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道楽
散歩、音楽、もろもろ
2009/4/28火(その322)
地中海の舞踏
[パコ・デ・ルシア/アルモライマ]
「
これは、まさしく宗歩の1八角!
」
ジャンルを超えるスーパー・ギターデュオ『
地中海の舞踏
』!
この世紀の名セッションに鼻血を飛ばさないギター少年はひとりもいない。
片や、フュージョン系・国際的人気ギタリスト、アル・ディメオラ。
片や、フラメンコギターの神さま、われらがパコ・デ・ルシア。
『地中海の舞踏』は、ディメオラのアルバムに、彼のオファーでパコ・デ・ルシアが1曲だけ単身参加した、LP『エレガント・ジプシー』のチョー目玉的1曲だった。
パコがアメリカに赴き、ほとんど即興一発でキメたという伝説のレコーディング。
つまりこれが、後にラリーやマクラフリンを巻き込み、世界中を熱狂させることになる、あのスーパー・ギター・トリオ誕生の布石だったとゆーわけだ。
[アル・ディメオラ/エレガント・ジプシー CBS 1977年]
後に、この名曲『地中海の舞踏』を含むパコ・デ・ルシアのフラメンコギター楽譜集を、めっちゃめちゃ高い版権使用料を支払ってパセオから出版した。
世界のギター少年が待ち望むこの楽譜集の発行によって億万長者になったろうという壮大なロマンは、元金も回収できぬまま絶版となる哀しい現実に敗北したものの、自分が欲しくて欲しくて仕方のなかった『地中海の舞踏』の楽譜だけは手元に残った。
これがショーバイの基本なのである、ってホントかよっ(TT)。
当時のパセオ編集長Sがパコのギターパートを、社長の私がアルのそれを担当し、締切前のパニックの合間にそのギターデュオをよく練習したものだが、それは音楽とゆーより“音が苦”に近いものだったと、当時の関係者は一様に証言する。
「パコ・デ・ルシア アルバム/
編曲:飯ヶ谷守康、加部洋/パセオ発行1990年」
さて、ギター弾きなら誰しもが夢中になったこの『地中海の舞踏』。
初めてこの名演を耳にした時の驚愕こそが、冒頭のワケわからん私のセリフにつながる。
「これは、まさしく宗歩の1八角!」
(↑)な、なんのこっちゃい?
『地中海の舞踏』を聴いて、この『1八角/遠見の名角』を連想することは、ヘボギターとヘボ将棋の二重苦をあまり苦にしないタイプの好青年(当時22歳の私)だからこそ可能だった美しき妄想だったのである。
後にフラメンコギターの魅力を世界中に知らしめることになるこの国際ガチンコ名勝負『地中海の舞踏』の放つ異形な輝きは、今から153年前、時の最高権力者の前で指され、遠く未来にまで影響を及ぼすことになる宗歩の『1八角』の放つ異形な輝きに実にまさしく酷似していたのである。
[1856年11月/江戸城・御前将棋にて/伊藤宗印 対 天野宗歩]
この局面こそが、将棋界のパコ・デ・ルシアと称される(←たぶん私だけそう称す)お江戸のスーパースター天野宗歩が、百年に一度の歴史的名手『遠見の名角/1八角』を放った世紀の瞬間である。
後に第九世名人となる天才伊藤宗印(現代の羽生善治名人は第十九世名人)を大天才宗歩がこてんぱにKOした将棋で、有段者なら誰でも知ってる有名な局面だ。
敵陣(他ジャンル)に殺到する拠点たる5四歩の存在は、勇猛果敢なフラメンコの使徒パコ・デ・ルシアそのものであり、1八の地点から左斜め上方のパコを全面支援する遠見の名角の存在は、まさにフラメンコの神そのものではないか。
って、誰が知るかよそんなこと。
[棋聖 天野宗歩手合集/内藤國雄九段著/木本書店発行]
さて、学生時代にプロをめざした修業時代の私には、技術書で現代将棋を研究しつつ、詰将棋やシンケン(賭け将棋)で鍛える一方、江戸、明治、大正、昭和にかけての一流プロの棋譜(指し手の記録)を喜々として学んだ時期があった。
音楽と体育と保健体育を除く学校の授業は、頭の中で詰将棋を解いたり棋譜を並べたり、または夜の勝負に備えて熟睡するための貴重な時間源だったことも懐かしく想い出す。
明治維新前、将棋の名人家が幕府公認の家元だったころ、とりわけその幕末の大棋士、棋聖とも称された天野宗歩(あまの・そうほ)は私の憧れのアーティストだった。
あまりの強さに実力13段と恐れられた宗歩は、世襲の家元派閥には属さず、主に賭け将棋や弟子筋(武士や豪商など)に対する将棋指南で生計を立てつつ、名著『将棋精選』なども出版した、孤高のアウトロー的存在だった。
この遠見の名角『1八角』に代表される宗歩の独創的優秀性は、その後大きく発展を遂げた近代将棋の礎となったばかりでなく、現代の超一流プロ棋士たちにも大きな影響を与え続けているのである。
棋聖宗歩が遠山の金さん(左衛門尉景元)らと共に永眠する東京・巣鴨の本妙寺には、ふと何かの構想をまとめたくなる時など、今でも都電に揺られてブラり訪れる。
酒豪だった彼の墓に、日本酒を供え手を合わせると、また来たのかこのヘボが、という無遠慮な声が聞こえてくる。
……そう、まさしくそのとーりだす。
ヘボだからこそ、あんたのインスピレーションをこっそり盗みに来るんだす(TT)。
[東京・巣鴨の本妙寺/棋聖 天野宗歩、ここに永眠す]
天野宗歩とパコ・デ・ルシアに共通するものは、明快にして巨大なそのヴィジョン、そして、それを実現するための果敢なアドベンチャー精神である。
その第一歩をめざし、男の子なら誰でも一度はやってみたいと思うのが、このパコ・デ・ルシアの『
地中海の舞踏
』であり、また、天野宗歩の『
遠見の名角/1八角
』なのである。
思えば、パセオフラメンコ創刊から25年の間に、幾たびこの『1八角』をイメージした次の一手を敢行したことだろう。
そして、それらすべてが玉砕の一手として、はかなく散ったことは記憶に新しい。
現在では、それがどーした、と開き直れるほどに成長した私だが、ほんとうを云えば、死ぬまでに一度でいいから、勝負どころの局面でこの『1八角』を駒音高く盤上に打ちつけ、未来への布石を堂々築くことを、今も虎視眈々と狙い続けているのである。
[パコ・デ・ルシア/熱風]
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2009/4/27月(その320)
週末はピリス!
