌日には、例によってほとんど衝動的に、SNS(mixi)上に「ツバメンコ同好会」なるコミュニティを立ち上げた。




モチベーション1.JPG




     ツバメンコを愛し
   その未来を楽しむ同好会



 これが当同好会のシンプルなヴィジョンだ。
 たぶん世界初となる、“おっさん主宰によるツバメンコ同好会”である。
 立ち上げから五日で、会員数はざっと180名。
 「おっさんでなくとも参加できます」と仲間を募りはじめたところ、「見た目はかわいいけど中身はおっさん」と名乗り出るチョー美人のお姐さま方(←推定)の参加が殺到したわけなのだが、してみると、仮に「おっさん以外お断り」と募集したところで結果はほとんど変わらなかったのだと思う。
 フラメンコファン、ツバメンコファンの両方から敢えてスルーされる可能性の高い性質のコミュなのだが、まっ、とりあえず小さいながらも「今井翼のフラメンコ」を気長にゆるゆるとクロスオーバーに語れる土俵はこうして誕生した。

 ところで、こうした私の展開に業界各方面からのブーイングがないわけではない。
 いつでも新しいことにチャレンジする時はそうなのだけど、このような方々がおられるからこそ、逆に布石屋たる私は心おきなく冒険できるという構造が、この愛すべきフラメンコ界のバランス感性であることもついでに知っておいてほしい。
 そういう真摯な防波堤がないジャンルというのは、活性化するのも速いが衰退するのもまた速いとしたものだ。
 一見ネガティブな頑固爺さんというのは実は心底頼りになる私の味方であり、彼らのクレームはいつでも私のへなちょこチャレンジへの追い風なのである。

 また、当然翼ファンの中にも同様な、つまり「ツバメンコ不賛成」を唱える方々もおられるはずで、そんな意見をネット上で募った私に直接メッセで応えてくださった方が数名おられた。
 その内容はやはり真摯なもので、業界保守派が「フラメンコの伝統を大切にせよ」と云われるのと同様に、「今井翼の伝統を大切にしてほしい」という主旨のものだった。
 各種オタク出身の私なのでそうした心情は痛くわかるつもりだし、それらをいつも身に染み込ませながらの展開が必要であることを再確認したところでもある。



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 さて、フラメンコは、いつの時代もその当時流行したものとガチンコで向き合い、それらの長所を貪欲に吸収することで拡大深化を計りながらサバイバルしてきたジャンルだ。
 伝統を失ってはフラメンコではなくなってしまうが、同時にまた、革新性を失ってしまったものもフラメンコとは呼びづらいのだ。
 フラメンコの新たな展開や突然変異に直面するとき、そこらへんの是非を瞬時に見切るのは難しいことだとつくづく想う。

 そうした観点ともまた異なるわけだが、こたびのツバメンコもまたフラメンコ史上初となる極めて特殊なケースだった。
 今をときめく人気アイドルが、バイレ・フラメンコに長期的本格的に取り組む。
 加えてその主人公は、おっさん中のおっさんと呼ばれるくらい世間に疎いこの私の耳にさえ聞こえてくるほどに名高いダンサー、今井翼だったのである。

 ツバメンコ歴はまだ1ヵ月あまりの私だけれど、フラメンコ歴の方は37年。
 未来予測が難しい事象を、日和見的にやり過ごすのはコア・ファンの常套セオリーだ。
 幸か不幸か私の場合は、信頼する佐藤浩希(ツバメンコ師匠)から入ってくるリアルタイムな進化情報、日生ゲネプロの衝撃、生伴のNHK放映という一連のプロセスに、順調に老朽化を進める私の中のフラメンコ・スピリット(=これは!と直観する場合は勝っても負けても踏みこむ一手)が刺激され、こうしてネット上にせっせと作文を書いたりしているわけだ。

 だからと云って、「早くコア・ファンを唸らせるようなフラメンコを踊って、フラメンコ全体を盛り上げてほしい」みたいな性急な期待はまるでない。
 ………。ほんとはあるけど云ってはいけない。
 なぜなら、才能に不足のない彼がこのまま順調な進化もしくは深化を続けてゆくと仮定したとしても(しかもエンタテイナーとしての使命をまっとうしつつ!)、多くの一流フラメンコ舞踊手がそうであるように、バイレ・フラメンコとしてのその最初のピークは40代あたりであろうことは簡単に予測できるからだ。
 良くも悪くもフラメンコは、その技術性に加え、ある絶対量の人生経験のみから得られる精神性とスピリットが必要不可欠な、ライフワーク的宿命を背負ったジャンルなのだ。
 裏を返せば、諸事情から三年や五年、物理的なフラメンコ・レッスンを休止することなんかも全然OKなのである。

 なので、10年20年はなんのそのっ!という爽やかにして悠長なスタンスこそが、自動的に当同好会の宿命的特徴となるのであった。
 ちなみに、各方面からやってきたセンスある美女美男(←ほとんどが本人談)が集う、そんな雄大なスケールを持った格調高きツバメンコ同好会の、現在の会員構成はほぼこんな感じだ。

①純粋なフラメンコファン
 (ツバメンコに関心のない方含む)
②純粋なツバメンコファン
 (フラメンコに関心のない方含む)
③フバメンコファン
 (ツバメンコ好きなフラメンコファン)
④ツラメンコファン
 (フラメンコ好きなツバメンコファン)
⑤ふつーのおっさんとおばはん
 (主に私の友人)
⑥その他
⑦コワすぎて公表できない方


 ツバメンコファンに、もともとフラメンコを直観する資質を有するタイプを数多く発見できたことは大きな収穫だった。
 私自身は③であり、かつ③と④のアフィシオナード(=フラメンコファン)を増やしたい。
 ツバメンコの未来について、むしろライフワーク的なスパンでゆるやかに応援しながら、時には大らかに提言し合うクロスオーバー的土壌を皆して育み合うことこそ、フラメンコの神さまも大いに望むところなのではないか、と私などはそう確信する。
 その偉大なるフラメンコの神さまは、想い起こせば25年前、日本におけるフラメンコ広報担当者に、当時28歳のこの私を任命されたのだった。
 つーことで、ああ、お気の毒な神さまよ(TT)、
 もー、えーかげん、その「明らかすぎる人選ミス」を嘆くのはおよしなせえっ!




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10/21火(その289)

今井翼/電波に翔んだツバメンコ





 ツバメンコ=今井翼のフラメンコ


 誰が云ったか知らないが(↑)、座布団三枚は固いだろう。
 お名乗りいただける場合は、“チョー大吉オリジナル手ぬぐい”を現物支給させていただくつもりだ。



定番/出るパセ/手ぬぐい.jpg



 そのツバメンコのテレビ放映を、社員に撮ってもらったビデオでさっき観た。
 NHK・BS2/ザ少年倶楽部プレミアム。
 待望の生伴奏ヴァージョンである。
 しかも、共演はあっと驚く豪華キャストである。

◇佐藤浩希(振付・カホン)
◇伊集院史朗(カホン)
◇柴田亮太郎(作曲・ギター)
◇矢野吉峰(パルマ)
◇石塚隆充(カンテ)


 日生劇場のゲネプロをドキドキワクワクしながら観た時と同じ興奮がよみがえる。
 だがすでに、あの「力あるフラメンコな立ち姿」をこの目で確認してあるので、さらには、録音で踊るより生セッションの方がはるかによいと、ツバメンコ師匠・佐藤浩希から聞き及んでいたので不安はなかった。


 そうは云いつつ、一回観て安堵した。
 事前にあるレベルを想定していたのだが、やはり彼はその上を行っていた。
 ちょっとだけ心配したカメラワークもとても優れたものだった。
 マニアックな観点で編集してしまうと、意外と全体的にはしくじる可能性が高いのだ。

 二回観て、凄いなと思った。
 特にブレリアにおける、“動”のあとにくる力ある“静”の部分には、彼のバイラオーラとしてのポテンシャルがすでに炸裂しているではないか。

 三回観て、ゲネプロを一緒に観た鍵田真由美(フラメンコ舞踊の若き女王)とのやりとりを思い出した。
「ダンスの素養が、逆にフラメンコの動きを邪魔してたな。フラメンコの動きをつかんだ場合、今度はその逆もあり得るよな。フラメンコ続けて互いに悪影響およぼすリスクはないのか?」
「心配ないのよ、時間の問題だから大丈夫。優れたダンサーは、ちゃんと使い分けられるの」

 四回観て、こう思った。
 映像からは、日本人であること、エンタテイナーであることの精神性を心に秘めつつ、しかしスペインのフラメンコに全身全霊で踏み込むことで、より深くより豊かに自分の心の在り方を追求しようとする真摯な姿勢が視えてくる。
 彼の中でフラメンコは、それを深く知れば知るほど、日本人エンタテイナーとしての自分をますます強く意識し、それによって自分がさらに覚醒してゆく自己発見の重大なプロセスとなっているのではないか。
 だから彼のフラメンコは求道者的で孤独の翳りを帯びている。
 甘美ではあるが感傷には終わらない。芯が一本通っているのだ。
 フラメンコ的ツッコミどころは満載だが、全体として強烈な求心力を秘めている。
 まだまだ道は果てしなく遠い。
 だがその根底において、尋常でなく人を魅了する力を秘めている。

