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[その322] 地中海の舞踏

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2009/4/28火(その322)

地中海の舞踏





「月とスッポン」パコ・デ・ルシア/アルモライマ.jpg
 [パコ・デ・ルシア/アルモライマ]



 「これは、まさしく宗歩の1八角!


 ジャンルを超えるスーパー・ギターデュオ『地中海の舞踏』!
 この世紀の名セッションに鼻血を飛ばさないギター少年はひとりもいない。

 片や、フュージョン系・国際的人気ギタリスト、アル・ディメオラ。
 片や、フラメンコギターの神さま、われらがパコ・デ・ルシア。
 『地中海の舞踏』は、ディメオラのアルバムに、彼のオファーでパコ・デ・ルシアが1曲だけ単身参加した、LP『エレガント・ジプシー』のチョー目玉的1曲だった。
 パコがアメリカに赴き、ほとんど即興一発でキメたという伝説のレコーディング。
 つまりこれが、後にラリーやマクラフリンを巻き込み、世界中を熱狂させることになる、あのスーパー・ギター・トリオ誕生の布石だったとゆーわけだ。



①エレガント・ジプシー.jpg
 [アル・ディメオラ/エレガント・ジプシー CBS 1977年]



 後に、この名曲『地中海の舞踏』を含むパコ・デ・ルシアのフラメンコギター楽譜集を、めっちゃめちゃ高い版権使用料を支払ってパセオから出版した。
 世界のギター少年が待ち望むこの楽譜集の発行によって億万長者になったろうという壮大なロマンは、元金も回収できぬまま絶版となる哀しい現実に敗北したものの、自分が欲しくて欲しくて仕方のなかった『地中海の舞踏』の楽譜だけは手元に残った。
 これがショーバイの基本なのである、ってホントかよっ(TT)。
 当時のパセオ編集長Sがパコのギターパートを、社長の私がアルのそれを担当し、締切前のパニックの合間にそのギターデュオをよく練習したものだが、それは音楽とゆーより“音が苦”に近いものだったと、当時の関係者は一様に証言する。



②パコ・デ・ルシア アルバム.jpg
 「パコ・デ・ルシア アルバム/
  編曲:飯ヶ谷守康、加部洋/パセオ発行1990年」



 さて、ギター弾きなら誰しもが夢中になったこの『地中海の舞踏』。
 初めてこの名演を耳にした時の驚愕こそが、冒頭のワケわからん私のセリフにつながる。
 「これは、まさしく宗歩の1八角!」
 (↑)な、なんのこっちゃい?

 『地中海の舞踏』を聴いて、この『1八角/遠見の名角』を連想することは、ヘボギターとヘボ将棋の二重苦をあまり苦にしないタイプの好青年(当時22歳の私)だからこそ可能だった美しき妄想だったのである。
 後にフラメンコギターの魅力を世界中に知らしめることになるこの国際ガチンコ名勝負『地中海の舞踏』の放つ異形な輝きは、今から153年前、時の最高権力者の前で指され、遠く未来にまで影響を及ぼすことになる宗歩の『1八角』の放つ異形な輝きに実にまさしく酷似していたのである。



③遠見の名角.jpg
 [1856年11月/江戸城・御前将棋にて/伊藤宗印 対 天野宗歩]



 この局面こそが、将棋界のパコ・デ・ルシアと称される(←たぶん私だけそう称す)お江戸のスーパースター天野宗歩が、百年に一度の歴史的名手『遠見の名角/1八角』を放った世紀の瞬間である。
 後に第九世名人となる天才伊藤宗印(現代の羽生善治名人は第十九世名人)を大天才宗歩がこてんぱにKOした将棋で、有段者なら誰でも知ってる有名な局面だ。
 敵陣(他ジャンル)に殺到する拠点たる5四歩の存在は、勇猛果敢なフラメンコの使徒パコ・デ・ルシアそのものであり、1八の地点から左斜め上方のパコを全面支援する遠見の名角の存在は、まさにフラメンコの神そのものではないか。
 って、誰が知るかよそんなこと。



④天野宗歩手合集.jpg
 [棋聖 天野宗歩手合集/内藤國雄九段著/木本書店発行]



 さて、学生時代にプロをめざした修業時代の私には、技術書で現代将棋を研究しつつ、詰将棋やシンケン(賭け将棋)で鍛える一方、江戸、明治、大正、昭和にかけての一流プロの棋譜(指し手の記録)を喜々として学んだ時期があった。
 音楽と体育と保健体育を除く学校の授業は、頭の中で詰将棋を解いたり棋譜を並べたり、または夜の勝負に備えて熟睡するための貴重な時間源だったことも懐かしく想い出す。

 明治維新前、将棋の名人家が幕府公認の家元だったころ、とりわけその幕末の大棋士、棋聖とも称された天野宗歩(あまの・そうほ)は私の憧れのアーティストだった。
 あまりの強さに実力13段と恐れられた宗歩は、世襲の家元派閥には属さず、主に賭け将棋や弟子筋(武士や豪商など)に対する将棋指南で生計を立てつつ、名著『将棋精選』なども出版した、孤高のアウトロー的存在だった。
 この遠見の名角『1八角』に代表される宗歩の独創的優秀性は、その後大きく発展を遂げた近代将棋の礎となったばかりでなく、現代の超一流プロ棋士たちにも大きな影響を与え続けているのである。

 棋聖宗歩が遠山の金さん(左衛門尉景元)らと共に永眠する東京・巣鴨の本妙寺には、ふと何かの構想をまとめたくなる時など、今でも都電に揺られてブラり訪れる。
 酒豪だった彼の墓に、日本酒を供え手を合わせると、また来たのかこのヘボが、という無遠慮な声が聞こえてくる。
 ……そう、まさしくそのとーりだす。
 ヘボだからこそ、あんたのインスピレーションをこっそり盗みに来るんだす(TT)。



天野宗歩.jpg
 [東京・巣鴨の本妙寺/棋聖 天野宗歩、ここに永眠す]



 天野宗歩とパコ・デ・ルシアに共通するものは、明快にして巨大なそのヴィジョン、そして、それを実現するための果敢なアドベンチャー精神である。
 その第一歩をめざし、男の子なら誰でも一度はやってみたいと思うのが、このパコ・デ・ルシアの『地中海の舞踏』であり、また、天野宗歩の『遠見の名角/1八角』なのである。

 思えば、パセオフラメンコ創刊から25年の間に、幾たびこの『1八角』をイメージした次の一手を敢行したことだろう。
 そして、それらすべてが玉砕の一手として、はかなく散ったことは記憶に新しい。
 現在では、それがどーした、と開き直れるほどに成長した私だが、ほんとうを云えば、死ぬまでに一度でいいから、勝負どころの局面でこの『1八角』を駒音高く盤上に打ちつけ、未来への布石を堂々築くことを、今も虎視眈々と狙い続けているのである。





「月とスッポン」パコ・デ・ルシア/熱風.jpg
 [パコ・デ・ルシア/熱風]


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[その321]週末はピリス!


2009/4/27月(その321)

週末はピリス!





 マリア・ジョアン・ピリス。

 マルタ・アルゲリッチと地球のピアノファンを二分する人気女流ピアニスト。
 どちらもマリア・パヘスみてーなんだよ、と云ったらわかり易いだろうか。
 彼女のモーツァルトにハマり、高校時代からずっと聴き続けている。
 もう37年も聴きつづけていることになるのか。
 聴くのが恥ずかしかったショパンを、普通に聴けるようになったのも彼女のおかげだ。



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 面識はないのだが、幾度か電話でお話しした俳優の森本レオさんとの話題には、なぜかいつもピリスが出てきた。
 「彼女は一度地獄を見たんだよ」
 ピリスの芸風が急変した時期の演奏を、レオさんはしきりに語りたがった。
 あのピチピチだったピアノが、凛としながらも深く内省的な演奏に激変したことは、ファンの間でもかなり大きな話題になったことを思い出す。
 私には理由はわからないが、だからアートは面白い。
 つよしがんばれっ!って関係ねーけど。

 今週金曜は、すみだトリフォニーでピリスのコンチェルトの夕べを聴く。
 なんと、ピリスの協奏曲は初めてなのだ。
 プログラムはベートーヴェンのピアノ協奏曲の第2番と第4番。
 第4番の人気は、近ごろ“皇帝”を抜いたとも聞く。
 私は颯爽とした5番(皇帝)と迫力満点の3番を好むが、ピリスだったら何番でもかまわないし、もとよりプログラムは何だっていい。

 合間には、パヴェル・ゴムツィアコフがシューマンのチェロ協奏曲を弾く。
 めろめろにロマンティックでデートなんかには最適の名曲だが、あいにく私は独りで聴くのが好きだし、また一緒に聴いてくれる女性ボランティアも皆無だ。
 共演は高関健指揮・新日本フィルハーモニー交響楽団。

 つーことで、現在は週末の遠足を夢見る小学生気分。
 おやつは300円まで。
 ただしバナナとゆでたまごはこれに含まない。




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[その320] 芸の肥やし 


2009/4/23木(その320)

芸の肥やし





 草なぎ剛さんは、私の好きな役者さんのひとりだ。

 「ハダカで騒いで逮捕」という朝のニュースには驚いたが、若い私もそうであったように、なぜか男は酔ってハダカで騒ぐのが好きなのだ。
 とっつかまったことはないが、それで惚れた女に逃げられたことが十回はある(TT)。


 「大ヤバ系でなくてよかったあ」

 かつて『笑っていいとも』の本番で、草なぎ剛さんにフラメンコを教授したことのある連れ合いは、そう云いながら胸を撫でおろした。

 私たち一般人に出来ない夢を代わりに実現してくれるアーティストたちに、可能な限り一般モラルを押し付けたくない私としても、内心、この程度でほんとによかったあと、むしろホッとしている。

 「芸のレベルに比例して、立派な人間であってほしい」という願望とはまた別にある、「芸のレベルに比例して、ハチャメチャなプライベートは容認される」という私の心のバロメーターは、剛がんばれっ!と叫ぶ。
 秀でる芸人を「大目にみる」戦略は、古来からの日本の優れた文化だしさ。

 このピンチを飛躍への突破口ととらえる彼が、この先、さらにひと回り大きなアーティストとなって、私たちをいっそう楽しませてくれることは、まずまつがえのないことだと、ひとり私は予測している。




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[その319] バロメーター


2009/4/21火(その319)

バロメーター





「アートの仕事がしたいんなら、バッハだけはきっちり押さえといた方がいいよ」

 万年学級委員だった五つ上の従兄弟の勉あんちゃんは、高校生の私にこう云った。
 昨年の法事の席で、あのひと言でオレ助かったよと礼を云うと、すでに後光のまぶしさではあのザビエルを軽々と超える勉あんちゃんは、そのエピソードをまったく覚えてなかったが、そーか雄ちゃんが生きてんのはオレのおかげだったか、じゃあとりあえず今度寿司おごれ、目が回らないやつでさっ、と私を恐喝した。

 若い頃に、自分が好感を持つ人から自分に向けて発せられる言葉というのは、案外に強烈な影響を及ぼすものなのかもしれない。
 勉あんちゃんの冒頭のひと言で、私のバッハ好きには相当の拍車がかかったはずだ。


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 かつてはギターやリコーダーで自らバッハをプレイしたこともある。
 テクニックとリズムと音色と解釈と音楽性と暗譜の問題などを除けば、そんなに悪い演奏ではなかったと思うが、私がバッハを練習する時には、誰も私に近寄ることはなかったことを思い出す。
 ついでに、他の曲を練習する時にも、誰も私に近寄ることはなかったことを思い出す。

 本格的にバッハを聴きはじめたのは高校時代だから、そっちの方はすでに40年近い年季が入ってる。
 その当初から、バッハ関連のライブや楽譜・書籍やレコードに使った金だけはハンパじゃなかった。
 自らそれをハイレベルに体現できない以上、その道の専門家を縁の下から支えるのはファンの使命だと思いたい、ギブ安藤テイクな私なのである。
 そのためによく働いたし、よくメシも抜いた。


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 ヨハン・セバスチャン・バッハ(ドイツ/1685~1750年)。
 単純に生理的に好きなのだが、もちろんそれだけではない。
 この音楽をバックボーンに生きる限りは、いっくら世の中が厳しくてもそう簡単にはくたばらねーぞ的に、チキンなハートの内側に、じんわり勇気が湧いてくる感触がいかにも頼もしかった。
 また、日常的にバッハとふれあうことには、いつでも危なっかしい私が人の道を踏み外すのを辛うじて回避させてくれるお守り的効果もあったかもしれない。

 NASAが異星生命体との交信用メッセージとして選んだバッハの音楽は、数学的であり、かつ文学的であるとよく評される。
 数学と文学の行き着くところは結局は一緒なんだと誰かが云ってたが、バッハの音楽には、まさしくそんなファンタジーがある。
 感性その他もろもろに不足のある私のようなタイプの人に限って云うと、彼らが自分の心の中に確かなバロメーターを築きたいと願う場合、その製造手段としてのバッハは、なかなか有力であるかもしれない。


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[フィロメーナ・モレッティ/バッハ・アルバム
            ◇TRANSART 2004年]


 さて、バッハのお気に入りCDは、季節や天候や気分などでコロコロ変わるが、近ごろはギターやリュートのバッハを集中的に聴いている。
 端正なジョン・ウィリアムスや、名人アンドレス・セゴビアを現代風に後継するクリストファー・パークニングや、リュートのホプキンソン・スミスなんかを特に好んで聴くが、今もパセオに流れるように、ここ数日はイタリアの女流ギタリスト、フィロメーナ・モレッティ(1973年~)にハマっている。
 ライブ録音なのにほとんどノーミス、しかもノリノリのバッハなのである。

 バッハ演奏においては淡々とインテンポつーのが通常的なのだが、彼女のバッハは、自由奔放にほんとうによく歌う。
 だが、やりたい放題というのとはちがって、その強靭なテクニックの裏側には、それ以上に強靭な信念がみなぎっている。
 おざなりをよしとせず大胆な表現に踏み込む、その心意気そのものが何よりうれしい。
 最初は少なからず抵抗があったが、ここまで徹底的にやってくれんのなら、ま、いーか、バンザ~イ、みたいなことになりつつある。

 信念ある一貫性が、ハイレベルなある水準を充たしたとき、それが人々の好みなんかを楽々超えながら直接ハートに飛び込んでくるのは、何でもかんでもいっしょみたいだな。
 その昔の銀座・数寄屋橋あたり、ふと足を止めて聴いた赤尾敏さんの辻説法。
 右でも左でもない私だが、ふいに浮かんだその面影が妙に懐かしかった。




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[フィロメーナ・モレッティ/バッハ・アルバム2
              ◇TRANSART 2008年]









[その318] あせらない根性


2009/4/20月(その318)

あせらない根性





 日常生活に自然とリンクしてゆけるような、
 なんとゆーか、
 真剣なんだけどめっちゃ明るい!
 そんなフラメンコのレッスンDVDが創りたかった。


 上達の壁に挫けそうになってる人。
 フラメンコにどう向き合えばいいのか? そんな迷路にハマる人。
 いろんな事情からやむを得ずレッスンを休止されてる人……。

 人生同様、フラメンコはそう簡単には問屋が卸してくれない。
 元からして、そのドッシリした確かな手応えに私たちは惚れ込んだのだから。
 そーゆーもんなんだ、それは仕方のねーことなんだ、という出発点から、「ライフワークとしてのフラメンコ」という私の中の核心テーマを、レッスン映像というフォーマットの中で、シンプルに解きほぐしてみたいと思った。

 生きるのといっしょで、上達をあせる必要なんてまったくねーんだ。
 日々コツコツ積み重ねる修業そのものを愛し、楽しむこと自体がステキなことなんだ。
 そんなセリフが自然に飛び出してくれそうなアーティストを思い浮かべた。
 ふと気づけば、まったくそんなタイプのバイラオーラがわが家にひとり居た。
 しかも明るさ満載のチョー天然系である。


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 生きることは踊ること。
 踊ることは生きること。
 年に三日ばかりのお休みで、苦しいながらも毎日毎日を楽しそうに、迷うことなくそんな生き様を実践している連れ合いに、私は白羽の矢を立てた。
 そのチョー天然系は、即座にこんなテーマ(↓)を抽出し、即座に私はそれに合意した。

(1)何が起きても大丈夫でいられるように、フリを覚えることより、どんな時でも頼りになってくれる基本の引き出しをしっかり増やすこと。
(2)人生もフラメンコも、ここぞという時にはやっぱり根性(←死語)。要所要所に限界まで根性を入れることで、自分だけの魅力を徹底的に引き出すこと。
(3)自分ひとりでは何も出来ないのはフラメンコも同じ。自分の心からの気持ちこそが、みんなをひとつに束ねて、フラメンコなエネルギーを炸裂させること。


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 仕事を介在させないくつろぎを何よりとする結婚だったし、業界的にもベタベタな感じがカッコ悪いので、 出演者とプロデューサーという関係での仕事は互いに敬遠していたが、共に暮らしたワンコンパス12年の歳月は、カサブタが自然にはがれるかのように余分なこだわりを除去していた。
 制作期間中は、当たり前に意見が衝突することはあったが、共有するヴィジョンが、いとも容易にその解決策を発見してくれた。

 すでに何十回もチェックした映像だったが、予定通り今日発売となるそのDVDを、ついさっき、改めて真っサラな気分で鑑賞してみた。
 世に出す当日の、いつもの儀式である。


 あせらねーで根性入れてくか、こっちも……と、
 少し笑った。



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 http://pfshop.paseo-flamenco.com/product_info.php?products_id=659&osCsid=cad0469b62df41221c543642a28c2bf3









[その317] 先を読む頭脳


2009/4/19日(その317)

先を読む頭脳





 プロになるためには、もちろん持って生まれた先天的なセンスや能力が大事だと思いますが、それ以上に必要なものがあると私は思っています。
 それは例えば、非常に難しくてどう指せばいいのかわからないような場面に直面した時、何時間も考え続けることができる力。
 そして、その努力を何年もの間、続けていくことができる力です。

 一言でいえば、継続できる力ということでしょうか。
 プロになる上では、先天的な頭脳の冴えというようなことよりも、その「継続力」が大事な要素になってくると思います。

 指している将棋を一目見れば、その人にセンスがあるかどうかというのは確かにわかります。
 しかし、それではセンスのある子がプロになって大成するかどうかと聞かれて、すぐにはわからないというのが正直なところです。
 それは、この「継続力」まではなかなか見抜くことができないからではないかと考えています。

            (『先を読む頭脳/羽生善治』より)


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 『先を読む頭脳
 羽生善治(将棋第十九世名人)
 伊藤毅志(認知科学研究)
 松原仁(人工知能研究)
 新潮文庫(2009年4月1日発行)420円税込


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 発売日に入手したのだが、午前中にジェーと代々木公園に遊びつつ読み終えた。
 フラメンコもまったく同じだなと思いつ、また、就職面接なども難しいのはまさしくここだとタメ息つきつつ、そのほんの一部を冒頭に抜粋した。

 さて、テレビゲームというのはその制作者によって、最終的な結論が規定される。
 つまり、その多くは制作者の隠した正解を探し当てるゲームだ。
 ところが、カード、麻雀、囲碁、チェス、将棋のようなボードゲームにおいては、結論は規定されない。
 つまり、プレーヤー自らが自分なりの正解を創り出すゲームなのだ。

 無数にあるゲームの中で、フラメンコにもっとも似てるのは麻雀だと思うが、次いで似ているのは将棋だと私は思っている。
 特に将棋とは"テクニック"と"表現力"の相関関係の点でよく似ていると思う。









[その316] アランフェス協奏曲


2009/3/30月(その316)

アランフェス協奏曲





 さあ、もうほんの少しで本格的な桜じゃあ!と意気込むその朝。
 ふと、アランフェスが聴きたくなって、その愛聴CDを5枚ばかりバッグに詰め込み、ぶらぶら歩きでパセオに向かう。
 ソリスタのマイベストは、お察しのとーり、われらがパコ・デ・ルシアである。


パコ/アランフェス.jpg
[パコ・デ・ルシア/アランフェス協奏曲 ポリグラム 1991年]


 「チャララ~♪」で始まる深い郷愁に充ちたメロディで知られる第二楽章アダージョが、世界中の人々に愛されるこのスペイン生まれのアランフェス協奏曲には、クラシックの超大物ギタリストによる名盤が目白押しだ。
 名盤でないのも多いが、最低レベルの演奏でも私より3億倍は上手いので、結局私はマイナーレーベルも含め、世界中のアランフェスCDを集めることになった。

◆ドスの効いた筋金入りのスペインが響く、初演者レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ
◆オケに負けない衝撃のライブが蘇る、堂々たるあの風格が懐かしいナルシソ・イエペス
◆軽々と国境を超える、名指揮者バレンボイムとのしなやかな名演、ジョン・ウィリアムス
◆あのサー・サイモン・ラトルのタクト、磨き抜かれた宝石のごときジュリアン・ブリーム
◆作曲者ホアキン・ロドリーゴが最も好んだという、鮮やかに颯爽たる快演のペペ・ロメロ
◆自由奔放にひたすら美しい音色で疾走する、フィジカルな快感に充ちたアンヘル・ロメロ
◆世界中を震撼させた超絶テクニックで、ギター協奏曲の限界を吹き飛ばした山下和仁
◆プラシド・ドミンゴのよく歌う指揮棒に、流麗さながら寄せては返すマヌエル・バルエコ
◆斬新な発想でアランフェスの妖しい魅力を引き出す、人気作曲家ローラン・ディアンス
◆抜群の色彩の厚みあるオケとのからみで、美しい録音を成功させたクレイグ・オグデン

 指揮者もオーケストラも音楽的アプローチもまるで異なる名盤たちだが、おそらく100回以上は聴いたであろうお気に入りの人気ディスクを挙げるだけで、こんな風にすぐに十指に達してしまう。
 そんな中にあって、パコ・デ・ルシアのアランフェスは、際立って異色である。

 クラシックギタリストではないから、という理由ではない。
 難しいアランフェスでは通常考えられないライブ録音だから、という理由でもない。
 作曲者ロドリーゴがすぐ後ろでそのギターを聴いている、という理由でもない。

 アランフェスを歌う、そのリズムのノリの素晴らしさが、ただひとり際立っているのだ。
 これ以上完璧に弾くことは無理だと思わせた名人たちの苦心のリズム処理を、パコ・デ・ルシアのギターが楽々と超えるのを聴いた刹那の衝撃は言葉にならない。
 ああ、アートには限界というものがないのだ、ということを思い知らされた。

 カンテやバイレ、他のさまざまな楽器、他のさまざまなジャンルとのアンサンブルによって鍛え抜かれた筋金入りの協奏センスが、オーケストラとの共演に実に豊かな充実をもたらしている。
 その演奏に現れる堂々たる風格は、超人アルフレート・ブレンデル弾くところの、国際的定番とも云えるモーツァルトやべートーヴェンのピアノ協奏曲を髣髴とさせる。
 ま、平たく云えば、ぶっち切りに楽しい純粋本格正統派のアランフェスなのだ。


 さて、近年のレコード不況で新録音の少ないアランフェスだが、ライブや録音で聴いてみたいギタリストが常に何人かはいる。
 これまで何度か書いてきたが、その筆頭は本来のクラシック畑のギタリストではなく、フラメンコギターのフアン・マヌエル・カニサレスである。
 オーケストラとの共演にも抜群の反射神経を発揮するビセンテ・アミーゴのそれももちろん聴いてみたい私が、真っ先にカニサレスのアランフェスを切望する理由は?