マリア・ジョアン・ピリス。
マルタ・アルゲリッチと地球のピアノファンを二分する人気女流ピアニスト。
どちらもマリア・パヘスみてーなんだよ、と云ったらわかり易いだろうか。
彼女のモーツァルトにハマり、高校時代からずっと聴き続けている。
もう37年も聴きつづけていることになるのか。
聴くのが恥ずかしかったショパンを、普通に聴けるようになったのも彼女のおかげだ。
面識はないのだが、幾度か電話でお話しした俳優の森本レオさんとの話題には、なぜかいつもピリスが出てきた。
「彼女は一度地獄を見たんだよ」
ピリスの芸風が急変した時期の演奏を、レオさんはしきりに語りたがった。
あのピチピチだったピアノが、凛としながらも深く内省的な演奏に激変したことは、ファンの間でもかなり大きな話題になったことを思い出す。
私には理由はわからないが、だからアートは面白い。
つよしがんばれっ!って関係ねーけど。
今週金曜は、すみだトリフォニーでピリスのコンチェルトの夕べを聴く。
なんと、ピリスの協奏曲は初めてなのだ。
プログラムはベートーヴェンのピアノ協奏曲の第2番と第4番。
第4番の人気は、近ごろ“皇帝”を抜いたとも聞く。
私は颯爽とした5番(皇帝)と迫力満点の3番を好むが、ピリスだったら何番でもかまわないし、もとよりプログラムは何だっていい。
合間には、パヴェル・ゴムツィアコフがシューマンのチェロ協奏曲を弾く。
めろめろにロマンティックでデートなんかには最適の名曲だが、あいにく私は独りで聴くのが好きだし、また一緒に聴いてくれる女性ボランティアも皆無だ。
共演は高関健指揮・新日本フィルハーモニー交響楽団。
つーことで、現在は週末の遠足を夢見る小学生気分。
おやつは300円まで。
ただしバナナとゆでたまごはこれに含まない。
2009/4/21火(その319)
バロメーター
「アートの仕事がしたいんなら、バッハだけはきっちり押さえといた方がいいよ」
万年学級委員だった五つ上の従兄弟の勉あんちゃんは、高校生の私にこう云った。
昨年の法事の席で、あのひと言でオレ助かったよと礼を云うと、すでに後光のまぶしさではあのザビエルを軽々と超える勉あんちゃんは、そのエピソードをまったく覚えてなかったが、そーか雄ちゃんが生きてんのはオレのおかげだったか、じゃあとりあえず今度寿司おごれ、目が回らないやつでさっ、と私を恐喝した。
若い頃に、自分が好感を持つ人から自分に向けて発せられる言葉というのは、案外に強烈な影響を及ぼすものなのかもしれない。
勉あんちゃんの冒頭のひと言で、私のバッハ好きには相当の拍車がかかったはずだ。
かつてはギターやリコーダーで自らバッハをプレイしたこともある。
テクニックとリズムと音色と解釈と音楽性と暗譜の問題などを除けば、そんなに悪い演奏ではなかったと思うが、私がバッハを練習する時には、誰も私に近寄ることはなかったことを思い出す。
ついでに、他の曲を練習する時にも、誰も私に近寄ることはなかったことを思い出す。
本格的にバッハを聴きはじめたのは高校時代だから、そっちの方はすでに40年近い年季が入ってる。
その当初から、バッハ関連のライブや楽譜・書籍やレコードに使った金だけはハンパじゃなかった。
自らそれをハイレベルに体現できない以上、その道の専門家を縁の下から支えるのはファンの使命だと思いたい、ギブ安藤テイクな私なのである。
そのためによく働いたし、よくメシも抜いた。
ヨハン・セバスチャン・バッハ(ドイツ/1685~1750年)。
単純に生理的に好きなのだが、もちろんそれだけではない。
この音楽をバックボーンに生きる限りは、いっくら世の中が厳しくてもそう簡単にはくたばらねーぞ的に、チキンなハートの内側に、じんわり勇気が湧いてくる感触がいかにも頼もしかった。
また、日常的にバッハとふれあうことには、いつでも危なっかしい私が人の道を踏み外すのを辛うじて回避させてくれるお守り的効果もあったかもしれない。
NASAが異星生命体との交信用メッセージとして選んだバッハの音楽は、数学的であり、かつ文学的であるとよく評される。
数学と文学の行き着くところは結局は一緒なんだと誰かが云ってたが、バッハの音楽には、まさしくそんなファンタジーがある。
感性その他もろもろに不足のある私のようなタイプの人に限って云うと、彼らが自分の心の中に確かなバロメーターを築きたいと願う場合、その製造手段としてのバッハは、なかなか有力であるかもしれない。
[フィロメーナ・モレッティ/バッハ・アルバム
◇TRANSART 2004年]
さて、バッハのお気に入りCDは、季節や天候や気分などでコロコロ変わるが、近ごろはギターやリュートのバッハを集中的に聴いている。
端正なジョン・ウィリアムスや、名人アンドレス・セゴビアを現代風に後継するクリストファー・パークニングや、リュートのホプキンソン・スミスなんかを特に好んで聴くが、今もパセオに流れるように、ここ数日はイタリアの女流ギタリスト、フィロメーナ・モレッティ(1973年~)にハマっている。
ライブ録音なのにほとんどノーミス、しかもノリノリのバッハなのである。
バッハ演奏においては淡々とインテンポつーのが通常的なのだが、彼女のバッハは、自由奔放にほんとうによく歌う。