 五回観て、今度はいつ踊ってくれるんじゃあああああ!!!!!と心に叫んでいた。
 エンディングの、おそらく収録後であろう楽屋のモノクロ映像の、ひげ面の笑顔がいかにもフラメンコな面構えだったこともダメ押し的に好ましかった。
 今井翼が赤い靴でなく、自らの意志で普通の黒いフラメンコシューズで踊りたくなる時、“ツバメンコ”と云う可愛らしい愛称が、フラメンコな重さや深さを連想させる意味合いに変わってゆくだろう、と私は妄想した。



 さて、次回本誌ツバメンコ連記事(新年号/カラー4ページ掲載)にはお問合せ殺到で毎日じゃんじゃん電話が鳴り響いているのだが、パセオホームページからお求めになれるのでご安心を。

 以上、抜け目なく宣伝しつつも、抜け毛は止まらん状況(TT)である。









10/8水(その284)

あれから十年





冒頭/隅田川.JPG




 いい風だね
 ……またこようね。



 たそがれも近い秋の隅田川。
 ほんの数時間前に、勢いを失ったよれよれのボロ雑巾を夫にした妻はそう微笑んだ。
 船を降り、吾妻橋わきのうんこビルのてっぺんで二人ささやかに乾杯した。
 向こう三年、惚れたこの女と暮らせるなら、その先はどうあれ自分にしては上出来の人生だと、ちょうど十年前のその日そのとき私は思った。




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 小さな器のくせして、プロ棋士を夢みた中二あたりからおよそ三十年、目一杯背伸びしながら突っ走った。
 いや、ちょっとちがう。
 むしろ、小さな器量を強く自覚するがゆえに、何とかそうした宿命に狂いを生じさせようとヤケクソ気味にひたすらもがいた三十年と云った方がより近いだろう。
 いずれにせよ無謀な長期ルーティンにはその反動がもれなくセットで付いてくる。

 フラメンコ協会の運営からも身を引き、パセオ倒産の危機からも辛うじて逃れていたが、業界布石屋としての任務がとりあえずひと段落したことの安堵からか、三十年間の疲労と反動がイッキに噴火したのがこの時期だ。
 成果はさておき、その総労働時間数だけは定年サラリーマンのそれに並んだ頃で、つまりは耐用年数切れだった。

 三代目の江戸っ子。ついた仇名は特攻隊。
 悟りとは対極に位置する、勢いだけがとりえの生き急ぎ。
 好きなことしか出来ず、どこにも就職出来ずに、25歳で流れ着いた先は自営の名ばかり社長業。
 清濁ひしめき合う自転車操業的半生に反省と休息のいとまはなく、その耐用年数ばかりを気前よく消費していた。
 元からして素材の良くない雑巾にそっくりな私は、身も心もボロボロにほころび擦り切れ、文字通りのボロ雑巾と化していた。



    1998年⑤月号パコ・デ・ルシア.jpg



 そんな頃、バツイチ同士がフラメンコの仕事の縁で知りあった。
 片方は、新潟に生まれ18でスペインに渡った明快なフラメンカ。
 もう片方は、生来東京に暮らすわがまま放題な単細胞。
 言葉はかみ合わなかったが、なんとなくウマがあった。
 シンプルでさくっとした、暗さやヒステリーとは無縁の気取らぬアイレに私が感応した。
 一所懸命なケセラセラという共通項は、出逢いの瞬間に直観し合ったかもしれない。
 明るく楽しくを第一に、積み重ねと達成感を重視するコンパスが一致していた。
 キリギリスのような働きアリ。
 それらは恋人や家族というより、互いに気がねの要らない同属同士だった。

 自然ななりゆきと経費節約の必然性から、彼女の住まいに私が転がり込んだ。
 式はしてない。てゆーか、そんな気力も金もなかった。
 当時の私は壊れかけた43歳であり、1998年の10日8日、九つ下の同居人は、その日34回目の誕生日を迎えていた。



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 散歩がてら、昼前に渋谷の区役所で入籍した。
 銀座線で上野広小路に出て、テレビでやたら宣伝する安売りジュエリーの店に入った。
 日頃から物欲しがらぬこの相棒は、私の提示する予算の三分の一にも満たない安指輪をうれしそうに選んだ。
 そのまま浅草通りを歩いて雷門に出て、ブラつきついでに浅草寺でおみくじを引いた。
 大凶満載で恐れられる浅草寺だが、男は大吉をひき女は小吉をひいた。
 男の少年時代からの馴染みだった遊覧船に乗って、秋の隅田川暮色をふたり静かに眺めた。

 いい風だね
 ……またこようね。




中間/隅田川.JPG



 鮮明な記憶を残す、あのさわやかな秋晴れの一日からきっかり十年。

 離れたスーパーで十円安い天然水を両手に買ってきてはえへっと喜ぶ堅実主婦。
 年に数度の休みの日には、はたきや掃除機や雑巾とともに明け暮れる貧乏性。
 しっかり働いては自らの公演に千万単位の赤字をばらまく楽天バイラオーラ。
 そうした光と影の好ましいコントラストに、燃え尽き果てたこのやさぐれ男は、かつて彼の心にも在ったよく似た情景を眺め懐かしんでいたかもしれない。

 ハンパでない冒険とおだやかなひと時を好み、自ら転んでも他から転ばされても次の瞬間には明るい笑顔で起き上がろうとする、やや天然系ながら、いつも元気で大らかで料理上手なこの連れ合いと笑って暮らす淡き日々。
 その十年の歳月には、すでに原形すら定かでないボロ雑巾たる私を、ゆっくりと丁寧に繕いながら、普通の便所掃除程度ならば、どうやらこなせるぐらいの雑巾に復元させるほどの効果はあったようだ。

 とまあ、これぐれえ持ち上げときゃあ多少の悪行もお見逃しいただけよーかと祈願する、このよーな祝満十周年記念!おのろけ日記をぶち上げる厚顔無恥ぶりには、まったくもって悟りもへったくれもあったものではないが、悟ったところでそれがどーしたという気分もある。
 てゆーか推定300名とも云われる妄想上の私の愛人たちも全員どん引いた模様である。



あの頃.jpg

     [あの当時。わが家の初代守護犬メリとともに]



 あと三年で上出来のつもりがすでに十年。
 差し引き七年のオマケは悪運としか云いようがない。
 ゆるやかな登り坂のパセオ(散歩道)を踏みしめ歩む日々には、未練にも愛しさが募るばかりだが、一度は死んだも同然の廃物利用ゆえ、原価ゼロで生かしてもらってるような気安さがあって、逆にそれが救いとなっている。
 この先もボロ雑巾なりにまっとうすれば、ま、上出来としたもんだろう。



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 良くも悪くも、リキみは抜けたし毛も抜けた。
 パコ・デ・ルシアの『道』ではないけれど、歩きたいから歩く。
 昔のように頑張るつもりは毛頭ないし毛髪もないし、ただ歩きたいから歩く。
 ほんとうに美しいものは金では買えず、船から眺める風景のようにただ去りゆくのみだ。
 それは滅多に降りないフラメンコの“ドゥエンデ”が如きものかもしれない。
 それでも、“瞬間のきらめき”は忘れえぬ感触として、しかと我が身に残る。
 そうした記憶こそが心のお宝として集積し、永く生を楽しませるのではないか。
 人はその器に従い、時には器を超えながら、こうした集積を得んがために、そして時にそれらを反芻せんがために限りある時を歩むのではないか。

 まあ、なんてステキに都合のいい解釈!
 こーゆータワゴトは、金やら家やら物やらを持ってない人に多い幻覚症状だが何か。
 ま、仮にこんな妄想に若干の誤りがあったにせよ、てゆーか完璧な誤算であったにせよ、すでに軌道修正は手遅れだろう。
 やがて自然と生が尽きるまで、好みの風景を捉えながら、気ままに歩きつづけたい。
 みじめな老後をイメージする暇に、この妄想を実現させる次の一歩を歩みたい。
 そして最後の瞬間には江戸っ子らしく、自分なりに歩んだ記憶に胸を張ったらいい。
 以上が十年の節目に想う、今後の展開についての大まかなやさぐれヴィジョン兼先付け遺言。









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Ⓒヨランダ



☆この物語はすべてフィクションであり、
 従って呑んだり食ったりできません。










10/4土(その281)

「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」③





        しゃちょjpeg.jpg




 「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」

 愛しのルジャビーよ。
 根性の入った真摯なご質問をありがとう!
 以下に、現時点の私たちパセオの考えを述べます。

 ――――――――――――――――――――――――

 誰に?