     カニサレス.jpg
  [フアン・マヌエル・カニサレス/イマンとルナの夜]

 パコ・デ・ルシアの“フラメンコ”、ビセンテ・アミーゴの“音楽”に対する、フアン・マヌエル・カニサレスの“ギタリスティックなギター”。
 ギターの魅力を最大限に弾き出すことのできるギタリストの演奏によって、最もギタリスティックなギター協奏曲“アランフェス”を存分に味わうことは、老い先短いこのギター少年(←53歳)の見果てぬ夢でもあるのだ。
 加えて彼特有の美質である、プロコフィエフなどを連想させる最高級の音楽的知性とユーモアのセンスが、ギターパートにある程度の冒険が許されるはずのアランフェスにどう反映されるのか?
 それらをあれこれ想像しながら脳内に響かせる妄想はめっちゃめちゃ楽しい。



 そんなこんなを想いつつ、本棚に目をやれば、学生時代にメシを抜いてはバイトで稼ぎ、やっとこさ手に入れたアランフェス協奏曲の楽譜をそこに発見することができる。
 そう、アランフェスは今もわが家の本棚の片隅に、青春の名残りをとどめているのだ。
 この難曲を数年間必死で練習した、その血のにじむような全盛期のアランフェス修業。
 その結果、この私がまともに弾けるようになったのは「休符の部分」だけだった。
 この事実検証は無性に哀しいが、いや、むしろそこに大きな意義があったと思いたい。
 その後の信じがたい大失敗の連続にも決してめげることのなかった私の、今も続くそのドン底の耐久性は、このアランフェスに培われた可能性は高いからだ。

 尚、東京東部の場末のパブで、一年間だけギタリストとして生計を立てたことのある私の、その輝ける若き日の名誉のために断言しておくが、テクニック、リズム、音楽性、音色などの諸問題を除けば、私のギターには何らの問題もなかったのである。(TT)




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[その312] 踊る厨房少女


2009/3/24火(その312)

①踊る厨房少女



 DVD『フラメンコはライフワーク
 自宅でクルシージョ⑧鈴木敬子
 2009年4月20日発売/制作:株式会社パセオ
 DVDライナー「舞踊家・鈴木敬子とは」より(その①)
 ※「オープニング」の動画はこちら
DVDジャケット.jpg

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①踊る厨房少女



 その衝撃は、私たちに「黒船来航」をイメージさせた。
 1989年、東京・芝abcホールの帰国リサイタル。
 ぶっち切りだと云う前評判をはるかに上回る、その鮮烈極まりないスペイン直輸入フラメンコは、詰めかけた愛好家・関係者に電撃的ショックをもたらした。
 今も語り草に残る、鈴木敬子と、彼女が先輩として慕う高橋英子のジョイント公演は、その後の二人の活躍を楽々と確信させるような、また、ともすれば日本のバイレシーンの生態系を破壊してしまうような凄まじいエネルギーを炸裂させたのだった。


 そんなフラメンコ界のスーパーエポックからさかのぼること24年前。
 当DVDの主人公・鈴木敬子はこの世に生を受け、高校卒業と同時にスペインへ旅立つまでの18年間を故郷・新潟の地に育った。
 クラシックバレエを始めたのは3歳。
 身体が弱いのを心配した芸術好きな両親が彼女につけた最初の道だ。


自宅⑧踊る厨房少女.jpg
                [バレエの発表会/一番右]
      

 当初はいやいや近所のバレエ教室に通っていた敬子に、最初の転機が訪れたのが小学生のころ。
 新潟にやってきたバレエ界の大スター森下洋子の公演を観て、ぽろぽろと涙をこぼした。
 人生に感動と勇気をもたらすアートの存在を、そこではじめて彼女は知ったのだった。
 踊りってモノ凄い!
 バレエやってて本当によかった!

 それ以来、踊ることが何より楽しくなった。
 ぽっちゃり体型なので自分がバレエのプロになれるとは思わなかったが、もっと本格的なレッスンを受けたいと一念発起した彼女は、両親に頼みこみ、新潟市の中心部にある有名なバレエ教室に通い始める。

 父は会社員、母は自宅1階で喫茶店経営。
 子供心にも高い月謝を払ってもらうのが親にすまなくて、レッスンの時間帯の前後は店の厨房で、小学生ながらもピラフやナポリタンやパフェなんかを一丁前に作っていた。
 恥ずかしがり屋の裏方タイプなので、奥でフライパンをふるったり洗い物をするのも好きだったが、前の日にはうれしくて眠れないほど発表会で踊ることが大好きな少女だった。

 そして高校時代。新潟の姉妹都市ハバロフスクとの文化交流でロシアに渡り、モスクワでバレエレッスンを受け、舞台で踊る機会を得る。
 そうした幸運は、15年やってきたバレエを土台とする延長線上に自分の未来があればいいなと漠然と思う気持ちに拍車をかけた。
 大学なのか就職なのか? どちらにもピンとこないでいる敬子の頭上に、その仰天話は突如舞い降りた。
                            (つづく)










[その313] 突如、フラメンコ留学


2009/3/25水(その313)

②突如、フラメンコ留学





 「敬子、スペインに行ってみるか?」
 高校卒業の年、父親はいきなりこう切り出した。
 スペイン好きな父親の知人のフラメンコ舞踊家が渡西する。
 ついてはお前にその気があるなら、スペインでの生活が落ち着くまで面倒を見てもらう手はずがついてるから、と云う。
 あまりにも唐突な段取りだが、これが新潟流らしい。
 てゆーか鈴木家流にちがいない。
 フラメンコでもスペイン語でも、大学に行くつもりでこれはと思うものを何かひとつだけつかんで来たらと、母親も後押ししてくれた。
 小学生の頃から家業の喫茶店をしっかり支えてきたご褒美の意味合いもあったかもしれない。

 意表を突かれる選択肢だったが、迷うことなく敬子はそのチャンスを選択した。
 フラメンコはまったく未知のジャンルだったが、これまで続けてきたバレエの延長線上にこれからの自分の道を設定できることがうれしかった。
 百万円の留学資金を現金で手渡された彼女はその数週間後、はじめて買った和西辞典とともにマドリーへと旅立つ。

 小さい頃からそうだった。
 頭でっかちになっちゃだめ。
 自分の直感を信じて、楽しいと思える生き方を選ぶこと。
 そして、闘いながら闘い方を覚えるのが一番だと。


自宅⑧マドリー到着.jpg
               [マドリー到着]


 最初の3年間は徹底的に基本に集中することに決めていた。
 個性やインスピレーションの源が基本のマスターにあることは、3歳から踊ったバレエが教えてくれたのだろう。
 どんな振りにも対応できる基本の引き出しをたくさん増やすこと。
 それが身体に沁み込むまで、同じ基本を何度でもやり続けること。
 それさえ身につけておけば、先々どんな冒険だって楽しくクリアしてゆけるはず。

 マドリー到着の翌日、初めてのフラメンコシューズをガジャルドで買い、その翌日からフラメンコのレッスンを始めた。
 5~6種類のレッスンを朝から晩まで受ける毎日。
 すべての基本を均等に吸収したかった。
 各種基礎、クラシコ、そしてホタ。デザートにバレエとジャズダンス。
 亀のようにゆっくりではあるけれど、スポンジのように基本を吸収してゆく自分がうれしかった。
 苦しみも多いその充実感そのものが楽しかった。
 敬子は稽古が好きだった。

 クラスの仲間たちとセビジャーナス・ディスコでコンテスト荒らしをやったこと。
 アモール・デ・ディオスでスカウトされサルスエラ劇場のソリスタに抜擢されたこと。
 マドリー時代の踊る青春は、すべてが楽しい冒険だった。
                            (つづく)










[その314] 「踊り」から「フラメンコ」へ


2009/3/26木(その314)

③「踊り」から「フラメンコ」へ





 踊りを続けるためにフラメンコを選んだ敬子に転機が訪れる。
 3年間の楽しかったマドリーのフラメンコ修業が彼女を変えたのだ。
 フラメンコ、大好きかも……。
 本場アンダルシアで学びながら、その気持ちを確かめたいと思った。
 思い立ったら即行動。
 そうだ、セビージャに行こう!


自宅⑧セビージャ.jpg
                    [セビージャの青春]


 そんな彼女をセビージャで歓迎したものは想定外のカルチャーショックだった。
 とりあえず受講したレッスン。
 みんなほとんど何もしてないのに、小さな子供でさえ、みんなが皆フラメンコになってる。
 それに比べて私のは……単なる踊り。
 どうすればあんな風に?
 喜々として基礎を学んできた彼女に立ち塞がる初めてのぶ厚い壁。

 ずっと続けてきたバレエやダンスもやめ、フラメンコ1本に絞り込む。
 マノロ・マリンに師事しながら、本物のフラメンコを思いきり吸収できる生活に切り替え、カラスコ、カマロン、パコなど超一流どころを夢中で追いかけた。
 さらに、セビージャの暮らしの中には、そこかしこにフラメンコが充ちあふれていた。
 お喋りしたり、買い物したり、掃除したり、料理したりする日常の中にフラメンコの“粋”が在った。
 ああ、フラメンコは本当に生活の中から生まれるものなんだな。
 生きることとひとつになれるアート。
 なんてステキなんだろう!
 二十歳を過ぎた彼女が探し求めていた一生の仕事と生き方の、その両方が目の前にあった。
 フラメンコで生きよう。
 敬子は心に決めた。


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              [セビージャの修業時代]


 6年間のスペイン修業のラスト2年は、ホセ・ガルバンに師事しながら、フラメンコの仕事に明け暮れた。  春のフェリア、夏祭り、結婚式、タブラオ、フエルガ、テレビまで何でもこなした。
 新米なので踊る曲を選べない、勉強中の曲を突然踊らされることも当たり前の、イチかバチかの強行突破の日々。
 これが私の大学なのかな、ならば開き直って遠慮なく学ばせてもらおう。
 やるかやらないかだったら迷わずやる。
 失敗の連続に自然とクソ度胸もついた。
 何が起きても必ず何とかなるものだ。
 遅い夕食を居眠りしながら食べるようなハードな毎日だったが、胸を張って生きようとしている自分が頼もしくてうれしかった。

 そして帰国直前の総決算は、フラメンコの最高舞台“ビエナル”出演。
 ペパ・モンテスの推薦によって『日本人の日』で十八番アレグリアスを踊り、トリを飾った。
 日本のフラメンコ界に衝撃と希望をもたらした冒頭の帰国リサイタルを皮切りとする、その後の活躍は周知の如くである。
                      (つづく)










[その315] フラメンコはライフワーク


2009/3/27金(その315)

④フラメンコはライフワーク





 「日常の楽しいことはフラメンコにエネルギーを与え、苦しいことは一見マイナスでもフラメンコに深みを与えるプラス要素。
 一方で、楽しい時にはより楽しく、苦しい時にはそれを乗り超える力を与えてくれるのがフラメンコ」
 生きることは踊ること。
 踊ることは生きること。
 フラメンコに目覚めたセビージャ時代以来、敬子の中に、生活とフラメンコのギブ&テイクの信頼関係が築かれた。

 「これまでと同じように生きるだけ。
 60歳、70歳になっても、いろんなことにチャレンジしていたいです」

 将来の夢を尋ねると、彼女はこう即答した。
 特定の夢の実現というより、前に進む苦しみをひっくるめて、あらゆる瞬間を完全燃焼しながら楽しみたい。
 ほんとの生きる歓びって、実際にはそんなプロセスの瞬間に在るのでは?


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            [アントニオ・カナーレスと]


 アントニオ・カナーレス、ハビエル・バロン、フアン・デ・フアン、アドリアン・ガリア、ミステーラ……。
 多くの一流アルティスタと共演を重ねる彼女は、一期一会の出会いの中で、それまでの積み重ねをスパークさせることが心底楽しかった。
 そして、そんな冒険から生まれるであろう新しい鈴木敬子にワクワクするもう一人の自分がいた。

 ふだんはコツコツと、勝負所では大胆に、自分で自分を切り拓いてゆく楽しさ。
 完全燃焼する充実感。
 その度に逞しさを増し、何が起きても大丈夫と胸を張る崖っぷちの安心感。
 それらはまさしく、厨房でフライパンをふるった少女時代からブレることのない“鈴木敬子な生き方”だった。


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           [フアン・デ・フアンと]


 数年前に腕を骨折した時のエピソードにもそんな敬子イズムが垣間見える。
 身体に無理が利かない間に、およそフラメンコとはかけ離れた未体験のパソコンを学ぶことを思いつき、骨折の翌日から速習コースに連日通い、返す刀で即座にブログを始めたのだ。
 もちろん文章を書くのも初体験。
 マイナスはプラスに転じるためにあるという彼女の方程式には、いつも不思議なワクワク感がある。


 「すべて自分の責任による、地道な努力と楽しい冒険」

 いつも楽しそうな彼女の、その生活信条を単純に整理すればこうなる。
 彼女の戦術はたまたまフラメンコだったわけだが、その生き方の明快さは、選択肢の迷路にあえぐ現代をシンプルにほぐす、汎用性の高い戦略たり得るだろう。


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             [ハビエル・バロン]


 DVD収録後の打ち上げ。
 好物の肴をぱくつきながら旨そうにビールを飲み干す鈴木敬子はこう笑った。

 「楽しいことは楽ではないけど……やっぱり楽しい」


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      (文:株式会社パセオ代表取締役 小山 雄二)










[その311] フラメンコな根性の出し方


2009/3/22月(その311)

フラメンコな根性の出し方





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 最初はこんな“どすこいっ!”なタイトルで行く予定だったが、実際には『フラメンコはライフワーク』に決定した。
 で、『根性……』の方はサブタイトルになった。
 私は社内にあまり敵を作りたくないタイプなので、さすがに思いとどまったのである。


 この春の4月20日発売に向け、2月に撮影を終えたパセオ最新DVDも、約1ヶ月で各種編集作業を終え、90%完成という段階までこぎつけた。



DVDジャケット.jpg



 オープニング映像をYouTubeにアップ(↓)したところ、予約ももろ順調のようだ。
 http://www.youtube.com/watch?v=dlQwd0T-9pM
 この調子で行けば、昨秋の今井翼表紙号のように、発売前に初版ソールドアウト! などという記録をDVD部門で達成できるかもしれないし、できないかもしれない。

 パセオホームページにも先日、ライナーノートの一部をアップした。
 自慢じゃないが、私の書いたものとゆーのは、良識あふれる編集部や販売部によって、ばっさり削除されてしまう可能性が大だからな、さあ、読むんなら今のうちだぜ、ってどーゆー会社なんだよオレんちわあ(TT)


 主演者(私の連れ合い)とプロデューサー(私)という立場で共同作業するのは、今回が初めてだった。
 一緒になった頃は、そういうことはあり得ないと互いに決めていたが、短くはない歳月に、互いの余分な力みや束縛が自然とほどけた結果なのだろう。
 生きることは踊ること、踊ることは生きること。
 フラメンコと日常生活のギブ&テイクな信頼関係。
 そんなヴィジョンを「レッスン・ドキュメント」という最小ルールの中で自由に描きたい。
 こんな双方の想いがドンピシャに合致していた。
 そう簡単には上手くならないフラメンコを続けることに挫けそうになった時に、その原点と勇気をよみがえらせる、アドレナリン的な映像が創りたかった。
 それには、あ・うんの呼吸が必要だった。
 「フラメンコはライフワーク」。
 その言葉の正しさを、映像でも実証してみたかった。



鈴木敬子DVD 087.jpg



 レッスン映像は、ほとんどスカッと一発撮り。
 根気勝負の編集作業も、通常の3分の1程度の労力で済んだ。
 問題が生じる場面も、互いの人生観・フラメンコ観の共通項が、容易に解決策を発見させてくれた。
 細かな反省点は多いが、肝心な中核は押さえられたものと思いたい。



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 以上は、自我爺さんによる自画自賛だが、字がズサンかも。










[その310] 何をやっても一生は一生


2009/3/15日(その310)

何をやっても一生は一生





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 「何をやっても一生は一生


 将棋のプロ棋士を志すきっかけになった、その技術書の中にあった言葉。
 それまでは、何物かに流されてる感じがしてたので、この響きには清冽なショックがあった。

 そうか! 自分の人生は自分で選んでいいのか。

 昭和40年代半ば。
 すでに世の中は、あまりにも過保護になりすぎてる時代だったから、流されやすい中学二年の私は、そんなことにさえ気付いてなかったのだ。
 異様な過保護に本能を狂わせられる現代の少年少女も大変だが、わたしら世代もおんなじようなものだったと思う。

 この言葉が内包するポジティブな開き直り戦略が、プロ棋士テスト失格に始まる、失敗に失敗を重ねまくるその後の、他から流されるのではなく自らスベりまくるマイペース人生を演出したのかと思うと、妙に感慨深い。










[その309] 五十歩百歩


2009/3/9月(その309)

五十歩百歩





 私という人は、仕事や友や女やアートや金などが大好きなタイプだ。
 最初から持ってない約三点を含め、これらを失うのはたいへん辛いことだ。

 でも、ほんとはもっと失うのが怖いものがひとつある。
 意外かもしれないが、それというのは「運」のことである。
 ふんわりとはしているけれども、それこそがあらゆるものの元締なんじゃないか?
 私に限って云うと、「運」とはそれほどまでに重要な存在だ。



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 大むかしの一時期、勝負の世界で生きていた私は、
 いわゆる「運」に対し敏感な方だったかと思う。
 ガチンコ世界の実力が接近する勝負において、運は重要なファクターになり得るからだ。

 だが若い私はその正体を知らず、よってそれを改善するための手がかりを持たなかった。
 人生の実相がおぼろ気ながら見えてくる30代半ばぐらいで、大方の人がそうであるように、ようやく運の実態がわかるようになる。
 運とはすなわち確率論であり、基本的に誰にもほぼ平等にそれが分配される。
 そんなことを経験則的に実感するわけだ。
 ついでに「運の育成」の可能性に気づくのもその頃だと思う。

 さて、運の育成に踏み込む場合、ツボを買わされるのが一般的な手法のようだ。
 だが、国際平和を優先するため、あらゆる宗教を放棄するタイプの私には、どうにもそれが向いてない。
 そこで、運を呼び込むのに成功していると思われる人々を、注意深く観察してみたりしたわけだが、そこには思いもかけず、いろんなやり方があることがわかった。

 その結果、本格的なのはいずれもストイック系であり、ユル過ぎる私にはどれも到底無理だよというあきらめがチラつく。
 が、ただひとつだけ、これならばひょっとして、という方法論があった。



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 それは「人として、普通にやる」という、にわかには信じがたいチョー楽ちんな運の呼び込み方法である。
 人として普通にやる。
 つまり、どうあれ悪い雰囲気を自らはつくらないこと。
 余裕に応じて、自らよい雰囲気を創ること。
 な、なんと、これだけである。

 いつの間にやら「グチる」「キレる」みたいなうすら汚いストレス解消法がナシ崩し的にオッケーとなったネットを含む現代は、逆に「グチらないこと」「キレないこと」が好ましい特殊能力として、世に歓迎される時代だったのだ。
 人として普通にやってれば、おいしい話が勝手に向こうからやってくる確率が高くなる。
 ふと気付けば、そういう不思議な時代になっていたのである。

 あまりにも安易にすぎて何か納得ゆきかねる気分を感じつつも、それがホントなら、こりゃ金も時間も修行もいらねえ優れモノだと思った。
 誰もが「グチらない」「キレない」人となるノーマルな時代がやって来れば、そうした確率もまた下がるのだろうが、幸か不幸か「こんちわ」の挨拶もロクにできない現代日本に、今のところそんな兆しはまったくないし………。



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 さて、「グチる」「キレる」というのは、一息こらえてわが身をふり返りその内側に「強いタメ」を創るチャンスを、一挙に台無しにする手法だ。
 あースッキリしたあ! という刹那の快感は得られるのだが、その代償があまりにもヤバすぎることは、かつて「グチる」「キレる」を専売特許としたこの私が涙とともに保証したい。