だが、やりたい放題というのとはちがって、その強靭なテクニックの裏側には、それ以上に強靭な信念がみなぎっている。
おざなりをよしとせず大胆な表現に踏み込む、その心意気そのものが何よりうれしい。
最初は少なからず抵抗があったが、ここまで徹底的にやってくれんのなら、ま、いーか、バンザ~イ、みたいなことになりつつある。
信念ある一貫性が、ハイレベルなある水準を充たしたとき、それが人々の好みなんかを楽々超えながら直接ハートに飛び込んでくるのは、何でもかんでもいっしょみたいだな。
その昔の銀座・数寄屋橋あたり、ふと足を止めて聴いた赤尾敏さんの辻説法。
右でも左でもない私だが、ふいに浮かんだその面影が妙に懐かしかった。
[フィロメーナ・モレッティ/バッハ・アルバム2
◇TRANSART 2008年]
2009/3/30月(その316)
アランフェス協奏曲
さあ、もうほんの少しで本格的な桜じゃあ!と意気込むその朝。
ふと、アランフェスが聴きたくなって、その愛聴CDを5枚ばかりバッグに詰め込み、ぶらぶら歩きでパセオに向かう。
ソリスタのマイベストは、お察しのとーり、われらがパコ・デ・ルシアである。
[パコ・デ・ルシア/アランフェス協奏曲 ポリグラム 1991年]
「チャララ~♪」で始まる深い郷愁に充ちたメロディで知られる第二楽章アダージョが、世界中の人々に愛されるこのスペイン生まれのアランフェス協奏曲には、クラシックの超大物ギタリストによる名盤が目白押しだ。
名盤でないのも多いが、最低レベルの演奏でも私より3億倍は上手いので、結局私はマイナーレーベルも含め、世界中のアランフェスCDを集めることになった。
◆ドスの効いた筋金入りのスペインが響く、初演者
レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ
。
◆オケに負けない衝撃のライブが蘇る、堂々たるあの風格が懐かしい
ナルシソ・イエペス
。
◆軽々と国境を超える、名指揮者バレンボイムとのしなやかな名演、
ジョン・ウィリアムス
。
◆あのサー・サイモン・ラトルのタクト、磨き抜かれた宝石のごとき
ジュリアン・ブリーム
。
◆作曲者ホアキン・ロドリーゴが最も好んだという、鮮やかに颯爽たる快演の
ペペ・ロメロ
。
◆自由奔放にひたすら美しい音色で疾走する、フィジカルな快感に充ちた
アンヘル・ロメロ
。
◆世界中を震撼させた超絶テクニックで、ギター協奏曲の限界を吹き飛ばした
山下和仁
。
◆プラシド・ドミンゴのよく歌う指揮棒に、流麗さながら寄せては返す
マヌエル・バルエコ
。
◆斬新な発想でアランフェスの妖しい魅力を引き出す、人気作曲家
ローラン・ディアンス
。
◆抜群の色彩の厚みあるオケとのからみで、美しい録音を成功させた
クレイグ・オグデン
。
指揮者もオーケストラも音楽的アプローチもまるで異なる名盤たちだが、おそらく100回以上は聴いたであろうお気に入りの人気ディスクを挙げるだけで、こんな風にすぐに十指に達してしまう。
そんな中にあって、パコ・デ・ルシアのアランフェスは、際立って異色である。
クラシックギタリストではないから、という理由ではない。
難しいアランフェスでは通常考えられないライブ録音だから、という理由でもない。
作曲者ロドリーゴがすぐ後ろでそのギターを聴いている、という理由でもない。
アランフェスを歌う、そのリズムのノリの素晴らしさが、ただひとり際立っているのだ。
これ以上完璧に弾くことは無理だと思わせた名人たちの苦心のリズム処理を、パコ・デ・ルシアのギターが楽々と超えるのを聴いた刹那の衝撃は言葉にならない。
ああ、アートには限界というものがないのだ、ということを思い知らされた。
カンテやバイレ、他のさまざまな楽器、他のさまざまなジャンルとのアンサンブルによって鍛え抜かれた筋金入りの協奏センスが、オーケストラとの共演に実に豊かな充実をもたらしている。
その演奏に現れる堂々たる風格は、超人アルフレート・ブレンデル弾くところの、国際的定番とも云えるモーツァルトやべートーヴェンのピアノ協奏曲を髣髴とさせる。
ま、平たく云えば、ぶっち切りに楽しい純粋本格正統派のアランフェスなのだ。
さて、近年のレコード不況で新録音の少ないアランフェスだが、ライブや録音で聴いてみたいギタリストが常に何人かはいる。
これまで何度か書いてきたが、その筆頭は本来のクラシック畑のギタリストではなく、フラメンコギターのフアン・マヌエル・カニサレスである。
オーケストラとの共演にも抜群の反射神経を発揮するビセンテ・アミーゴのそれももちろん聴いてみたい私が、真っ先にカニサレスのアランフェスを切望する理由は?
[フアン・マヌエル・カニサレス/イマンとルナの夜]
パコ・デ・ルシアの“フラメンコ”、ビセンテ・アミーゴの“音楽”に対する、フアン・マヌエル・カニサレスの“ギタリスティックなギター”。
ギターの魅力を最大限に弾き出すことのできるギタリストの演奏によって、最もギタリスティックなギター協奏曲“アランフェス”を存分に味わうことは、老い先短いこのギター少年(←53歳)の見果てぬ夢でもあるのだ。
加えて彼特有の美質である、プロコフィエフなどを連想させる最高級の音楽的知性とユーモアのセンスが、ギターパートにある程度の冒険が許されるはずのアランフェスにどう反映されるのか?