 年代、国籍、居住地、性別、性格、思想、顔、血液型、アマ・プロ、技術レベル、身長、体脂肪率、髪の毛の本数……などとは無関係に、「フラメンコはライフワーク」と感じている人たち、さらに「まだ私はそうじゃないけど、フラメンコはライフワークって素敵だな」みたいに感じる人たちを読者像の中心に据えながら、私たちはパセオを創りたい。



 何を?

 フラメンコは、人生の実相に直結するアートだ。
 だからこそ、フラメンコはどこまでも有機的なアートなのだろう。
 ひとつではない核心の周りを、無数のエピソードが取り囲んでいる。
 同時にそのエピソードそのものが重要な核であったりすることが多いのがフラメンコであり、また、人生そのものであったりする。
 要するにパセオの誌面創りの切り口は無限なのだと思う。
 フラメンコと私たちの人生をリンクさせながら、そこから発生する豊かさの可能性について、これまでの常識や経験にとらわれず、思い切り踏み込むという基本方針が自ずと定まる。
 生涯の伴走者としてフラメンコを選択する人たちに、そうそう、こんなのが読みたかったあ!と共感いただける記事を私たちは創りたい。
 フラメンコをより広くより深く楽しむための知識・情報、上達のためのヴィジョンと工夫、失敗を恐れぬより豊かな生き方…等々のさまざまなテーマがヨコ軸となるだろう。
 そしてそれらを本腰入れて語るタテ軸は、ライフワークという、生涯を見すえる長いスパンの観点であり、この視点こそが今回のチャレンジの眼目になるのではないかと思う。

 私たちはこんなやり方で、フラメンコの内側に充ちあふれる人生の喜怒哀楽を通し、生きることの切なさとよろこび、あるいは懐かしさや未来ヴィジョンに思いを馳せつつ、いま現在をよりよく生きるための実質的ヒントをつかみたい。
 憧れのアーティストから落ちこぼれ練習生(←おめえさんのことだよ TT)まで、そしてさらに、ハシにも棒にも引っ掛からない私のような観る聴くだけの阿呆シオナードに至るまで。生涯ドップリ浸かるのもよし、淡く永くふれあうもよし、フラメンコとの付き合い方は人の数だけあることを伝えたい。
 いろんな理由で一時的にフラメンコから離れざるを得ない人たちに、フラメンコは逃げないことを伝えたい。“母なるソレア”を内包するフラメンコが、その子らの難儀を見捨て逃げるようなヤワな玉ではねえことをしっかり伝えたい。
 それが、文明のひずみや欝などに限りなく悩みつづける現在・未来を、それでも豊かに生き抜くための極めて有力なエネルギー源のひとつであることを、誇りを胸に実証しつづけてゆきたい。
 思いもよらぬさまざまな発見とともに、読んだ後に少しだけ元気の出る専門誌。その分だけ日常生活が愛おしくなって、やっぱ、フラメンコを選んでよかったあ!と実感できる、しんぱいゴム用な架け橋パセオでありたい。



 どーやって?

 「誰に何を伝えたいのか?」については以上だが、ではそれを「どーやって?」という部分についても少し補足しよう。
 ご覧の通りSNS上で展開し始めた、ウェブと本誌パセオの連携強化がその中核戦術だ。
 踏み込むべき具体的テーマの多くの場合の発見手段がウェブであり、それらを深く掘り下げてゆくのが本誌パセオフラメンコ、という役割分担。
 つまり、ウェブの「即時性・双方向性」と本誌パセオの「踏み込み性・保存性・反芻性」という各々の長所を噛み合わせ、短所をカバーし合うことで、その相乗効果を高めるやり方だ。
 例えば、今回のウェブ上のアンケート結果は、すでにパセオの「特集」「インタビュー内容」などに濃厚に反映されつつあり、また新読者ページ「バル de ぱせお」という切り込み隊長的メディアも誕生させた。
 ちなみに云うと、“バル de ぱせお”へのアマ・プロ混合のアフィシオナード投稿などは、あたかもダイヤモンドの原石のようであり、それらを読み込んでゆくと、特集や連載などのヒントを面白いように発見することができる。
 これは望外の成果だった。


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 本格始動は年明け以降となるが、直接対話から生まれるヒントが、夢を推進させる構造はすでに整いつつある。
 また、フラメンコ専門SNSの立ち上げも視野に入れたところだ。
 各種ネットワークの連携強化とその相乗的活用によるアフィシオナードが創るアフィシオナードのためのフラメンコの未来は、この展開の延長線上に必ずあると私たちは思う。


 ――――――――――――――――――


 ま、とりあえず、ぶっちゃけこんなとこだな。
 意外と大したことねえ結論だが、それがどーした、いつものこっちゃ(TT)。
 例によってまた失敗するかもしれんけど、失敗とその修繕のくり返しこそが人生であり、そのプロセスを汗水流しながら楽しむのがこれまた人生、などと前もって負け惜しみを述べておきたい。

 つーことでルジャビー。
 オレはあんたの直球を打ち返すことができただろーか。





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10/2木(その280)

「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」②





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 日本のフラメンコ市場に「バイレの技術的上達もの以外は売れない」という時代は長く続いたが、「技術以外の何か大切なもの」について多くのファンの関心が向かい始めたことは、ここ数年来のフラメンコ界全体の傾向と分析してよいだろう。

 ルジャビーから投げられた問い掛け、加えて今回のアンケート回答の数々はそれらの傾向をいっそう裏付けるものであり、同時にその潮流は「「パコ・デ・ルシアのギターのように生きたい」と願った私の原点に直接響いた。
(筆者注:パコのようには弾けないことをほぼ予測していたところに若き筆者の謙虚さを垣間見る)


「月とスッポン」パコ・デ・ルシア/熱風.jpg


 上達に対する強い希求という健全な傾向を残しつつも、おそらくはそれ以上に、「より豊かに生きるためのフラメンコ」というヴィジョンが大幅に浸透しつつあることが、私には手放しでうれしかった。

 梅雨のころから暑かったこの夏にかけて、ルジャビーの声とアンケート回答から浮かび上がる本音をじっくり咀嚼吸収しながら自問自答をくり返し、その一方で、改めてこれからの具体的な方向性を確認し合うパセオ全スタッフによるディスカッションを重ねた。
 私たちパセオの進むべき新たな方向性とは何か?
 そして、その方向性をシンプルにわかりやすく明示するキーワードは何か?

 議論の末、全員一致で選出されたコンセプトは、


「フラメンコはライフワーク」
 だった。


 そうは捉えていないファンも大勢いるわけだから、この決め打ちはさまざまなリスクを伴う。
 しかし私たちは、観る聴くだけの潜在ファン層の拡大を含め、この戦略を選んだのだった。
 負けるかもしれないが、この戦略はフラメンコの本質にゴツンと合致していると思った。



 「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」

 こんな裏プロセスをバラしつつ、次号最終回、ルジャビーのこの直球に対しできるだけ明快に回答したい。




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10/1水(その279)

「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」①





 「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」

 このド真ん中ストレートは、この春mixiで各種フラメンコアンケートを始めたころ、愛すべきウェブ友ルジャビーからこの私に投げられた問い掛けだ。
 そのうちじっくり答えるから楽しみにしとけや、と余裕を装いながら返答したものの、彼女のコメントは、実は私の心臓をグサリ刺していた。

 「云うまでもなくパセオの主たる任務は“フラメンコの普及発展”にある。
 その結果が、私の達成感やら収入やら髪の毛の本数などに比例するのだ。
 専門メディアとして、ファンとその潜在層に向けて、さまざまな角度からフラメンコの魅力を伝え、ファンを増やしながらその発展・深化に貢献する。
 やり方に変化はあっても、昔も今もこのヴィジョンに変わりはねーよ」

 こうアバウトに対応するのが穏当なのだが、ラジカルにして真摯な想いに充ちたルジャビーのツッコミに、なぜか私のスイッチは作動し、その脳裏に棲む青春の原風景が突如フラッシュバックを始めたのだった。


 街々を徘徊中に、偶然手にした一枚のレコード。
 人生を賭けた将棋のプロテストに失格し進路を失った高校生の彼に、
 まったく新たな道筋を示すパコ・デ・ルシアのフラメンコギター。
 グチんな! クヨクヨすんな! 誰も助けちゃくれんぞ。
 魂ケチんな! さらして鍛える魂を金庫にしまってどーする。
 遠慮すんな! やりたいことを思う存分やれ。
 心配すんな! どー生きても人は必ず死ぬ。
 エネルギーに充ちあふれたそのフラメンコが、どん底の彼にそうソウルする。
 当時流行の優柔不断~ジリ貧コースとは対極に位置する方法論。
 ノミの心臓ゆえのキマジメだけが取柄の彼に、そんなんでいーのか?
 本当にそれだけで足りるのか? とズバリ迫る、まばゆい光の大胆パッション!
 引きこもり寸前の魂に、コペルニクス的転換の可能性を示す鮮烈な一撃!
 背筋のピンと伸びた本音と熱情のアートは、本物のエロスとタナトスを備えていた。
 その神秘のレコードは、わずか半日で、沈みかけた彼の運命をあっさり変えた。



