7月1日にリニューアルした当ホームページ。 ヨランダ画伯、大活躍である。 トップ見出し約30点を、可哀想にも ほとんど一晩で描きあげてくれた。 予想以上のアクセス&来場者数にホッとひと安心だが、 新しいチャレンジをかける場合、 毎度のことながら業界筋やオールドファンの方々からは、 たくさんのお叱りと冷笑を頂戴いたすことになっている。 リニューアルから1ヵ月。 まあ、コン
マヌエラ・カラスコが生命の根源をスパースさせるディオニソス系代表ならば、 一方の理性的調和アポロン系代表はマリア・パヘスをおいて他にない。 伝統的格調と革新的感性の絶妙なリンクの上に舞踊技術を磨きあげ、 新たな生命力を吹き込むことで現代バイレの大輪を咲かせたパヘス。 スタイルに対する趣味を超え、彼女のフラメンコはあらゆる観衆を魅了する。 本作品には珠玉のソロ三曲が収録されている。
大きな仕込みが、いくつか一段落。 土日は消えたが、忙中閑アリ。 封も切らずにたまるばかりの新譜CDを一枚聴く。 ジャズ・ピアニストとしても有名な、 クラシック畑の人気指揮者&作曲家、 アンドレ・プレヴィンのギター協奏曲。 自らのタクトとロンドン響による、 この秋来日するクラシックギターの王様、 ジョン・ウィリアムスとの楽しげな快演は、 1971年の録音で、CD化は世界初。
福沢はギャンブルの天才だった。 特に強みを発揮したのはカードで、 あまり目立たぬように、しかしトータルではしたたかに稼ぎ、 心得のある大人たちをいつも手玉にとっていた。 決して一人勝ちせぬように配慮し、10万勝てば5万と、 儲けた半金で仲間にふるまうことを常としていた。 幾度か吉原までゴチになったこともある。 複雑な家庭事情らしかったが、いつも羽振りのよかった福沢は 私よりふ
フラメンコギター修行僧すかるの発案で生まれた “フラメンコ笑辞典”。 [ギター修行僧すかるの想像図/by ヨランダ] さて、そのフラメンコ笑辞典。 日本のアフィシオナード界にあって、 “神”または“入門クラスの達人”として畏怖される、 ウェブ友オラシオンによって新展開が生じている。 [オラシオンの想像図/た、たぶん自画像(汗)] クリックしたら喰われてしま
毎日コツコツ、地道に続けたいものがある人は、 それなりに幸せかもしれない。 ラジオ体操でもいいし、青汁でもいいし、 三度のゴハンの支度でもいいし、 三度のゴハン・セバスチャン・バッハでもいい。 十数年前、フラメンコの舞踊手である連れ合いと暮らしはじめて間もない頃。 たまには、同じ日に休みをとって、どこかに出掛けようという話になった。 やさぐれ社長を地で行ってた当時の私はいつで
きのうの昼下がり。 高田馬場駅前で信号待ちをしていると、 まるで私の双子の兄かのようなヨレヨレの おっさんが、ヘッドフォンを耳に、 何やら体をクネクネさせている。 面白そうなので、さり気なく近づいてみると、 小さく聞こえてきたのは、 八代亜紀さんの名曲“舟歌”だった。 身ぶり手ぶりを交えながら小さく熱唱する、 いまにもヨダレを垂らしそうなおっさんの そのお顔はすでに恍惚
「おれ、プロの将棋指しになりたいんだ」 「……じゃあ、ユージは父さんの死に目には 会えないんだなあ」 勝負師は親の死に目に会えない。 こんな警句は現代では死語だろうけど、 中学三年の私の希望を承認しながら、父親はこう笑った。 職種は何でもいいから、仕事だけはキチンとまっとうしろよというのが、 彼の一貫した考え方だった。 それから八年。 病床の父の臨終を看取ることができた
『3秒でフラメンコをイメージさせる方法』 http://www.paseo-flamenco.com/daily/2009/07/post_28.html 二年にいっぺんぐらい、あっと驚く大ホームランをかっ飛ばす ウェブ友カルミーナが、またしてもやりゃがった(↑)。 わしゃ踊れんので実証できんのだが、 フラメンコ普及の歴史を変えるスキルとなる 可能性
『森山みえのフラメンコ留学記』 この夏、一年のフラメンコ留学を終え帰国する ウェブ友みえの留学記。 短期集中・12回連載で、その初回が先日スタートした。 去年にひきつづき、みえは協会新人公演に出演するという。 日刊パセオフラメンコに人気読み物を!と、 ふと思いついた企画のひとつである。 今日の日刊パセオの一番上“バルぱせ”右横に、 その第二回『エル・トロンボ