それらをあれこれ想像しながら脳内に響かせる妄想はめっちゃめちゃ楽しい。
そんなこんなを想いつつ、本棚に目をやれば、学生時代にメシを抜いてはバイトで稼ぎ、やっとこさ手に入れたアランフェス協奏曲の楽譜をそこに発見することができる。
そう、アランフェスは今もわが家の本棚の片隅に、青春の名残りをとどめているのだ。
この難曲を数年間必死で練習した、その血のにじむような全盛期のアランフェス修業。
その結果、この私がまともに弾けるようになったのは「休符の部分」だけだった。
この事実検証は無性に哀しいが、いや、むしろそこに大きな意義があったと思いたい。
その後の信じがたい大失敗の連続にも決してめげることのなかった私の、今も続くそのドン底の耐久性は、このアランフェスに培われた可能性は高いからだ。
尚、東京東部の場末のパブで、一年間だけギタリストとして生計を立てたことのある私の、その輝ける若き日の名誉のために断言しておくが、テクニック、リズム、音楽性、音色などの諸問題を除けば、私のギターには何らの問題もなかったのである。(TT)
2009/1/8木(その301)
うれしい色やねん
大阪の海は
悲しい色やね
さよならをみんな
ここに捨てに来るから
年末朝の生ワイドショーで、あの上田正樹さんが名曲『悲しい色やね』を歌った。
パセオを始める何年か前、カラオケの帝王の異名をとる20代の私が、この『悲しい色やね』をいきなりのハイテンションで爆唱し、毎度その場の空気をフリーズさせたことは耐えがたい犯罪行為だったと当時の関係者は一様に証言する。
そんなこともあって彼は、昔から気になるシンガーのひとりだった。
すでにパセオに向かう時刻だったが、定時出社の方をあきらめ、テレビの前にどかりと座り込みそれに聴き入る。
近ごろは、本物に向き合うのが仕事じゃあと開き直る勘つがいおぢさんなのである。
じゃんじゃん英語を交える、ほとんど原型をとどめぬくらいに自由奔放なシャウト。
歌手が昔の持ち歌でこれをやると多くは失敗するとしたものだが、さすがに彼はそうはならず、逆に新鮮でスリリングな歌唱に終始し、私は息を呑みながらテレビに釘付けとなった。
だが、さらに驚いたのはその直後の生インタビューである。
「
黒人でなくてもブルースが歌えることを、
自分の歌で証明したい
」
こんな意味合いのことを力強く彼は語り、私をドキリとさせるのだった。
「
スペイン人でなくともフラメンコが歌えることを、
自分の歌で証明したい
」
つまりは、こういうことだから。
フラメンコだってあと数十年以内だと、私はそう勝手に予測しているけれど、彼の場合はすでにかなりの手応えの射程距離に位置してるような気がする。
すでにアジア圏で大人気のシンガーMASAKI UEDAは、その夢を実現させる全世界ツアーが当面の目標だと、熱く真剣に話されていた。
齢60前後のはずだが、魂が溌剌としていて、観ているだけでも気持ちがいい。
その鮮やかな色彩のオーラに、朝っぱらから涙腺がゆるみそうになった。
サボるのは死んでからでも間に合う、生きてる内に完全燃焼せんでどーする。
そうは云わなかったが、ゆるい私にはそんな叱咤激励に聞こえた。
2008/12/14日(その299)
マリパヘにムターが響く
ふだんから正常とは云えない私の脳に、突然の異変が生じたのはその時だった。
今年5月のマリア・パヘス来日公演『セビージャ』。
マリア・パヘスのつむぎ出す艶やかなバイレフラメンコから、唐突にあのアンネ=ゾフィー・ムターのヴァイオリンが聴こえてきたのである。
弾力とボリュームに充ちた力強い重低音。
シャープにして色彩豊かな中音部。
とてもこの世のものとは思えぬ美しい高音ピアニッシモ。
あらゆる要素に配慮しつつ、全体を前向きにひっぱる推進力。
そんなムターの艶やかなヴァイオリンが、マリパヘの踊りがピークに達するたびに、私の脳内に朗々と響きわたる。
それがあまりにも突然でありかつ鮮明であったがゆえに、とうとうボケが本格化したかと私はうろたえた。
はじめての体験にクビをひねりながら、終演後すぐにロビーのパセオブースに駆けつけ、まぬけな大声で呼び込みのおっさんをやりつつ、また、チョー美女のウェブ友さんたちと「わかめっ!」「ひじきっ!」の合言葉を交しつつも、私はこの不思議な現象を反芻していた。
漱石を読むとグレン・グールドのバッハが鳴り出す
、ややスノブな感じとは明らかに違っていて、それはもっと自然でフィジカルな感触だった。
だが、その謎は意外にも簡単に解けた。
ムターとマリパへには、実は物理的な共通項がたくさんあることに気付いたのだ。
第一に、そのアートは完璧かつ明快であり、ド素人にもわかりやすいこと。
第二に、その音色およびアイレに、むせかえるような色気が充ちていること。
第三に、あらゆるテクニックがその音楽性(舞踊性)とひとつになっていること。
第四に、チョー美人ではないけど、ステージでプレイ中の表情が飛びきりに美しいこと。
そこには、女性のみならず、全人類の規範ともなるべき輝かしいヴィジョンが示されている。
あー、そんなんで、ぼけぼけ頭の中で彼女たちが一緒くたになっちゃったわけなのね。
ま、これは愛する美女Aを抱きながら、同じく愛する美女Bを想うのに似てなくもないわけで、清廉潔白で鳴らす私(←そ、それはどーゆー私?)には、ちょっとだけ後ろめたい感じも生じていたのかもしれない。
そんなこともあって、この夏は久々にアンネ=ゾフィー・ムター(マリア・パヘスと同じ1963年生まれ/スイス出身)を集中的に聴いた。
学生時代からメシや酒を抜いても彼女の録音はもらさず買ってたので材料に不足はないし、何度か観聴きした生ムターの感触をそれにかぶせ、さらに膨らませて聴くこともできるのだ。
13歳でかのヘルベルト・フォン・カラヤンに見い出されベルリン・フィルと共演した早熟の天才だが、特に聴きたくなるのは見事に成熟したここ十年ほどの録音である。
2000年のドイツ・リサイタル(特にプロコフィエフのソナタ)にはむせ返るような色気にメロメロとなるのだが、やはり繰り返し聴くのは自身で弾き振りするモーツァルトのコンチェルト集(2005年録音)で、これはあのアルテュール・グリュミオーの永遠の名盤に迫る凄みがある。
そして、折りよくこの夏リリースされた『バッハ・ミーツ・グバイドゥーリナ』。
私にとっては米のメシにも相当するバッハのヴァイオリン・コンチェルトの二度目の録音である。
ただ美しいだけの若い頃の録音に比べると、情感の彫り込みが格段に深くなっており、そのクオリティは現代バッハのひとつの美的典型にまで到達している。
マリパヘ同様、彼女はほんとうにいい歳のとり方をしてるな、と思った。
何だかこの録音が、彼女のバッハ・無伴奏ヴァイオリンの全曲録音を心底待ち望む世界中の音楽ファンに対する、彼女らしいチャーミングなメッセージのようにも思えてきた。
【アンネ=ゾフィー・ムター/バッハ・ミーツ・グバイドゥーリナ】
2008年/ドイツ・グラモフォン
土曜日の早朝、ご近所代々木公園にジェーを遊ばせながら、単音でたっぷり歌うバッハの、そのゆっくりな第二楽章を目を閉じ心で聴く。
するとどーだ!