パコ/魂.jpg



 こんなレアな情景が、まるで昨日のことのようによみがえる。
 返事を保留したのは、ルジャビーの直球コメントが引き起こしたこのフラッシュバック現象の意味と、彼女の問い掛けに対する回答を、じっくり考え直す時間を稼ぐためである。
 アバウトなヴィジョンではなく、もっと具体的な方針(戦略)をわかりやすく整理して、ルジャビーにきちんと回答すること。
 そのことは同時に、周囲とパセオ自身に対し、これからのパセオの行動をさくっと明快にするガイドライン強化になるのではないか。
 創刊から四半世紀。これまでにも何度か戦略の転換はあったが、世の中の状況もフラメンコ界の状況も大きく変化した現在。
 この時期に、このビッグテーマに改めてじっくり向き合うことは、むしろ絶好のチャンスのように思えてきた。


 さて、先ほどのフラッシュバックのつづき。
 天才パコ・デ・ルシアが示す道筋を、一般人平均をやや大幅に下回る私がせっせと歩んだ悲惨なプロセスは都合によりカットするが、いつも心にアルモライマ(パコの有名なブレリア)を響かせた歳月は、①暗くハンサムな少年を、②陽気でブサイクな青年に変え、やがて彼にパセオを創刊させるのだが、さて、あなたは①②のどっちがタイプですか?っておゐおゐ、そーゆーアンケート調査ではない筈だろが次号につづく。



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9/25木(その278)

恋におちて





 さて毎日毎日どこまで散歩に行くのかというと、最近の好みはO公園である。
 公園に着くと、私は広場に立って一本の榎を眺める。
 公園には弱い風が吹き通り、やがて風は私が眺めている榎の一隅の枝をゆすって通りすぎた。
 と、ひとつかみほどの黄色い木の葉が撒いたように空中に散り、日に光りながらゆっくりと落ちる。

 それを見ただけで私は満足して帰路につき、そしてふとこういう光景に気持をひきつけられるのも老年かと思う。
 私のそばには幼児と母親が群れていたけれども、誰も一瞬の落葉などは見なかった。
 私だって若いころは、紅葉などにさほど心をとめなかったものだ。

 またある日私は、娘もあっとおどろく徳永英明のテープを聞いている。
 そして青春をうたう徳永のセンチメンタルで甘い歌声や歌詞の一節にふと胸をつまらせたりする
 だが胸がつまるのは感傷のせいではない。
 帰らない青春といった感傷の中には、まだ現在と青春をつなぐみずみずしい道が通じているだろう。
 老年の胸をつまらせるのは喪失感である。
 道はもう通じていない。
 あるのは眼前の日日だけのように思われることがある。
              (「週刊小説」平成3年1月4日号)



 日本に生まれた幸運を深くさわやかに実感させる小説家、藤沢周平。
 冒頭文は周平師64歳におけるエッセイ『老年』からの抜粋。
 ふうん、そんなものなのかなあ……。
 これを読んだ当時30代後半のまぬけな若造にこんな心境が実感できるはずもない。
 そしてあれから十数年。
 春の桜木と同じくらい晩秋のイチョウ並木に心惹かれるようになった昨今では、ほんの少しだけこんな気持ちを理解できるようになったかもしれない。
 大人になれてちょっぴりうれしい気分。
 だが同時に、その代償の意外な大きさに愕然とするのも、きっと人生の醍醐味のひとつなのだろう。


 さて、当時びっくりしたのは文中の「藤沢周平→徳永英明」という何ともミスマッチな図式だった。
 いかに大の周平ファンとは云えども、彼の音楽に積極的な好意を持ってなかった私には、じゃあ早速それを本腰いれて聴いてみようかという気持ちは起こらなかったようだ。
 ところが最近になって、小林明子さんの名曲『恋におちて』を歌う徳永英明さんを偶然テレビで観た。
 えっ、これがあの徳永英明なのか…。
 彼は明らかに変化していた。
 しっとり歌い上げるその名唱は、理屈ぬきですんなり胸に沁みた。
 そこで真っ先に思い出したのが冒頭のエッセイだったというわけだ。

 余談ながら、同時によみがえった記憶がもうひとつ。
 このナンバーを十八番とする、その昔付き合っていた女性のことだ。
 音大出身の彼女の歌う『恋におちて』もそこそこ聴かせる域に達しており、それを聴くのを好きだった私がその昔の直後にフラれたことは云うまでもない。
 かくして「藤沢周平→徳永英明←昔の女」というさらに奇妙な図式が私の中に生まれた。


 こんな連想ゲームにハマったその翌日、早速ご近所ムトウ楽器店で『徳永英明/ヴォーカリスト』という実力派女性歌手たちのカヴァーCDを3巻買いそろえた。
 先の『恋におちて』を含む全40曲。
 うれしい事にそこには、異邦人、シルエット・ロマンス、恋人よ、駅、いい日旅立ち、セカンド・ラブ、秋桜、なごり雪……などなど、かつて私も爆唱したお気に入りナンバーが満載されていた。
 そしてこのひと月ばかり、パセオや自宅で毎日のようにこれらCDに聴き入っている。

 選曲センスも見事だが、異なる色彩のそれら全てを歌いこなす芸域の広さにも驚かされる。
 甘い美声と評される彼の声質は私の好みではないが、その表現にうまいばかりでなくハッとするような核心が見え隠れするのにはドキリとする。
 あり余る技巧が突出せぬよう、淡々とひそやかに、敢えて意図的なクライマックスを創らぬ、誠実にして静かなパッション。
 その飽きのこない味わいと安定した充実感からは、ハンパではない底力が伝わってくる。
 職人的な細部の磨きこみも確かだが、全曲を貫き通すアーティストとしての揺るぎないヴィジョンが素晴らしい。
 だが何よりの決め手は、その切実なるリアリティではないかと私は思った。



 「帰らない青春といった感傷の中には、まだ現在と青春をつなぐみずみずしい道が通じているだろう。
 老年の胸をつまらせるのは喪失感である。
 道はもう通じていない。
 あるのは眼前の日日だけのように思われることがある。




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 ラブソングに感情移入するとき、自分の記憶にそれを強く重ね合わせながら聴くことは、若い頃はごく自然であたり前のことだった。
 ところが寄る年波というのは、それを徐々にではあるが、物語を客観的に眺めるような聴き方に変えてしまうようだ。
 大人になることでやたらめったら傷つくことも無くなるかわりに、もれなくセットで付いてくる底なしの寂寥感。
 64歳の周平師はそれを"喪失感"と表現された。


 さて、徳永英明さんは現在47歳。
 周平師がこれを書かれた64歳まであと17年を残す彼には、まだまだ道は瑞々しく通じているにちがいない。
 けれども同時に、「道はもう通じていない」とある日突然気づくのも、そう遠い日ではないことを彼は予感している。
 帰らない青春を懐かしむセンチメンタリズム、そしておそらくそれさえも喪失するであろう未来。
 そのグレーゾーンの真ん中あたりに彼は立脚している。
 そのスタンスは極めて冷静だが、その眼差しは哀しいまでにあたたかい。



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 何かを得ることによって失うもの、失うことによって得るもの。
 無常がゆえの美しさを、しみじみ噛みしめるが如くに歌うアートの、そのストライクゾーンは思いのほか広い。
 だがらこそ彼は『ヴォーカリスト』において、豊かなリアリティをもって、幅広い年齢層の共感を得ながら、はかなくも愛しい人生を謳い上げることに成功しているのだろう。

 「ほう、なかなかやってくれるじゃないか」
 今はなき師匠がこれを聴かれたら、きっとそんな"周平独り言"をもらすにちがいない。










9/4木(その277)

秀さん





 1コンパス12年にわたり通い詰める、私の愛する隠れ家的呑み屋“”。
 この間、週3日としても2000回近く通った勘定になる。
 そのオーナーシェフを秀さんと云う。
 梅宮辰夫さん、中村玉緒さんら食通たちもこぞって通うほどの料理名人である。
 やんちゃで茶目っ気もあるが、なにより優しく頼もしい大人で、俳優のメル・ギブソンに雰囲気が似ている。
 とーぜん女どもにもモテたが、男どもにもモテた。
 グチを嫌いユーモアを愛し、いつも明るく前向きで、誰からも好かれ認められる超一流の仕事人。
 秀を知る者は、みな一様に彼の気取らぬ人柄と腕前を慕い愛した。

 ちょうど一週間前、8月28日の早朝に、秀さんがなくなった。
 深夜に自宅で倒れ、病院に担ぎこまれたが、すでに施しようはなかった。
 手術後、入退院を繰り返していたが、可能な限りカウンターに立ち、死の数時間前まで訪れる客に愛情のこもった極上の料理を創りつづけた。
 覚悟はしてたが、現実はやはり別物だった。
 私より5歳上の58歳だった。
 しばし平衡感覚を失い、泣きながら仲間たちにその旨を電話で伝えた。