 プロアマ問わず、上手なフラメンコさんなのにタメのないのが惜しい! みたいな方と実際にお話ししてみると、そんなタイプである確率が異常に高いことも、その手法がまた別な不幸を呼び込んでしまう一面も裏付けている。
 これはフラメンコ屋25年間のリアル・データだから、覚えておいて損はないと思う。
 この実例は、その実力がほとんど頼りにならない私のよーなアホシオナードが好きな仕事を続けてゆくためには、人として普通のやり方を採ることで「運」を味方につけるよりないことを強く認識し直すのに十分すぎるデータだと思う。

 ま、そんなわけで、ある時期からの私は、自らは悪い雰囲気をつくらずに、可能な範囲でよい雰囲気を創ることを心がけ始めた。
 期待も何もしてなかったのだが、意外にも三年ばかりでその成果は少しずつ上がり始め、昔に比べるとはるかに、特に人間運がよくなったことは事実のようである。

 ではあるのだがその一方で、悪いアイレのケンカを売られる場合など、「待ってますた!」とばかり戦闘態勢に入ってしまうところに、元々素材のよくないこの江戸っ子の限界がある。

 「待ってますた!」の切り返しは、もちろん相手の急所は外すにしても、その相場は三倍返しと決まっている。
 一息こらえてわが身をふり返りその内側に「強いタメ」を創るチャンスを、一挙に台無しにする手法だ。
 カレーを食いながらウンコする自分が脳裏をかすめつつも、あースッキリしたあ! という刹那の快感は得られるのだが、いつまでたっても、めざすウン気に到達できない理由がそこにある。




       おーまいがっど.jpg









[その308] ありがとう!ツバメンコ


2009/3/4水(その308)

ありがとう!ツバメンコ





 「いろいろと、ほんとうにありがとうございます

 きのう3月3日の文京シビック、ガデス舞踊団『アンダルシアの嵐』公演会場にて。
 昨秋からのツバメンコ旋風によるフラメンコ界の活性化について、やっとのことで直接、今井翼さんご本人に御礼を述べることができた。
 ガデス舞踊団の招聘元ジャパン・アーツの超美人広報さんが気を利かして、連番の招待席を用意してくれたのだ。

 「こちらこそ、ありがとうございます」
 さわやかに礼儀正しく、『笑っていいとも!』で知った気さくなアイレそのままに、彼はそう応えてくれた。


 実話をベースとする、12年ぶりに観るガデス晩年の超名作『アンダルシアの嵐』は、鬼のような完成度と深い感動に充ちた出来栄えだった。
 「やったのは私だ!」
 ラストのクライマックス、悪代官を征伐した村人たちが、「やったのは誰だ?」と裁かれるシーンで、全員が「ジョ(私)!」と叫ぶ瞬間、不意にぽろっと涙がこぼれた。
 あまりにも美しい絵画のような、アンコールの点景ストップシーンに会場がどよめく。
 舞台を包み込むように、アントニオ・ガデスのあの深い笑顔が、一瞬宙に浮かんだ。

 「すばらしい!」

 いかがでした?と感想を問う私に、今井翼は間髪入れずにそう答えた。
 二度そう云った。
 実際、その凛々しい笑顔の両眼はキラキラと感動に輝いていた。
 もろもろの御礼にガデスのDVDセットを差し上げたいと申し出ると、このヨレヨレのおっさんの顔を立てるために、大げさに喜んでくださった。
 ご多忙の身であろうに、この先『カルメン』にも来場されるという。
 握手しながら至近距離に観る彼、今井翼の惚れ惚れするような男ぶりからは、好ましくも逞しいオーラが静かに発散されていた。

 同席されたツバメンコ師匠(佐藤浩希&鍵田真由美ご夫妻)の影響から、今回はじめて彼が知ったフラメンコ舞踊の神『アントニオ・ガデスの世界』。
 今井翼の心にしっかり刻印されたそのフラメンコ魂が、彼のフラメンコの未来にどのような影響を及ぼしてゆくのか。
 今日の公演によって、彼の心にそんな点火がなされた事実に、なんだか私はホッとした。


 ――――――――――――――――――――――――――


 終演後のパセオブースで客寄せの呼び込みに声を嗄らせたあと、外に出ると……雪だった。
 江戸っ子は雪が大好きだ。
 ふと思いつき、会場の文京シビックからは目と鼻の先の本郷界隈をぶらついた。
 輝くような若い才能と対面できた余韻、そして降りしきる雪が、ノスタルジックな感傷を運んだかもしれない。
 現在の今井翼と同じ歳のころに、パセオフラメンコを創刊したのがこの地・本郷だ。
 六年を暮らした菊坂上のオンボロアパートは鉄筋のマンションに変わっていたが、日付が変わる時刻にほとんど毎晩、一杯ひっかけに寄ったヤキトリ"白糸"は健在だった。
 当たり前のように暖簾をくぐり、懐かしいカウンターに腰掛け、瓶ビールと煮込みを頼んだ。
 あれから二十年、さすがに知った顔はもういまい。
 と店内を見まわすと、役所広司に似た渋い二枚目がヤキトリを焼いている。
 当時遊び人風情の客だった、おそらくは私と同世代の彼が、どうやら店長風な貫禄で、静かにしかし楽しそうに仕事に集中している。

 「覚えてる?」
 目が合った瞬間、私は役所マスターにそう笑いかけ、
 「お久しぶり。もちろん覚えてますよ」
 と、昔は凄みある目をしていた彼が、やさしい目でそう答えた。
 彼の話す当時の名物マスターのお元気そうな近況に安堵し、この後の呑み会のために、20分ほどでカウンターを立った。

 「マスターに伝えておきますよ。
  また寄ってやってください」

 背中に受けたその温かなお愛想が、しばし20代にワープしていた私を、心地よく現在に着地させた。




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[その307] まじめに生きるために


2009/02/21土(その307)

まじめに生きるために




        しゃちょjpeg.jpg



 生来私は“生まじめ”な性質だ。
 だから、余分な"生"の付かない、本当に“まじめ”な人に対して、こりゃかなわんと、いつも負い目を感じながら生きてきた。

 島田紳助、春風亭小朝、サイモン・ラトル、所ジョージ、福田進一、中村勘三郎……。
 パッと思いつく同世代の有名人だけでも、私の憧れる「まじめな人」はこんなにいる。
 他の世代の有名人や、愛すべき周囲の仲間を入れたらものすごい人数になりそうだ。

 生まじめな人間というのは、しばしば不まじめな人間よりよっぽどタチが悪いことは、生まじめ人間出身である私がよく知っている。
 放っておいても約束は守り、生まじめに働くメリットはあるが、細部に神経が集中しすぎて、肝心な全体を見失う致命的なデメリットを有しているのだ。

 それに比べると、まじめな人間というのは、実に全体バランスがしっかりしている。
 さらに、大切なものとそうでないもののメリハリのつけ方が実にうまい。
 すでに1コンパス12年近くを暮らす連れ合いなどを観察していても、そのバランス&メリハリ感覚にはなかなかのものがあり、特に「力の入れ方・抜き方」のノウハウはかなり参考になった。

 ただし私の場合は、「力の抜き方」についてのみ、あまりに集中的に学習してしまったため、最近の私は一見、若干、不まじめな人間に見えるかもしれない。
 実際にはチョー不まじめな人間になってしまったわけだが、こんな極端な成果を出せるのも、肝心な全体を放置したまま、徹底的に細部に集中できる生まじめ人間の特徴である。



「神と仏②」わが家の神棚と仏壇.JPG
      


 生まじめ人間を廃業するために、ある時期からの私は徹底的に「ユーモア」を学習した。
 勉強嫌いの私が、生まれてはじめて着手した本格的な学問だったかもしれない。
 細部への思い込みの強い人間が、全体バランスを獲得するには、日常的に、かつ徹底的に「自分を笑う」習慣を身につける必要があると感じていたのだ。

 私の育った下町界隈においては、"真心"というものが、いつも"ユーモア"とセットだったことも、そう感じる遠因だったかもしれない。
 盲目的に細部にこだわるおマヌケな自分をゲラゲラ笑い、その反作用によって冷静な自分を呼び覚ますことで、常に全体バランスの構成に気を配れる自分になりたかったのだろう。

 愚かな自分が勝手に思い込んでる信条のすべてを笑い倒し、その上で改めて、必要最小限のコンパスを選択しようと思った。
 気に入らない他人の言動にハラを立て、貴重な時間を消費するのはヘンだと思った。
 私に限って云えば、事件が起きたとき、人を疑うより自分を疑った方がはるかに解決は早いのだ。
 だから、他に対する許容範囲を広げるような方向が望ましいと思った。
 可能な限り何でもオッケーな幅と奥行きを持ったコンパス&アイレを、シンプルにほんの少しの数だけ選ぼうと思った。

 小さい頃からのお笑い好きが幸いして、面白い話に素直に笑えることには自信があった。
 残る課題は、「自分を笑う」ネタで、いかに「自分を笑わせる」か、それだけである。
 幸か不幸か、私の場合は、イヤ~な奴の欠点を鋭く暴き、これを一発で撃沈する、辛辣極まりない嘲笑能力にも自信があった。
 これを人さまに使用することを封印し、その代わりにこの辛辣な批判能力のすべてを、自分自身に集中砲火させる方法を思いついたのだった。

 社会的には罪にならない罪深き凶悪犯罪である"愚痴"をやめたのも同じ頃だ。
 私を含め、みな自分の愚痴だけは許されると思っている。
 これほど愚かでみじめでグロテスクな事象を笑わない手はないなと思った。
 何気ない愚痴でも、結局そのストレスはその下請けに伝染するものだ。
 それを反面教師化できない心やさしき弱者や子供たちはさらに追い込まれる。
 下請けから下請けにそのストレスは伝染し、現代日本は立派な鬱社会となった。
 その真犯人は、政治家でもなければ世の中でもない。

 そうした風潮の中、逆にフラメンコ人口は増えた。
 つい口から出そうな愚痴も、フラメンコ的カタルシスでスパークさせれば、それをエネルギーや笑いに逆転させることも可能ではないか?……と。
 フラメンコは“自立と協調”のアートだ!
 そう本能的に察知した人々が、大挙してフラメンコの世界に足を踏み入れてきたのだ。
 もちろん、それらを自覚できずに、不平たらたらで生きてる人もいるにはいるが、これはカレーを食べながらウンコをするようなものなので、逆にそれだけ器用な人なら、この私もそうであったように、必要な自覚は時間の問題かと思われる。



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 愚痴や他者への攻撃を放棄し、自嘲的ユーモアに私が走ったのはそんな理由による。
 これらの転換の副産物として、自分をとりまく人間運がスイスイ向上し始めたことには、我ながらびっくらこいた。
 それらの根気よい継続の末に、自分で云ったり書いたりする自嘲ネタで、十年後の自分を笑わせる水準まで、その能力を向上させることもできたと思いたい。

 『オラシオン連歌』や『シュール・アフォリズム』などに毎日10分程度、コンスタントに書き込み続けるのも、自然にチョー大吉を呼び込む、そうした自分好みの感性をサビ付かせないためだ。
 壊れにくいユーモアというアイレを保つことは、酸いも甘いもある日常生活を丸ごと楽しむことの反映のようにも思える。

 さて、これらの結果、常に全体バランスの構成に気を配れる自分になれる予定であったのだが、あいにく自分を笑わすことに手一杯で、そこまで手が回らなくなってる哀しすぎる現状がある。

 こんな極端な成果を出せるのも、肝心な全体を放置したまま、徹底的に細部に集中できる生まじめ人間の特徴である。





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[その306] ツバメンコとガデス舞踊団


2009/02/20金(その306)

ツバメンコとガデス舞踊団





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 いよいよ2月28日、東京・文京シビック大ホールを皮切りにスタートする、アントニオ・ガデス舞踊団の待望の来日公演
 私としても可能な限り公演に駆けつけ、ロビー設置のパセオブースにて、ガデスDVDなどの呼び込みのおっさんをやらせてもらうつもりだ。



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 本番中はもつろん舞台を観させていただく。
 あの今井翼さんもご来場されるとのことで、招聘元のチョー美人広報さんが気を利かして、彼とツバメンコ師匠(佐藤浩希さん)と私の席を、くっつけて押さえてくれた。
 会場客席に運良く彼を発見できたら、遠方より両の手で拝むつもりだったが、おかげで翼さんと直接お目にかかれそうなのは思いがけない幸運。
 翼さん本人は毎日観ることを熱望されてるそうだが、チョー多忙は人気者の宿命なので、それはさすがにご無理というものだろう。

 つい十日ほど前にもタモリさんのTV『笑っていいとも!』における語りで、フラメンコ大使としての使命も存分に果たしてくださった翼さん。
 「やっぱ、若い子ばっかりのジャンルはだめだよなあ」というタモリさんに、
 「その人の人生観が出てくる踊りっていいですね」みたいに受けたコメントは、
 フラメンコの神さまをめっちゃ喜ばせてくれた。

 「フラメンコ踊ってんだってぇ~? 今井翼~」
 私の仕事にまったく関心を示さない周囲の連中でさえ、そんな事を云い出す昨今。
 せっかくの有り難い機会なので、彼のフラメンコ普及への大きな貢献について、ひと言だけでも、心からの感謝を述べさせていただきたいと思う。



 尚、「タキツボから飛び込む覚悟でタキツバのCD買いますたあ 」という、むさ苦しいおっさんの苦心談は永久に封印するつもりなので、皆さま方もどーかそのつもりでしっかりダマっといていただきたい。




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     【月刊パセオフラメンコ3月号(本日発売)
    特集:アントニオ・ガデス舞踊団/未知への疾走】










[その305] 本番収録完了!


2009/2/17火(その305)

本番収録完了!





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 パセオの人気DVDシリーズ「自宅でクルシージョ」。
 その最新作⑧「フラメンコはライフワーク」は4月20日発売予定。
 出演はバイラオーラの鈴木敬子とその生徒たち。
 カンテはアギラール・デ・ヘレス、ギターは矢木一好。
 レッスン素材は、初級から先生までが同じ振付で踊るアレグリアス。
 人生そのものとリンクするレッスン裏コンセプトを、「自ら長所を発見し、磨き伸ばす歓び」あたりに置き、本日イッキに撮り上げた。




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 先日やっちまった肉離れも、本番収録を前に予定どーり昨日完治していた。
 朝イチでスタートしたその撮影を先ほど打ち上げ、いまさっき家に戻ったところだ。
 ぶっつけ本番のレッスンシーンは、ほとんどイッパツでオッケー。
 明るさと真剣さとがクロスオーバーする自然体なレッスンをまんま切り撮った。




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 何が起こるかわからないスリリングな現場作業には、フラメンコならではの醍醐味がある。
 そこに生じるさまざまなハプニングや感動は、一生ものの想い出に転ずる。
 明日からは映像編集やブックレットの執筆・編集など、仕事はてんこ盛りだが、事前のイメージを上回る映像が撮れたので、とりあえずほっと一息だ。
 事前のダメージなどは、それですべて吹っ飛ぶのである。




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 つーことで、
 本日いつばんよく動いた連れ合いをねぎらうために、
 いまからご近所“秀”で軽く祝杯の段取りだす。




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 (写真はすべて、本誌パセオでもおなじみの川崎栄さん)









[その304] パコ・デ・ルシア


2009/1/26月(その305)

パコ・デ・ルシア





 授業を投げ出し街々を徘徊中に、偶然手にした一枚のレコード。
 人生を賭けた将棋のプロテストに失格し進路を失った高校生の私に、まったく新たな道筋を示すパコ・デ・ルシアのフラメンコギター。




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 グチんな!クヨクヨすんな!
 誰も助けちゃくれんぞ。
 魂ケチんな!
 さらして鍛える魂を金庫にしまってどーする。
 遠慮すんな!
 やりたいことを思う存分やれ。
 心配すんな!
 どー生きても人は必ず死ぬ。


 エネルギーに充ちあふれたそのフラメンコが、どん底の私にそうソウルする。
 当時流行の優柔不断~ジリ貧コースとは対極に位置する方法論。
 ノミの心臓ゆえのキマジメだけが取柄の私に、そんなんでいーのか? 本当にそれだけで足りるのか? とズバリ迫る、まばゆい光の大胆パッション!
 引きこもり寸前の魂に、コペルニクス的転換の可能性を示す鮮烈な一撃!
 背筋のピンと伸びた本音と熱情のアートは、本物のエロスとタナトスを備えていた。
 その神秘のレコードは、わずか半日で、沈みかけた私の運命をあっさり変えた。




     「月とスッポン」パコ・デ・ルシア/アルモライマ.jpg




 パコ・デ・ルシアのフラメンコギターが発散するファンタジーには、自分の人生を丸ごと賭けてしまいたくなるような「ときめき」がある。
 そして、そのときめきには、聴き手のポテンシャルを引き出し育てるような響きが内包されている。
 失敗に明け暮れる青春時代から今日に至るトータル37年間、一度としてブレることなく、彼は私の心の神として存在し続けている。
 天才パコ・デ・ルシアが示す道筋を、一般人平均を大幅に下回る私がせっせと歩んだ悲惨なプロセスは都合により割愛するが、いつも心にアルモライマ(パコの有名なブレリア)を響かせた歳月は、暗くハンサムな少年を、陽気でブサイクな青年に変え、やがて彼にパセオを創刊させるのだった。




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 パコ・デ・ルシアのゆくところには必ずや新しいシーンが展開し、次の時代を予言する熱風が吹く。
 岐路に立ったとき、鋭い直観と強い信念によって人生の選択肢を決断したパコ・デ・ルシア。
 フラメンコと自らの良心に忠実に、世間の外圧に翻弄されることなく自身を貫いたパコの生きざまは胸に迫る。
 チック・コリアやアル・ディメオラをはじめとする国際的ミュージシャンとの長年にわたる異種格闘技試合から凱旋して、フラメンコに還ったパコ・デ・ルシア。
 その回帰第一作『熱風』は、フラメンコギターの最頂点として、また、ビートルズやピアソラなどと並ぶ20世紀音楽の傑作として、私たちの子孫らに聴き継がれてゆく名盤だ。
 パセオ創刊のきっかけが『アルモライマ』なら、この『熱風』は廃刊を阻止する精神的カンフル剤のようなものだった。
 極東のパセオでさえそんな恩恵に浴したぐらいのものだから、スペイン・フラメンコ界、とりわけプロの一流アーティストたちが与えられたインスピレーションの大きさには想像を絶するものがあったろう。
 『熱風』は、バイレ・カンテを含む現代フラメンコの潮流を決したアルバムなのだ。
 全八曲の中に『二筋の川』や『アルモライマ』のような親しみやすいメロディを持たせなかったところにパコの心が見えてくる。
 ここでのパコは、現世的な喝采には背を向け、ただひたすらフラメンコの神に、全身全霊で感謝と祈りを捧げている。




     「月とスッポン」パコ・デ・ルシア/熱風.jpg




 さて、パコ・デ・ルシアを神と仰ぐ場合、その信仰効果は人によってまちまちであるが、私のケースで云うと「人生はいいなと思う」「不幸に鈍感になる」「すぐハラが減る」などである。
 若い頃の私は、パコのアートや生き様に少しでも近づきたくて必死にあがいたものだが、それを実現するには、私個人のレベルがあまりにもユルすぎた。
 ここ十数年の私なら、石炭に向かって「ダイヤモンドになってください!」と必死にお願いすることの方が、まだしも実現の可能性が高いことを知っている。
 「月とスッポン」と云うが、この地上から月(パコ)を眺めつづけ憧れつづけるスッポン(私)でありたい、というのが偽らざる心境だ。
 若き日はともかく現在の私には、パコ・デ・ルシアとのそういう距離感がちょうどいいくらいに感じられる。
 道に迷っては、思わず夜空を見上げるこの私に、その超然たる月は、進むべきだいたいの方向を示してくれる。

 ご降臨とも云うべきだった、あの2005年夏の来日ライブ。
 ともすれば寄る年波にさらわれそうになる私たち世代は、自らのペースをまったく崩すことのない57歳パコ・デ・ルシアの、愛と勇気とユーモアに充ちたその原色のファンタジーに、目からウロコをぽろぽろ落とすことになる。

 そう、神はときめき続けていたのである。

 この月を見失えば、
 そのときはナベにされちまう時だな、と思った。






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 【追記】
 久々の休暇に、半日ばかりパコ・デ・ルシアを聴いて過ごした。
 こんなにまとめて聴いたのはしばらくぶりだ。
 今朝になって、ふと思いつき、以前にブログに書いたいくつかを、切り貼りでまとめてみた。
 こうして、わたすの半生をふり返る見事な駄作はわずか30分で完成した(TT)。









[その303] ガデスと浩希とツバメンコ


2009/1/22木(その303)

ガデスと浩希とツバメンコ





 昨晩は、初台の新国立劇場におけるツバメンコ師匠(佐藤浩希さん)のステージへ。
 文化庁が支援する“現代舞踊公演”に選出された、鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団。
 演目は、以前かれらのリサイタルのメインを飾った『愛と犠牲』だ。
 音楽も構成もハンパでないパワーアップを施しての再演である。

 こちらの期待を常にいい意味で裏切ってくれるアルテ・イ・ソレラのメンバー(もつろん九平次親分も)と共演する豪華ミュージシャンたち。
 それは今回も同様で、圧倒的なパワーに充ちた熱演は、ジャンルを超えて客席を熱狂させた。
 生の音楽と舞踊が一体化して生み出すあの相乗効果的なエネルギーには、すでにある種の風格さえ感じられる。


 さて、アントニオ・ガデスの映画『血の婚礼』でフラメンコに目覚めたと云われる佐藤浩希。
 青春まっ只中の彼が、在りしの日のガデスのその来日公演の追っかけ(し、しかも非合法な手段で)をやってたのはあまりにも有名なとほほ話である。
 ガデスから直接の指導は受けていないものの、その影響(舞踊面、音楽面、演出面)を強烈にモロ受けしつつ、NEWSWEEK「世界が尊敬する日本人100人」に選出された佐藤浩希を、アントニオ・ガデスの後継筋と云うことも可能だろう。

 してみると、佐藤浩希さんの直弟子であるツバメンコこと今井翼さんは、アントニオ・ガデスの孫弟子みたいなものではないか?
 「アントニオ・ガデス → 佐藤浩希 → 今井翼」。
 その三代にわたる流れに、そこはかとない好感が自ずと生じるところに、こんなことを私が書きたくなる理由があるのかもしれない。




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 アントニオ・ガデス舞踊団/2009来日公演



 さあ、そのガデスの遺志によって結成された新生“アントニオ・ガデス舞踊団”の、二年ぶり二度目となる来日公演が2月末からスタートする。
 すでに、そのド迫力の日テレのTVスポットをご覧になった方も多いことだと思う。
 昨年その正式決定を聞いた私は狂喜し、意地に任せて映像版権を買い付け、DVD『アントニオ・ガデス/その人生と舞踊の倫理』を無理やりパセオ社から発行した。
 ひとりでも多くのアフィシオナードの胸に、ガデスの栄光を焼き付けたい想いもある。
 東京公演は可能な限り会場入りして、つぶさにガデス舞踊団の進化&深化ぶりをこの胸に収めつつも、ヒマさえあれば会場ロビーのパセオ・ブースにおいて呼び込みのおっさん(ステテコ&腹巻着用予定)をやりながら、この名作DVDを売りまくるつもりである。



 「おそらく今井翼さんもお見えになると思いますよ

 前回の打ち合わせで、招聘元ジャパンアーツのチョー美人担当者はこう云っていたが、超多忙な人気スターゆえ、実際にはどうなるかわからない。
 だが、今井翼の観るガデス舞踊団の背後に祖父(ガデス)のヴィジョンがオーバーラップされる光景は、それを妄想しただけでも楽しくなってくるではないか。
 もしも運よく、客席に彼の姿を発見することができる場合は、フラメンコを盛り上げていただいてることに心から感謝を捧げつつ、客席遠方より最敬礼させてほしいものだす。





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[その302] あなたはどっち派?