予感的中! マリア・パヘスのあの美を尽くしたブラソがしっかり視えたではないか。
「ふへへ( ̄▽ ̄) これでおあいこだあ」
(↑)三角関係上の色男になったつもりの変態妄想おやぢ
ま、それはさておき。
お茶の間でムターを聴きながらブラソ(腕)やマノ(手)なんかの練習をすると、その美しいイメージに自然と身体が反応し、ひょっとして、マリア・パヘスみたいなしなやかで美しい動きに近づくことが出来るんじゃねーか?
これって私にしては、わりと自信のある推測。
ムター持ってる人、誰か試してみっ?!
2008/12/9火(その297)
社長業
社長業もそれなりにきびしい。
日曜日だろうと何だろうと24時間体制で、会社の緊急時に備える必要がある。
事件が起きたら、いつでも携帯に連絡するようにと社員には厳命してある。
それが真夜中であったとしても、たたき起こしてもらうのが本望なのだ。
それが重要な会議中であっても、たたき起こしてもらうのが本望なのだ。
社長業もそれなりに楽しい。
第一に、フラメンコ界はどこに行ってもきれいな女性がわんさかいる世界だ。
ただそれだけで何の恩恵もないのは期待ハズれだが、それがどーした。
楽しいことは他にもいっぱいある。
第二に、創業オーナーなので、どんだけ働くか、どんだけ給料を取るかも自分で決められる。
予定の2倍働いたり、予定の半分しか取れないことがほとんどだが、それがどーした。
楽しいことは他にもいっぱいある。
第三に、どこにも雇ってもらえなかったので、しょーがなくて無一文の自分が作った会社だが、
それがどんな会社であれ、こんな自分が入社できたことはラッキーだったとしか云いようがない。
楽しいことは他にもいっぱいあるかもしれんけど、とりあえず、こんな幸運を噛みしめながら、今日も楽しくお仕事(主に各種雑用)にハゲもーではねーか!
(↑)うっ、共感しちゃうの?
2008/12/1月(その296)
秋の終わりに
寂しいような
懐かしいような
しみじみと力が湧いてくるような
人生はたまらんなあ
――――――――――――――――――――――――
きのう日曜、晩秋の代々木公園に半日を遊び、
その夕方、アニフェリア『ギター・カンテの祭典』に駆けつける。
休憩中に会場ロビーのパセオブースで呼び込みの助っ人をやってたら、光栄にも、十名ほどのウェブ友さんにお声を掛けていただいた。
中でも印象に残るやりとりがこれ。
真実とゆーのは、隠しても隠しても浮き彫りになってしまうものだ。
「あのお……失礼ですけど、パセオの社長さんですか?」
「そーだよ」
「やっぱりっ! キアヌ・リーブスそっくりなので、すぐにわかりますたあっ!」
[筆者近影]
2008/11/28金(その295)
美人の母
なき母は美人だった。
本人談である。
本人以外から聞こえてきたことは一度もない。
幼い頃から、周囲に母似と云われて育った。
記憶力だけは抜群だった小学生のころ、
そんな母の前で憶えたばかりの詩を、
意味もわからずによく口ずさんだ。
僕の前に 道はない
僕の後に 道は出来る
…………
母 「それ、なんてーの?」
私 「高村光太郎の "
ドーテー
(道程)" じゃん」
母 「???…… ぷっ、ぎゃははは」
本人がそー云うぐれえだから、母はきっと美人だったにちまいない。
加えて、無教養の上にスケベだったにちまいない。
母似と云われ続けたことのトータルな意味が、ごく最近理解できるようになってきた。(TT)
2008/11/21金(その294)
パユのバッハ
冴えわたるロ短調ソナタ。
やっ、やるなソナタっ!