 「小山さん、これやっから、大事に使えやっ」

 別れの三週間くらい前のことだった。
 元気さを装う笑顔の下に末期ガンの苦痛を抱える秀の店に、前以上の頻度で通ってた。
 板前の魂とも云える包丁の一本を、その日秀さんはこう云いながら私に与えた。
 料理好きの私にはチョーうれしいサプライズであるにもかかわらず、嬉しそうな顔を維持するために、むしろ私の顔は何度もひきつっていたと思う。
 それが形見分けであることを、いかに鈍感な私と云えども、その瞬間に気づいた。
 どれぐらいもつのか?
 それがわかったところで何もできねーなら考えるのはやめろ、いつもと同じように通うしかねーだろ。
 家に戻った私は、すぐに冷蔵庫にあった肉の塊でその切れ味を試し、翌日その結果をはしゃぎながら報告すると、秀さんはうれしそうに笑った。
 ブタに真珠と云えども、名人の愛した包丁の使い心地は実際最高だった。


 秀さんは福島いわきの出身。
 小学一年の頃から納豆なんかを売り歩いて小遣い稼ぎをしてたという。
 料理の腕前はその当時から一丁前だったらしい。
 やはり天職だったのだ。
 高校を出るや、料理人として貿易船に乗り込み、七つの海を駆け巡る。
 時おり話してくれるその頃のハチャメチャな武勇伝にはハラを抱えて笑ったものだ。
 船を降りてから、向島の料亭で本格的な日本料理の修業をはじめた。
 秀さんのベースは懐石料理だったが、その本領はイタリアン、フレンチなどの技法を採り入れた創作料理にあった。
 フラメンコをベースにジャズやロックを咀嚼吸収し、さらに再構築~創造することで、世界中にフラメンコギターの魅力を知らしめたパコ・デ・ルシアのような料理だよと云っても過言ではないが、時おり暴発する下ネタがその総合評価をイッキに下げていたと云ってもこれまた過言ではないだろう。

 この12年の間に二度ほど、秀にダメ出しを喰らったことがある。
 嫌な雰囲気を醸し出しほかの客に迷惑をかける人に対し、私はひどく冷酷だった。
 そうした相手に、ただのひと言で息の根を止めるような辛辣な言葉を浴びせたことがある。
 そのあと、二人だけで話せる機会を待って秀さんは私にこう云った。
 「いかな相手でも、あそこまで云ってはダメだ」
 店全体のことを考えイヤな役目を買って出たつもりの私だったから、最初にそう云われた時は、何を理不尽!と思い、そう云い返した。
 しかし、二度目に同じことをやんわり云われたとき、秀さんが、もっともっと大きな調和をヴィジョンとしていることに気づいた。
 そのことの意図する豊かさのわからぬ歳でもなかった。
 以来私は、怒りの頂点に達した自分が発する猛毒を棄て、相手の急所をはずすトホホな罵倒方法をおぼえた。


 7月半ばに秀さんを囲む呑み会をセッティングしたのは、私にしては上出来だった。
 何となく察していた十人ほどの仲間は"あ・うん"で集まり、秀さんを真ん中に据えて下北沢の鮨屋で呑んだ。
 少し気まずくなってた友も仕事をキャンセルして駆けつけた。
 肴の注文を引き受け、全開の笑顔で終始うれしそうに冷酒をやってた秀さん。
 今また、気を利かした後輩の撮ったその集合写真を眺める。
 生涯にそーおいそれとは訪れない、皆して笑いこけ続けた、利害のない、心だけでつながる、あの深い想いに充ちた美しい呑み会の光景がよみがえり、心の鳥肌がとまらない。

 そうした現象の源が、秀の放つオーラにあったことを改めて深く認識しなおす。
 残る命を惜しむことなく、往く数時間前まで板場に立っていた彼に想いを馳せる。
 “プライド”のほんとうの意味とか価値について考える。

 月を見上げて泣くスッポンよ。
 おめえもあんな風に生きてーなら、もーちょいしゃんと生きてみんかいっ!




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8/20水(その275)

疾走するオラシオン連歌





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 シンプルだが厳格なルール。
 それさえ守ればあとは何でもあり。

 そういうタイプのものが昔から好きだった。
 ビー玉やらメンコやら将棋やらハムラビ法典(←な、なんで?)やら。
 最小ルールでのびのび表現できるものが性に合ってるのかもしれない。
 おそらくフラメンコに惹かれたのも同じ理由である、ってほんとかよ。

 現在mixiのコミュニティ「フラメンコはライフワーク」を突っ走る"オラシオン連歌"への書き込みは、各種ブログの方は手を抜く近ごろの私のルーティンワークとなっている。
 読んだり書いたりで1日平均10分くらい。
 仕事の合間を縫って潤す、最高のリフレッシュタイムだ。
 オラシオン連歌は実にシンプルな二行詩の形式(うち1行は直前コメントのコピペなので、書き込みは実質1行のみ)を採るが、前後の詠み人同士の信頼に充ちた大らかな連携と自由奔放なインスピレーションが重視される、実にフラメンコ的なアート形式である、と云ったら明らかに過言である。
 よーするに、ウェブ上に自然増殖するアホたれ仲間によるボケ防止システム(て、手遅れか?)なのだ。

 この6月にスタートしてわずか2ヶ月。
 本日さきほどメデたくも、コメント数はシステムの限界である1000件を超え、現在はそのパート2が疾走中である。
 もつろんフラメンコ関連では初の出来事であるし、mixi全体でも極めて珍しいケースらしい。
 常時参加するメンバー(=レンジャー)は数名なのだが、トピ主オラシオン(おそらくトップ写真中央の人物/年齢性別不肖のチョー美女)の大胆不敵すぎるカリスマ姐御性と、私を含む手下どもの傍若無人なコメント連携がミョーな具合に噛み合ってるようだ。
 ふだんはのどかにチンタラ展開するのだが、時おり何の前触れもなく、うねるようなコンパス&アイレが発生して、スリリングにしておマヌケな大爆笑を巻き起こす。
 個人芸が光ることもあるが、それら異文化同士が連続しながら連携スパークする時の相乗効果的パッションは、そりゃもー強烈にアホらしい。
 人と人とがふれあう“連携それ自体”に宿る美しさ、あるいは懐かしさ。
 それが書き込む者と読む者に、ある種の癒し感を共有させるのではないかとも思う。



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ありゃ、おもしろいよ」。
 mixiウォッチャーのフラメンコ関係者は昨今、まずこんな風な感想をもらす。
実はオラシオン連歌にハマっています」。
 こう直接メッセしてくるマイミクさんも増える一方だ。
このシステムはウェブ上の社会現象に発展する可能性がある」。
 地元呑み仲間の売れっ子コピーライターは、まぢ顔で私にそう予言する。
 テーマの程よい細分化がポイントだと彼は指摘するが、ほ、ほんまかいな。
「ありゃ観るもんじゃなくて、やるもんだから」と、参入したいらしい素振りを見せる彼らを気軽に私は誘うのだが、どうも皆してビビってしまうらしい。

 一方で、ツラの皮の厚さで鳴らす常連レンジャーのイメージはおそらく一致している。
 そのイメージとは、畏れ多くもフィン・デ・フィエスタのブレリアだ。
 ギターでもカンテでも踊りでもパルマでもハレオでも何でもいい。
 前の人からの流れに留意しながら、自らサクッとひと振り入れる。
 後に続く人へ、ほんの少しだけ配慮できればさらに上等だという了解はある。
 ダレたゆるゆる局面と、スリリングなブレリア的局面とが、まったく不規則に訪れる。
 ウマいヘタよりも生命感・躍動感のあるコンパス・アイレが場を楽しく盛り上げる。
 にしては、その即興的な書き込み作業(数十秒)はあきれるほどにエー加減である。

 では、「入りたいけど入れない」潜在レンジャーがためらう要因は何なのか?
 よく似ているのは、大勢で順番に飛んでゆくナワ飛び(お入んなさい)だ。
 要領をつかめば簡単なのだが、それまでは確かに難しかったな、ありゃ。
 くやしさをバネに何度もしくじる内に、偶然・自然とコツをつかんだことを思い出す。
 もうひとつは“ひと振り”の中身。
 持続力のないイッパツ狙いがミョーに浮いてしまうことは、自ら存分に経験済みだ。
 詰め込みすぎちまったり、あまりに一人よがりだったりするとコンパスはうねってくれない。
 かと云って、あまりにおとなしすぎてもコンパスは固まっちゃうしな。
 これも何度もしくじる内に、自然と頃合いみたいなのがわかってくるようだ。
 うまくやろうと意識しすぎると、逆にしくじっちまうところなんかはまるでフラメンコそっくりだよ。