2009/1/9金(その302)

あなたはどっち派?





 完全な芸術というものはなく、
 あらゆる芸術は、
 それに反抗する心情をかき立てる要素を
 抱えながら存在している。




 自然は、生と死を同時に含む。
 彼のフラメンコに接すると、
 私たちはその大きな関連のなかに
 生きていることを教えられる。
 常に死を想えばこそ、
 生は豊かに羽ばたくことができると、
 ストイックな彼の信じがたい瞬発力がそれを証明する。
 例えばそれは、ドゥケンデ

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 自然は、生と死を同時に含む。
 彼のフラメンコに接すると、
 私たちは一時的にせよ死を忘れることができる。
 死んでからのことは死んでから考えようと、
 心底楽観的な気分にさせてくれる何かが
 彼にはあるのだ。
 例えばそれは、エル・シガーラ

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 美人や芸術などがある水準を超える時、
 もはやそれは好みの問題となる。

 よって、水準に関係なく惚れっぽい私には、
 好みを語る前に、水準そのものを学ぶ必要がある。

 ま、そりゃさておき、
 ドゥケンデとシガーラ、あなたはどっち派?










[その301] うれしい色やねん


2009/1/8木(その301)

うれしい色やねん





 大阪の海は
 悲しい色やね
 さよならをみんな
 ここに捨てに来るから




 年末朝の生ワイドショーで、あの上田正樹さんが名曲『悲しい色やね』を歌った。
 パセオを始める何年か前、カラオケの帝王の異名をとる20代の私が、この『悲しい色やね』をいきなりのハイテンションで爆唱し、毎度その場の空気をフリーズさせたことは耐えがたい犯罪行為だったと当時の関係者は一様に証言する。



上田正樹/悲しい色やね.jpg



 そんなこともあって彼は、昔から気になるシンガーのひとりだった。
 すでにパセオに向かう時刻だったが、定時出社の方をあきらめ、テレビの前にどかりと座り込みそれに聴き入る。
 近ごろは、本物に向き合うのが仕事じゃあと開き直る勘つがいおぢさんなのである。

 じゃんじゃん英語を交える、ほとんど原型をとどめぬくらいに自由奔放なシャウト。
 歌手が昔の持ち歌でこれをやると多くは失敗するとしたものだが、さすがに彼はそうはならず、逆に新鮮でスリリングな歌唱に終始し、私は息を呑みながらテレビに釘付けとなった。
 だが、さらに驚いたのはその直後の生インタビューである。

 「黒人でなくてもブルースが歌えることを、
  自分の歌で証明したい


 こんな意味合いのことを力強く彼は語り、私をドキリとさせるのだった。

 「スペイン人でなくともフラメンコが歌えることを、
  自分の歌で証明したい


 つまりは、こういうことだから。
 フラメンコだってあと数十年以内だと、私はそう勝手に予測しているけれど、彼の場合はすでにかなりの手応えの射程距離に位置してるような気がする。
 すでにアジア圏で大人気のシンガーMASAKI UEDAは、その夢を実現させる全世界ツアーが当面の目標だと、熱く真剣に話されていた。

 齢60前後のはずだが、魂が溌剌としていて、観ているだけでも気持ちがいい。
 その鮮やかな色彩のオーラに、朝っぱらから涙腺がゆるみそうになった。
 サボるのは死んでからでも間に合う、生きてる内に完全燃焼せんでどーする。
 そうは云わなかったが、ゆるい私にはそんな叱咤激励に聞こえた。





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[その300] 藤沢 周平


2009/1/1木(その300)


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藤沢 周平






 「藤沢周平と司馬遼太郎だけは、
 三十代の内に読み込んでおいたほうがいい。
 四十の坂にはなかなか厳しいものがあるからねえ」



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 赤かぶの漬物を肴に熱燗をやりながら、遠くを懐かしむような目で先輩はそう云い、君のような職業の場合は特にね、と付け加えた。
 ひねくれ者の私だったが、温厚で骨太なこの先輩の発する言葉だけは、なぜか素直に心に響いたものだ。

 こんなアドバイスを真に受けて、すでに二十余年が経った。
 今ではどちらも米のメシのような存在となったが、特に藤沢作品については、バッハやフラメンコ同様、私にとっての生命線として在りつづけている。
 書棚を数えてみたら文庫本だけで73冊あった。みなボロボロで、歴戦の勇者のような面構えをしたものばかりだ。
 多いもので20回以上、もっとも苦手な歌人・長塚節を描く『白き瓶』でさえ5回は読んでいる。

 犬やネコに道を尋ねるタイプの方に藤沢作品のお薦めを乞われる場合、相手の年齢やタイプによって若干異なるものの、『海鳴り』『三屋清左衛門残日録』『用心棒日月抄』なんかがいいよ、とそそのかすことが多い。
 『三屋清左衛門残日録』などはタイトルもナウいし、ディスコ通いする今どきのヤングなんかにはもうバッチリかもしれない。

 『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』『蝉しぐれ』『武士の一分』『山桜』……。
 藤沢作品は以前からテレビや舞台で採り上げられてきたが、最近は映画の原作として注目を浴びはじめて来たことはやはりうれしい。
 映画人たちの着目があまりに遅すぎることは、ほんとうに心を揺さぶる銀しゃりのような文学を読まなくなった時代の反映でもあるのだろう。
 一度きりの人生。宝の持ちぐされ的にもったいない話なのだが、今はなきあの呑んだくれの先輩がいなかったら、私だって危なかったところだ。
 人の出会いの不思議さとありがたみを今さらに想う。



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 すぐにストーリーを忘却できるという優秀な老人力を背景に、単純に面白いのでついつい何度も読む。
 それが8割方の理由なのだが、さすがにそれだけではこんなにもくり返し読みはしないだろう。
 「なぜ藤沢周平にここまでハマれるのか?」
 この数ヶ月、時間ができるたびにそんなことをぼんやり考えていた。

 自分でも思いがけない結論に達したのは、つい数日前のことだ。
 例によって、mixiフラメンコ界の人気№1トピ『オラシオン連歌』へアホネタを書き込む最中に、それは突如として閃いた。
 ややテレつつも、ズバリ結論を云うならそれは、「いまも日本人の遺伝子に残る美しい志と行動力」への憧憬ということになるだろう。
 オラシオン連歌へのトホホな書き込みの最中でなければ、もっともっと崇高な結論に達していたであろうことが残念に思えてならない。



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 さて、藤沢師はそれを描くのに、多くは江戸時代という時代設定を採った。
 派手なヒーローを扱うことはあまりない。
 武士を描くときも、庶民を描くときも、どこにでも居そうなリアルな等身大の人物を、敢えて選んでおられるようにも思える。
 そうしたありきたりの普通の人々がある出来事をきっかけに「美しい志」を抱き、ありったけの勇気をふりしぼって「行動」を起こすところに、リアルで心あたたまる共感が生まれるのだろう。
 いかに現実が非情であろうとも、それがどーした、結果はどうあれ、人には人として出来ることがある……。
 「うっ。も、もしかしたら自分にもできるかもしれないっ!」

 単一民族の住む、隣国などからの干渉を受けづらい、極東の小さな島国だからこそ生じた特異な文化。
 藤沢周平はその文化の特質を、いいこと悪いことひっくるめて淡々と、しかしある確固たる意志をもって書き綴った。
 他国の侵略からの正当防衛を第一義とする明治以降のグローバル化の荒波の中で、かの漱石も危惧した「日本人のアイデンティティの喪失」。

 周平師は、物語の愛すべき登場人物たちにその回答を、さまざまな表現で明示させつづけた。
 そこに結晶されたものは、限りないポテンシャルを秘めた「人間的叡智」と云っていいかもしれない。それは、そのまま現代にも充分に通用するものであろうと思われる。
 いや、むしろそれが極度に不足している現状の危機感が、われら日本人の防衛本脳を刺激し、たとえば藤沢映画のブームなどをもたらしているという構図なのだろう。

 それらは特殊な地域性や時代性などから発生したものに違いないが、もしかしたら現状の日本や、いや、ひょっとして、未来の地球を救うかもしれないほどに実際的な英知にあふれている。
 藤沢周平は単なる「癒しの作家」ではなかったのだ。



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 藤沢周平(1927~1997年)から私が想起する作家は、司馬遼太郎でも池波正太郎でも山本周五郎でもなく、西欧のやはり島国に生まれた文豪シェイクスピア(英国/1564~1616年)だ。
 ウィリアム・シェイクスピアは英語圏や先進国ではぶっちぎり人気の作家であり、私もその時代を超える普遍性に大いに薫陶を受けた者のひとりだ。
 ただし、若い頃はカブれたふりをしつつも、そのあまりに自己中心的な哲学に、ハラの底ではどこか馴染めないものを感じていたものだから、ハラの底からしっくりくる藤沢作品と出喰わした時の驚きは、ちょっと言葉にならない。

 アイデンティティの喪失と引き換えに、世界中のありとあらゆる文化を自由に享受できるようになったわれら日本人。
 多くの人種がなんとか共存しようとするアメリカ文化には敬意を抱かざるを得ないが、あまりに即効性を重視するその文化に追いつけない私の場合は、音楽も文学も絵画もすべて、少年時代からヨーロッパかぶれ丸出しだった。

 第一に、ヨーロッパの巨大な「伝統そのもの」に憧れていたこと。
 第二に、「伝統から生まれる革新」にぶっとい希望を見い出していたこと。とりわけバッハやフラメンコとの出逢いは、私の人生のほとんどを決定づけてしまった。
 第三に、無知がゆえに、そうした頼りになる伝統が日本には皆無であると、勝手にそう思い込んでいたこと。

 若い私は、海外の文化に傾倒するあまり、己を含む日本人に否定的な言動をとることの多いタイプの人だった。商売柄同じような人種と接する機会も多かったし、その環境は今もあまり変わらない。
 ところがある時期を境に私は、私たちのそうした幼稚なカブれ行為に何か胡散臭いものを感じる自分に変化した。
 己の内なる核を意識できない人間が、結局は何も為しやしないことを、私を筆頭とする多くの人間サンプル分析によって思い知らされたからだとも思う。



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 それでもやはり大好きな西欧文化に自分が思い切りのめり込んでゆくためには、その一方のバランスとして、己の本質に直結する自国で育まれた文化の再確認・再発見が必要不可欠となるのではないか。
 ……なんてのは完全に後付けなのだが、実はこうした踏み込みこそが急所なのではないかとも思えてくる。

 バッハやフラメンコにのめり込むのに比例するように、実際の私はほとんど無意識的に、落語や藤沢周平などの日本的世界に傾倒していった。
 今にして思えば、これらが明らかにバランスを得るための防衛本能だったこともわかる。
 いまも日本に残るかけがえのない美しい文化。
 いつかはわからんけど、それだけは世界に通用するような、きっといつか地球にいい影響を与えるような……みたいなアート。

 私に限って云うと、藤沢作品というのは、そうした日本文化の典型だったことになる。
 宗教を持たない私のようなタイプには、尚更にそうした拠り所が必要だったのだろう。

 それがあるからこそ今は、がっぷり四つでフラメンコに向き合うことが可能となる、ような気がする。
 自分の中にそうしたタメを持とうとしなかったら、フラメンコのように伝統と革新がリアルタイムでしのぎを削り合う強烈無比なアートの、その最深部分に触れることは不可能なような気もする。
 生まれ育った国の文化に心から誇りを持てる外国人であるがゆえに、ある種のバランス感覚に支えられる客観性を味方に、ささやかではあるけれどもスペイン・フラメンコの普及発展に貢献することが、いつの日か可能になるのではないのかと、そんな風にも思えてくるのだ。

 ま、例によってこれも十八番とする錯覚、もしくは単なる老化現象かもしれんけど、それがどーした! と、ここは踏ん張りたいところでもある。
 ま、そんな気分で、通勤途中の電車や散歩途中のベンチで、あるいはゆっくり風呂に浸かりながら読む藤沢周平はまた格別なのである。



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 こちらに背をむけて、杖をつきながらゆっくりゆっくり動いているのは平八だった。
 ひと足ごとに、平八の身体はいまにもころびそうに傾く。
 片方の足に、まったく力が入っていないのが見てとれた。
 身体が傾くと平八は全身の力を太い杖にこめる。
 そしてそろそろとべつの足を前に踏み出す。
 また身体が傾く。
 そういう動きを繰り返しているのだった。
 見ているだけで、辛くて汗ばむような眺めだった。
 つと清左衛門は路地に引き返した。
 胸が波打っていた。
 清左衛門は後を振りむかずに、いそいでその場をはなれた。
 胸が波打っているのは、平八の姿に鞭打たれた気がしたからだろう。

 ――― そうか、平八。
 いよいよ歩く修練をはじめたか、と清左衛門は思った。
 人間はそうあるべきなのだろう。
 衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終ればよい。
 しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽して生き抜かねばならぬ、
そのことを平八に教えてもらったと清左衛門は思っていた。



 これがあの名作のラストシーンの一部だとおわかりになった方は、これはもうかなりに周平通な御仁である。
 以前NHKドラマで仲代達矢さんや池内淳子さんなどが、とても素敵に演じられたことは記憶に新しい。
 唐突な抜粋なので何のこっちゃかわからんだろうが、特定の部分をあえて突出・強調させない周平師には珍しく、かなりベタに心の叫びが描かれる情景だ。

 このシーンに涙し、よし明日からは俺も頑張ろう!と自分に誓い、
 またしばらくすると、またこのシーンに涙し、よし今度こそは明日からは俺も頑張ろう!と、これまでに数え切れないほど俺は私に誓ってきた。

 藤沢ワールドに憧れつつ、繰りかえし作品を深く読み込み、一時は写経のようにノートに書き写していた時期もある。
 あの親しみやすくも格調高い藤沢師の文章の調べに、そんな私の文章がまるで影響を受けることもなく、むしろそれがバガボンのパパの芸風に近いところに、私の人生の深い哀愁がある。






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[その299] マリパヘにムターが響く


2008/12/14日(その299)

マリパヘにムターが響く





 ふだんから正常とは云えない私の脳に、突然の異変が生じたのはその時だった。



    マリア・パヘス/美と知性のスーパーバイレ.jpg



 今年5月のマリア・パヘス来日公演『セビージャ』。
 マリア・パヘスのつむぎ出す艶やかなバイレフラメンコから、唐突にあのアンネ=ゾフィー・ムターのヴァイオリンが聴こえてきたのである。

 弾力とボリュームに充ちた力強い重低音。
 シャープにして色彩豊かな中音部。
 とてもこの世のものとは思えぬ美しい高音ピアニッシモ。
 あらゆる要素に配慮しつつ、全体を前向きにひっぱる推進力。



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 そんなムターの艶やかなヴァイオリンが、マリパヘの踊りがピークに達するたびに、私の脳内に朗々と響きわたる。
 それがあまりにも突然でありかつ鮮明であったがゆえに、とうとうボケが本格化したかと私はうろたえた。

 はじめての体験にクビをひねりながら、終演後すぐにロビーのパセオブースに駆けつけ、まぬけな大声で呼び込みのおっさんをやりつつ、また、チョー美女のウェブ友さんたちと「わかめっ!」「ひじきっ!」の合言葉を交しつつも、私はこの不思議な現象を反芻していた。
 漱石を読むとグレン・グールドのバッハが鳴り出す、ややスノブな感じとは明らかに違っていて、それはもっと自然でフィジカルな感触だった。

 だが、その謎は意外にも簡単に解けた。
 ムターとマリパへには、実は物理的な共通項がたくさんあることに気付いたのだ。

 第一に、そのアートは完璧かつ明快であり、ド素人にもわかりやすいこと。
 第二に、その音色およびアイレに、むせかえるような色気が充ちていること。
 第三に、あらゆるテクニックがその音楽性(舞踊性)とひとつになっていること。
 第四に、チョー美人ではないけど、ステージでプレイ中の表情が飛びきりに美しいこと。
 そこには、女性のみならず、全人類の規範ともなるべき輝かしいヴィジョンが示されている。

 あー、そんなんで、ぼけぼけ頭の中で彼女たちが一緒くたになっちゃったわけなのね。
 ま、これは愛する美女Aを抱きながら、同じく愛する美女Bを想うのに似てなくもないわけで、清廉潔白で鳴らす私(←そ、それはどーゆー私?)には、ちょっとだけ後ろめたい感じも生じていたのかもしれない。



 そんなこともあって、この夏は久々にアンネ=ゾフィー・ムター(マリア・パヘスと同じ1963年生まれ/スイス出身)を集中的に聴いた。
 学生時代からメシや酒を抜いても彼女の録音はもらさず買ってたので材料に不足はないし、何度か観聴きした生ムターの感触をそれにかぶせ、さらに膨らませて聴くこともできるのだ。
 13歳でかのヘルベルト・フォン・カラヤンに見い出されベルリン・フィルと共演した早熟の天才だが、特に聴きたくなるのは見事に成熟したここ十年ほどの録音である。

 2000年のドイツ・リサイタル(特にプロコフィエフのソナタ)にはむせ返るような色気にメロメロとなるのだが、やはり繰り返し聴くのは自身で弾き振りするモーツァルトのコンチェルト集(2005年録音)で、これはあのアルテュール・グリュミオーの永遠の名盤に迫る凄みがある。
 そして、折りよくこの夏リリースされた『バッハ・ミーツ・グバイドゥーリナ』。
 私にとっては米のメシにも相当するバッハのヴァイオリン・コンチェルトの二度目の録音である。
 ただ美しいだけの若い頃の録音に比べると、情感の彫り込みが格段に深くなっており、そのクオリティは現代バッハのひとつの美的典型にまで到達している。
 マリパヘ同様、彼女はほんとうにいい歳のとり方をしてるな、と思った。
 何だかこの録音が、彼女のバッハ・無伴奏ヴァイオリンの全曲録音を心底待ち望む世界中の音楽ファンに対する、彼女らしいチャーミングなメッセージのようにも思えてきた。



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 【アンネ=ゾフィー・ムター/バッハ・ミーツ・グバイドゥーリナ】
        2008年/ドイツ・グラモフォン



 土曜日の早朝、ご近所代々木公園にジェーを遊ばせながら、単音でたっぷり歌うバッハの、そのゆっくりな第二楽章を目を閉じ心で聴く。
 するとどーだ!
 予感的中! マリア・パヘスのあの美を尽くしたブラソがしっかり視えたではないか。


 「ふへへ( ̄▽ ̄)  これでおあいこだあ」

(↑)三角関係上の色男になったつもりの変態妄想おやぢ



 ま、それはさておき。
 お茶の間でムターを聴きながらブラソ(腕)やマノ(手)なんかの練習をすると、その美しいイメージに自然と身体が反応し、ひょっとして、マリア・パヘスみたいなしなやかで美しい動きに近づくことが出来るんじゃねーか?
 これって私にしては、わりと自信のある推測。
 ムター持ってる人、誰か試してみっ?!