ってそーゆー話ではない。
かれこれ二十年近くも注目しているエマニュエル・パユ(1970年生まれ/スイス)が、とうとう待ちに待ったバッハのフルート・ソナタ全集を録音した。
超絶技巧を駆使してスタイリッシュに歌いまくるパユのフルートは、不健全で鳴らす私の好みとは異なるものの、注目せざるを得ない本筋的な魅力があって、ライブは一度聴いただけだが発表するアルバムはすべて押さえてきた。
天下のベルリン・フィルの主席フルート奏者でありながら、人気ソリストとして世界中を駆け回るパユには、どこまでも成長を続けるような豊かに安定したポテンシャルがある。
冒頭のロ短調ソナタ(BWV1030)は、私の大好き音楽ベスト10に常にランクインする想い出深いナンバーだ。
学生時代に、フルートを吹く彼女と、チェンバロ・パートを自己流にアレンジした私のギターで、この名曲をデュオったことがある。
「なんかぜんぜんちがう曲みたい。
吹いてて恥ずかしいバッハなんてはじめて」
私のアレンジとギターに対するあまりに的確すぎる彼女のこの一撃は、密かにミュージシャンに憧れる私の夢をイッパツで粉砕した。
そのリベンジと云ってはなんだが、深夜へべれけで家路へと向かう途中、このロ短調にテキトーな歌詞を即興でつけて歌い歩きするのが、ここ数年のマイブームになっている。
こんな立派なことができるのは世界中で私ぐらいのものだが、もしも私がこんなのを聴かされた日にゃあバケツの水を頭からぶっかけてやりてーところだ。
ま、そーゆーアカデミックな話はさておき、パユのバッハは予想以上に素敵だった。
例によってかなり自由に美味しい音楽をやってるのだが、何をやっても重心が安定していて、どのフレーズをとってもその薫りとコクに格別な味わいがあるのだ。
かつてはランパル、ニコレ、グラーフ、ゴールウェイ、リンデ、ブリュッヘン、クイケンあたりの名人芸で馴染んだバッハだが、そのどれとも異なる確固たる個性がある。
その個性は、名を並べたフルートの国際的巨匠たち同様に、未来永劫人々の心を潤すであろう個性だ。
過去の音楽遺産をしっかり継承しながら、明るい未来をイメージさせるような、いま現在をしっかり生きている人だけに吹けるバッハだと思う。
「(共演相手との)時間の積み重ねによって生まれる、ある種の共感、人格の交わりのようなもの。それを僕はとても重視しています」
ライナー解説にこんなパユ語録が載ってた。
なるほど、そういう人なんだ。
パユの芸風の変遷に想いを馳せながら、そう思った。
ブレないパユの根底ヴィジョンは昔とちっとも変わってないけど、その表現は力と優しさと深みを増した。
いろんな人と出会い、ある時は積極的に影響を受け、ある時は反面教師からも多くを学んできたであろうことが、このバッハ全集に聴き入っていると、それが鮮明なストーリー映像のように見えてきたりもする。
反面教師として評価されることの多い私としても、たいへん鼻が高いことである。(TT)
『バッハ:フルートソナタ全集/エマニュエル・パユ』
2008年/EMIクラシックス
2008/11/15土(その293)
バランスの華
こー見えても経営者の端くれである。
私の場合、そのルックスや人格や経営手腕はともかくも、その卓越したバランス感覚を絶賛されることが多い。
例えば、
江戸っ子なので気は短いが、そのぶん胴体は長い。
たしかに髪の毛の本数は少ないが、そのぶん借金は多い。
たしかにオデコは広いが、そのぶん心は狭い。
たしかに見た目は悪いが、胃が丈夫なのでそのぶん消化は良い。
たしかに人にはきびしいが、そのぶん自分にはやさしい。
たしかに器量は小さいが、そのぶん態度は大きい。
…………
ま、これらは一例にすぎないが、物事の大小、多い少ない、広い狭い、良い悪いなどが絶妙に配分されていることが一目瞭然である。
私の中では、このような美しいバランスがいつでも保たれているのだ。
ルックスや人格や経営手腕などに大きな問題を抱えながらも、これまで生き残ってこれたのは、こうした優美なバランス感覚によるところが大きいものと思われる。
きっと皆さま方の中にも、私ほどではないにせよ、こうした美しいバランス感覚のひとつやふたつは備えておられるものと推測できる。
フラメンコの明るい未来のためにも、どーかそうした長所をご遠慮なく伸ばしていっておくんなせえ。(TT)
10/18土(その288)
類まれなるリズム感
こう見えても、関東格闘犬選手権(シェパード部門)や全国闘犬グランプリ(土佐犬部門)や国際無人島グランプリ(スーパーヘビー級)などでは、一度として負けたことのない犬なのである。
まだ一度も出場したことがないからだ。
大体からしてそんな大会あんのかとも思う。
8時起床、朝風呂に飛びこんでからストレッチ、朝めしをがっつり食ってから、ジェーと共に代々木公園ドッグランで小一時間を遊ぶ。
ジェーとの協定によって毎週土曜午前中、近ごろ定着しつつある習慣だ。
いつかのノー天気な“
バッハ歴
”などもここで思いついたのだが、決まってロクでもないアイデアの源泉は、どうやらこの楽園における穏やかなひとときにあるらしい。
そのパラダイスから20分ちょい歩いて、代々木にある連れ合いのスタジオにジェーはそのまま出勤(=番犬担当)する。
一方の私は、スタジオ入口にあるバル“エントラーダ”で薫リ高いエスプレッソをすすってから、多くはパセオに、まれに急ぎ仕事のない場合はゆくえ定めぬ大江戸ぶらり歩き(=のら犬担当)に出かける。
で、夕暮れには家路につき、ひとっ風呂浴びて、スタジオから戻った連れ合いとともにご近所の行きつけで晩酌つーのが毎週土曜のお定まりコースだ。
いわゆる隠居生活なるものを前倒しにして40代ですませてしまった私に、かしこまった休日はかえって鬼門だったりもする。
四半世紀なじみ尽くしたフラメンコまみれの生活に、ストレスやマンネリを感じることはほとんどなくなったが、2日以上続けて休むとかえって体調を崩すことは何度も実証済みなのだ。
近ごろ流行の老人力と云うべきものかもしれない。どーでえ! 凄えだろ。(TT)
てなわけで、土曜日のこんなルーティンが、最近の私にはもっともリズミカルなペースをもたらすようである。
かくして、定評ある私の類まれなるリズム感は、よりいっそう研ぎ澄まされることになる。
「そもそもキミにリズムはあんのか?」
主に付点音符のとり方に独創的欠陥を発揮する十代の私に、何とかリズム調教しようとする優しいギターの師匠の、汗まみれのあきれ顔が、ふと懐かしく浮かぶ。
[自分が登場する回には、きびしい原稿チェックを入れるジェー]
10/13月(その286)
ダイヤモンドは傷つかない
若い頃までの私は、多感で傷つきやすい、愁いを帯びた青白きインテリだった。
ほんのちょっとでもショックを受けると、それをかなり引きずるタイプのすらっとした美青年だったのだ。
まるで逆の性格・風貌になってしまったのは、パセオ創刊以降の十数年、年間360日以上におよぶ卑屈にして強引グマイウェイな営業生活の結果であることは明白である。
傷つき停滞しては次の号が出せない、という切羽詰った日夜の連続プレッシャーが、繊細にして優美な私のハートと体型を、鈍感にして鈍重なそれに変質させたわけである。
何かを得れば何かを失い、何かを失えば何かを得る。
この世はまったく“塞翁が馬”な構造なので、人類平等、総じてしんぱいゴム用ではある。
もともとがノミの心臓なので、いまでも瞬間的なショックには弱いが、何が起きても3~8秒ぐらいで立ち直る。
はんぱに雨に濡れるのがいやなら、頭からざんぶとプールに飛びこんぢめーばいーやという、得意の大江戸やさぐれ戦法。
ビクビク、クヨクヨしないですむ分、その意味では生きるのが楽にはなった。
ただそうした鈍感力の成長は、一方で感受性の衰退をともなう。
私のようなショーバイに限らず、感受性の欠如はサバイバル上の致命傷にもなりかねない。
日々の冒険や
三度のバッハ
や
オラシオン連歌
なんかでテコ入れしてるものの、ここら辺の自主トレ強化は逆に課題となりつつある。
ま、それはともあれ、あの泣き虫ユーちゃんの変貌ぶりには本人もびっくりだ。
その要因の8割ほどは先の環境の変化によるものだろう。
だが、残り2割はやはり元々のそうした資質に拠るものなのではなかろーか。
自分で云うのもなんだが、やっぱりアレかな。
そう、私の本質はあの輝かしい“ダイヤモンド”にちまいない。
さらに云うと、じぇんじぇん未完成な私は、云い換えれば、無限のポテンシャルを秘めたダイヤモンドの原石なのである。
じゃあ、磨いてみないことには、本当のダイヤかどうかわからんじゃないか?