(きのうの続き) その晩のFは饒舌だった。 そして、正直云って彼に好感を持っていなかったすべてのメンバーが、 これほどまでにFの話を真剣に聴き入ることは初めてのことだったろう。 詳細は省略するが、それは恥も外聞もかなぐり捨て、 人間存在の真実に迫らんとするかのような内容で、 実を云えば、大いに脱力しながらも私は感動していた。 かなり呑んだはずのFだったが、晴れ晴れとした顔で
やることなすことエキセントリックに自爆するFは、無類の女好きだ。 根が純なので、駆け引きなどはいっさい使わず、 押しの一手で真っ向からぶつかるもんだから、勝率はそう悪くはなさそうだ。 Fは私よりかなりの年長で、親しい友人というわけではないが、 やはりアートを生業とする人間なので、年に一度くらいは顔を合わせる。 親しい仲間内の呑み会に、そのFが珍しく顔を出した。 愛する女の
将棋人口が3000万人以上だった頃のその昔。 将棋仲間のあいだで“3秒将棋”なるものが流行った。 自分が着手した瞬間に、 「イチッ、ニッ、サ~ン!」と相手の指し手を促す。 3秒以内に指さなければ、即座に負けとなる。 私たちが競走馬となり、大金が飛び交うことになる “シンケン”とは異なり、一局千円のお遊びだったが、 時給230円の時代だから、それなりに熱くなった。 3でアホ
愛しのヌメロ。 http://www.paseo-flamenco.com/daily/2009/07/post_36.html この日刊パセオフラメンコのトピは私のアイデアだったが、 それがゆえに、これまで見事にドン引かれていた。 で、きのう、mixiの募集トピにちょこっとテコ入れしたところ、 いきなり凄んげえクオリティの作品が集まりだした。 小品から大作まで、
「三度のゴハン」と云うが、私にも 「三度のバッハ」という生活習慣がある。 日に三度はバッハを聴くという、 高校時代に始まるこの善悪を超越する私のルーティンは、 途中、パセオフラメンコ創刊から十年位のブランクを除き、現在もつづいている。 ゴハンを食べて歯をみがいてトイレに行くのと、まったく等しい日常行為なのだ。 ジェーもやってきて部屋が狭くなってきたので、 数年前にバッハのC
あるあるフラメンカ。 当ホームページのイラストを担当するヨランダが 発案した日刊パセオのチョー人気連載で、 読者投稿(mixiなど)がとだえることもないし、 アクセス数も抜群だ。 これまでの「あるあるフラメンカ」のこの二作品は傑作だと思う。 ―――――――――――――――――――――――― ●うらら(三重県) 法事の時 木魚の音に コントラをこっそり入れてしまった。 ―――
香取希代子先生の、ゆうべ14日の葬儀に参列してきた。 98歳、大往生だよね! と云い合うことが、 みんな精一杯のところだ。 とにかくその大きな功績とはべっこに、 やさしくて愛敬のある先生だったから、 皆それぞれに想いはひとしおなのだ。 やるべき仕事が山積みだったが、 明日は明日、まずは今日、だ。 業界の仲良し連と一杯やってきた。 帰宅すると、昨日から募りは
永きにわたりフラメンコ界の発展に尽くされた フラメンコ舞踊界の最長老、香取希代子先生が 一昨日の7月12日に逝去された。 98歳。 堂々たる舞踊ひと筋の人生だった。 香取先生がお元気なころにパセオから出版させていただいた 『85歳、しなやかにフラメンコ』(写真上)。 芸事にはきびしかったが、心やさしい大先生だった。 野方のスタジオでケーキをごちそうになりながら、 いろん
大学のオチ研(落語研究会)の罰ゲーム。 1負けの人間が「大変だあ、たいへんだあ~!」と叫びながらキャンパス内を爆走する。 で、2負けの人間が「どうしたんだあ、どーしたんだあ~」と叫びながら、 その10メーター後ろを追いかける。 ほかの仲間たちは、その異様な追っかけっこの光景を 遠まきに見物して楽しむという、かなり高度な罰ゲームである。 これは、近ごろの私のひいき、落語家の柳家喬
「戦争中の厭戦感は好戦的な姿勢と同じく、 あまり当てにはならない」 フラメンコな小説が書きたいなという、 本誌でもおなじみの人気ライター菊地裕子に薦めた一冊。 三十代の愛読書だった色川武大さんの その『怪しい来客簿』を久しぶりに読んだら、 冒頭の一節にふと目が止まった。 三十代、四十代には見過ごした箇所らしい。 「ああ、やだ、やだ、不景気はやだ」 こんなセリフが耳ダ
「アテとふんどしは向こうからはずれるっ、てねっ」 上品で鳴らした(←本人談)母の口ぐせだった。 つまり、期待しすぎてガックリするのはいかんよ、 という意味らしい。 頼みにするのは、自分だけにしときな。 でも、人に頼られるのはいいことだからね。 そんなふうに、何百ぺんも聞かされたように思う。 宗教を持たない母だったが、信心深く慈悲深い、 典型的な日本人だったかもしれない。