[その298] 今井翼/フラメンコ、その先へ


2008/12/11木(その298)

今井翼/フラメンコ、その先へ





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 今井翼主演『World`Wing 翼 Premium 2008』東京初演の日。1330人収容の日生劇場で、今井は自らの想いを踊りと歌に込め、観客を魅了した。
 “表現者・今井翼”を凝縮した作品。今の自分にできること、やりたいことを、一切の妥協を排除し、観客に提示する。その象徴が演目の一つ、フラメンコだった。




 こんな書き出しではじまる月刊パセオフラメンコ新年号(12/20発売)の新春特別企画は、『今井翼World's Wing 翼 Premium 2008/東京公演レポート』。
 この秋10月3日~28日の全37公演におよぶライブの模様を、フラメンコの師匠である人気バイラオール佐藤浩希の談話を交えつつ、気鋭のカメラマン大森有起とともに本誌記者・塩川がフラメンコ中心に検証する。

 私のヨタ話『今井翼/ツバメンコの衝撃』『今井翼/電波に翔んだツバメンコ』などとは異なる本格的なレポートなので、ツバメンコファンはぜひ注目されたし。

「本番の回数を重ねて、ステージで鍛えられていく。身体も引き締まって、筋肉質になってました。振付をすっかり自分のものにしていましたね。初日はハラハラする部分もあったけど、千秋楽は安心して観られましたし、楽しかったですよ」
 私のツバメンコ初体験はその初日昼のゲネプロだったが、文中、佐藤浩希師匠のこの言葉に、やはり後半もう一度観るべきだったかと、私にしては珍しく後悔した。

 さて、タイムリーなNHK放映なども重なったりしたため、今井翼のフラメンコは、日本のフラメンコ界においても大きな話題となった。
 やや興奮気味の私も、取材先・営業先などでは必ずツバメンコを話題にして、女優の山口智子さんがかつて巻き起こしたフラメンコブームとの比較論なんかを盛んにしゃべくりまくったものだ。
 てなわけで、今後のツバメンコの展開に期待はふくらむばかりなのだが、こちらの一方的な期待は彼にとって迷惑なだけだろう。
 こうしたケースにおいては、果報は寝て待て、だ。

 で、寝て待つ間に、今井翼というアーティストをもっともっと知っておこうと思った。
 そしてとりあえず、mixi上に『ツバメンコ同好会』なるコミュニティを立ち上げた。
 「ツバメンコを愛し、その未来を楽しむ同好会」。
 単純にこんな主旨の、ツバメンコファンとフラメンコファンが仲良く同居する同好会なのだが、立ち上げから50日あまりで現在の会員数は361名に達している。

 さしあたって、今井翼の音楽面からじっくり勉強を始めようと考えた私は、そのコミュに『おっさんでも入門できそーな、今井翼のCDタイトルを教えてください!』というトピックスをいきなりぶっ立てた。
 親切なツバメンコファンのもの凄い数の熱いアドバイスによって、私はタッキー&翼ベスト/緑なるCDを早速に入手し、それからひと月が経つ。
 親しい店員さんがいっぱいいるご近所高田馬場のムトウ楽器店で、ふだんはバッハや落語のCDしか買わない私は、タキツバベスト緑を購入するにあたり、タキツボから飛び込むよーな覚悟でその実行に臨んだと云う。

 当初は、演歌しか聴いたことのないおっさんが、いきなりモーツァルトを聴くぐらいのギャップがあったのだが、毎日聴くうちに自然と耳が反応するようになってきた。
 高田馬場のパセオフラメンコ編集室には、現在でも毎日一度や二度はこのタキツバ緑が流れるわけだが、土曜日曜などに、ひとり雑用をこなす私がCDに合わせ、タキツボへ飛び込むような気合いで「サムライっ!サムライっ!」などとひとり絶叫する姿は、やはり相当に不気味かもしれない。




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[その297] 社長業


2008/12/9火(その297)

社長業





 社長業もそれなりにきびしい。

 日曜日だろうと何だろうと24時間体制で、会社の緊急時に備える必要がある。
 事件が起きたら、いつでも携帯に連絡するようにと社員には厳命してある。
 それが真夜中であったとしても、たたき起こしてもらうのが本望なのだ。
 それが重要な会議中であっても、たたき起こしてもらうのが本望なのだ。





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 社長業もそれなりに楽しい。

 第一に、フラメンコ界はどこに行ってもきれいな女性がわんさかいる世界だ。
 ただそれだけで何の恩恵もないのは期待ハズれだが、それがどーした。
 楽しいことは他にもいっぱいある。

 第二に、創業オーナーなので、どんだけ働くか、どんだけ給料を取るかも自分で決められる。
 予定の2倍働いたり、予定の半分しか取れないことがほとんどだが、それがどーした。
 楽しいことは他にもいっぱいある。

 第三に、どこにも雇ってもらえなかったので、しょーがなくて無一文の自分が作った会社だが、
 それがどんな会社であれ、こんな自分が入社できたことはラッキーだったとしか云いようがない。
 楽しいことは他にもいっぱいあるかもしれんけど、とりあえず、こんな幸運を噛みしめながら、今日も楽しくお仕事(主に各種雑用)にハゲもーではねーか!




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                 (↑)うっ、共感しちゃうの?








[その296] 秋の終わりに


2008/12/1月(その296)

秋の終わりに





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秋の終わりに②.JPG


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 寂しいような
 懐かしいような

 しみじみと力が湧いてくるような


 人生はたまらんなあ




 ――――――――――――――――――――――――




 きのう日曜、晩秋の代々木公園に半日を遊び、
 その夕方、アニフェリア『ギター・カンテの祭典』に駆けつける。

 休憩中に会場ロビーのパセオブースで呼び込みの助っ人をやってたら、光栄にも、十名ほどのウェブ友さんにお声を掛けていただいた。
 中でも印象に残るやりとりがこれ。
 真実とゆーのは、隠しても隠しても浮き彫りになってしまうものだ。



「あのお……失礼ですけど、パセオの社長さんですか?」
「そーだよ」
「やっぱりっ! キアヌ・リーブスそっくりなので、すぐにわかりますたあっ!」






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                         [筆者近影]









[その295] 美人の母


2008/11/28金(その295)

美人の母





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 なき母は美人だった。

 本人談である。
 本人以外から聞こえてきたことは一度もない。

 幼い頃から、周囲に母似と云われて育った。
 記憶力だけは抜群だった小学生のころ、
 そんな母の前で憶えたばかりの詩を、
 意味もわからずによく口ずさんだ。




 僕の前に 道はない
 僕の後に 道は出来る

 …………




 母 「それ、なんてーの?」
 私 「高村光太郎の "ドーテー(道程)" じゃん」
 母 「???……  ぷっ、ぎゃははは」





 本人がそー云うぐれえだから、母はきっと美人だったにちまいない。
 加えて、無教養の上にスケベだったにちまいない。
 母似と云われ続けたことのトータルな意味が、ごく最近理解できるようになってきた。(TT)





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[その294] パユのバッハ


2008/11/21金(その294)

パユのバッハ





 冴えわたるロ短調ソナタ。

 やっ、やるなソナタっ!
 ってそーゆー話ではない。



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 かれこれ二十年近くも注目しているエマニュエル・パユ(1970年生まれ/スイス)が、とうとう待ちに待ったバッハのフルート・ソナタ全集を録音した。
 超絶技巧を駆使してスタイリッシュに歌いまくるパユのフルートは、不健全で鳴らす私の好みとは異なるものの、注目せざるを得ない本筋的な魅力があって、ライブは一度聴いただけだが発表するアルバムはすべて押さえてきた。
 天下のベルリン・フィルの主席フルート奏者でありながら、人気ソリストとして世界中を駆け回るパユには、どこまでも成長を続けるような豊かに安定したポテンシャルがある。


 冒頭のロ短調ソナタ(BWV1030)は、私の大好き音楽ベスト10に常にランクインする想い出深いナンバーだ。
 学生時代に、フルートを吹く彼女と、チェンバロ・パートを自己流にアレンジした私のギターで、この名曲をデュオったことがある。

 「なんかぜんぜんちがう曲みたい。
  吹いてて恥ずかしいバッハなんてはじめて」


 私のアレンジとギターに対するあまりに的確すぎる彼女のこの一撃は、密かにミュージシャンに憧れる私の夢をイッパツで粉砕した。



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 そのリベンジと云ってはなんだが、深夜へべれけで家路へと向かう途中、このロ短調にテキトーな歌詞を即興でつけて歌い歩きするのが、ここ数年のマイブームになっている。
 こんな立派なことができるのは世界中で私ぐらいのものだが、もしも私がこんなのを聴かされた日にゃあバケツの水を頭からぶっかけてやりてーところだ。


 ま、そーゆーアカデミックな話はさておき、パユのバッハは予想以上に素敵だった。
 例によってかなり自由に美味しい音楽をやってるのだが、何をやっても重心が安定していて、どのフレーズをとってもその薫りとコクに格別な味わいがあるのだ。
 かつてはランパル、ニコレ、グラーフ、ゴールウェイ、リンデ、ブリュッヘン、クイケンあたりの名人芸で馴染んだバッハだが、そのどれとも異なる確固たる個性がある。
 その個性は、名を並べたフルートの国際的巨匠たち同様に、未来永劫人々の心を潤すであろう個性だ。
 過去の音楽遺産をしっかり継承しながら、明るい未来をイメージさせるような、いま現在をしっかり生きている人だけに吹けるバッハだと思う。



 「(共演相手との)時間の積み重ねによって生まれる、ある種の共感、人格の交わりのようなもの。それを僕はとても重視しています」

 ライナー解説にこんなパユ語録が載ってた。
 なるほど、そういう人なんだ。
 パユの芸風の変遷に想いを馳せながら、そう思った。
 ブレないパユの根底ヴィジョンは昔とちっとも変わってないけど、その表現は力と優しさと深みを増した。
 いろんな人と出会い、ある時は積極的に影響を受け、ある時は反面教師からも多くを学んできたであろうことが、このバッハ全集に聴き入っていると、それが鮮明なストーリー映像のように見えてきたりもする。
 反面教師として評価されることの多い私としても、たいへん鼻が高いことである。(TT)




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 『バッハ:フルートソナタ全集/エマニュエル・パユ』
  2008年/EMIクラシックス











[その293] バランスの華


2008/11/15土(その293)

バランスの華





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 こー見えても経営者の端くれである。
 私の場合、そのルックスや人格や経営手腕はともかくも、その卓越したバランス感覚を絶賛されることが多い。

 例えば、

 江戸っ子なので気は短いが、そのぶん胴体は長い。
 たしかに髪の毛の本数は少ないが、そのぶん借金は多い。
 たしかにオデコは広いが、そのぶん心は狭い。
 たしかに見た目は悪いが、胃が丈夫なのでそのぶん消化は良い。
 たしかに人にはきびしいが、そのぶん自分にはやさしい。
 たしかに器量は小さいが、そのぶん態度は大きい。
 …………

 ま、これらは一例にすぎないが、物事の大小、多い少ない、広い狭い、良い悪いなどが絶妙に配分されていることが一目瞭然である。
 私の中では、このような美しいバランスがいつでも保たれているのだ。
 ルックスや人格や経営手腕などに大きな問題を抱えながらも、これまで生き残ってこれたのは、こうした優美なバランス感覚によるところが大きいものと思われる。

 きっと皆さま方の中にも、私ほどではないにせよ、こうした美しいバランス感覚のひとつやふたつは備えておられるものと推測できる。
 フラメンコの明るい未来のためにも、どーかそうした長所をご遠慮なく伸ばしていっておくんなせえ。(TT)





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[その292] マリア・パヘスも夢ぢゃない


2008/11/11火(その292)

マリア・パヘスも夢ぢゃない





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            ⓒヨランダ★




 スペイン国王陛下夫妻の来日、そしてセルバンテス文化センター東京の公式オープンを記念して急遽 来日した"美と知性のスーパーバイレ"マリア・パヘス。
 そのサントリー小ホールにおける昨夜のライブをかぶりつき(マリアまで7メートル)で観てきた。

 私のイチ押しバイラオーラ、
 フラメンコの女神マリパヘ!
 毎度ながら、あまりの感動に言葉が出ねーよ。




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 長い腕から繰り出される奇跡のブラソに圧倒されてしまう方々が大半なのだが、ここにエジソン的発 明によって、マリア・パヘスの華麗にして深遠なるアルテに迫らんとする天才アホシオナーダがいた。
 そう、パセオ新年号より"バル de ぱせお"で私の相方(←ツッコミ担当のボケ)を務める、あのヨランダ★画伯である。

 つーことで、あの懐かしの名作『マリア・パヘスも夢ぢゃない(原題:宿題できません)』をトクとご鑑賞あれっ!





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 パセオ新年号よりスタート!“バル de ぱせお”
 (※新年号にはツバメンコ関連記事も掲載)









[その291] 生きてるなあ


2008/10/30木(その291)

生きてるなあ





 早朝から各種プロジェクトに奔走し、
 風呂とビールと肴が恋しい、ある週末の夜更け遅く。
 足早に家路を急ぐ、高田馬場駅に近い裏通り、
 パチンコ屋近く。
 と、ツカと歩み寄るうら若き女性。
 もの問いたげに近寄る顔は同国人ではなさそうだ。
 また迷子の道案内か? ああ、いーともさ。

 「オニーサン、ホンバン イチジカン ハッセンエンヨ」

 いきなりの一撃に面喰らう。
 や、安いっ!て、そーゆー話ではない。
 この地域に適した勧誘業務ではないし、
 だいいち私はおっさんだ。

 「オンナノコ ミンナ カワイイ。イッショニ イコウ」

 「悪いな、疲れちゃってそれどころじゃねーんだ、
  また今度な」

 また今度、がいけなかった。
 駅に向かって歩き出す私の右腕に、
 後ろから彼女は絡みついた。

 「コンドワ イマヨ、イマ イコーヨ。
  ワタシデモ オーケーネ」

 顔は笑ってるが、眼は笑ってない。
 それなりに美しい顔立ちが台無しになりそうな形相。
 必死なのだ。
 私だって、しょっちゅうやってる顔だろう。
 手をふりほどくかわりに、少し眼の光を強くして、
 彼女の瞳を真っ向からじっと見つめる。
 ややあって、彼女は眼をそらし、
 首をふりながら私の腕を放す。
 黙ってうつむきながら、駅とは反対方向に歩き始める。

 「ねーさん、このへんヤバいよ、すぐに捕まるアルぞ」

 国籍不明気味にナマる私のアドバイスを背に受け、
 ふり向いた彼女は、
 そんなことは百も承知よ
 みたいな顔をして今度はほんとに笑った。

 「マタ コンドヨ」

 そう云い返す、明るさを取り戻したしたたかな笑顔に、
 生きてるなあ、みたいな逞しいアイレがあった。
 なんだか懐かしい表情だよな、と私は思った。





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[その290] 今井翼/ツバメンコ同好会


10/27月(その290)

今井翼/ツバメンコ同好会





 日生劇場とNHKテレビで踊った今井翼さんのフラメンコに、とりあえずの安堵といっそうの明るい希望を抱いた私が「電波に翔んだツバメンコ」という小学生並みの作文を三つのブログに同時アップしたのは先週のことだ。
 そのトータルの延べアクセス数は10,000を軽々超えたのだが、こんなにウケるんなら小学生作文コンクール・中年部門(←あ、あんのか?)に応募しとくんだったよ、まったく。
 そしてアップ翌日には、例によってほとんど衝動的に、SNS(mixi)上に「ツバメンコ同好会」なるコミュニティを立ち上げた。




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     ツバメンコを愛し
   その未来を楽しむ同好会



 これが当同好会のシンプルなヴィジョンだ。
 たぶん世界初となる、“おっさん主宰によるツバメンコ同好会”である。
 立ち上げから五日で、会員数はざっと180名。
 「おっさんでなくとも参加できます」と仲間を募りはじめたところ、「見た目はかわいいけど中身はおっさん」と名乗り出るチョー美人のお姐さま方(←推定)の参加が殺到したわけなのだが、してみると、仮に「おっさん以外お断り」と募集したところで結果はほとんど変わらなかったのだと思う。
 フラメンコファン、ツバメンコファンの両方から敢えてスルーされる可能性の高い性質のコミュなのだが、まっ、とりあえず小さいながらも「今井翼のフラメンコ」を気長にゆるゆるとクロスオーバーに語れる土俵はこうして誕生した。

 ところで、こうした私の展開に業界各方面からのブーイングがないわけではない。
 いつでも新しいことにチャレンジする時はそうなのだけど、このような方々がおられるからこそ、逆に布石屋たる私は心おきなく冒険できるという構造が、この愛すべきフラメンコ界のバランス感性であることもついでに知っておいてほしい。
 そういう真摯な防波堤がないジャンルというのは、活性化するのも速いが衰退するのもまた速いとしたものだ。
 一見ネガティブな頑固爺さんというのは実は心底頼りになる私の味方であり、彼らのクレームはいつでも私のへなちょこチャレンジへの追い風なのである。

 また、当然翼ファンの中にも同様な、つまり「ツバメンコ不賛成」を唱える方々もおられるはずで、そんな意見をネット上で募った私に直接メッセで応えてくださった方が数名おられた。
 その内容はやはり真摯なもので、業界保守派が「フラメンコの伝統を大切にせよ」と云われるのと同様に、「今井翼の伝統を大切にしてほしい」という主旨のものだった。
 各種オタク出身の私なのでそうした心情は痛くわかるつもりだし、それらをいつも身に染み込ませながらの展開が必要であることを再確認したところでもある。



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 さて、フラメンコは、いつの時代もその当時流行したものとガチンコで向き合い、それらの長所を貪欲に吸収することで拡大深化を計りながらサバイバルしてきたジャンルだ。
 伝統を失ってはフラメンコではなくなってしまうが、同時にまた、革新性を失ってしまったものもフラメンコとは呼びづらいのだ。
 フラメンコの新たな展開や突然変異に直面するとき、そこらへんの是非を瞬時に見切るのは難しいことだとつくづく想う。

 そうした観点ともまた異なるわけだが、こたびのツバメンコもまたフラメンコ史上初となる極めて特殊なケースだった。
 今をときめく人気アイドルが、バイレ・フラメンコに長期的本格的に取り組む。
 加えてその主人公は、おっさん中のおっさんと呼ばれるくらい世間に疎いこの私の耳にさえ聞こえてくるほどに名高いダンサー、今井翼だったのである。

 ツバメンコ歴はまだ1ヵ月あまりの私だけれど、フラメンコ歴の方は37年。
 未来予測が難しい事象を、日和見的にやり過ごすのはコア・ファンの常套セオリーだ。
 幸か不幸か私の場合は、信頼する佐藤浩希(ツバメンコ師匠)から入ってくるリアルタイムな進化情報、日生ゲネプロの衝撃、生伴のNHK放映という一連のプロセスに、順調に老朽化を進める私の中のフラメンコ・スピリット(=これは!と直観する場合は勝っても負けても踏みこむ一手)が刺激され、こうしてネット上にせっせと作文を書いたりしているわけだ。

 だからと云って、「早くコア・ファンを唸らせるようなフラメンコを踊って、フラメンコ全体を盛り上げてほしい」みたいな性急な期待はまるでない。
 ………。ほんとはあるけど云ってはいけない。
 なぜなら、才能に不足のない彼がこのまま順調な進化もしくは深化を続けてゆくと仮定したとしても(しかもエンタテイナーとしての使命をまっとうしつつ!)、多くの一流フラメンコ舞踊手がそうであるように、バイレ・フラメンコとしてのその最初のピークは40代あたりであろうことは簡単に予測できるからだ。
 良くも悪くもフラメンコは、その技術性に加え、ある絶対量の人生経験のみから得られる精神性とスピリットが必要不可欠な、ライフワーク的宿命を背負ったジャンルなのだ。
 裏を返せば、諸事情から三年や五年、物理的なフラメンコ・レッスンを休止することなんかも全然OKなのである。

 なので、10年20年はなんのそのっ!という爽やかにして悠長なスタンスこそが、自動的に当同好会の宿命的特徴となるのであった。
 ちなみに、各方面からやってきたセンスある美女美男(←ほとんどが本人談)が集う、そんな雄大なスケールを持った格調高きツバメンコ同好会の、現在の会員構成はほぼこんな感じだ。

①純粋なフラメンコファン
 (ツバメンコに関心のない方含む)
②純粋なツバメンコファン
 (フラメンコに関心のない方含む)
③フバメンコファン
 (ツバメンコ好きなフラメンコファン)
④ツラメンコファン
 (フラメンコ好きなツバメンコファン)
⑤ふつーのおっさんとおばはん
 (主に私の友人)
⑥その他
⑦コワすぎて公表できない方


 ツバメンコファンに、もともとフラメンコを直観する資質を有するタイプを数多く発見できたことは大きな収穫だった。
 私自身は③であり、かつ③と④のアフィシオナード(=フラメンコファン)を増やしたい。
 ツバメンコの未来について、むしろライフワーク的なスパンでゆるやかに応援しながら、時には大らかに提言し合うクロスオーバー的土壌を皆して育み合うことこそ、フラメンコの神さまも大いに望むところなのではないか、と私などはそう確信する。
 その偉大なるフラメンコの神さまは、想い起こせば25年前、日本におけるフラメンコ広報担当者に、当時28歳のこの私を任命されたのだった。
 つーことで、ああ、お気の毒な神さまよ(TT)、
 もー、えーかげん、その「明らかすぎる人選ミス」を嘆くのはおよしなせえっ!