と鋭く突っ込むあなたよっ!
じゃあこっちも云わしてもらうけどさっ、
ほんとに磨いちゃったら、ダイヤじゃねーってことがバレちまうじゃねーかよプンプン。
10/10金(その285)
セカンド・ラブ
アラフィフ未満お断りの仲良し連・二次会カラオケ。
恋も二度目なら ♪~
『セカンド・ラブ』を歌う、
かつて美貌のスケ番として鳴らした早苗
(仮名/江戸川区平井出身/推定51歳)
の、
今も美しいその口元に八重歯がキラリ光る刹那、
なにげない歌詞は人喰い鮫と化した。
少しは
ジョーズ
に
って、
コロす気かあああああ!!!!!
7/6日(その272)
淡い夢だから
「
淡い夢だから 胸を離れない
」
村下孝蔵さん『初恋』の曲中、特にぐっとくるフレーズだ。柄にもなくセンチメンタルな気分に逃げこみたい時なんかに、いまでも時おり聴く。
好きになった女性には堂々とその旨を告げ、
だからどーしたの?と返され、みごと砕け散るパターン。
パコ・デ・ルシアのレコードから日常的な勇気を吸収しはじめていた高校時代後半には、こーゆーポジティブな玉砕スタイルをほぼ確立していた私なので、この曲の感傷をしみじみ味わうためには、それ以前の記憶をさかのぼらなければならない。
「
好きだとも云えず初恋は
」
その中学同級生をR子という。
藤原紀香を小さめにして、ほどよい翳りを加えた感じのチョー美少女。
学年を超え、全校男子のあこがれの的だった。勉強は上の中ぐらいでスポーツは万能。水泳自由形で区の常連チャンピオンだった。
林間学校のフォークダンスの時に、あと2、3人のところで彼女との順番が回ってこなかった腹いせに、 夜の枕投げ大会で大暴れしたことを昨日のことのように思い出す。
まぶしすぎる彼女の姿を、いつも遠くから眺めていた。
胸というのはキュンと鳴るものだと、その頃はじめて知った。
結局、一度たりとも目を合わせてまともに話すこともなく、別々の高校に進んだ。
およそ十年後、地元の呑み屋でR子に偶然会った。
それとわかった刹那、モノクロームな切なさに胸がはり裂けた。美しさと翳りの増した彼女には、長髪長身ハンサムの連れがいた。私の連れは地元札付きのおちゃめなアバズレ姐ちゃんだった。
R子は伏目がちにニッコリ笑って私を認め、私はバツの悪いような笑みを目礼で返した。
それっきり、だった。
「
淡い夢だから 胸を離れない
」
ほんのひとつだけ、かろうじて残った。
甘くて酸味のきいた忘れ得ぬ想い出。
心のひき出しの右手奥にそっと置いてある。
濃いのもいいけど、淡いのもいい。
7/3木(その271)
ほほえみ返し
朝イチのひと仕事を片付け、気分転換とばかりにパセオを飛びだす。
ご近所をちょいと歩けば、昭和30年代的な懐かしい光景が広がる。
父や母との外出はどこへ行くにも都電だった。
あのころのダダッ子感情がふいによみがえる。
このまま飛び乗って、終点(三ノ輪)で昼酒でもやるか?
でも今日はまだ、あとふた仕事ばかり残ってるぜ。
ありゃ明日でもいーだろよ。
でも夜はライブと呑み会じゃねーか。
途中どっかで昼寝でもすりゃ大丈夫だろ。
また飛鳥山で浮浪者にまちがえられてーのか?
ありゃたしかに浮浪者の方々に気の毒だったわ。
ベンチで寝るときゃネクタイぐれえ締めろやっ!