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 こう分析すると、入りたくともためらっちまう気分もわかってくる。
 しかし他方で、トピ主や私ら手下どもが、フィン・デ・フィエスタのような高度な芸当をこなせる深~い配慮に充ちた人間でないことは明らかなのである、きっぱり。
 チンタラ遊んでるうちに自然とゆーか偶然とゆーか、まるでフラメンコと同じように、そのコンパス&アイレの感触がほんの少しづつわかって来るというのが実情なのだろう。
 ただひとつ注目すべきは、この単純明快なシステム自体が、他者同士の大らかな連携を糧に、多彩にしてインパクトのある表現システムを次々と生み出し続ける現象である。
 そう、笑ってやってくだせえ。
 私はそこに、馴れ合いではなく他文化(=他メンバーの長所)を貪欲に吸収しながら、自発的に拡大発展を続ける“フラメンコ”の擬似形成プロセスを観るのだ。
 ちなみに、“オラシオン”とはスペイン語の“祈り”を意味する。

 さてもつろん、連携するレンジャーが多いほど、もたらされる実りは豊かにして楽しい。
 ま、実際のところは、下ネタやわかめネタ満載のあきれる程にくだらねえお笑いトピックスに過ぎねえわけだがそれがどーした!
 つーことで、皆さま方のオラシオン連歌へのご参入は大歓迎なんであります。
 年イチでも月イチでも週イチでも、平日だけでも土日だけでも、いつでもお出入り自由の明るく開かれた“虎の穴”なんであります。
 虎穴に入らずんば虎子を得ず。
 宝くじも買わなきゃ当たらん。(←最近知った)
 しかも、もし貴方がやりそこなってどんだけスベっても、お仲間レンジャーが即座に駆けつけ息の根を止めてやっからしんぱいゴム用!という空前絶後のサービスが今ならもれなく付いてくるんであります。


 さっ、このよーに、どーでもいーことに真剣かつ見当つがいに踏み込むのが私の本質だ。
 そんなこんなで今回、疾走するオラシオン連歌についての現時点における見解を、とりあえず以下にまとめておきたい。

 それはズバリ!、主にコミュニケ不足で殺伐とするばかりの現代ニッポンにあって、「他者とのふれあい」「自己表現」「新たな相互発見」を、わずか2行の書き込みで実現するフラメンコ的実践ではないかって、乏しすぎる根拠を元にここまで強気で云い放つ私に、どーか深いお慈悲と大らかな愛の手(またはオレオレ現金書留も可)をどーぞよろすく!





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8/17日(その274)

パセオ社員に告ぐ




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 パセオ9月号特集の埋め草に載っけた拙稿「あいにく国境は見えない」が、ギョーカイで意外な好評を呼んでいる。
 すでに十名以上の方々からいろんなタイプの賛辞をいただいた。


「空いたページをとにかく埋めたことに大きな意義がある」
「あれはよかったぞ。読んでねーけど」
「ヨランダさんのイラストがよかった。イラストだけならもっとよかった」
「他の執筆先生方のありがたみがわかった」
「気にするな。どーせ三行以上読めたヤツはひとりもおらん」
「むしろあのページだけ白紙で出すという潔い選択肢はなかったのか?」


 そう、絶賛の嵐なのである。

 それもそのはず、チョー多忙を極める私が、各種外渉・各種会議・各種プロデュース・各種営業・各種ウェブ書き込み・三度のバッハ・散歩・ドンチャン騒ぎ・ゴミ出し・爆睡などの激務の合間を縫って書き上げた渾身のチョー大作なのである。
 前にブログに書いたものを三つばかりコピペで切り貼りして、テキトーな接続詞でつないで締め言葉を盗作でつぁんつぁんと結んだだけの原稿のよーにも見えるが、実際には構想から仕上げまでに、少なくともトータル約30分という膨大な時間を注ぎ込んだ涙の労作なのだ。

 あいにく私はチョー多忙なので、印刷された私の原稿に目を通しているヒマはないが、眠れない夜のために枕元に常備しておけば、三行読むだけで爆睡できる自信はある。
 月刊パセオフラメンコを鍋敷き以外の目的で使用したことのない方々にとっても、これは驚愕の朗報となるはずである。
 たいした副作用もなく(少しだけアホになるが)、これほど効果の高い睡眠薬は他にあろうはずもない。
 書店ではなく薬局・露店などにおける販売を視野に入れつつ、パセオ社員は一刻も早い再商品化を検討すべきであろう。



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7/25金(その273)

あいにく国境は見えない





「三度のゴハン」と云うが、私にも「三度のバッハ」という生活習慣がある。

 日に三度はバッハを聴くという高校時代に始まるこのルーティンは、途中パセオ創刊から10年ほどのブランクを除き現在も続いている。
  ゴハンを食べて歯を磨いてトイレに行くのと、まったく等しい日常行為だ。
 実を云うとこれは「ゴハン・セバスチャン・バッハ症候群」と呼ばれるチョー難病なのだが、人体にはまったく影響がなくて、むしろ調子がいいくらいだ。

 ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750)は地球最高峰のミュージシャンとも称されるドイツの作曲家&即興演奏家。
 そのバッハ演奏とくれば本場のドイツ人に限る、と当然そう思うでしょ?
 ところがどすこいっ!!
 ずばりオランダ、ベルギー、日本あたりが現代のバッハ演奏の主流なのだ。
 いまだに世界中に愛され続けるバッハ弾き、かのグレン・グールドもカナダ人だし、パブロ・カザルスもスペイン人だ。
 ただし御本家ドイツ人様が下手なのではない。
 分家があまりに凄すぎちゃうのだ。
 だから、時おりドイツ人の優れたバッハ演奏家が出てきたりすると、むしろ物珍しさでCDを買った上に、へえー、やっぱ血筋も関係あるんだあ、などと妙な感心をすることになる。


 ドイツ人なのにバッハが上手い。
 まるで日本人なのに横綱だあ!!みたいなマルティン・シュタットフェルトもそんな演奏家の一人だ。
 彼は2002年、東西ドイツ統一後に本家ドイツ人として初めてバッハ国際コンクールに優勝した注目の若手ピアニストである。


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 初めて彼のライブを聴いた時、その横綱的快演にドヒョー(土俵)と心で叫びつつも、何やら私はほっとしたものだ。
 それは、愛するバッハを生んだお国に優れたバッハ・プレーヤーが誕生したことに安堵する地球愛的心情だったかもしれないし、あるいは、やっとこさ日本人横綱が誕生してくれたか、みたいな愛国的心情の倒錯だったかもしれない。


 私たちのお国においても、柔道で金メダルを取ることは楽ではない時代だし、貴乃花の引退後、日本人横綱を土俵上に観られなくなってすでに5年が経つ。
 スポーツのみならず音楽の分野でも、日本人のお家芸であるはずの尺八演奏においてそんな傾向は顕著だ。
 例えば、日本人より日本的な音を出すオーストラリアの尺八奏者ライリー・リー。
 彼のような達人クラスの外国人奏者はわんさか居て、実際それらを聴いてみれば、ただ唖然と息を呑むばかりだ。
 体力・合理を評価しつつも、一本勝ちを志さない外国人柔道や、勝つだけの相撲をとる外国人相撲にはいまひとつ共感は薄いが、内容・技術ともにプーロ(純粋)な本質に迫らんとする外国人尺八演奏は、ストレートに御本家日本人の心を打つ。
 ああ、これなら負けても嬉しいかも的な、フシギに痛快な敗北感。
「なぜ日本人がフラメンコを?」という例の時代錯誤な質問攻勢にええ加減うんざりしていた私などは、その返答用にとライリー他の尺八名演CDを大量に買い込み、国境好きな論客連中に配りまくったものだ。
 その意味で彼らの尺八演奏と日本人のフラメンコは実に近しい。
 それらを比較検証すると数多くの共通項が発見できるが、その最たるものはズバリ、心底惚れた相手に対するレスペト(敬意)ということになるだろう。
 それはパスポートよりもはるかに重い、熱き慕情そのものと云ってよい。

                            (つづく)


 ――――――――――――――――――――――――



 以上は、月刊パセオフラメンコ2008年9月号(8/20発売)の「特集:レスペト(敬意)」から一部抜粋。
 滅多なことでは本誌に書かない(書かせてもらえない)私の原稿だ。
 ほんとうは全文掲載したいのだが、こんなのを全文載っけたら9月号が爆発的に売れ残ってしまう!という社内の危惧に謙虚に耳を傾けた結果である。TT









6/20金(その269)

★祝200回記念インタビュー





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  (Q)とうとう祝200回目ですね。
おめでとうございます。

 や、ありがとう。
 でも、269回目なんだよね、今日で。
 なんか不安だなあ。フアン・デ・フアンだなあ。
 キミあんまり読んでないでしょ、このブログ。

(Q)いえ、ほとんど読んでます。
少なくとも三つぐらいは。

 あ、あのなあ、インタビューしたいのか、ボケかましたいのか、そこらへんをチョー明確にしてほしーのだが。

(Q)もちろん、チョー絶賛インタビューです。
これからだんだんとホメますからご安心ください。
ところで、パセオの社長がこんなまぬけなブログを書いて、会社の評判や業績に悪影響はないのですか?

