チャイコフスキーの『悲愴』を聴く。 フェレンツ・フリッチャイ指揮、 ベルリン放送交響楽団の1959年録音。 あまたの名盤ひしめく中を、最近はこれ一本。 好き嫌いは分かれるだろうが、演奏は圧倒的だ。 比較的スケジュールが楽チンで、元気一杯な時に聴く。 そう。聴けばイッパツで落ち込むことが出来るから。 嘆くような悲愴ならば、大いに救いはあるのだが、 フリッチャイの悲愴は嘆かない
「つまずきは、落下を防ぐかもしれない」 なるほど、つまずきは落下の予兆であると。 軽くつまずいたら、 それは何か悪いことが起こるサインだから、 くれぐれも用心せーよ、と。 さすがにイギリスのことわざは味わい深い。 “経験論”を生んだ国だけのことはある。 つまずいたことなど一度もないチョー優秀な私だが、 毎日のように、いきなり豪快に落下している原因が、 おぼろ気なが
土曜日の午後。 神田川のパセオ(散歩道)を歩く。 根を詰める仕事がひと段落したので、そのご褒美だ。 小田急、井の頭線を乗り継ぎ吉祥寺に出て、 神田川の水源がある井の頭公園から自宅までの、 小休憩込みで約3時間、約13キロのコースである。 久々にどっぷりセンチメンタルな気分に浸ってみっかと、 それ系CDを4枚ばかり聴く。 ピアソラ、ケニー・ドリュー、ディーリ
なかよし連でワイワイにぎわう呑み屋のカウンター。 活気ある喧騒の中、久しぶりにやってきたユキちゃんは、 挨拶もそこそこに職場のグチをこぼし始める。 「こんなんじゃ、巣鴨になれないよ」 「そりゃそーだろ。おめえだって人間の端くれなんだから」 「えっ、人間は素直になれないの?」 「えっ、巣鴨になりたいんじゃねーの?」 ……ったく、どーゆー会話じゃ。
安藤広重/名所江戸百景より『関口・芭蕉庵』(1857年) その150年後のほぼ同じ場所あたり パセオを右に出て、 神田川をずずっと東に歩けば 15分ほどで関口の“芭蕉庵”だ。 名人松尾芭蕉は、 俳諧プロ入り前の四年間(34~37歳)を、 ここで暮らしたと云われる。 ここら辺りは、私的には東京随一の桜の名所
毎年恒例、一家離散の数日前。 連れ合いのスペイン行き用のスーツケースが出てくると、 それを察知するジェーは、さびしいようなうれしいような 様々なパフォーマンスを始める。 通常は、どちらかと云えば孤独を好む土佐犬なのだが、 この時期は、連れ合いや私にベタつくシェパードとなる。 スペイン行きを前にルンルン気分な連れ合いに 懐疑的な目を向けるジェーは秋田犬そのものだ。
月よりの使者、月光仮面! ビデオ『月光仮面』 発売元●げんごろお 幼いころの「都電の運転手」や「プロ野球選手」という 将来ヴィジョンの狭間に、 「月光仮面」という憧れの職業があった。 若い人は知らんだろーが、 昭和三十年代に一世を風靡した正義の味方である。 原付バイクにまたがって東京中を駆けめぐり、 悪人どもを退治するこのツエーおじさんを、 当然私は実在の人物だ
安藤広重/名所江戸百景より『おもかげの橋』(1857年) [その150年後のほぼ同じ場所あたり] 150年の歳月は、“おもかげの橋”を 何の変哲もないコンクリート小橋に変えたが、 辛くもその美しい名は残った。 橋の向こう右手には、落語『道灌』でもおなじみの “山吹の里”の碑がひっそりとその姿をとどめる。 橋の手前には、東京で唯一のちんちん電車、 都営荒川線の停車場“面
おとつい日曜の夕方は、 日刊パセオのイラストでもおなじみのヨランダ画伯と もろもろ打ち合わせ。 ひと段落ついて、さあ、メシでも食おうかと、 高田馬場をぶらついていたら、 居酒屋風な呼び込みの兄ちゃんが、 真剣な面持ちで声を掛けてくる。 スルーしようと思ったら、 あきらめずに私たちに貼り付きながら 熱心にお店自慢の講釈を続ける。 兄ちゃんのあまりの熱心さ
安藤広重/名所江戸百景より『高田の馬場』(1857年) その150年後のほぼ同じ場所あたり JR高田馬場駅から早稲田通りを東に、 15分ほど歩いた西早稲田のバス停あたり。 パセオからなら約10分。 江戸時代、堀部安兵衛の決闘で有名な 元祖“高田の馬場”は、まさにここなのだ。 たかだか150年でここまで変わる。 確か