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[その289] 今井翼/電波に翔んだツバメンコ


10/21火(その289)

今井翼/電波に翔んだツバメンコ





 ツバメンコ=今井翼のフラメンコ


 誰が云ったか知らないが(↑)、座布団三枚は固いだろう。
 お名乗りいただける場合は、“チョー大吉オリジナル手ぬぐい”を現物支給させていただくつもりだ。



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 そのツバメンコのテレビ放映を、社員に撮ってもらったビデオでさっき観た。
 NHK・BS2/ザ少年倶楽部プレミアム。
 待望の生伴奏ヴァージョンである。
 しかも、共演はあっと驚く豪華キャストである。

◇佐藤浩希(振付・カホン)
◇伊集院史朗(カホン)
◇柴田亮太郎(作曲・ギター)
◇矢野吉峰(パルマ)
◇石塚隆充(カンテ)


 日生劇場のゲネプロをドキドキワクワクしながら観た時と同じ興奮がよみがえる。
 だがすでに、あの「力あるフラメンコな立ち姿」をこの目で確認してあるので、さらには、録音で踊るより生セッションの方がはるかによいと、ツバメンコ師匠・佐藤浩希から聞き及んでいたので不安はなかった。


 そうは云いつつ、一回観て安堵した。
 事前にあるレベルを想定していたのだが、やはり彼はその上を行っていた。
 ちょっとだけ心配したカメラワークもとても優れたものだった。
 マニアックな観点で編集してしまうと、意外と全体的にはしくじる可能性が高いのだ。

 二回観て、凄いなと思った。
 特にブレリアにおける、“動”のあとにくる力ある“静”の部分には、彼のバイラオーラとしてのポテンシャルがすでに炸裂しているではないか。

 三回観て、ゲネプロを一緒に観た鍵田真由美(フラメンコ舞踊の若き女王)とのやりとりを思い出した。
「ダンスの素養が、逆にフラメンコの動きを邪魔してたな。フラメンコの動きをつかんだ場合、今度はその逆もあり得るよな。フラメンコ続けて互いに悪影響およぼすリスクはないのか?」
「心配ないのよ、時間の問題だから大丈夫。優れたダンサーは、ちゃんと使い分けられるの」

 四回観て、こう思った。
 映像からは、日本人であること、エンタテイナーであることの精神性を心に秘めつつ、しかしスペインのフラメンコに全身全霊で踏み込むことで、より深くより豊かに自分の心の在り方を追求しようとする真摯な姿勢が視えてくる。
 彼の中でフラメンコは、それを深く知れば知るほど、日本人エンタテイナーとしての自分をますます強く意識し、それによって自分がさらに覚醒してゆく自己発見の重大なプロセスとなっているのではないか。
 だから彼のフラメンコは求道者的で孤独の翳りを帯びている。
 甘美ではあるが感傷には終わらない。芯が一本通っているのだ。
 フラメンコ的ツッコミどころは満載だが、全体として強烈な求心力を秘めている。
 まだまだ道は果てしなく遠い。
 だがその根底において、尋常でなく人を魅了する力を秘めている。

 五回観て、今度はいつ踊ってくれるんじゃあああああ!!!!!と心に叫んでいた。
 エンディングの、おそらく収録後であろう楽屋のモノクロ映像の、ひげ面の笑顔がいかにもフラメンコな面構えだったこともダメ押し的に好ましかった。
 今井翼が赤い靴でなく、自らの意志で普通の黒いフラメンコシューズで踊りたくなる時、“ツバメンコ”と云う可愛らしい愛称が、フラメンコな重さや深さを連想させる意味合いに変わってゆくだろう、と私は妄想した。



 さて、次回本誌ツバメンコ連記事(新年号/カラー4ページ掲載)にはお問合せ殺到で毎日じゃんじゃん電話が鳴り響いているのだが、パセオホームページからお求めになれるのでご安心を。

 以上、抜け目なく宣伝しつつも、抜け毛は止まらん状況(TT)である。









[その288] 類まれなるリズム感


10/18土(その288)

類まれなるリズム感






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 こう見えても、関東格闘犬選手権(シェパード部門)や全国闘犬グランプリ(土佐犬部門)や国際無人島グランプリ(スーパーヘビー級)などでは、一度として負けたことのない犬なのである。
 まだ一度も出場したことがないからだ。
 大体からしてそんな大会あんのかとも思う。

 8時起床、朝風呂に飛びこんでからストレッチ、朝めしをがっつり食ってから、ジェーと共に代々木公園ドッグランで小一時間を遊ぶ。
 ジェーとの協定によって毎週土曜午前中、近ごろ定着しつつある習慣だ。
 いつかのノー天気な“バッハ歴”などもここで思いついたのだが、決まってロクでもないアイデアの源泉は、どうやらこの楽園における穏やかなひとときにあるらしい。



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 そのパラダイスから20分ちょい歩いて、代々木にある連れ合いのスタジオにジェーはそのまま出勤(=番犬担当)する。
 一方の私は、スタジオ入口にあるバル“エントラーダ”で薫リ高いエスプレッソをすすってから、多くはパセオに、まれに急ぎ仕事のない場合はゆくえ定めぬ大江戸ぶらり歩き(=のら犬担当)に出かける。
 で、夕暮れには家路につき、ひとっ風呂浴びて、スタジオから戻った連れ合いとともにご近所の行きつけで晩酌つーのが毎週土曜のお定まりコースだ。


 いわゆる隠居生活なるものを前倒しにして40代ですませてしまった私に、かしこまった休日はかえって鬼門だったりもする。
 四半世紀なじみ尽くしたフラメンコまみれの生活に、ストレスやマンネリを感じることはほとんどなくなったが、2日以上続けて休むとかえって体調を崩すことは何度も実証済みなのだ。
 近ごろ流行の老人力と云うべきものかもしれない。どーでえ! 凄えだろ。(TT)
 てなわけで、土曜日のこんなルーティンが、最近の私にはもっともリズミカルなペースをもたらすようである。
 かくして、定評ある私の類まれなるリズム感は、よりいっそう研ぎ澄まされることになる。



「そもそもキミにリズムはあんのか?」


 主に付点音符のとり方に独創的欠陥を発揮する十代の私に、何とかリズム調教しようとする優しいギターの師匠の、汗まみれのあきれ顔が、ふと懐かしく浮かぶ。






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 [自分が登場する回には、きびしい原稿チェックを入れるジェー]









[その287] TVでツバメンコ


10/15水(その287)

TVでツバメンコ





 TVでツバメンコ



 『FLAMENCO曾根崎心中』で徳兵衛(=佐藤浩希さん)と熱いバトルを繰り広げる九平次親分こと、人気バイラオール矢野吉峰さんの今日の日記



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 ツバメンコファンはもうご存知だろうが、フラメンコファンもとりあえず、こちらでチェックするとよろし。
 もつろん、親分も徳兵衛師匠も生パルマなどでツバメンコをバックアップ。
 しかもカンテは石塚隆充さん、ギターは柴田亮太郎さんというスーパー生伴ユニットらしいぞ。


 ところで。
 ツバメンコ関連記事掲載予定のパセオ新年号。
 この号からスタート予定で、この私がますたを務める“バル de ぱせお”のその栄光の第一回ゲストは、
 な、なんとお!
 この矢野吉峰さま!!!なのでありますた。



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 ますたの相方ヨランダ★制作によるチョー大吉手ぬぐい(推定時価三億)に釣られて、ノーギャラであんなにすんばらしい投稿寄せてくれちゃった九平次親分よ。
 こんどまた、血を吐くまで呑もーね!



   定番/出るパセ/手ぬぐい.jpg


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[その286] ダイヤモンドは傷つかない


10/13月(その286)

ダイヤモンドは傷つかない





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 若い頃までの私は、多感で傷つきやすい、愁いを帯びた青白きインテリだった。
 ほんのちょっとでもショックを受けると、それをかなり引きずるタイプのすらっとした美青年だったのだ。

 まるで逆の性格・風貌になってしまったのは、パセオ創刊以降の十数年、年間360日以上におよぶ卑屈にして強引グマイウェイな営業生活の結果であることは明白である。
 傷つき停滞しては次の号が出せない、という切羽詰った日夜の連続プレッシャーが、繊細にして優美な私のハートと体型を、鈍感にして鈍重なそれに変質させたわけである。

 何かを得れば何かを失い、何かを失えば何かを得る。
 この世はまったく“塞翁が馬”な構造なので、人類平等、総じてしんぱいゴム用ではある。

 もともとがノミの心臓なので、いまでも瞬間的なショックには弱いが、何が起きても3~8秒ぐらいで立ち直る。
 はんぱに雨に濡れるのがいやなら、頭からざんぶとプールに飛びこんぢめーばいーやという、得意の大江戸やさぐれ戦法。
 ビクビク、クヨクヨしないですむ分、その意味では生きるのが楽にはなった。

 ただそうした鈍感力の成長は、一方で感受性の衰退をともなう。
 私のようなショーバイに限らず、感受性の欠如はサバイバル上の致命傷にもなりかねない。
 日々の冒険や三度のバッハオラシオン連歌なんかでテコ入れしてるものの、ここら辺の自主トレ強化は逆に課題となりつつある。



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 ま、それはともあれ、あの泣き虫ユーちゃんの変貌ぶりには本人もびっくりだ。
 その要因の8割ほどは先の環境の変化によるものだろう。
 だが、残り2割はやはり元々のそうした資質に拠るものなのではなかろーか。
 自分で云うのもなんだが、やっぱりアレかな。
 そう、私の本質はあの輝かしい“ダイヤモンド”にちまいない。
 さらに云うと、じぇんじぇん未完成な私は、云い換えれば、無限のポテンシャルを秘めたダイヤモンドの原石なのである。

 じゃあ、磨いてみないことには、本当のダイヤかどうかわからんじゃないか?
 と鋭く突っ込むあなたよっ!

 じゃあこっちも云わしてもらうけどさっ、
 ほんとに磨いちゃったら、ダイヤじゃねーってことがバレちまうじゃねーかよプンプン。





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[その285] セカンド・ラブ


10/10金(その285)

セカンド・ラブ






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 アラフィフ未満お断りの仲良し連・二次会カラオケ。



 恋も二度目なら ♪~



 『セカンド・ラブ』を歌う、
 かつて美貌のスケ番として鳴らした早苗
 (仮名/江戸川区平井出身/推定51歳)の、
 今も美しいその口元に八重歯がキラリ光る刹那、
 なにげない歌詞は人喰い鮫と化した。



 少しはジョーズ









 って、
 コロす気かあああああ!!!!!

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[その284] あれから十年


10/8水(その284)

あれから十年





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 いい風だね
 ……またこようね。



 たそがれも近い秋の隅田川。
 ほんの数時間前に、勢いを失ったよれよれのボロ雑巾を夫にした妻はそう微笑んだ。
 船を降り、吾妻橋わきのうんこビルのてっぺんで二人ささやかに乾杯した。
 向こう三年、惚れたこの女と暮らせるなら、その先はどうあれ自分にしては上出来の人生だと、ちょうど十年前のその日そのとき私は思った。




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 小さな器のくせして、プロ棋士を夢みた中二あたりからおよそ三十年、目一杯背伸びしながら突っ走った。
 いや、ちょっとちがう。
 むしろ、小さな器量を強く自覚するがゆえに、何とかそうした宿命に狂いを生じさせようとヤケクソ気味にひたすらもがいた三十年と云った方がより近いだろう。
 いずれにせよ無謀な長期ルーティンにはその反動がもれなくセットで付いてくる。

 フラメンコ協会の運営からも身を引き、パセオ倒産の危機からも辛うじて逃れていたが、業界布石屋としての任務がとりあえずひと段落したことの安堵からか、三十年間の疲労と反動がイッキに噴火したのがこの時期だ。
 成果はさておき、その総労働時間数だけは定年サラリーマンのそれに並んだ頃で、つまりは耐用年数切れだった。

 三代目の江戸っ子。ついた仇名は特攻隊。
 悟りとは対極に位置する、勢いだけがとりえの生き急ぎ。
 好きなことしか出来ず、どこにも就職出来ずに、25歳で流れ着いた先は自営の名ばかり社長業。
 清濁ひしめき合う自転車操業的半生に反省と休息のいとまはなく、その耐用年数ばかりを気前よく消費していた。
 元からして素材の良くない雑巾にそっくりな私は、身も心もボロボロにほころび擦り切れ、文字通りのボロ雑巾と化していた。



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 そんな頃、バツイチ同士がフラメンコの仕事の縁で知りあった。
 片方は、新潟に生まれ18でスペインに渡った明快なフラメンカ。
 もう片方は、生来東京に暮らすわがまま放題な単細胞。
 言葉はかみ合わなかったが、なんとなくウマがあった。
 シンプルでさくっとした、暗さやヒステリーとは無縁の気取らぬアイレに私が感応した。
 一所懸命なケセラセラという共通項は、出逢いの瞬間に直観し合ったかもしれない。
 明るく楽しくを第一に、積み重ねと達成感を重視するコンパスが一致していた。
 キリギリスのような働きアリ。
 それらは恋人や家族というより、互いに気がねの要らない同属同士だった。

 自然ななりゆきと経費節約の必然性から、彼女の住まいに私が転がり込んだ。
 式はしてない。てゆーか、そんな気力も金もなかった。
 当時の私は壊れかけた43歳であり、1998年の10日8日、九つ下の同居人は、その日34回目の誕生日を迎えていた。



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 散歩がてら、昼前に渋谷の区役所で入籍した。
 銀座線で上野広小路に出て、テレビでやたら宣伝する安売りジュエリーの店に入った。
 日頃から物欲しがらぬこの相棒は、私の提示する予算の三分の一にも満たない安指輪をうれしそうに選んだ。
 そのまま浅草通りを歩いて雷門に出て、ブラつきついでに浅草寺でおみくじを引いた。
 大凶満載で恐れられる浅草寺だが、男は大吉をひき女は小吉をひいた。
 男の少年時代からの馴染みだった遊覧船に乗って、秋の隅田川暮色をふたり静かに眺めた。

 いい風だね
 ……またこようね。




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 鮮明な記憶を残す、あのさわやかな秋晴れの一日からきっかり十年。

 離れたスーパーで十円安い天然水を両手に買ってきてはえへっと喜ぶ堅実主婦。
 年に数度の休みの日には、はたきや掃除機や雑巾とともに明け暮れる貧乏性。
 しっかり働いては自らの公演に千万単位の赤字をばらまく楽天バイラオーラ。
 そうした光と影の好ましいコントラストに、燃え尽き果てたこのやさぐれ男は、かつて彼の心にも在ったよく似た情景を眺め懐かしんでいたかもしれない。

 ハンパでない冒険とおだやかなひと時を好み、自ら転んでも他から転ばされても次の瞬間には明るい笑顔で起き上がろうとする、やや天然系ながら、いつも元気で大らかで料理上手なこの連れ合いと笑って暮らす淡き日々。
 その十年の歳月には、すでに原形すら定かでないボロ雑巾たる私を、ゆっくりと丁寧に繕いながら、普通の便所掃除程度ならば、どうやらこなせるぐらいの雑巾に復元させるほどの効果はあったようだ。

 とまあ、これぐれえ持ち上げときゃあ多少の悪行もお見逃しいただけよーかと祈願する、このよーな祝満十周年記念!おのろけ日記をぶち上げる厚顔無恥ぶりには、まったくもって悟りもへったくれもあったものではないが、悟ったところでそれがどーしたという気分もある。
 てゆーか推定300名とも云われる妄想上の私の愛人たちも全員どん引いた模様である。



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     [あの当時。わが家の初代守護犬メリとともに]



 あと三年で上出来のつもりがすでに十年。
 差し引き七年のオマケは悪運としか云いようがない。
 ゆるやかな登り坂のパセオ(散歩道)を踏みしめ歩む日々には、未練にも愛しさが募るばかりだが、一度は死んだも同然の廃物利用ゆえ、原価ゼロで生かしてもらってるような気安さがあって、逆にそれが救いとなっている。
 この先もボロ雑巾なりにまっとうすれば、ま、上出来としたもんだろう。



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 良くも悪くも、リキみは抜けたし毛も抜けた。
 パコ・デ・ルシアの『道』ではないけれど、歩きたいから歩く。
 昔のように頑張るつもりは毛頭ないし毛髪もないし、ただ歩きたいから歩く。
 ほんとうに美しいものは金では買えず、船から眺める風景のようにただ去りゆくのみだ。
 それは滅多に降りないフラメンコの“ドゥエンデ”が如きものかもしれない。
 それでも、“瞬間のきらめき”は忘れえぬ感触として、しかと我が身に残る。
 そうした記憶こそが心のお宝として集積し、永く生を楽しませるのではないか。
 人はその器に従い、時には器を超えながら、こうした集積を得んがために、そして時にそれらを反芻せんがために限りある時を歩むのではないか。

 まあ、なんてステキに都合のいい解釈!
 こーゆータワゴトは、金やら家やら物やらを持ってない人に多い幻覚症状だが何か。
 ま、仮にこんな妄想に若干の誤りがあったにせよ、てゆーか完璧な誤算であったにせよ、すでに軌道修正は手遅れだろう。
 やがて自然と生が尽きるまで、好みの風景を捉えながら、気ままに歩きつづけたい。
 みじめな老後をイメージする暇に、この妄想を実現させる次の一歩を歩みたい。
 そして最後の瞬間には江戸っ子らしく、自分なりに歩んだ記憶に胸を張ったらいい。
 以上が十年の節目に想う、今後の展開についての大まかなやさぐれヴィジョン兼先付け遺言。









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Ⓒヨランダ



☆この物語はすべてフィクションであり、
 従って呑んだり食ったりできません。










[その283] 今井翼/ツバメンコの衝撃


10/06月(その283)

今井翼/ツバメンコの衝撃





  World's Wing 翼 Premium 2008




 力をためる、そのハードな立ち姿はまさしく“フラメンコ”だった。


 その瞬間今井翼は、日本の芸能界史上もっともフラメンコに接近できるダンサーとなった。
 世界の一流ミュージシャンたちを苦しめた、テンポの速い変則アクセント付きの三拍子。
 フラメンコの超難関“ブレリア”に敢えて挑んだ彼は、振付を踊るのではなく、明らかに彼自身の内側から湧き出る自発的な希求を、フラメンコなやり方で踊りきった。

 フラメンコを始めて1年半足らず、と聞いた。
 その進化のスピードが超人的である一方で、フラメンコは甘くない。
 プロフェッショナルなダンスとして充分すぎるほど成立してはいるものの、当然ながらフラメンコ的な課題は盛り沢山と云わなくてはならないだろう。
 だが、そうした険しい道のりの舞踊ジャンルだからこそ、今井翼は敢えてフラメンコを選んだにちがいない。その不敵な真っ向勝負のアプローチに好感を抱きつ私はそう確信していた。


 ――――――――――――――――――――――――


 おとつい金曜、今井翼さんの10月東京・日生劇場公演のプレス用ゲネプロを観た。
 会場前で今井翼さんのフラメンコの師匠である佐藤浩希さん、鍵田真由美さんの『FLAMENCO曽根崎心中』(阿木燿子:プロデュース/宇崎竜童:音楽)コンビらと合流。スペインにもその評判を轟かせるフラメンコのトッププロとして、NEWSWEEK誌の『世界が尊敬する日本人』に選出されたお二人だ。
 いつもの明るい笑顔でかけ寄る佐藤に、売切騒動の原因となったパセオ10月号の浩希・翼対談の礼を述べながら会場入り。彼にはツバメンコの最終チェックの仕事が残されている。

 さて、この東京公演に先立ち、僭越にも私はmixiの今井翼コミュに「フラメンコを踊る今井翼」なるトピックスを立てさせていただいた。
 そこに多数寄せられるコメントは豊かな見識・感性・愛情にあふれる真摯な内容で、私の日記経由でそのトピに遠征した多くのフラメンコ仲間は、一様に目からウロコを落としていた。
 私にしても彼らのコメントによって、ゲネプロでチェックすべきポイントを事前に整理できたことは望外の成果だったのである。


 第二部トップに配置されたフラメンコの開演前。イッキに魅せた第一部のダンス・エンタテインメントの興奮を冷ましながらも、やはり私は思い出していた。かつて長期にわたりフラメンコ舞踊に真摯に取り組んだ、女優・山口智子さんのことを。
 フラメンコは彼女の人生を豊かにしたであろうし、また同時に、彼女はハンパでない数のフラメンコ人口を増やすことで、日本のフラメンコ史に多大な貢献をもたらした。そうした数の増加(普及)がやがて質の向上(発展)をもたらす歴史を、わが身に体感してきた私にとって、“ツバメンコ”の出現はまさしく大事件だったのだ。

 芸能界は、選び抜かれし者のみが残ってゆく弱肉強食の典型社会だ。
 常日頃の鍛錬の積み重ねによって芸能に秀でるスターたちが、熾烈なサバイバルのかたわら、フラメンコという、とてもハンパな覚悟では取り組むことの出来ない終わりなきジャンルに、長いスパンで熱情を傾けてくださること。その一点のみにおいても、私のような立場にある者は深い感謝と感動を覚えざるを得ない。

 そんな想いに鋭い閃光を浴びせるかのように舞いはじめられた“今井翼のフラメンコ”は、冒頭の如くに、そうした次元を飛び超えるクオリティと巨大なポテンシャルをいきなり発生させていたのだった。
 詳細レポートについては、幸いにもパセオ1月号でお伝えできる可能性が出てきたので、駆けつけたパセオの若手取材チームにそちらは任せたい。

 さて、彼の師匠がパセオ誌上で語った「僕の夢は、翼くんスペインデビュー。これが目標。そこまで一緒に闘っていきたい」という入れ込みには、さすがの私もどん引いた。
 だが、この両の目に焼きついたツバメンコは、充分すぎるくらいに佐藤浩希の言葉を裏付けてくれるものだったのである。
 願わくば向こう十年。ほんとうを云えばライフワークとして。並外れたダンサーの資質の上に、フラメンコへの高き志と強靭な集中力が持続されんことを。





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[その282] 急遽!アントニオ


10/5日(その282)

急遽!アントニオ





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 ついさっき、招聘元から送られてきたDVDで『アントニオ』を観た。
 この11月に来日するアントニオ・マルケス舞踊団のライブ収録ものだ。

 ほんとを云うとあまり期待してなかったのだが(あ、ごめんなせえ)、理屈ぬきで楽しめる構成と、美しいスペイン舞踊の世界に、このクソ忙しい中をいっきにラストまで観せつけられてしまった。

 昔から完成度の高さに定評のあったアントニオ・マルケスは、私の知らない間に、それこそ伝説のグラン・アントニオをも彷彿とさせる、たくましくもエスプリ豊かな大型バイラリンに変貌していた。
 NHKで放映されたあの驚異の超絶サパテアードにもびっくりだが、磨き抜かれた華麗なる群舞はメンコファンなら一度は観といて損はないと保証できる。


 私も7日の方に行くことに急遽決定!って、
 カラオケ大会はどーすんだあああ!!!!