 うなぎのぼりですね、、、赤字の額が。
 もともと就職試験にどこにも受からないのでヤケクソで作った会社ですから、そこんちの社長が何しでかそーと、ヒョーバンもギョーセキもへったくれもねーわけです。

(Q)えええー、全部落っこちちゃったんですかあ?

 えーそーですとも。
 将棋のプロテストも公務員試験もレコード会社も出版社も、そのほか二流企業も三流会社もみんなみんな仲良く落ちましたとも。

(Q)ついでに毛髪も落ちたというわけですね。
なるほど、さすがに一貫性がありますわ。
それで25歳で独立、今年は社長業28周年ですね。
これまでに、大きな後悔みたいなのは何百ぐらいありますか?

 なんだよ、その何百って決めつけわあ。
 あのなあ、自慢ですけど、これっぽっちも後悔はねーでがす。

(Q)おお、さすがは江戸っ子ですねえ。

 おお、三代目の江戸っ子よお。しかも 親父が 神田の生まれよっ!

(Q)しかし、3勝997敗という人生戦績でよくぞここまでご無事でしたね。

 まっ、なまじウマくいくと、すぐに調子こく性格なんで、
 これぐれーでちょうどよかったんだね。
 逆に別の生き方してたら、今ごろ命はねー可能性が高えしな。

(Q)座右の銘は「人間万事塞翁が馬」だとか。

 そっ。世の中は万事塞翁が馬なんだから、くよくよ後悔する必要なんてまったくねーわけ。
 いまこの瞬間とその積み重ねだけが肝心で、やり直しはどこからでもアントニオ・可デス。

(Q)なんかよくわかりませんけど、ご立派です。
ところで、ご自分の長所をどう分析されますか?

 …………。

(Q)どうなされました?

 た、たくさん有りすぎて思い出せないが、
 おっ、そ、そーだ、私の最大の長所は“直観”だと思う。
 重要な決断はだいたい三秒で決めた。
 結果はともかく、その決断の速さは誰にも負けないつもりだ。

(Q)結果からすると、決断力には優れているけれども、
計画性や人間性やルックスなどに大きな問題があったということですね。

 …………。

(Q)よ、よくわかりました。
質問を変えましょうね。
では、ご自分の短所をどう分析されますか?

 ないです。

(Q)…………。

 短所ありません。
 長所のかたまりです。
 ずばり、カンペキが服着て歩いてる感じでしょー。

(Q)あ、あの、お気はたしかですか?

 お気がたしかなら、パセオ社長なんかやってるわけねーでしょーがあ。




                 (つづく)  とは思えん。





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5/20火(その266)

★楽しいバッハ歴





 キリストさまによる「西暦」は世界共通なのでとても便利だ。
 ただ、音楽全般を時間的に俯瞰しながら感じたい時などに、多少の不便を感じることもある。
 そんなことを想ったある土曜日、代々木公園のドッグランにジェーを遊ばせながら、この問題を一挙に解決する“バッハ歴”なるものを私は思いついたのだった。



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 それ以前の音楽を集大成し、それ以降のあらゆる芸術ジャンルにいまも確固たる影響を与え続ける大バッハ。
 超天才インプロヴァイザー(即興演奏家)だったバッハは、少年時代から最も親しくなじんだ作曲家だ。
 そして、インターナショナルな音楽の多くがそうであるように、現代フラメンコもまた(多くはジャズ経由など間接的であるにせよ)バッハから大きな恩恵を蒙っている。

 そのバッハの生まれ年、つまり「西暦1685年=バッハ歴ゼロ年」とすることで、他の大好きな作曲家との時間的な距離間隔を眺めやすくしよう、感じやすくしようとするのがここでの私の意図である。
 で、試しに、私の暮らしを日常的に豊かにしてくれる最近の作曲家マイベスト20を、そこに当てはめてみたのが以下のラインナップだ。
 もちろん、そのほとんどは当時の革新的前衛作家たちである。

 ――――――――――――――――――――――――――――――

☆バッハ生誕以前を(BB=ビフォー・バッハ)で表示

(BB122年)ジョン・ダウランド(イギリス)
(BB032年)アルカンジェロ・コレルリ(イタリア)
(BB017年)フランソワ・クープラン(フランス)
(BB007年)アントニオ・ヴィヴァルディ(イタリア)

(AB000年)ヨハン・セバスティアン・バッハ

☆バッハ生誕以降を(AB=アフター・バッハ)で表示

(AB071年)アマデウス・モーツァルト(オーストリア)
(AB085年)ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーベン(ドイツ)
(AB148年)ヨハネス・ブラームス(ドイツ)
(AB155年)ピョートル・チャイコフスキー(ロシア)
(AB167年)フランシスコ・タレガ(スペイン)
(AB191年)マヌエル・デ・ファリャ(スペイン)
(AB194年)滝廉太郎(日本)
(AB201年)山田耕筰(日本)
(AB206年)セルゲイ・プロコフィエフ(ロシア)
(AB217年)ウィリアム・ウォルトン(イギリス)
(AB236年)アストル・ピアソラ(アルゼンチン)
(AB247年)フランシス・レイ(フランス)
(AB260年)キース・ジャレット(アメリカ)
(AB262年)パコ・デ・ルシア(スペイン)
(AB270年)関係ねーけど(日本)
(AB280年)マイテ・マルティン(スペイン)

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 実際にやってみると、これがチョー面白え。
 バッハという絶対値(0)を軸に、他の好きな作曲家たちを生誕年(±何年)で眺める。
 バッハと各作曲家の時間的距離、また各作曲家同士のそれが実につかみやすくなってる。
 モーツァルトにとってバッハは祖父の年代だったとか、ベートーベンにとっては曽祖父みてえだったとかが一目瞭然となるのだ。

 これによって、自分の好みに対する分析がしやすくなったし、まだ本格的には聴いてない気になる作曲家に効率よくアプローチする便利も生じた。
 音楽を米の飯のように愛する私にとって、この俯瞰方法は歴史的快挙と云っていいだろう。
 それがどーしたというブーイングの嵐が聞こえてくるようだが、それがどーした。

 例えば、春のうらら隅田川の「花」、春高楼の「荒城の月」、はっこねっの山は天下の嶮の「箱根八里」、などで有名な滝廉太郎。
 同胞の中で私が最も好きな作曲家で、明治時代に22歳の若さでドイツに国費音楽留学したお方だ。
 バッハ歴194年生まれとなる彼は、留学先の本場ドイツで当然、バッハの薫陶を多く得たことだろう(嗚呼、その二年後に他界とは……)。
 で、タキレンの三年前にフラメンコでもお馴染みのファリャが生まれていたことも今回初めて認識した。
 知的興奮を求めて時おり発作的に聴くプロコフィエフがAB206年生まれで、タキレンよりひとまわりも若かったんだなどと、どーでもいいことに感動を覚えたりもする。



 BB(バッハ前)122年から、AB(バッハ後)280年まで。
 音楽好きを称したところで、たかだかこの400年ばかりの音楽しか聴いてない自分にも気づいた。
 それにしても、(それ以前の先人の功績を忘れてはならねえけども)わずか400年にして、この圧倒的にして絢爛豪華永々無窮な実りを成し得た事実を、いったいどう讃えたらよいものだろう?!
 棲んでる星まで壊しちゃう勢いの、最近何かと問題を起こすことの多い人類全般だが、こうした側面を眺める限り、やはり人類は偉大な宇宙人なのだな、という感慨に捉われざるを得ない。

 人は誰しも厭世的になる性分を持つが、地域や民族や時を超えて、全人間を肯定的に捉えられる瞬間が、私個人のケースで云えば、こうした音楽にひたすら浸り、生きる悦びをひたすら感じる瞬間なのだな、とつくづく想う。
 極端に云って神は、セックスして子孫を残せという本能のみを私らに与えた。
 このセックス好きな地球人がここまでアートやんのかいっ、アーッとドン引きしながらボケる神の姿をときおりイメージする私に宗教を信じる資格はない。



        「月とスッポン」パコ・デ・ルシア/熱風.jpg



 で、ま、そんな調子でなるほどフンフンと悦に入りながらこの表を眺めていると、突然あることを私は発見した。
 まずは、AB260年に即興ピアノで名高いキース・ジャレットが生まれ、その20年後のAB280年にフラメンコのあのマイテ・マルティンが生まれた点。
 さらに、その丁度まん中のAB270年に私ことパセオあほ社長が生まれてる点に注目してほしい。ただし、その8年前にパコ・デ・ルシアが生まれていることには特に触れない。

 さて、これら事実を並べて注意深く検証すると、ある衝撃の真実が浮かび上がってくる。
 音楽に詳しい読者ならば、もうとっくにお気づきかもしれない。

AB260年(キース・ジャレット)
AB270年(私)
AB280年(マイテ・マルティン)