散歩の時にパコ・デ・ルシアを聴くのは珍しいことだ。 しかもスーパーギタートリオの、 あの伝説のサンフランシスコ・ライブと来たもんだ。 頭からラストまで、 こうしてみっちり聴くのは何年ぶりのことだろう。 1981年の録音だから、 このアルバムに熱中したのは25、6歳の頃だ。 いま聴いても、 やはり奇跡のライブであることには変わりがない。 ギターを弾く人間ならば、 誰もがこ
きのうの『フラメンコ七転八倒』がバカ受けだったので、 調子に乗って、もうひとつだけ。 ―――――――――――――――――――――――― 『Oh My!ファザーズ』 寒くなってきたので 「レッスン用のタイツタイツ……」と よく見もしないで稽古に持ってったら 父の股引でした。 でも履いてても誰も気が付かないしw。 ――――――――――――――
以前mixiのコミュで『フラメンコ七転八倒』という お笑い投稿を募集していたことがある。 今日は、その折の名作をひとつご紹介したい。 ―――――――――――――――――――――――― 『抜き上手』 ♀4人で練習中、エスコビの抜けと同時に 『ブッ!』と出てしまいました。 お尻もいっしょに抜けたようです(--;) 一瞬静まり返り『今・・・・・おならした?』と
人の一生は重荷を背負って遠き道を行くがごとし。 急ぐべからず。 不自由を常と思えば不足なし。 心に望み起こらば、困窮したる時を思い出すべし。 堪忍は無事長久のもとと言えり。 勝つことばかり知りて負けることを知らざれば、 害その身に至る。 己を責めて、人を責めるな。 先日載っけたロシュフコオが生まれる三年前に この世を去った我らが徳川家康(1542~1
バチカン。 それは、世界で最も小さな国。 香川、愛媛、徳島、高知。 人呼んで、バチカン四国。 うっ、失敗っ!(汗、涙) 日刊パセオのご感想、 しゃちょ日記へのご苦情
技術の飛躍的進歩によって 人類は経済的に豊かとなり、 個人は生存のために 集団に帰属する必要がなくなったのである。 個人が勝手に行動しても生きていけるようになり、 集団の存在理由が薄れてきた。 家族も学校も会社も大きく変質し、 個人は集団の束縛から解き放たれて、ついに、 不本意ではない生活を送ることができるようになった。 だが、このときにな
掃除・洗濯・料理日和のきのう日曜は、 家にこもってのんびり仕事。 先週やったインタビューのテープ起こしが たまっていたので、イッキに片づける。 90分インタビューなら90分かかる。 相手の発言のポイントとニュアンスを PCに打ち込むだけなので、 再生をそのまま流しながらでも充分間に合う。 久々の編集現場はやはり楽しい。 本誌をフィニッシュするのは自分だから、 後で困ら
「好きなシンフォニーをひとつだけ選べ」 この設問には大いに悩むと思う。 それがチャイコフスキーの『悲愴』であった時期も かなり長かったし、モーツァルト(40番、41番)や、 ベートーヴェン(5番、6番、7番)や、 ドヴォルザーク、プロコフィエフ、マーラーなどにも よろめいた。 だが、ここ数年の心境からするなら、 意外とあっさり、 ブラームスの交響曲第3番を選べるのかもしれ
わが家は現在、一家離散中である。 ほぼ年に一度のペースで連れ合いはスペインに行く。 毎日帰りの遅い私は、 ジェーの面倒をみることができないので、 その間ジェーは、彼の祖父母を自負する 杉並の福島さん夫婦んちで暮らすことになる。 かくしてわが家は一年の二週間ばかりを、 スペイン、渋谷区、杉並区にそれぞれ散らばり、 一家離散の憂き目の中を、 それぞれ嬉々として自由気ままに暮
まれに午前中から、 ファンタスティックな営業成果をあげた時など、 そのご褒美の昼食に美味しいうなぎを喰うことは、 わたし的には大きな喜びのひとつだ。 一方で、うなぎ的には、 それが「美味しくも喜ばしくもない」であろうことに、 慢心する心は引き締まる思いだ。
きのうは夕方から池の上のアルテ・イ・ソレラで、 “FLAMENCO曽根崎心中”やサントリーのテレビCM なんかでもおなじみのバイラオーラ鍵田真由美を取材。 パセオ本誌新年号から私が受け持つ インタビュー連載(本文カラー9頁)の、 その第一回目のゲストを彼女に引き受けてもらったのだ。 スタジオのど真ん中にインタビュー会場を設営し、 大盛り上がりのツッコミ&ボケ合戦