 あっ、こんな(↓)粋な計らいもあるので、行ける人は利用すべし。

アフィシオナード特別チケット受付
期間限定発売中! 各公演限定100枚
受付期間:~10月10日(金)12:00
価格 S席:¥11,000⇒¥9,000  SS席:¥14,000⇒¥11,000
申込方法:
(1)PC、携帯から: 受付URL http://eplus.jp/antonio/
(2)電話から: TEL.03-3403-0155 10:00~19:00

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[その281] 「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」③


10/4土(その281)

「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」③





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 「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」

 愛しのルジャビーよ。
 根性の入った真摯なご質問をありがとう!
 以下に、現時点の私たちパセオの考えを述べます。

 ――――――――――――――――――――――――

 誰に?

 年代、国籍、居住地、性別、性格、思想、顔、血液型、アマ・プロ、技術レベル、身長、体脂肪率、髪の毛の本数……などとは無関係に、「フラメンコはライフワーク」と感じている人たち、さらに「まだ私はそうじゃないけど、フラメンコはライフワークって素敵だな」みたいに感じる人たちを読者像の中心に据えながら、私たちはパセオを創りたい。



 何を?

 フラメンコは、人生の実相に直結するアートだ。
 だからこそ、フラメンコはどこまでも有機的なアートなのだろう。
 ひとつではない核心の周りを、無数のエピソードが取り囲んでいる。
 同時にそのエピソードそのものが重要な核であったりすることが多いのがフラメンコであり、また、人生そのものであったりする。
 要するにパセオの誌面創りの切り口は無限なのだと思う。
 フラメンコと私たちの人生をリンクさせながら、そこから発生する豊かさの可能性について、これまでの常識や経験にとらわれず、思い切り踏み込むという基本方針が自ずと定まる。
 生涯の伴走者としてフラメンコを選択する人たちに、そうそう、こんなのが読みたかったあ!と共感いただける記事を私たちは創りたい。
 フラメンコをより広くより深く楽しむための知識・情報、上達のためのヴィジョンと工夫、失敗を恐れぬより豊かな生き方…等々のさまざまなテーマがヨコ軸となるだろう。
 そしてそれらを本腰入れて語るタテ軸は、ライフワークという、生涯を見すえる長いスパンの観点であり、この視点こそが今回のチャレンジの眼目になるのではないかと思う。

 私たちはこんなやり方で、フラメンコの内側に充ちあふれる人生の喜怒哀楽を通し、生きることの切なさとよろこび、あるいは懐かしさや未来ヴィジョンに思いを馳せつつ、いま現在をよりよく生きるための実質的ヒントをつかみたい。
 憧れのアーティストから落ちこぼれ練習生(←おめえさんのことだよ TT)まで、そしてさらに、ハシにも棒にも引っ掛からない私のような観る聴くだけの阿呆シオナードに至るまで。生涯ドップリ浸かるのもよし、淡く永くふれあうもよし、フラメンコとの付き合い方は人の数だけあることを伝えたい。
 いろんな理由で一時的にフラメンコから離れざるを得ない人たちに、フラメンコは逃げないことを伝えたい。“母なるソレア”を内包するフラメンコが、その子らの難儀を見捨て逃げるようなヤワな玉ではねえことをしっかり伝えたい。
 それが、文明のひずみや欝などに限りなく悩みつづける現在・未来を、それでも豊かに生き抜くための極めて有力なエネルギー源のひとつであることを、誇りを胸に実証しつづけてゆきたい。
 思いもよらぬさまざまな発見とともに、読んだ後に少しだけ元気の出る専門誌。その分だけ日常生活が愛おしくなって、やっぱ、フラメンコを選んでよかったあ!と実感できる、しんぱいゴム用な架け橋パセオでありたい。



 どーやって?

 「誰に何を伝えたいのか?」については以上だが、ではそれを「どーやって?」という部分についても少し補足しよう。
 ご覧の通りSNS上で展開し始めた、ウェブと本誌パセオの連携強化がその中核戦術だ。
 踏み込むべき具体的テーマの多くの場合の発見手段がウェブであり、それらを深く掘り下げてゆくのが本誌パセオフラメンコ、という役割分担。
 つまり、ウェブの「即時性・双方向性」と本誌パセオの「踏み込み性・保存性・反芻性」という各々の長所を噛み合わせ、短所をカバーし合うことで、その相乗効果を高めるやり方だ。
 例えば、今回のウェブ上のアンケート結果は、すでにパセオの「特集」「インタビュー内容」などに濃厚に反映されつつあり、また新読者ページ「バル de ぱせお」という切り込み隊長的メディアも誕生させた。
 ちなみに云うと、“バル de ぱせお”へのアマ・プロ混合のアフィシオナード投稿などは、あたかもダイヤモンドの原石のようであり、それらを読み込んでゆくと、特集や連載などのヒントを面白いように発見することができる。
 これは望外の成果だった。


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 本格始動は年明け以降となるが、直接対話から生まれるヒントが、夢を推進させる構造はすでに整いつつある。
 また、フラメンコ専門SNSの立ち上げも視野に入れたところだ。
 各種ネットワークの連携強化とその相乗的活用によるアフィシオナードが創るアフィシオナードのためのフラメンコの未来は、この展開の延長線上に必ずあると私たちは思う。


 ――――――――――――――――――


 ま、とりあえず、ぶっちゃけこんなとこだな。
 意外と大したことねえ結論だが、それがどーした、いつものこっちゃ(TT)。
 例によってまた失敗するかもしれんけど、失敗とその修繕のくり返しこそが人生であり、そのプロセスを汗水流しながら楽しむのがこれまた人生、などと前もって負け惜しみを述べておきたい。

 つーことでルジャビー。
 オレはあんたの直球を打ち返すことができただろーか。





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[その280] 「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」①


10/2木(その280)

「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」②





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 日本のフラメンコ市場に「バイレの技術的上達もの以外は売れない」という時代は長く続いたが、「技術以外の何か大切なもの」について多くのファンの関心が向かい始めたことは、ここ数年来のフラメンコ界全体の傾向と分析してよいだろう。

 ルジャビーから投げられた問い掛け、加えて今回のアンケート回答の数々はそれらの傾向をいっそう裏付けるものであり、同時にその潮流は「「パコ・デ・ルシアのギターのように生きたい」と願った私の原点に直接響いた。
(筆者注:パコのようには弾けないことをほぼ予測していたところに若き筆者の謙虚さを垣間見る)


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 上達に対する強い希求という健全な傾向を残しつつも、おそらくはそれ以上に、「より豊かに生きるためのフラメンコ」というヴィジョンが大幅に浸透しつつあることが、私には手放しでうれしかった。

 梅雨のころから暑かったこの夏にかけて、ルジャビーの声とアンケート回答から浮かび上がる本音をじっくり咀嚼吸収しながら自問自答をくり返し、その一方で、改めてこれからの具体的な方向性を確認し合うパセオ全スタッフによるディスカッションを重ねた。
 私たちパセオの進むべき新たな方向性とは何か?
 そして、その方向性をシンプルにわかりやすく明示するキーワードは何か?

 議論の末、全員一致で選出されたコンセプトは、


「フラメンコはライフワーク」
 だった。


 そうは捉えていないファンも大勢いるわけだから、この決め打ちはさまざまなリスクを伴う。
 しかし私たちは、観る聴くだけの潜在ファン層の拡大を含め、この戦略を選んだのだった。
 負けるかもしれないが、この戦略はフラメンコの本質にゴツンと合致していると思った。



 「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」

 こんな裏プロセスをバラしつつ、次号最終回、ルジャビーのこの直球に対しできるだけ明快に回答したい。




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[その279] 「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」①


10/1水(その279)

「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」①





 「パセオは誰に何を伝えたいのですか?」

 このド真ん中ストレートは、この春mixiで各種フラメンコアンケートを始めたころ、愛すべきウェブ友ルジャビーからこの私に投げられた問い掛けだ。
 そのうちじっくり答えるから楽しみにしとけや、と余裕を装いながら返答したものの、彼女のコメントは、実は私の心臓をグサリ刺していた。

 「云うまでもなくパセオの主たる任務は“フラメンコの普及発展”にある。
 その結果が、私の達成感やら収入やら髪の毛の本数などに比例するのだ。
 専門メディアとして、ファンとその潜在層に向けて、さまざまな角度からフラメンコの魅力を伝え、ファンを増やしながらその発展・深化に貢献する。
 やり方に変化はあっても、昔も今もこのヴィジョンに変わりはねーよ」

 こうアバウトに対応するのが穏当なのだが、ラジカルにして真摯な想いに充ちたルジャビーのツッコミに、なぜか私のスイッチは作動し、その脳裏に棲む青春の原風景が突如フラッシュバックを始めたのだった。


 街々を徘徊中に、偶然手にした一枚のレコード。
 人生を賭けた将棋のプロテストに失格し進路を失った高校生の彼に、
 まったく新たな道筋を示すパコ・デ・ルシアのフラメンコギター。
 グチんな! クヨクヨすんな! 誰も助けちゃくれんぞ。
 魂ケチんな! さらして鍛える魂を金庫にしまってどーする。
 遠慮すんな! やりたいことを思う存分やれ。
 心配すんな! どー生きても人は必ず死ぬ。
 エネルギーに充ちあふれたそのフラメンコが、どん底の彼にそうソウルする。
 当時流行の優柔不断~ジリ貧コースとは対極に位置する方法論。
 ノミの心臓ゆえのキマジメだけが取柄の彼に、そんなんでいーのか?
 本当にそれだけで足りるのか? とズバリ迫る、まばゆい光の大胆パッション!
 引きこもり寸前の魂に、コペルニクス的転換の可能性を示す鮮烈な一撃!
 背筋のピンと伸びた本音と熱情のアートは、本物のエロスとタナトスを備えていた。
 その神秘のレコードは、わずか半日で、沈みかけた彼の運命をあっさり変えた。



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 こんなレアな情景が、まるで昨日のことのようによみがえる。
 返事を保留したのは、ルジャビーの直球コメントが引き起こしたこのフラッシュバック現象の意味と、彼女の問い掛けに対する回答を、じっくり考え直す時間を稼ぐためである。
 アバウトなヴィジョンではなく、もっと具体的な方針(戦略)をわかりやすく整理して、ルジャビーにきちんと回答すること。
 そのことは同時に、周囲とパセオ自身に対し、これからのパセオの行動をさくっと明快にするガイドライン強化になるのではないか。
 創刊から四半世紀。これまでにも何度か戦略の転換はあったが、世の中の状況もフラメンコ界の状況も大きく変化した現在。
 この時期に、このビッグテーマに改めてじっくり向き合うことは、むしろ絶好のチャンスのように思えてきた。


 さて、先ほどのフラッシュバックのつづき。
 天才パコ・デ・ルシアが示す道筋を、一般人平均をやや大幅に下回る私がせっせと歩んだ悲惨なプロセスは都合によりカットするが、いつも心にアルモライマ(パコの有名なブレリア)を響かせた歳月は、①暗くハンサムな少年を、②陽気でブサイクな青年に変え、やがて彼にパセオを創刊させるのだが、さて、あなたは①②のどっちがタイプですか?っておゐおゐ、そーゆーアンケート調査ではない筈だろが次号につづく。



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[その278] 恋におちて


9/25木(その278)

恋におちて





 さて毎日毎日どこまで散歩に行くのかというと、最近の好みはO公園である。
 公園に着くと、私は広場に立って一本の榎を眺める。
 公園には弱い風が吹き通り、やがて風は私が眺めている榎の一隅の枝をゆすって通りすぎた。
 と、ひとつかみほどの黄色い木の葉が撒いたように空中に散り、日に光りながらゆっくりと落ちる。

 それを見ただけで私は満足して帰路につき、そしてふとこういう光景に気持をひきつけられるのも老年かと思う。
 私のそばには幼児と母親が群れていたけれども、誰も一瞬の落葉などは見なかった。
 私だって若いころは、紅葉などにさほど心をとめなかったものだ。

 またある日私は、娘もあっとおどろく徳永英明のテープを聞いている。
 そして青春をうたう徳永のセンチメンタルで甘い歌声や歌詞の一節にふと胸をつまらせたりする
 だが胸がつまるのは感傷のせいではない。
 帰らない青春といった感傷の中には、まだ現在と青春をつなぐみずみずしい道が通じているだろう。
 老年の胸をつまらせるのは喪失感である。
 道はもう通じていない。
 あるのは眼前の日日だけのように思われることがある。
              (「週刊小説」平成3年1月4日号)



 日本に生まれた幸運を深くさわやかに実感させる小説家、藤沢周平。
 冒頭文は周平師64歳におけるエッセイ『老年』からの抜粋。
 ふうん、そんなものなのかなあ……。
 これを読んだ当時30代後半のまぬけな若造にこんな心境が実感できるはずもない。
 そしてあれから十数年。
 春の桜木と同じくらい晩秋のイチョウ並木に心惹かれるようになった昨今では、ほんの少しだけこんな気持ちを理解できるようになったかもしれない。
 大人になれてちょっぴりうれしい気分。
 だが同時に、その代償の意外な大きさに愕然とするのも、きっと人生の醍醐味のひとつなのだろう。


 さて、当時びっくりしたのは文中の「藤沢周平→徳永英明」という何ともミスマッチな図式だった。
 いかに大の周平ファンとは云えども、彼の音楽に積極的な好意を持ってなかった私には、じゃあ早速それを本腰いれて聴いてみようかという気持ちは起こらなかったようだ。
 ところが最近になって、小林明子さんの名曲『恋におちて』を歌う徳永英明さんを偶然テレビで観た。
 えっ、これがあの徳永英明なのか…。
 彼は明らかに変化していた。
 しっとり歌い上げるその名唱は、理屈ぬきですんなり胸に沁みた。
 そこで真っ先に思い出したのが冒頭のエッセイだったというわけだ。

 余談ながら、同時によみがえった記憶がもうひとつ。
 このナンバーを十八番とする、その昔付き合っていた女性のことだ。
 音大出身の彼女の歌う『恋におちて』もそこそこ聴かせる域に達しており、それを聴くのを好きだった私がその昔の直後にフラれたことは云うまでもない。
 かくして「藤沢周平→徳永英明←昔の女」というさらに奇妙な図式が私の中に生まれた。


 こんな連想ゲームにハマったその翌日、早速ご近所ムトウ楽器店で『徳永英明/ヴォーカリスト』という実力派女性歌手たちのカヴァーCDを3巻買いそろえた。
 先の『恋におちて』を含む全40曲。
 うれしい事にそこには、異邦人、シルエット・ロマンス、恋人よ、駅、いい日旅立ち、セカンド・ラブ、秋桜、なごり雪……などなど、かつて私も爆唱したお気に入りナンバーが満載されていた。
 そしてこのひと月ばかり、パセオや自宅で毎日のようにこれらCDに聴き入っている。

 選曲センスも見事だが、異なる色彩のそれら全てを歌いこなす芸域の広さにも驚かされる。
 甘い美声と評される彼の声質は私の好みではないが、その表現にうまいばかりでなくハッとするような核心が見え隠れするのにはドキリとする。
 あり余る技巧が突出せぬよう、淡々とひそやかに、敢えて意図的なクライマックスを創らぬ、誠実にして静かなパッション。
 その飽きのこない味わいと安定した充実感からは、ハンパではない底力が伝わってくる。
 職人的な細部の磨きこみも確かだが、全曲を貫き通すアーティストとしての揺るぎないヴィジョンが素晴らしい。
 だが何よりの決め手は、その切実なるリアリティではないかと私は思った。



 「帰らない青春といった感傷の中には、まだ現在と青春をつなぐみずみずしい道が通じているだろう。
 老年の胸をつまらせるのは喪失感である。
 道はもう通じていない。
 あるのは眼前の日日だけのように思われることがある。




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 ラブソングに感情移入するとき、自分の記憶にそれを強く重ね合わせながら聴くことは、若い頃はごく自然であたり前のことだった。
 ところが寄る年波というのは、それを徐々にではあるが、物語を客観的に眺めるような聴き方に変えてしまうようだ。
 大人になることでやたらめったら傷つくことも無くなるかわりに、もれなくセットで付いてくる底なしの寂寥感。
 64歳の周平師はそれを"喪失感"と表現された。


 さて、徳永英明さんは現在47歳。
 周平師がこれを書かれた64歳まであと17年を残す彼には、まだまだ道は瑞々しく通じているにちがいない。
 けれども同時に、「道はもう通じていない」とある日突然気づくのも、そう遠い日ではないことを彼は予感している。
 帰らない青春を懐かしむセンチメンタリズム、そしておそらくそれさえも喪失するであろう未来。
 そのグレーゾーンの真ん中あたりに彼は立脚している。
 そのスタンスは極めて冷静だが、その眼差しは哀しいまでにあたたかい。



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 何かを得ることによって失うもの、失うことによって得るもの。
 無常がゆえの美しさを、しみじみ噛みしめるが如くに歌うアートの、そのストライクゾーンは思いのほか広い。
 だがらこそ彼は『ヴォーカリスト』において、豊かなリアリティをもって、幅広い年齢層の共感を得ながら、はかなくも愛しい人生を謳い上げることに成功しているのだろう。

 「ほう、なかなかやってくれるじゃないか」
 今はなき師匠がこれを聴かれたら、きっとそんな"周平独り言"をもらすにちがいない。










[その277] 秀さん


9/4木(その277)

秀さん





 1コンパス12年にわたり通い詰める、私の愛する隠れ家的呑み屋“”。
 この間、週3日としても2000回近く通った勘定になる。
 そのオーナーシェフを秀さんと云う。
 梅宮辰夫さん、中村玉緒さんら食通たちもこぞって通うほどの料理名人である。
 やんちゃで茶目っ気もあるが、なにより優しく頼もしい大人で、俳優のメル・ギブソンに雰囲気が似ている。
 とーぜん女どもにもモテたが、男どもにもモテた。
 グチを嫌いユーモアを愛し、いつも明るく前向きで、誰からも好かれ認められる超一流の仕事人。
 秀を知る者は、みな一様に彼の気取らぬ人柄と腕前を慕い愛した。

 ちょうど一週間前、8月28日の早朝に、秀さんがなくなった。
 深夜に自宅で倒れ、病院に担ぎこまれたが、すでに施しようはなかった。
 手術後、入退院を繰り返していたが、可能な限りカウンターに立ち、死の数時間前まで訪れる客に愛情のこもった極上の料理を創りつづけた。
 覚悟はしてたが、現実はやはり別物だった。
 私より5歳上の58歳だった。
 しばし平衡感覚を失い、泣きながら仲間たちにその旨を電話で伝えた。



 「小山さん、これやっから、大事に使えやっ」

 別れの三週間くらい前のことだった。
 元気さを装う笑顔の下に末期ガンの苦痛を抱える秀の店に、前以上の頻度で通ってた。
 板前の魂とも云える包丁の一本を、その日秀さんはこう云いながら私に与えた。
 料理好きの私にはチョーうれしいサプライズであるにもかかわらず、嬉しそうな顔を維持するために、むしろ私の顔は何度もひきつっていたと思う。
 それが形見分けであることを、いかに鈍感な私と云えども、その瞬間に気づいた。
 どれぐらいもつのか?
 それがわかったところで何もできねーなら考えるのはやめろ、いつもと同じように通うしかねーだろ。
 家に戻った私は、すぐに冷蔵庫にあった肉の塊でその切れ味を試し、翌日その結果をはしゃぎながら報告すると、秀さんはうれしそうに笑った。
 ブタに真珠と云えども、名人の愛した包丁の使い心地は実際最高だった。


 秀さんは福島いわきの出身。
 小学一年の頃から納豆なんかを売り歩いて小遣い稼ぎをしてたという。
 料理の腕前はその当時から一丁前だったらしい。
 やはり天職だったのだ。
 高校を出るや、料理人として貿易船に乗り込み、七つの海を駆け巡る。
 時おり話してくれるその頃のハチャメチャな武勇伝にはハラを抱えて笑ったものだ。
 船を降りてから、向島の料亭で本格的な日本料理の修業をはじめた。
 秀さんのベースは懐石料理だったが、その本領はイタリアン、フレンチなどの技法を採り入れた創作料理にあった。
 フラメンコをベースにジャズやロックを咀嚼吸収し、さらに再構築~創造することで、世界中にフラメンコギターの魅力を知らしめたパコ・デ・ルシアのような料理だよと云っても過言ではないが、時おり暴発する下ネタがその総合評価をイッキに下げていたと云ってもこれまた過言ではないだろう。

 この12年の間に二度ほど、秀にダメ出しを喰らったことがある。
 嫌な雰囲気を醸し出しほかの客に迷惑をかける人に対し、私はひどく冷酷だった。
 そうした相手に、ただのひと言で息の根を止めるような辛辣な言葉を浴びせたことがある。
 そのあと、二人だけで話せる機会を待って秀さんは私にこう云った。
 「いかな相手でも、あそこまで云ってはダメだ」
 店全体のことを考えイヤな役目を買って出たつもりの私だったから、最初にそう云われた時は、何を理不尽!と思い、そう云い返した。
 しかし、二度目に同じことをやんわり云われたとき、秀さんが、もっともっと大きな調和をヴィジョンとしていることに気づいた。
 そのことの意図する豊かさのわからぬ歳でもなかった。
 以来私は、怒りの頂点に達した自分が発する猛毒を棄て、相手の急所をはずすトホホな罵倒方法をおぼえた。


 7月半ばに秀さんを囲む呑み会をセッティングしたのは、私にしては上出来だった。
 何となく察していた十人ほどの仲間は"あ・うん"で集まり、秀さんを真ん中に据えて下北沢の鮨屋で呑んだ。
 少し気まずくなってた友も仕事をキャンセルして駆けつけた。
 肴の注文を引き受け、全開の笑顔で終始うれしそうに冷酒をやってた秀さん。
 今また、気を利かした後輩の撮ったその集合写真を眺める。
 生涯にそーおいそれとは訪れない、皆して笑いこけ続けた、利害のない、心だけでつながる、あの深い想いに充ちた美しい呑み会の光景がよみがえり、心の鳥肌がとまらない。

 そうした現象の源が、秀の放つオーラにあったことを改めて深く認識しなおす。
 残る命を惜しむことなく、往く数時間前まで板場に立っていた彼に想いを馳せる。
 “プライド”のほんとうの意味とか価値について考える。

 月を見上げて泣くスッポンよ。
 おめえもあんな風に生きてーなら、もーちょいしゃんと生きてみんかいっ!