フラメンコ界に“敷居が低すぎる旋風”を巻き起こしつつある当ホームページ。 アクセス&来場者数ともに上々で、その追い風に乗ってコメント欄を設置した。 日刊パセオの左上の“バル de ぱせお”がそれだ。 “バル de ぱせお”というのは、 月刊パセオフラメンコ屈指の人気連載(by ヨランダ&ますた)で、 どーせならばと、こちらにそのウェブ・ヴァージョンを作っちまったというわけだ。
パコ・デ・ルシアを神と仰ぐ場合、 その信仰効果は人によってまちまちである。 私のケースで云うと 「人生はいいなと思う」 「不幸に鈍感になる」 「すぐハラが減る」などである。 若い頃の私は、パコのアートや生きざまに 少しでも近づきたくて必死にあがいたものだが、 それを実現するには、私個人のレベルがあまりにもユルすぎた。 ここ十数年の私なら、 石炭に向かって「ダイヤモ
たまたま入手したレコードによって、 フラメンコギターの神さまパコ・デ・ルシアにめぐり逢えた強運。 そのフラメンコは進路を見失いかけた私の青春に、 喜々として進むべき新たな道筋を示した。 パコとの出会いからしばらく後の、あれはたしか高校二年の運動会。 偶然腕力の弱そうな四名で騎馬戦チームを組むことになり、 将棋の強いあんたが大将、というワケのわからん推薦理由で、 もっともリ
私は三代目の江戸っ子だ。 能書きが多いわりに内容はサッパリだ、 という私のサッパリとした性質はそのことに起因している。 親族たちも東京・下町に集中している。 法事だ何だで一堂に顔をあわせて宴会となるわけだが、 私はこれが苦手だ。 戦後世代の従兄弟たちの中でも最年少だった私は、 絶好の酒の肴と化してしまうからだ。 私が忘れたい過
完全な芸術というものはなく、 あらゆる芸術は、 それに反抗する心情をかき立てる要素を 抱えながら存在している。 自然は、生と死を同時に含む。 彼のフラメンコに接すると、 私たちはその大きな関連の中に生きていることに気づく。 常に死を想えばこそ、生は豊かに羽ばたくことができると、 ストイックな彼の瞬発力がそれを証明する。 例えばそれは、ドゥケンデ。 自然は、生と
フラメンコの最強シンガー、カマロン・デ・ラ・イスラ。 休日の私の散歩三昧は、 いつでもそのカマロンとともに始動することになっている。 その名盤『カジェ・レアル』をセット再生し、 ヘッドホンを耳に玄関を飛び出す瞬間、 私はカマロンとひとつになる。 わくわくドキドキするようなタンギージョ(ロルカ作詞/月のロマンセ)が 耳に飛び込んでくると、そこはすでに別世界だ。 パコ・デ
「彼はますます彼になる」 そんな意味において、わが家の守護犬ジェーは、 フラメンコな明日を夢みるシェパード、 もしくは土佐犬だと云えないこともない。 ほとんど毎日、ギターやカンテの響きや、 サパテアードやパルマの爆音をBGMにしながら、 東京・代々木にある連れ合いのフラメンコスタジオで 番犬の仕事をそこそここなしている。 こう見えても、関東格闘犬選手権(シェパード部
授業を投げ出し東京の街々を徘徊中に、偶然手にした一枚のレコード。 青春を賭けた将棋のプロ入門テストに失格し進路を失った高校生の私に、 まったく新たな道筋を示すパコ・デ・ルシアのフラメンコギター。 グチんな! クヨクヨすんな! 誰も助けちゃくれんぞ。 魂ケチんな! さらして鍛える魂を金庫にしまってどーする。 遠慮すんな! やりたいことを思う存分やれ。 心配すんな! どー生きて
日本のフラメンコの黎明期における初代スター、本間三郎を座長とする 高円寺エスペランサにおける『木曜会』という月例呑み会は、 もうかれこれ二十年(!)も続いている。 この世界でそんだけ続く定例呑み会を他に私は知らない。 第一木曜の今日は、その木曜会だ。 日本フラメンコ協会の中核役員でフラメンコ舞踊入門の人気著作もある バイラオーラの鈴木眞澄、エスペランサのオーナー田代淳(協会の名
ご覧いただけますように、 本日パセオフラメンコのホームページの模様替えをしてみました。 今回のリニューアルは、社内でもっともヒマな私(窓際社長)がそれを担当。 敷居の低い、気軽に毎日のぞいてみたくなるようなページにしたかったので、 読みやすい日替わり連載を考えました。 で、とりあえずのメニューがこの『日刊パセオフラメンコ』で、 月刊専門誌ではとても恥ずかしくてで