[安藤広重/名所江戸百景より『浅草金龍山』(1856年)] [その約150年後のほぼ同じ浅草・雷門あたり] 時代を超える、こんな好ましいコントラストもある。 昔も今も、それぞれに味わい深い風情。 それを私的に云うなら、 マノロ・カラコール(昔の人気フラメンコ歌手)と ミゲル・ポベーダ(今の人気フラメンコ歌手)くらいの コントラストかな。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」 これはあの有名な松尾芭蕉の句ですね。 わずか17文字の短いコンパスの中に、 万人が共有できる具体的な情景を浮かび上がらせる ところに凄みがありますね。 おなじみのラフカディオ・ハーンがこんな英訳を付けています。 蛙は複数なんですね。 Old pond ― frogs jumped in ― sound of water ところで、こんな
まるで仏さまのようなお人柄なのに、 当時から音楽界の神さま的存在だった 濱田滋郎先生のお宅に、はじめてお邪魔した時のことを 昨日のことのように想い出す。 当時の私は20代半ばだったから、 それからすでに三十年の歳月が流れている。 音楽プロモーターの駆け出しだった私は、 主催するコンサートのプログラム解説をお願いに、 いくぶん緊張しながら小田急線・柿生にある濱田邸に赴いた。
[カマロン/カジェ・レアル]POLYGRAM 1983年 どーです、このカッチョええジャケットは! グッドデザイン賞もんだよ。 でも中身は、もっともっと凄い。 日曜朝は『カジェ・レアル』でなければ始まらない。 数千はあるフラメンコCDの中でも、 フィジカルな快感度はいちばんかもっ! オープニングからいきなり、 カマロンは気合いの入りまくりで、 あおりにあおる豪
[パセオ/1985年10月号] 年寄りのむかし話シリーズ第三弾。 この号の特集は「第一回清里スペイン音楽祭」。 1985年8月23日~25日の三日間。 濱田滋郎師匠、慶子夫人、吾愛さんご一家主催による、 あの伝説の“清里スペイン音楽祭”の その記念すべき第一回目。 そのレポートを担当したのは私だが、 まるで現在の私の魂が憑依したかのような 悲惨な出来映えである。
[パセオ1985年1月号] きのうに続き、むかし話。 1984年11月に行なわれた "スペイン映画祭"の開催に先立っての記者会見。 日本でも大ヒットした映画『カルメン』のカルロス・サウラ監督ほか 全六名からなる、スペインを代表する映画監督が来日したのだ。 にもかかわらず、記者の方は私を含めても 大監督ご一行と同じくらいの人数しかおらんではな
[パセオ1984年11月号] 調べもので創刊当初のパセオをぱらぱらやってたら、 10月に女王マヌエラ・カラスコ、 11月にはギターのビクトル・モンヘ・セラニート (パコ、サンルーカルと共にビッグスリーと呼ばれた)の来日公演がある。 邦人では、岡田昌巳、倉橋富子、田中美穂、小島章司ら 豪華メンバーによるソロリサイタルが目白押しだ。 渋谷ジァンジァンの名物だった懐かしの
ある日曜の昼下がり。 せっせと家で仕事をかたづけていたら、 ふとバッハの無伴奏チェロが恋しくなって、 ならば散歩しながら聴こうじゃねーのとサボりを決め、 いそいそ家を飛び出す。 アップダウンの多い上原から、 西原、幡ヶ谷、笹塚あたりをブラついていたら、 にわか雨にやられた。 傘がない。 行かなーくちゃ、君に逢いに行かなくちゃ~♪ と、 条件反射で陽水を歌ってしまう私はま
この夏のフラメンコ新人公演の二日目。 パセオ本誌でもおなじみの堀越千秋画伯(&カンタオール)と、 会場近くの中野駅前で昼メシを食った。 そのおり三時間ばかり、いろんな話をした。 パセオ新年号から担当する私の連載枠にゲスト出演してねという話とか、 再来年2011年は1年間連続で画伯の描く スペインの新旧トップアーティスト12名で行こうよという話とか、、 あっ、堀越さんのデザイン