 そう。
 そこには別にこれと云った何の法則も因果関係もなく、ちょうどキリのいい数字だったね、よかったね、という実にサバサバした結論が残っただけである。……(TT)




 さ、気を取り直したところで、どなたか。
 バイレをカルメン・アマージャ、
 カンテをマヌエル・トーレ、
 フラメンコギターをラモン・モントージャあたりで、
 それぞれ何とか元年にして、こんな風に楽しんでみるのはいかがか?って誰がやんだよまったく。




        「チョーくやしい」マイテ・マルティン.jpg









5/19月(その265)

ギャンブル





 こう見えても私は元勝負師である。

 高校・大学を出れたのはその経済的成果に負うところが大きいが、学力が実質的に中卒止まりであるのも同じくそれに拠るところが大きい。
 だから随分昔の事とはいえ、“勝負”というものについてはそれなりの心得があるつもりだ。



2006年⑩月号.jpg




 もしあなたが私の教えに忠実に人生を勝負するつもりなら、1000回する勝負のうち、確実に3回は勝つことができるだろう。
 現にこの私がそうだったのだから、これはかなり堅実な数字と云える。

 「実力に比べりゃ勝ち過ぎだろう」
 「いや、単なるマグレだ」
 というのが私に対する周囲の評判だが、そんな誹謗中傷に挫ける私ではないし、また、当たってるだけに言い訳は難しい気がする。
 ただし、私の教えの逆を行けば1000回のうち997回は勝てるのだから、やはり私は占い師かなんかを志す方が無難なのかもしれんとも思う。


 そんなこんなで、この三十年あまりはいわゆるギャンブルとは無縁の生活を送っている。
 ギャンブル自体を嫌いなわけのない私だが、それでもやらない理由は大きく二つある。
 ひとつには、負けるとわかってる勝負に興味が持てないということ。
 そう、同じ勝負師でも私は弱いタイプの勝負師なのだ。

 もうひとつは、創刊当初ハイリスク・ノーリターンもしくはノータリンと正確に酷評された私の職業の宿命たる、そのギャンブル性の高さである。
 実際には途切れることのない地道な作業の連続なのだが、こうした業種ゆえ毎日がギャンブルみたいなもので、とてもじゃないが競馬・パチンコ・麻雀・カードなどの優雅な賭け事に金や気持ちを注ぎ込む余裕もないのが実情なのである。

 ただ、どちらもギャンブルであることに変わりはなく(では、恋愛や結婚はどう位置する?)、異なるのは達成感の質くらいのものだろう。
 いや、「負けたら負けたで仕方ねえ」とつぶやく心情の色合いもビミョーに異なるかもしれんな。


 さて一方で、若き日の私が、幸運なことに一定の労働に対して安定した報酬を得るような仕事をもしもゲット出来てた場合、そうした安定の反動から不幸なことにギャンブルで身を持ち崩していた可能性は約100%であろうと推測できる。

 さあ、してみると、「出版」「自営業」「フラメンコ」という、各々いかにも危なげなキーワードを組み合わせた仕事に結果的に導かれたことは、20代の私が将来の私を案じたがゆえの、数十年先を読み切ったしたたかな長期戦略の成果だった可能性がある。

 ううむ、だとすれば恐るべし若き日の私よ、君にそのよーなすばらしい先見性があったとは!
 いまの私としては、君にそんな可能性や先見性はまったくなかった方に迷わず全財産を賭けて、スッテンテンになる直前の君から有り金すべて巻きあげてやりたいところだ。











5/14水(その264)

★マリア・パヘスの自画像





 前回にひき続き、人のふんどしで相撲をとる(←ドヒョー)の第二弾。

       『マリア・パヘスの自画像』 by とんがりやま




マリア・パヘス08年5月.jpg









5/10土(その263)

マリア・パヘスを語れる人





マリア・パヘスプライベート.jpg




 きのうマリア・パヘス「セルフ・ポートレート」を観てきた。
 今日は小島章司「越境者」を観て、明日またマリパヘ「セビージャ」を観る。
 こんな信じがたい幸運が当たり前のショーバイだから、滅多なことでは止められんのだと思う。

 さて、まだお会いしたことはないが、私が敬愛する才能の持主“とんがりやま”さん(←たぶん本名ではない)が、マリア・パヘス兵庫公演のレビュー(↓)をご自身のブログに書いておられる。


 http://www.tongariyama.jp/weblog/2008/05/22008_1203.html#more


 なんという、的確にして、愛と誠に充ちたレビューなんだろう。
 ただうれしく読ませてもらいながらも、いろんな意味で私は赤面した。
 本当の意味で「マリア・パヘスを語れる」人は少ないが、とんがりやまのそれは間違いなくマイベストだ。









4/17木(その260)

つかむコンパス




パコ/魂.jpg




 むぎゅう。


 つかんで嬉しいのは“コンパス”だけではない。

 はじめてつかむ綺麗な姐さんの両のおっぱい。
 勤労の見返りはこんなにも大きいのかっ!
 意外にも世の中は楽しく、ちょろいかもしれない。


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 将棋のプロテストに失格後、昼間はそこそこ高校にも通う当時16、7歳の私が、文京区は小石川にある景気の良さそうな製本会社で堅気のアルバイトに励んだ時期がある。
 電話帳の製本という実に単調な作業だったが、それでもいかにキレイに、いかに素早くこなすかというテーマを発見してからは、それなりに楽しくやってた。

 褒められたくてそうした訳ではないが、そんな仕事のやり方がそこの社長の目にとまったみたいで、毎週土曜の仕事がひけたあと、幹部連中と共にくり出す盛り場遊びのお仲間に加えてもらった。
 37年前の国鉄・大塚駅あたりの、1軒目はそこそこの割烹で、2軒目がちょいヤバのキャバレーというのがお決まりのコースだった。
 何せ高1のガキである。今じゃそうもいかねえだろし、随分とのどかな時代でもあったわけだ。
 勘定はすべて社長持ち。時給230円で働く少年にとっては夢のような豪遊である。


 「ほれ遠慮すんな勤労学生、ハタラキもんの特権じゃあ」

 気さくな先輩たちの温かいアドバイスに、こーゆー状況下ではとっても素直な私が、じゃあひとつすんません、と遠慮なくそのお宝をつかませていただいたのが冒頭のシーンだ。
 「この子ロコツぅー」とバカ笑いする、その奥村ちよ似な姐さんの鼻血の出そーなセクシーバディを全身全霊で受けとめたあの歓喜の瞬間を、昨日のことのように思い出す。
 恥ずかしながら男の場合、こうした出来事はとっても大きな人生上のモチベーションになり得る。

 まるでパブロフの犬のように、その後の私が、どんな仕事でもとりあえずしっかりやっときゃ、きっとその内いー事あるだろーという具合の人生コンパスを、いとも安易に刷り込まれちまったのは無理もない話だろう。
 スケベであることに比例して多少のことではメゲない性格は、どうやら十代中盤のこの時期に思いきり形成されたらしい。
 そしてまさしくこの時期に、私はパコ・デ・ルシアに出逢うのだった。


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 当時推測したほど世の中はちょろくなかったが、楽しさの点において、渡る世間は予想以上だったかもしれない。
 ごく稀に、まじめなんですねと云われれば、原点が原点だけに今でも心で赤面する。
 で、そんな奴あ俺ぐれえのもんだろと思いきや、歳を食って周囲を見渡せば、お仲間さんたちはみな似たり寄ったりの風情でもある。

 まぢでけな気ではあるんだが情けないこと甚だしい、ペーソスだけは100点満点と云えそーな、ある“勤勉”の真実。
 如何にもっともらしく構えたところで、結局は女の手のひらで転がってるだけの男たちの実相は、哀しくもあるのだが、ちょお笑えるところに若干の救いがあるだろう。




      月とスッポン.jpg









4/14月(その259)

★我が良きあんたらよ





「まったくの偶然」.JPG




 金や才能がなくともその分がんばりゃ何とかならーなとアタリをつけ、ならば好きなことで暮らしてゆこーと決めたのが十代後半。
 もろもろ見極めたつもりになって、そのとーり走っちゃった二十代。
 見極めそのものの誤りに気づいたものの、もう止まんなくなっちゃった三十代。
 強く反省しながらも、やりたい放題に拍車のかかっちゃった四十代。
 深く反省しながらも、やりたいこと以外はな~んも出来んことが判明しつつある五十代。
 ま、まさか?と気づくも三十年ばかり遅すぎ。あとのフィエスタ。

 バカは死ななきゃ治らないという法則がミョーにこの身に染みるのは、今日というこの日が、残り少ない人生の最初の日であるのと同時に53回目の誕生日だからだろう。


 「人間万事塞翁が馬」は世の実相であり、そのつど変化を経ながらも長いスパンにおいては結局、人はそのヴィジョン通りに暮らし、そういう人となる。
 宗教・思想・倫理などに好意を抱いた若かりし私が、それら先方さんから好意を持たれた
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