ベンツで寝るときゃそーしてやるわい。
生まじめな私とそうでない私のヨタれ話もそこそこに、
今日のところはこんなもんで勘弁してやるかと結局仕事に戻ることに。
………じゃあ、またね。
苦笑とともに都電を見送る。
上野のお墓はまた今度だ。
父母が ほほえみ返す 三ノ輪行き
6/8日(その268)
紫ソレア
逢うことの 叶わぬ夢の 彼方より
降りしまぼろし 紫ソレア
【サルでもわかる作品解説】
毎年恒例、明治神宮の花菖蒲鑑賞会(第28回/発足当初より会員は私1名)にて詠む。
「ソレア」とは“フラメンコの母”とも称されるフラメンコの代表的曲種のことだが、決して布羅綿子という娘さんの母親ではないことを憶えておいて損はない。
で、この句の季語はもつろん「ソレア」で夏。
雨の多い六月あたりに、音楽としてのソレアに親しむことの多い私が勝手に季語化したものだが何か。
美しいむらさき菖蒲にソレアを連想するところに、この作者の歌人としての傑出したセンスを感じるのは私だけだと云っても過言ではないだろう。
薄幸孤独なアイレを帯び、紫色のよく似合う、
青春を共にした、いまはなき佳人への即興オマージュ。
5/2金(その262)
ポル・ソレア
アリ
のように働き
キリ
ギリスのように遊ぶことで
アス
への活力は生まれる。
しかし人生はままならない。
キリギリスのように働き、アリのように遊ぶ私。
何かが
タラント
思う。
あるいは日常に“詩”が欠如しているのか。
詩を感じるならギリシャものね、と彼女が歌う。
シギリシャ
、と云いたいのかもしれない。
だいたいからして
単語
がわからん。
私がぱくつくコシ餡とみたらしを欲しがるジェー。
ワン団子で吠えるバ
、
おそらくそんな意図だろう。
ソレア
ないなと私はつぶやく。
(作者不肖)
※mixiやってる人は
こちら
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5/1木(その261)
ある春の詩
ある春の午後。
あれこれ懐かしい想いに浸るひととき。
ふと口ずさむあの詩。
みっちゃんみちみち うんこたれてえ
紙がないから 手で拭いてえ
もったいないから ナメちゃったあ
(作者不詳)
作者不肖
ではないかと私は思う。
3/28金(その258)
桜の哀しみにソレアを感じる場合
天気がいいうちに、今日もひとまわり桜三昧。
昨日のブログにずいぶん飛んでもらったみたいなので、調子こいてその
前編
。
3/27木(その257)
淡き華
どーよ、これ。
パセオから歩いて十数分。
あなたはもう忘れたかしらの神田川は芭蕉庵あたり。
本日つい先ほどの絶景でんがな。
仕事してる場合かあああああ!!!!!
と叫んどるよーでは経営黒字は出ない。
ま、しかし、
黒字
にもいろいろあるでな。
されど舞う 散るを恐れぬ あれぐりあ
2/14木(その254)
涙のバレンタイン
私のバッグにはまだ若干の余裕があるぞ。
(TT)
2/7木(その253)
脱走
まいど土日を休めるショーバイではないが、四季折々の花を愛でるひと時もないでは生きてる甲斐もない。
朝も早よからガーッと仕事をかたづけ、これから待望の梅見じゃあ。
梅の香りに酔いつつ
、まんまフラメンコの先達戦友が集結する高円寺エスペランサ木曜会に直行予定。
2/3日(その251)
白い一日
カーテンを開く瞬間の雪の朝のよろこびは、タブラオの扉を開けカンテ・ギター・パルマが飛びこんでくる刹那に似ている。
「
春もそう遠くないな
」。
そうつぶやいた途端の積雪である。
私の説の逆を行けば必ず当たる、という伝説は今日も不滅だ。
昨日からうっすら風邪気味なのだが、仕事や風邪は明日でもできる。
女心と雪の空、と云うではないか、云わねーよ。
ま、しかし、今日は今日とて今日しか出来ないことをしようではないか。
とにかく江戸っ子は理屈ぬきで雪が好きだ。
NHK将棋トーナメントで天才羽生がまさかの大逆転で異才長沼に負かされるのを横目に、連れ合いのリクエストに応える特製鬼才カレーの仕込みを終え、積雪用耐寒タイツ、特殊戦闘用ブーツ(ふつーのももひきと長靴 。TT)という完全装備でさっそうと雪野原へと繰りだす。
水を得た魚と云うか、雪を得た豚とゆーかは微妙だ。
ゆらりハナミズにさすがに遠出はあきらめ、雪化粧にときめくわが家の庭(巷では代々木公園、明治神宮などと呼ばれている)をゆっくりじっくり散歩する。
今月末にトマティートやホセ・マジャとともにやってくる
ドランテのピアノフラメンコ
を耳に、冬の醍醐味を味わい尽くそうとする52歳・男の哀愁とささやかな幸福。
遠い昔の、雪の日の想い出が走馬灯のようによみがえる。
そのほとんどは想い出すのも恥ずかしい悲惨な記憶ばかりだが、いまとなってはそのポジティブな失敗の山々に好感さえ持てるぐらいですってほんとかよっ。
センチメンタルな風情に、何の脈絡もなく脳裏をかすめる陽水の一節。
ある日、踏み切りのむこうに君がいて
通りすぎる汽車を待つ
1/25金(その249)
人格者の条件
昭和46年の昔から、フラメンコギターの
パコ・デ・ルシア
は私にとっての“神”で在り続けている。
また一方で、平成8年の昔から、御茶ノ水女子大の
土屋賢二教授
は私にとっての“仏”で在り続けている。
ある時、その仏さまはこう定義された。
ハゲ
= 毛根に
大らか
さのある人
チビ
= 垂直方向に
謙虚
さのある人
デブ
= 水平方向に
積極性
のある人
私という人が、大らかで、謙虚で、積極性のある人だとゆーことに、その時はじめて私は気付いた。
私の
神さま
が大らかなのも、おそらく同様の理由によるものだろう。
【※写真はわが家の神棚と仏壇(パコ・デ・ツチヤ風)】
7/29日その2(その244)
夏休み
発作が起きて突如書き出すかもしれんけど、とりあえずこの八月からはブログ(この社長室と
フラメンコ超緩色系
とmixi)の夏休みをとることに決めた。
主にビンボーを理由に、16歳の夏より夏休みというものから遠ざかっていたこの私にも、遅ればせながら反抗期がやってきたものとみえる。
人や火星人(←私)は、反抗しながら成長するのである。
現在3~5ヶ月くらいの大型バカンスを画策中であるが、私の計画の達成率とゆーのは、宝くじの特等当選率に匹敵するので、冒頭にも書いたように油断は禁物なのだ。
ま、しかし、みなさま方の
夏休みの宿題
も盛り沢山なので、極力計画通りに運ぶよう懸命に努力してみるつもりではある。
ところで……ブログを休んで私は何すんのか?
もちろん、これまでもヒマさえあればまぢで取り組んでいた私の本業に、迷わず没頭させていただくつもりである。(TT)
ヨランダ監督作『
しゃちょ物語
』より
7/28土(その242)
フラメンコ七転八倒
久々にいつもの逆パターンで、mixi日記をほぼまんまこちらに転載。
ワケのわからん部分もあると思うが、どーかご容赦を。
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(今日のイラストはすべて
ヨランダ画伯
)
「パセオフラメンコ社長室」なるコミュニティの、人気トピックス紹介の最終回。