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[その276] 日常生活に潜むフラメンコ


9/3水(その276)

日常生活に潜むフラメンコ





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   月刊パセオフラメンコ2009年新年号(12/20発売)からオープンする
 ウェブ連携型・新読者ページ“バル de ぱせお”

 本日締切の第一回目の採用選考は明日着手の予定だが、みんなの投稿をもって、フラメンコ界や全世界パセオ読者もびっくり!の面白・元気ページが誕生しそうだ。
 おかげで、私の最後の野望たる“アフィシオナード自身が創るフラメンコの未来”プロジェクトは、ここに着実な一歩を踏み出すことができますた。

 ご承知の如く、専門誌の読者ページにアルテや心意気や笑いのあるジャンルというのは、やがては必ず大きく成長飛躍してゆくものだ。
 フラメンコの未来のために、恥を承知で躊躇なく踏み込んでくれた熱き心意気のフラメンカ諸氏、ならびに読むことで彼らを応援してくれた読者諸氏に、フラメンコの神さまを代行して心からの礼を云いたい。

 今回採用にならなかった方、そして採用された方、ほんとにどうもありがとう!
 上手い下手に関わらず、その気合いの良い踏み込み自体にフラメンコの精神は宿ることを、改めて私は実感することができたよ。
 惜しくも採用された方は「連続36回落選による超ビッグなプレゼント」への道が険しくなったことを大変お気の毒に思うが、かくなる上は常連採用者となってスベくりまくることで、全国のフラメンコファンに夢と笑いと優越感を与え続けていただきたいと願う。

 つーことで、今回はその第二回目の投稿募集じゃあ。
 本日より、スベってよし、転んでよしの原稿を大募集するので、皆の衆よろすくっ!


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★★★お題その2「日常生活に潜むフラメンコ」★★★

 トホホな投稿が殺到しそうなこのお題は、めめ★発案によるものだ。
 以下にめめ★による、その具体例を挙げるので参考されたし。
 各自、胸に手を当てて考えれば、かならず思い浮かぶにつがいない。

◇スーパーをプランタ・タコン・タコンでティコタティコタと歩いてしまう。
◇駅のホームやバスを待ってる時にサパテアードの練習をしてしまう。
◇テーブルがあると、こぶしでブレリア(またはマルティネーテ)のリズムを叩いてしまう。
◇家族がでたらめカンテを歌う。またはでたらめセビを踊る。
◇拍手がセコなのでうるさい。
◇大きな鏡があるとブラソを回してしまう。

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★★★エントリー方法(守る!コンパス)★★★

◆締切◆9/30までに、このメール(koyama@paseo-flamenco.com)に①写真と②原稿を送信すれば完了。
(または、http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=34547579&comment_count=7&comm_id=1563685
◆写真◆勝負写真を迷わず載っけちまうのがフラメンコ。
◆字数◆18字×22行←これがコンパス。字余り・字足らずは勘弁。文頭は1行アキにて。
◆タイトル◆10文字程度で楽しいインパクトを!
◆名前◆都道府県・名前/年齢(または職業など)
◆掲載号◆2009年2月号(1/20発売)
◆採用◆
◇フラメンコな知恵や笑いや元気がもらえる奴で、いー感じの読後感が決め手!
◇採用のご褒美はオリジナル手ぬぐい1本&パセオ掲載号1冊。
◇“今月のお勝ちメンコ”にはさらにお好きなDVD1本。
◇連続36回落選の方にパセオ社長賞。根気あるチャレンジャーは凄げえ賞品ゲット!

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 2008年9月チョー大吉
            バル de ぱせお ますた こと
   株式会社パセオ 代表取締役社長 小山 雄二









[その275] 疾走するオラシオン連歌


8/20水(その275)

疾走するオラシオン連歌





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 シンプルだが厳格なルール。
 それさえ守ればあとは何でもあり。

 そういうタイプのものが昔から好きだった。
 ビー玉やらメンコやら将棋やらハムラビ法典(←な、なんで?)やら。
 最小ルールでのびのび表現できるものが性に合ってるのかもしれない。
 おそらくフラメンコに惹かれたのも同じ理由である、ってほんとかよ。

 現在mixiのコミュニティ「フラメンコはライフワーク」を突っ走る"オラシオン連歌"への書き込みは、各種ブログの方は手を抜く近ごろの私のルーティンワークとなっている。
 読んだり書いたりで1日平均10分くらい。
 仕事の合間を縫って潤す、最高のリフレッシュタイムだ。
 オラシオン連歌は実にシンプルな二行詩の形式(うち1行は直前コメントのコピペなので、書き込みは実質1行のみ)を採るが、前後の詠み人同士の信頼に充ちた大らかな連携と自由奔放なインスピレーションが重視される、実にフラメンコ的なアート形式である、と云ったら明らかに過言である。
 よーするに、ウェブ上に自然増殖するアホたれ仲間によるボケ防止システム(て、手遅れか?)なのだ。

 この6月にスタートしてわずか2ヶ月。
 本日さきほどメデたくも、コメント数はシステムの限界である1000件を超え、現在はそのパート2が疾走中である。
 もつろんフラメンコ関連では初の出来事であるし、mixi全体でも極めて珍しいケースらしい。
 常時参加するメンバー(=レンジャー)は数名なのだが、トピ主オラシオン(おそらくトップ写真中央の人物/年齢性別不肖のチョー美女)の大胆不敵すぎるカリスマ姐御性と、私を含む手下どもの傍若無人なコメント連携がミョーな具合に噛み合ってるようだ。
 ふだんはのどかにチンタラ展開するのだが、時おり何の前触れもなく、うねるようなコンパス&アイレが発生して、スリリングにしておマヌケな大爆笑を巻き起こす。
 個人芸が光ることもあるが、それら異文化同士が連続しながら連携スパークする時の相乗効果的パッションは、そりゃもー強烈にアホらしい。
 人と人とがふれあう“連携それ自体”に宿る美しさ、あるいは懐かしさ。
 それが書き込む者と読む者に、ある種の癒し感を共有させるのではないかとも思う。



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ありゃ、おもしろいよ」。
 mixiウォッチャーのフラメンコ関係者は昨今、まずこんな風な感想をもらす。
実はオラシオン連歌にハマっています」。
 こう直接メッセしてくるマイミクさんも増える一方だ。
このシステムはウェブ上の社会現象に発展する可能性がある」。
 地元呑み仲間の売れっ子コピーライターは、まぢ顔で私にそう予言する。
 テーマの程よい細分化がポイントだと彼は指摘するが、ほ、ほんまかいな。
「ありゃ観るもんじゃなくて、やるもんだから」と、参入したいらしい素振りを見せる彼らを気軽に私は誘うのだが、どうも皆してビビってしまうらしい。

 一方で、ツラの皮の厚さで鳴らす常連レンジャーのイメージはおそらく一致している。
 そのイメージとは、畏れ多くもフィン・デ・フィエスタのブレリアだ。
 ギターでもカンテでも踊りでもパルマでもハレオでも何でもいい。
 前の人からの流れに留意しながら、自らサクッとひと振り入れる。
 後に続く人へ、ほんの少しだけ配慮できればさらに上等だという了解はある。
 ダレたゆるゆる局面と、スリリングなブレリア的局面とが、まったく不規則に訪れる。
 ウマいヘタよりも生命感・躍動感のあるコンパス・アイレが場を楽しく盛り上げる。
 にしては、その即興的な書き込み作業(数十秒)はあきれるほどにエー加減である。

 では、「入りたいけど入れない」潜在レンジャーがためらう要因は何なのか?
 よく似ているのは、大勢で順番に飛んでゆくナワ飛び(お入んなさい)だ。
 要領をつかめば簡単なのだが、それまでは確かに難しかったな、ありゃ。
 くやしさをバネに何度もしくじる内に、偶然・自然とコツをつかんだことを思い出す。
 もうひとつは“ひと振り”の中身。
 持続力のないイッパツ狙いがミョーに浮いてしまうことは、自ら存分に経験済みだ。
 詰め込みすぎちまったり、あまりに一人よがりだったりするとコンパスはうねってくれない。
 かと云って、あまりにおとなしすぎてもコンパスは固まっちゃうしな。
 これも何度もしくじる内に、自然と頃合いみたいなのがわかってくるようだ。
 うまくやろうと意識しすぎると、逆にしくじっちまうところなんかはまるでフラメンコそっくりだよ。



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 こう分析すると、入りたくともためらっちまう気分もわかってくる。
 しかし他方で、トピ主や私ら手下どもが、フィン・デ・フィエスタのような高度な芸当をこなせる深~い配慮に充ちた人間でないことは明らかなのである、きっぱり。
 チンタラ遊んでるうちに自然とゆーか偶然とゆーか、まるでフラメンコと同じように、そのコンパス&アイレの感触がほんの少しづつわかって来るというのが実情なのだろう。
 ただひとつ注目すべきは、この単純明快なシステム自体が、他者同士の大らかな連携を糧に、多彩にしてインパクトのある表現システムを次々と生み出し続ける現象である。
 そう、笑ってやってくだせえ。
 私はそこに、馴れ合いではなく他文化(=他メンバーの長所)を貪欲に吸収しながら、自発的に拡大発展を続ける“フラメンコ”の擬似形成プロセスを観るのだ。
 ちなみに、“オラシオン”とはスペイン語の“祈り”を意味する。

 さてもつろん、連携するレンジャーが多いほど、もたらされる実りは豊かにして楽しい。
 ま、実際のところは、下ネタやわかめネタ満載のあきれる程にくだらねえお笑いトピックスに過ぎねえわけだがそれがどーした!
 つーことで、皆さま方のオラシオン連歌へのご参入は大歓迎なんであります。
 年イチでも月イチでも週イチでも、平日だけでも土日だけでも、いつでもお出入り自由の明るく開かれた“虎の穴”なんであります。
 虎穴に入らずんば虎子を得ず。
 宝くじも買わなきゃ当たらん。(←最近知った)
 しかも、もし貴方がやりそこなってどんだけスベっても、お仲間レンジャーが即座に駆けつけ息の根を止めてやっからしんぱいゴム用!という空前絶後のサービスが今ならもれなく付いてくるんであります。


 さっ、このよーに、どーでもいーことに真剣かつ見当つがいに踏み込むのが私の本質だ。
 そんなこんなで今回、疾走するオラシオン連歌についての現時点における見解を、とりあえず以下にまとめておきたい。

 それはズバリ!、主にコミュニケ不足で殺伐とするばかりの現代ニッポンにあって、「他者とのふれあい」「自己表現」「新たな相互発見」を、わずか2行の書き込みで実現するフラメンコ的実践ではないかって、乏しすぎる根拠を元にここまで強気で云い放つ私に、どーか深いお慈悲と大らかな愛の手(またはオレオレ現金書留も可)をどーぞよろすく!





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[その274] パセオ社員に告ぐ


8/17日(その274)

パセオ社員に告ぐ




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 パセオ9月号特集の埋め草に載っけた拙稿「あいにく国境は見えない」が、ギョーカイで意外な好評を呼んでいる。
 すでに十名以上の方々からいろんなタイプの賛辞をいただいた。


「空いたページをとにかく埋めたことに大きな意義がある」
「あれはよかったぞ。読んでねーけど」
「ヨランダさんのイラストがよかった。イラストだけならもっとよかった」
「他の執筆先生方のありがたみがわかった」
「気にするな。どーせ三行以上読めたヤツはひとりもおらん」
「むしろあのページだけ白紙で出すという潔い選択肢はなかったのか?」


 そう、絶賛の嵐なのである。

 それもそのはず、チョー多忙を極める私が、各種外渉・各種会議・各種プロデュース・各種営業・各種ウェブ書き込み・三度のバッハ・散歩・ドンチャン騒ぎ・ゴミ出し・爆睡などの激務の合間を縫って書き上げた渾身のチョー大作なのである。
 前にブログに書いたものを三つばかりコピペで切り貼りして、テキトーな接続詞でつないで締め言葉を盗作でつぁんつぁんと結んだだけの原稿のよーにも見えるが、実際には構想から仕上げまでに、少なくともトータル約30分という膨大な時間を注ぎ込んだ涙の労作なのだ。

 あいにく私はチョー多忙なので、印刷された私の原稿に目を通しているヒマはないが、眠れない夜のために枕元に常備しておけば、三行読むだけで爆睡できる自信はある。
 月刊パセオフラメンコを鍋敷き以外の目的で使用したことのない方々にとっても、これは驚愕の朗報となるはずである。
 たいした副作用もなく(少しだけアホになるが)、これほど効果の高い睡眠薬は他にあろうはずもない。
 書店ではなく薬局・露店などにおける販売を視野に入れつつ、パセオ社員は一刻も早い再商品化を検討すべきであろう。



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[その273] あいにく国境は見えない


7/25金(その273)

あいにく国境は見えない





「三度のゴハン」と云うが、私にも「三度のバッハ」という生活習慣がある。

 日に三度はバッハを聴くという高校時代に始まるこのルーティンは、途中パセオ創刊から10年ほどのブランクを除き現在も続いている。
  ゴハンを食べて歯を磨いてトイレに行くのと、まったく等しい日常行為だ。
 実を云うとこれは「ゴハン・セバスチャン・バッハ症候群」と呼ばれるチョー難病なのだが、人体にはまったく影響がなくて、むしろ調子がいいくらいだ。

 ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750)は地球最高峰のミュージシャンとも称されるドイツの作曲家&即興演奏家。
 そのバッハ演奏とくれば本場のドイツ人に限る、と当然そう思うでしょ?
 ところがどすこいっ!!
 ずばりオランダ、ベルギー、日本あたりが現代のバッハ演奏の主流なのだ。
 いまだに世界中に愛され続けるバッハ弾き、かのグレン・グールドもカナダ人だし、パブロ・カザルスもスペイン人だ。
 ただし御本家ドイツ人様が下手なのではない。
 分家があまりに凄すぎちゃうのだ。
 だから、時おりドイツ人の優れたバッハ演奏家が出てきたりすると、むしろ物珍しさでCDを買った上に、へえー、やっぱ血筋も関係あるんだあ、などと妙な感心をすることになる。


 ドイツ人なのにバッハが上手い。
 まるで日本人なのに横綱だあ!!みたいなマルティン・シュタットフェルトもそんな演奏家の一人だ。
 彼は2002年、東西ドイツ統一後に本家ドイツ人として初めてバッハ国際コンクールに優勝した注目の若手ピアニストである。


     「三度のバッハ」シュタットフェルト.jpg


 初めて彼のライブを聴いた時、その横綱的快演にドヒョー(土俵)と心で叫びつつも、何やら私はほっとしたものだ。
 それは、愛するバッハを生んだお国に優れたバッハ・プレーヤーが誕生したことに安堵する地球愛的心情だったかもしれないし、あるいは、やっとこさ日本人横綱が誕生してくれたか、みたいな愛国的心情の倒錯だったかもしれない。


 私たちのお国においても、柔道で金メダルを取ることは楽ではない時代だし、貴乃花の引退後、日本人横綱を土俵上に観られなくなってすでに5年が経つ。
 スポーツのみならず音楽の分野でも、日本人のお家芸であるはずの尺八演奏においてそんな傾向は顕著だ。
 例えば、日本人より日本的な音を出すオーストラリアの尺八奏者ライリー・リー。
 彼のような達人クラスの外国人奏者はわんさか居て、実際それらを聴いてみれば、ただ唖然と息を呑むばかりだ。
 体力・合理を評価しつつも、一本勝ちを志さない外国人柔道や、勝つだけの相撲をとる外国人相撲にはいまひとつ共感は薄いが、内容・技術ともにプーロ(純粋)な本質に迫らんとする外国人尺八演奏は、ストレートに御本家日本人の心を打つ。
 ああ、これなら負けても嬉しいかも的な、フシギに痛快な敗北感。
「なぜ日本人がフラメンコを?」という例の時代錯誤な質問攻勢にええ加減うんざりしていた私などは、その返答用にとライリー他の尺八名演CDを大量に買い込み、国境好きな論客連中に配りまくったものだ。
 その意味で彼らの尺八演奏と日本人のフラメンコは実に近しい。
 それらを比較検証すると数多くの共通項が発見できるが、その最たるものはズバリ、心底惚れた相手に対するレスペト(敬意)ということになるだろう。
 それはパスポートよりもはるかに重い、熱き慕情そのものと云ってよい。

                            (つづく)


 ――――――――――――――――――――――――



 以上は、月刊パセオフラメンコ2008年9月号(8/20発売)の「特集:レスペト(敬意)」から一部抜粋。
 滅多なことでは本誌に書かない(書かせてもらえない)私の原稿だ。
 ほんとうは全文掲載したいのだが、こんなのを全文載っけたら9月号が爆発的に売れ残ってしまう!という社内の危惧に謙虚に耳を傾けた結果である。TT









[その272] 淡い夢だから


7/6日(その272)

淡い夢だから





 「淡い夢だから 胸を離れない


 村下孝蔵さん『初恋』の曲中、特にぐっとくるフレーズだ。柄にもなくセンチメンタルな気分に逃げこみたい時なんかに、いまでも時おり聴く。

 好きになった女性には堂々とその旨を告げ、
 だからどーしたの?と返され、みごと砕け散るパターン。
 パコ・デ・ルシアのレコードから日常的な勇気を吸収しはじめていた高校時代後半には、こーゆーポジティブな玉砕スタイルをほぼ確立していた私なので、この曲の感傷をしみじみ味わうためには、それ以前の記憶をさかのぼらなければならない。


     パコ・デ・ルシア/霊感.jpg



 「好きだとも云えず初恋は

 その中学同級生をR子という。
 藤原紀香を小さめにして、ほどよい翳りを加えた感じのチョー美少女。
 学年を超え、全校男子のあこがれの的だった。勉強は上の中ぐらいでスポーツは万能。水泳自由形で区の常連チャンピオンだった。
 林間学校のフォークダンスの時に、あと2、3人のところで彼女との順番が回ってこなかった腹いせに、 夜の枕投げ大会で大暴れしたことを昨日のことのように思い出す。

 まぶしすぎる彼女の姿を、いつも遠くから眺めていた。
 胸というのはキュンと鳴るものだと、その頃はじめて知った。
 結局、一度たりとも目を合わせてまともに話すこともなく、別々の高校に進んだ。

 およそ十年後、地元の呑み屋でR子に偶然会った。
 それとわかった刹那、モノクロームな切なさに胸がはり裂けた。美しさと翳りの増した彼女には、長髪長身ハンサムの連れがいた。私の連れは地元札付きのおちゃめなアバズレ姐ちゃんだった。
 R子は伏目がちにニッコリ笑って私を認め、私はバツの悪いような笑みを目礼で返した。
 それっきり、だった。



 「淡い夢だから 胸を離れない

 ほんのひとつだけ、かろうじて残った。
 甘くて酸味のきいた忘れ得ぬ想い出。
 心のひき出しの右手奥にそっと置いてある。
 濃いのもいいけど、淡いのもいい。




     コスモス.JPG









[その271] ほほえみ返し


7/3木(その271)

ほほえみ返し





 朝イチのひと仕事を片付け、気分転換とばかりにパセオを飛びだす。
 ご近所をちょいと歩けば、昭和30年代的な懐かしい光景が広がる。



都電風景.JPG



 父や母との外出はどこへ行くにも都電だった。
 あのころのダダッ子感情がふいによみがえる。


 このまま飛び乗って、終点(三ノ輪)で昼酒でもやるか?
 でも今日はまだ、あとふた仕事ばかり残ってるぜ。
 ありゃ明日でもいーだろよ。
 でも夜はライブと呑み会じゃねーか。
 途中どっかで昼寝でもすりゃ大丈夫だろ。
 また飛鳥山で浮浪者にまちがえられてーのか?
 ありゃたしかに浮浪者の方々に気の毒だったわ。
 ベンチで寝るときゃネクタイぐれえ締めろやっ!
 ベンツで寝るときゃそーしてやるわい。


 生まじめな私とそうでない私のヨタれ話もそこそこに、
 今日のところはこんなもんで勘弁してやるかと結局仕事に戻ることに。

 ………じゃあ、またね。
 苦笑とともに都電を見送る。
 上野のお墓はまた今度だ。




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 父母が ほほえみ返す 三ノ輪行き









失敗はフラメンコの素

―――――――――――――――――――――――― 【月刊パセオフラメンコ/2009年9月号掲載作品】 『いつか王子様が』 あれは夏の暑い日……。 たしか七夕イベントの野外ステージでの出来事。 楽屋なんて洒落たものはなく、狭い仮設テントの中で、フラメンカ達20~30人が譲り合いながらも戦場のように化粧、着替えをおこなっていた。 先輩フラメンカの皆様は、ドレスを着るときにはブラジャーをつけないのが常だった。 私はというと、今でこそ普通サイズだが、若い頃は巨乳でドレスについてるカップでは収まりきれないし、踊る時に胸が邪魔になるので、ブラジャーをいつもつけたまま踊ってた。 いつもははずさないブラジャーを、その日に限ってはずしたのはなぜだろう? お姉様方のまねをすれば、自分も少しはまともに踊れると思ったのか?? 気持ちよく舞台で踊って、袖に引っ込んだ私は、ドレスの裾にはずしたはずのブラジャーが引っかかってることに気づいた………ガーン! 「落とさなくて、最後まで引っかかってて良かったじゃん」となぐさめてくれる友。 でも、いっそのこと落としていたら、シンデレラみたいに素敵な王子様が、 「このブラジャーがぴったりの女性を妃にします!」って迎えに来たかもしれないよね? (山口県・さと/42歳) ――――――――――――――――――――――――
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